神代地誌

トラギロスのアスクレーピアデース



[略伝]

 紀元前4世紀、トラギロス生まれ。悲劇作品の中で語られたギリシア神話の説明をした6巻本『Tragodoumena』を書いた(FGrH 12)。アクーシラーオス、ペレキュデースといった初期神代地誌家と同じく、叙事詩・叙情詩の伝承に基づいている。アポッロドーロスの典拠をなすが、おもにわれわれに知られているのは、古註とくにホメーロスのそれにおいてである。テオポムポスやエポロスと同じく、イソクラテスの弟子で([Plut.] X orat. 837C)、イソクラテスから得た梗概や伝承された情景を、比較的優雅な周期的文体でまとめた。(OCD)





生涯と作品

T1
STEPH. BYZ.「トラギロス」の項。
 トラキア地方の半島とマケドニア地方あたりの諸都市のひとつ。ここから、『悲劇の物語(Tragwidouvmena)』を6巻本に書いたアスクレーピアデースが出た。

T2
VIT. X OR. p.837C(=PHOT. Bibl. 260 p.486b 36):
 彼〔sc. イソクラテース〕の弟子は、キオスのテオポムポス、キュメーのエポロス、『悲劇の物語』を著したアスクレーピアデース……

T3
SCHOL. EURIP. Hek. 1:
 ピロコロスは、アスクレーピアデースに宛てた書簡の中で……

T4
PLIN. NH I 7:
 典拠著作家……外国の典拠著作家……ポントスのヘラクレイデス(VII 175)、アスクレーピアデースの『悲劇の物語』(─)、ピロステパノス(VII 207)。



断片集

『悲劇の物語(Tragwidouvmena)』第1巻-第6巻

第1巻

F1
PROBUS Verg. ge. III 267:
 〔未訳〕

第2巻

F2
a) SCHOL. APOLL. RHOD. II 562:「エウペーモスは鳩(pevleia)を放ってまっすぐに飛ばせた」
 アルゴー号の乗組員たちが、鳩を使って、シュムプレーガデス岩注3)を試したということは、アスクレーピアデースも『悲劇の物語』第2巻の中に記録している。
b) 同、II 328:
 pevleiaとはハトの1種であると、アリストテレース(HA V 13 p.544b 1)も謂っている。航行しようとしてハトを利用したことは、アスクレーピアデースも『悲劇の物語』の中で謂っている。(F 22. 31.を見よ)

第3巻

F3
SCHOL. PINDAR. P. II 40b:

第4巻

F4
HARPOKR.「デュサウレース」の項。
 アスクレーピアデースは、『悲劇の物語』第4巻の中で、デュサウレースは土地生え抜きの者だと謂う。そして、バウボー注4)と同棲してプロートノエーとミサという二子を得た、と。パライパトスは『トラキア誌』第1巻(44 F 1)の中で、彼は妻とともにデーメーテールを歓待した、という。

第6巻

F5
PHOT. SUID. HESYCH.「レーソス」の項。
 指導者、すなわち、神託(qevsfata)をつかむ者のこと。これはエピカルモス(F 205 Kaib.)による。あるいは、言表(rJ:siV)にちなんで云われるか、あるいはアスクレーピアデース『悲劇の物語』第6巻において、真理を云うことにかけて最善の者の意。しかし他説もある。

F6
a) SCHOL. PINDAR. O. IV 313a:「またアポッローンのもとからは竪琴師が」
 アポッローンの子オルペウスのことだと謂う。〔しかし〕ピンダロス自身も(F 139)他の人々も、〔オルペウスは〕オイアグロスの子だと言うのであるが。
b) SCHOL. EURIP. Rhes. 895:「哀悼の調べで」
 アスクレーピアデースも『悲劇の物語』第6巻の中で、カッリオペーの子どもたちは数多いと、次のように言う。「すなわち、アポッローンがカッリオペーと交わって生んだのは、長子リノス、その後に3人、ヒュメナイオス、イアレモス、オルペウスである。この末子には、音律の仕事に対する欲求が芽生え、何よりも音楽に没頭するようになった。しかし、言われているのとは異なり、このことが受難のもととなったわけではない。
c) SCHOL. APOLL. RHOD. I 23:
 アスクレーピアデースによれば、オルペウスはアポッローンとカッリオペーの子、一部の人たちによれば、オイアグロスとポリュムニアの子。(F 10?)

巻数なし

F7
a) ATHENAI. X 456 B(=SCHOL. EURIPID. Phoin. 50):
 スピンクスの謎については、アスクレーピアデースが『悲劇の物語』の中で次のようなものだと言っている。
 この地上に、二本足にして四本足にして三本足にして、
 声はただ一つなるものあり。地上空中はたまた水中に
 生きとし生けるもののうち、ただひとり本性を変ず。
 さりながら、四本足にて行くときは、四肢の力弱くして、
 二本足、三本足の時に比ぶれば、歩みは遅し。
b) SCHOL. EURIPID. Phoen. 45:

F8
HARPOKR.「メラニッペイオン」の項。
 ……テーセウスの子ペラニッポスの英雄廟だと、アスクレーピアデースが『悲劇の物語』で謂っている。クレイデーモス(III)は『アッティス』第1巻の中で、それはメリテー〔マルタ島〕にあると言う。

F9
SCHOL. EURIOID. Alk. 1:「それもつまりはわたしの倅アスクレーピオスの胸に雷の火を撃ち込んで/亡き者にされたゼウスのせいであった。/これに腹を立てたわたしは、ゼウスの雷火の作り手なるキュクロープスらを/殺したが、父神はその罰としてこのわたしに/人間に仕えて労役に服せと、有無をいわせず命ぜられた」
 アポッローンがアドメートスのもとで日雇いとなったという、人口に膾炙している大衆向きの歴史がこれであり、今、エウリピデースはこの歴史を用いているのである。ヘーシオドス(F 127)も、アスクレーピアデースも『悲劇の物語』の中でそのように謂う。ペレキュデース(3 F 35)は……。

F10
SCHOL. EURIPID. Rhes. 916[Rabe Rh. Mus. KXIII 420]:「ピラムモーンの子よ」
 〔ここでエウリピデースは〕タミュリスはピラムモーンの子として生まれたと言っている、これはソポクレース(p.181N2)も同じである。タミュリスは二人いたと謂う人たちがおり、これは、他の人たちも記録しているが、アッポロドーロスも『目録』の第6巻(II)の中で……アイスキュロスでは、タミュリスとムーサたちに関する話は、より詳しく(?)述べられている。とにかく、アスクレーピアデースは『悲劇の物語』の中でこの話について次のような仕方で謂う。「タミュリスは、右眼は白く、左眼は黒く、その姿は驚くべきものであり、歌にかけては、他の誰よりも抜きん出ていると思われていたと謂う。そのため、ムーサたちがトラキアにやって来たとき、タミュリスは、トラキアでは一人の男が多数の女たちといっしょになるのが仕来りだと謂って、彼女たち全員と同棲するよう彼女たちを口説いた。彼女たちは、この男の申し出に、歌の競争をすることにし、賭けたのは、自分たちが勝ったら、〔自分たちが〕彼にしたいようにすること、相手が勝ったら、彼の望むだけの女を取ることであった。彼らは同意して、ムーサたちが勝ったので、彼の両眼を抜き取ったという」。ホメーロス(Il. II 594)は、タミュリスの事跡を紹介しているのはドーリオンだと謂う。(F 6?)

F11
SCHOL. HESIOD. Theog. 223「また……破滅のニュクス〔夜〕は、ネメシス〔憤り〕を生んだ」
 ホメーロスは、この事実は知っていたが、その女神は知らなかった。アスクレーピアデースは『悲劇の物語』の中で謂う、ハクチョウに変身してゼウスはネメシスと交わった、と。

F12
SCHOL. A HOM. Il. III 325:
 パリスがアレクサンドロス注5)と呼ばれたのは、彼は生まれるとすぐにイーデー山に捨てられたことによるが、生長するにつれて、次のような運命がふりかかった。ヘカベーが彼を胎にもっているとき、夢に燃え木を生むのを見た。その〔燃え木〕は、あらゆる都市とイーデー山に立っている樹木を焼きつくした。この夢を聞いて、占い師たちや、夢にかけては恐るべき人たちは、生まれる子が間もなくすぐに怪物に餌を投げ与える者となると云った。そこで、アレクサンドロスが生まれると、イーデー山に捨てたのである。これを羊飼いが見つけて、すこぶる見目麗しい子だったので、拾って育てあげた。ポリュプリオスの謂うには、パリスを養育した羊飼いは†アルキアラースと呼ばれたと、『悲劇の物語』を書いた人が記録しているという。

F13
SCHOL. AB HOM. VI 155:「ペッレロポンテースを」
 この人物は、初め、ヒッポヌゥスと呼ばれたが、コリント人たちの権力者ベッレロスを亡き者にしたので、ベッレロポンテース〔「ベッレロス殺し」〕と呼ばれた。自然本性〔血筋〕はポセイドーンの子だが、通り名はグラウコスの子である。ゴルゴーンのメドゥーサの有翼の馬ペーガソス — 〔ペーガソスが〕愛顧をも得ている所以は、ゴルゴーンの頚から跳びだしたからであるが — をポセイドーンからもらい、これで出かけるのが常であった。同族殺しをしたので — というのは、わたしが謂ったように、市民のひとりベッレロスなる者を殺したからだが — アルゴスに逃げた。そして王プロイトスから浄めをしてもらい、これとともに過ごした。ところが、プロイトスの妻アンテイアがベッレロポンテースに恋し、自分と共寝するよう要求した。しかし彼は、敬虔(o[sion)を右手に置く者だったので、拒否した。するとアンテイアは、自分の恋情をプロイトスに告げ口されるのではないかと怖れ、ベッレロポンテースに先んじて、彼が自分にしかじか暴行を働いたと告発した。しかしプロイトスは、手ずからベッレロポンテースを殺すことを望まず、〔その旨を記した〕手紙をみずから運んでいるとは思いもよらぬ彼を、リュキアの義父イオバテースのもとに遣わした。彼〔イオバテース〕は、数々の賞品をかけて訓練したが、へこたれないのを眼にして、彼に対して発せられた恐るべき攻撃命令を疑った。というのは、これほどおびただしい災難の群を防ぎきったのだから。そこで、自分の娘カサンドラを彼と結婚させ、王国の一部をも与えた。しかし彼は自分のしたことに思い上がり、ペーガソスに乗って天を窺ったと言われる。というのは、われわれが謂うように、この馬は背に翼をもっていたからである。しかしゼウスは激怒して、ペーガソスにウシアブを送りこんだので、ペッレロポンテースは落馬して、リュキアの平野、それ〔ペーガソス〕にちなんでアレーイオンと呼ばれる平野に落下し、不具となってそこをさまよった。馬の方は、宇宙の周りを倦まず周回することに対する賜物として、エーオースがゼウスからもらい受けた。この歴史はアスクレーピアデースの『悲劇の物語』にある。

F14
SCHOL. AD Gen. II GOM. Il. VII 468:「イエーソーンの裔エウネーオス、つまり、ヒュプシピュレーがイエーソーンによってもうけた子」 レームノス人たちは、仕来りにより、アプロディーテーへの供儀を捧げることをしなかったので、自分たちで死刑を立法した。すなわち、この女神が怒って、言われるところでは、男たちには、トラキア女たちに対する一種の渇望を、自分たちの女たちは蔑ろにし、静かに座っている〔渇望〕を植えこんだ。こうして、〔男たちは〕トラキアに渡り、かの地のことを厚遇し尊んだので、レームノスの女たちに度外れた激怒が見舞った結果、すべての男を殺すべし、この企みに外れるべからず、との決議をした。男たちに関するこの不幸が起こったとき、言われるところでは、アルゴー号を走らせていたイアソーンが、誰よりもすぐれたヒュプシピュレーと交わったという。彼女から生まれたのがエウネーオスだと言い伝えられる。この歴史はアスクレーピアデースの『悲劇の物語』にある。

F15
SCHOL. PINDAR. N VII 62:
 アスクレーピアデースは、『悲劇の物語』を通して次のように謂う。「〔sc. ネオプトテレモスの〕死に関しては、ほとんどすべての詩人たちが一致している、彼はマカイレウスのせいで命終し、初めは神域の玄関のたもとに埋葬されたが、その後でメネラオスがやって来て取り上げ、墓を神殿の中につくった」。マカイレウスはダイタースの子であると謂う。F 23を見よ。

巻数なしの断片および疑わしいもの

F16
[APOLLOD.] Bibl. II 6:
 ヘーラはゼウスからその牝牛〔イーオー〕を請い受け、パノプテース〔「すべてを見る者」の意〕・アルゴスを見張り番に任じた。この〔アルゴス〕は、ペレキュデース(3 F 67)は、アレストールの子だと言い、アスクレーピアデースは、イナコスの子だという。2 F 27を見よ。

F17
同上、同書、III 7:
 ミノースが娶ったのは……ヘーリオスとペルセーイスとの子パシパエーだが、アスクレーピアデースの謂うには、アステリオスの娘クレーテーだという。

F18
HYGIN. Poet. astr. II 21:
 〔未訳〕

F19
PROBUS Verg. ge. II 84:
 〔未訳〕

F20
PROVERB. BODL. 374[Leutsch Paroemiogr. I p.83]:「汝の上に汝は月を引き下ろす」
 アスクレーピアデースは謂う、テッタリア女たちは月の動きを知悉していて、あたかも彼女らによって〔月が〕引き下ろされるかのように預言するのであるが、これを実習することは、彼女らの災難(kakwvsiV)と無縁ではない。というのは、子どもたちを犠牲にすることとか、眼のひとつを奪われることとかがそれであるから。とにかく、身に害悪をもたらす意で言われる。またドゥリスは謂う、月の食を予告する天文学者が無罪放免されることはない、と。

F21
SCHOL. APOLL. RHOD. I 152:
 ネーレウスは、クローリスからは、ネストール、ペリクリュメノス、クロミオスといった子どもたちをもうけた。別の女たちからは、タウロス、アステリオス、ピュラオーン、デーイマコス、エウリュビオス、エピレオーン、プラシス、アンティメネー、エウアゴラスを。アスクレーピアデースが謂うには、アラストールもそうである。「詩人〔ホメーロス〕」(Il. VI 692)も、「すなわち、われら十二人、非の打ち所なきネーレウスの息子である」。

F22
SCHOL. APOLL. RHOD. II 178:「アゲーノールの裔ピネウスが」
 すなわち、アゲーノールの子であると、ヘッラーニーコス(4 F 95)、しかしヘーシオドス(F 31)は、アゲーノールとカッシエペイアの子ポイニクスの子だと謂う。ペレキュデース(3 F 86)もそう謂う……。F 3. 4 F 95を見よ。

F23
SCHOL. EURIPID. Andr. 32:「ひそかに呪いで、あの女〔sc.ヘルミオネー〕に子どもができなくしたと言う」
 エウリピデースが謂っているのは、ヘルミオネーはネオプトレモスとの間に子どもができなかったということである。リュシマコス(III)は、†tauvthn par' aijneivou、彼は書く、「ヘルミオネーを娶り、……その後で今度はヒュッロスの子クレオダイオスの〔娘〕レオーナッサを〔娶って〕、この女からモロッソスが生また、……レオーナッサからは、パンダロス、ゲノオス、ドーリエウス、ペルガモス、エウリュロコスが〔生まれた〕」。以上、リュシマコスはそういうふうにいう。しかし悲劇作家のピロクレース(F 2)とテオグニス(om N2)が謂うには、ヘルミオネーは、テュンダレオースによってオレステースに与えられる旨婚約発表したが、すでに妊娠していたのを、メネラオスによってネオプトレモスに与えられ、アムピクテュオーンを生んだという。しかし後にはディオメーデースと同棲したという。ソーシパネース(om N2)とアスクレーピアデースは、彼女からネオプトレモスのためにアンキアロスが生まれたという。しかしデクシオスは、〔生まれたのは〕プティーオスだという。アレクサンドロスは、〔生まれたのは〕ペーレウスだという。スクレーリアスは、アンドロマケーからはメガペンテースが、ヘルミオネーからは、アゲラーオスが〔生まれたという〕。(F 15を見よ)

F24
同上、Hek. 1237(TZETZ Lyk. 315):「哀れな牝犬の墓、船乗りたちの目印」  犬の墓についてアスクレーピアデースもこう謂う、「悲運の犬の墓と呼ばれる」と。

F25
同、Or. 1645:
 アスクレーピアデースは『アルカディア誌』の中で、オレステースは70歳のとき、ヘビのせいで亡くなったと謂う。

F26
SCHOL. Q HOM. Od. X 2:「ヒッポテースの裔アイオロス」
 アイオロス〔という名前の人物〕に3人いると謂われている。第1はヘッレーンの子。第2はヒッポテースとメラニッペーとの子。第3はポセイドーンとアルネーとの子である。この第3には、アスクレーピアデースは、ポセイドーンの血を引くオデュッセウスが入ると謂う。しかしホメーロスは、ヒッポテースの血を引くと云うことを守っている。

F27
SCHOL. TV HOM. Od. XI 269:「気高きクレオーンの娘メガレー、つまり、アムピトリュオーンの息子が娶った相手」
 彼女はヘーラクレースと結婚して、テーリマコス、クレオンティアデース、デーイコオーンといった子どもたちをもうけた。彼〔ヘーラクレース〕が、犬の褒美目当てに冥府に赴いたとき、テーバイ人たちの王リュコスはヘーラに説き伏せられて、ヘーラクレースの子どもたちを打倒して犠牲に供しようとした。彼〔ヘーラクレース〕が帰還しようとは、思ってもいなかったからである。しかしヘーラクレースは立ち戻るや、彼〔リュコス〕とその子どもたちを亡き者にした。ところがヘーラのせいで〔ヘーラクレースは〕狂気に陥り、自分の子どもたちを殺してしまった。すんでのところで兄弟のイピクレースをも〔殺す〕ところであった、もしもアテーナが急遽妨げなかったなら。この歴史はアスクレーピアデースの作品にある。

F28
SCHOL. V HOM. Od. XI 321:「パイドレーを」
 アイゲウスの子テーセウスは、アマゾーン女人族のアンティオペーから子ヒッリュトスをもうけたが、そののち、クテータ人たちの王ミノースの娘パイドラーと結婚した。そして、継母の企みを気遣って、息子ヒッポリュトスをアテーナイから派遣して、トロイゼーン人を支配させた — というのは、彼〔テーセウス〕には、ピッテウスの娘アイトラーを通して、その地における母系的な支配権のようなものがあったからである。ところがパイドラーはヒッポリュトスに対する恋情に陥り、彼に対してどうしようもなくめろめろになって、先ずはアテーナイにアプロディーテーの神殿(現在、ヒッポリュテイオンと呼ばれる)を建て、次いでトロイゼーンにやって来て、思いつめて、自分と交わるよう若者を口説いた。しかし相手はその言葉を受け容れることを渋ったので、言われているところでは、彼女は咎めが自分に跳ね返ってくることを怖れて、ヒッポリュトスが自分を誘惑したとテーセウスに讒言したという。彼〔テーセウス〕は、言い伝えでは、祈れば必ず成就するとポセイドーンが認めたから祈願が3つ彼に与えられていたのだが、パイドラー〔の讒言〕を信じ、その祈願の中のひとつとして、みずからわが子の破滅を祈願した。そこで〔ポセイドーンは〕同意し、彼〔ヒッポリュトス〕が戦車の訓練をしているところを、海から突然牡牛が現れ、狼狽した馬たちが〔ヒッポリュトスを〕引きずって殺した。パイドラーの方は、讒言が明らかとなり、縊死したという。この歴史はアスクレーピアデースの作品にある。

F29
SCHOL. V HOM. Od XI 326:「おぞましいエリピュレーも〔見かけました〕。この女は愛しい夫に換え、高価な黄金〔の首飾り〕を受けとったもの」
 オイクレースの子アムピアラーオスは、タラオスの娘エリピュレーを娶ったが、あることで〔義兄〕アドラストスと仲違いし、再び仲直りしたとき、自分もアドラストスも誓いを立て、何か仲違いすることがあったら、エリピュレーが裁定し、彼女に聴従することに合意した。その後、テーバイに向けての出征が生じたとき、アムピアラーオスはアルゴス勢を引き留め、起こるべき破滅を予占したが、アドラストスの方は戦闘に赴いた。ところが、エリピュレーは、ポリュネイケース〔アルゴス勢の総大将〕から、ハルモニアの首飾りを受けとって、アドラストス麾下で従軍させられた軍勢に、アムピアラーオスを加勢させた。アムピアラーオスは、賄賂の受け取りを見て、エリピュレーをさんざんになじり、自分は征戦に進発したが、〔わが子〕アルクマイオーンには、母〔エリピュレー〕を殺害するまでは、末裔〔オイディプゥスの末裔すなわちポリュネイケース〕といっしょにテーバイに出兵してはならぬと下命した。言われるところでは、アルクマイオーンはそのすべてを実行し、母殺しのせいで発狂したという。神々が彼をその病気から回復させたのは、父親のいいつけを守って母親を殺戮したのは敬虔であるからである。この歴史はアスクレーピアデースにある。

F30
SCHOL. V HOM. Od. XI 582:「またタンタロスをも眺めた」
 ゼウスとプルゥトーの子タンタロスは、神々とともに過ごし、これといっしょに食事しながら、彼は満足しなかった。というのは、ネクタールとアムブロシアを、彼には許されていなかったので、これを盗んで僚友に与えたからである。このことに怒ってゼウスは、天にある隙間から彼を投げ捨て、高い山の上に両手を縛って吊し、そうして、シピュロン(彼が葬られたところ)を反転させたという。この歴史はアスクレーピアデースにある。

F31
SCHOL. V HOM. Od. VII 69:「みなが気にするあのアルゴー」
 サルモーネウスの娘テューローは、ポセイドーンから二人の子、ネーレウスとペリアースをもうけ、クレーテウスと結婚して、彼から三人の子、アイソーン、ペレース、アミュンターオーンをもうけた。アイソーンとポリュメーラからは、ヘーシオドス(F 18)によれば、イアソーンが生まれたが、しかしペレキュデースによれば、〔イアソーンはアイソーンと〕アルキメーデーから〔生まれたという〕。この〔アイソーン〕は、亡くなるとき、子どもの後見人を兄弟のペリアースに頼み、これに王国をも手渡したのは、息子が成長した暁に引き継ぐためであった。しかし、イアソーンの母アルキメーデーは、〔イアソーンが亡き者にされることを〕恐れて、その養育をケンタウロスのケイローンに任せた。成長して、青年になると、イオールコスに出向き、父祖伝来の支配権をペリアースに要求した。ところが彼〔ペリアース〕は、彼〔イアソーン〕に、先ず第一に、コルキス人たちのところから黄金の羊毛を持ち帰り、火を吐く牡牛を亡きものにしなければならないと主張した。これを聞いてイアソーンはケイローンに言う。そこでケイローンは彼に未婚の若者たちをつけていっしょに送り出した。アテーナはアルゴー号を艤装した。
 こうして数多くの者たちがビテュニアの地に辿り着いたとき、次のような縁起で盲目になったピーネウスを〔そこで〕眼にした。
 すなわち、彼〔ピーネウス〕は、ボレアースの娘クレオパトラーから子どもたちをもうけたが、エウリュティアを後妻にして、彼ら〔子どもたちが〕継母に害されて亡き者にされるに任せた。ゼウスは腹を立て、彼〔ピーネウス〕に死か盲目かどちらを望むかと言った。彼はヘーリオス〔太陽〕を見ないことを選んだ。ヘーリオス〔太陽〕は怒って、ハルピュイアたちを彼に送りつけ、彼女〔ハルピュイア〕たちは、彼が食事をしようとするたびに、一種の腐敗を持ちこんでしまうのだった。じつにこういうふうにしてピーネウスは罰せられていたのである。
 さて、このピーネウスを目撃して、イアソーン麾下の者たちは「彷徨い岩(Plagktai; pevtra)」と言われる岩を通過するにはどうすればよいかを教えてくれるよう頼んだ。彼〔ピーネウス〕は云った、自分に襲いかかってくるハルピュイアたちを追い払ってくれたら、と。そこで取り決めを交わして、彼のためにそれをすると告げると、彼は、アルゴー号はどれくらいの速度を出すことができるかと言う。そうして彼が命ずるには、ハトが現れたら、岩の片方でハトを放ち、〔岩の〕中程で捕らえられたら、航行してはならぬ、しかし無事なら、そのときは航行してみるがよいと。彼らはこれを聞いた通りになし、ハトはその尻羽根をつかまえられたので、アルゴー号の船尾楼(A[FLASTON)を2腕尺延ばし、船が通過するとき、その先端をシュムプレーガデス〔撃ち合う〕岩が破壊し、閉じこめることになっが、自分たちは助かった。こうしてボレアースの子どもたちであるゼーテースとカライスがピーネウスの食事からハルピュイアたちを追い払った。こうして彼らはコルキス人たちの地にたどりついたのである。この歴史はアスクレーピアデースにある。(F 2を見よ)

F32
SCHOL. PINDAR. O III 14:「彼〔アスクレーピオス〕を〔生みなす前に〕、良き馬の持ち主プレギュアスの娘は」
 アスクレーピオスを、ある人たちはアルシノエーの〔子〕だと〔謂い〕、ある人たちはコローニスの〔子〕だと謂う。アスクレーピアデースは、アルシノエーは、ペリエーレースの子レウキッポスの娘で、この娘とアポッローンとの子が、アスクレーピオスと娘エリオーピスだと謂う。**「彼女は、ポイボスに仕えて、大部屋の中で、戦士らの首領アスクレーピオスと、結髪もみごとなエリオーピスを生んだ」。アルシオネーについても†同様である。「アルシノエーは、ゼウスとレートーとの息子〔アポッローン〕と交わって、非の打ち所なくすぐれた息子アスクレーピオスを生んだ」。ソークラテース(III)も、アルシノエーの子をアスクレーピオスと言明し、これをコローニスの子とみなした。ヘーシオドスに帰せられる叙事詩(F 123)の中では、以上の話はコローニスに帰せられている。「そのとき鴉がやって来て、そうして、前髪垂らしたポイボスにとって恥ずべき事実を告げた、すなわち、イスキュスが、ディオゲネースの子プレギュアスの子エイラティデーの娘コローニスとまぐあったと」。ホメーロス風讃歌(XVI 1)の中では、「病の癒し手アスクレーピオスを歌い始めよう、アポッローンの息子として、王プレギュアスの乙女コローニスが、ドーティオンの野で生んだところの」。アリステイデースは『クニドスの建設に関して』という著書(III)の中で、アスクレーピオスは、アポッローンとアルシノエーの子である。この女性はコローニスと名づけられた乙女で、ラケダイモーンの子アミュクラスの子レウキッポスの娘であった」。

2008.02.16. 訳了。


forward.gifテオースのスキュティノス