title.gifBarbaroi!
back.gif神代地誌


ベーローッソス 断片集





[解説]

ベーローッソス(Beros(s)us) (BhrwsovV; アッカド時代のバビュローニア語でベルレウシュ(Belre‘ušu)〔「マルドゥクは我が牧者」の意〕; fl. 290 BC)
 バビュローニアの学者にして、『バビュローニア誌(Babulwniakav)』(3巻、アンティオコス1世に献呈された。現在は断片が伝存するのみ)の著者。
 バビュローニアの情報源を用い、第1巻は、国土と天地創造を記述。第2巻は、大洪水以前から、以後ナボナッサル(747-734)までの歴史に及ぶ。第3巻はアレクサンドロス大王に関する詳細な政治的歴史を含む。
 ベーローッソスは、バビュローニアとアッシュリアとの違いを強調するため、東方についてギリシアの著述家たちを混乱させた。(OCD)
point.gifWikipedia「ベロソッス」





[底本]

TLG 1222
BEROS(S)US Astrol. et Hist.
(4-3 B.C.: Babylonius)
3 1
1222 003
Fragmenta, ed. K. Müler, FHG 2. Paris: Didot, 1841-1870:
496-510.
frr. 1-25.
5
frr. 5, 9, 17, 20, 21, 24, 25 verba latina solum.
(Q: 5,414: Hist.)





[参照した翻訳書]

アテナイオス/柳沼重剛『食卓の賢人たち』(京都大学出版会、1997-2004) アンティオケイアのテオフィロス/今井知正訳「アウトリュコスに送る」(『中世思想原典集成1:初期ギリシア教父』平凡社、1995.2.)
ウィトルウィウス/森田慶一訳『ウィトルーウィウス 建築書』(東海大学出版会、昭和44年3月)
セネカ/茂手木元蔵訳『セネカ 自然研究(全):自然現象と道徳生活』(東海大学出版会、1993.6.)
フラウィウス・ヨセフス/秦剛平訳『アピオーンへの反論』(山本書店、1977.7.)
フラウィウス・ヨセフス/秦剛平訳『ユダヤ古代誌』(ちくま学芸文庫、1999-2000)
プリニウス/中野定雄訳『プリニウスの博物誌』(龍渓書舎、昭和61年)
エウセビオス『年代記』(ギリシア語→アルメニア語→英語)
エウセビオス『年代記』(ギリシア語→アルメニア語→ラテン語→英語)





"t1a-16a".1
バビュローニア誌あるいはカルデア誌

"t1a-3".1
第1巻

"1a".1
Syncell. p.:
 (アレクサンドロス・ポリュイストールから、洪水以前に、カルデア人たちを王支配した十人の王たちと洪水そのものについて、また、ノーエ〔ノア〕と箱舟について、この中で、かなり怪奇的なことが、ベーローッソスによってどのように書かれているか、途中に挿入している)。
 1. ベーローッソスは、『バビュローニア誌』第1巻の中で謂う、自分はピリッポスの子アレクサンドロスの時代に年頃となったと。バビュローンには、およそ15万年以上にわたる年代録が注意深く保存されていた。その歴史記録は、天、海、始祖、王たち、そして彼ら〔王たち〕の行跡についてであるという。
 2. そして、冒頭、バビュローニア人たちの大地は、彼が謂うには、ティグリス、エウプラトスという〔2つの河の〕中央にあった。そこに多いのは、野生の小麦、大麦、黄色のマメ(w\croV)〔学名Lathyrus Ochrus〕、ゴマで、沼地に生える根を食していた。これは「根(govggh)」と名づけられていた。この根は大麦と同じ効能を有していた。また、産するのは、ナツメヤシ、リンゴ、その他の堅果、魚類、陸や湖の鳥類。しかし、この〔地の〕アラビアの部分は水なく果実なく、アラビアの反対側は山地で不毛である。しかしバビュローンには、カルデアに定住する民族を異にする非常に多くの人間どもがいる。彼らは獣のように無秩序に生活している。
oannes.jpg 3. 第1年目に、バビュローニアに似た場所に、エリュトラ海から、名をオーアンネースというばかげた動物が現れた。アポッロドーロスも記録しているとおり、全体は魚身で、頭の下つまり魚の頭の下に、もうひとつ別の〔人間の〕頭が生えついており、足は人間のそれと等しく、魚の尻尾のところに生えついていた。これの声は人間のそれであり、これの似像は今も守り伝えられている。この生き物は、彼の謂うには、昼間は人間といっしょにすごし、何の食べ物ももたらさなかったが、人類に文字や学問やさまざまな術知の経験知を伝え、諸都市の集住、神殿の建設、諸法の導入、測地法〔幾何学〕を教え、要するに、人生において日々なすべき事柄すべてを人類に伝えた。この時代以降、他に余分なものは何ひとつ見出されていない。太陽が沈むと、この生き物オーアンネースは再び海中にもぐり、夜間は海洋ですごした。これは両棲動物であった。後世、これに似た別の生き物が現れ、これについては王たちの記録の中で説明しようと彼は謂う。なお、オーアンネースは、血筋と国制について書き記し、このロゴスを人類に伝えたという。
 4. 万有(to; pa:n)が闇と水であった時代があったと彼は謂う。この〔時代〕、それら〔闇と水〕の中には二形相からなる奇っ怪な生き物が繁殖した。というのは、人類は双翼を持って生まれ、あるものらは四翼、双顔であった。また、身体は1つ、頭は2つ — 男と女であり、恥部は2つ — 男性器と女性器をもっていた。さらに他の人類は、あるものらは山羊の脚と角を有し、あるものらは馬脚を、あるものらは背面が馬、前面が人間のそれで、これらのものは馬ケンタウロスの姿をしていた。人間の頭をした牡牛たちや、4身の犬たち、背中から魚の尻尾の生えたもの、犬の頭をもった馬たち、また人間たち、さらには、馬の頭と身体を持ち、尻尾は魚のそれをしたもの、他にも、ありとあらゆる獣の形をした生き物が繁殖した。これらに加えて、魚類、爬虫類、蛇類、他にももっと多くの驚嘆すべき生き物や、見た目が相互に変わる生き物が〔繁殖した〕。これらの似像も、ベーロスの神殿の中に奉納されている。そして、これらすべてを支配したのが、名をホモローカ(+Omovrwka)という女であった。カルデア語ではこれはタラットゥQalavtq、ヘッラス語ではタラッサ〔海〕と翻訳された。
 5. このように、すべてがいっしょくたであったとき、ベーロスがもどってきて、この女を真ん中で引き割いて、その半分で、大地、他の半分で天をつくり、彼女の中にいた生き物たちを抹消した。これを比喩的に自然究理だと彼〔ベーローッソス〕は謂う。というのは、万有が水であり、その中に生き物たちが生まれたとき、この神は自分自身の頭を切り離し、流れる血をその他の神々が土で捏ねあげ、人類を形づくったからである。それゆえ、〔人類は〕理知的であるとともに、神的知慮に与るのである。
 6. ところでベーロスは — これをゼウスと〔人々は〕翻訳するのだが — 、闇の真ん中を大地と天とお互いに引き離し、世界(kovsmoV)を定置した。生き物は、光の力に耐えられないで滅んだ。地が無人で実を結んでいるのを見てベーロスは、神々の一人に命じ、自分〔ベーロス〕自身の頭を切って、流れる血で土を捏ねあげ、大気に耐えられる人類と獣を形づくらせた。なお、ベーロスは、星辰、太陽、月、そして5つの惑星を完成した。以上が、ベーローッソスが第1巻の中で謂っていると、ポリュイストール・アレクサンドロスが謂っていることである。第2巻では、云々

"1b".1
Syncell.:
 カルデア古代誌の著者ベーローッソスは、〔自分で〕謂っているところでは、マケドニアのアレクサンドロスの時代に盛年をむかえ、バビュローンに数多くの記録が注意深く保管されているのを発見したという。〔これらの記録は〕およそ15万年かそれ以上にわたって、天と地、海、古代の王たちとその行跡に関する、また、バビュローニアの大地の位置、その産物、エリュトラ海から現れた、その姿が自然に反したいくつかの生き物たちに関する歴史のようなものを含み、他にもそういった神話的な話を、一種宇宙論的に著した。カルデア人という民族を栄化しようとし、あらゆる民族中で最も古い民族を明らかにしようとして、ベーローッソスとその一統 — ポリュイストールと言われたアレクサンドロスとアビュデーノス — はこれを書いたと、彼は謂う。

2.1
Agathias De reb. Justin. II.:
 しかしながら、おそらくベーロス注1)はゼウス、サンダース注2)はヘーラクレース、アナイティス〔アナヒタ〕注3)はアプロディーテー、その他の〔神々〕も別様に呼んでいたと、たしかバビュローニア人ベーローッソス、アテーノクレース、シマコス(?)といった、アッシュリアとメーディアの最古の歴史を著した者たちによって記録されている。

3.1
Athenaeus XIV〔639C〕:
 ベーローッソスは、『バビュローニア誌』第1巻の中で謂う、ローオス月の16日に、バビュローンではサケアと命名される祭が5日間挙行される、この間、主人たちは家僕たちに支配されるのがしきたりであり、彼ら〔家僕たち〕の1人は、王に等しい衣装をまとい、家を取り仕切る。彼はまたゾーガネース(zwgavnhV)とも呼ばれたという。クテーシアスも『ペルシア誌』第2巻の中でこの祭に言及している。



"t4-13".1
第2巻

4.1
Syncellus:
 ベーローッソスとマネトーン、これら二人の思いつきejpivnoiaは作り事ejpivplastovVである、彼らは自民族を — 前者はカルデアの〔民族〕を、後者はアイギュプトスの〔民族〕を — 栄化しようとした。驚くべきは、自分たちの驚異的な諸著書に、一つの同じ年に初めを置いていかに彼らが恥じなかったかということである。いや、ベーローッソスにいたっては、サロスsavroV、ネーロスnh:roV、ソーッソスsw:ssoVという〔概念を〕使って記述した。このうちサロスとは3600年の期間を意味し、ネーロスは600年、ソーッソスは60年〔の期間を意味する〕。そして10人の王によって120サロス、つまり、43万2千年の期間を寄せ集めた。

5.1
Euseb. Chron.:
 これは、ベロススが第1巻で述べ、第2巻において諸王を一人ずつ列挙しているものである。彼は、ナボナッサルスその当時王であったという。彼は単に諸王の名前を列挙するのみで、その業績についてはほとんど何も言わない。それはおそらく、諸王の数を挙げてしまえば、言及に値することはないと彼は思ったのだろう。彼は次のように書き始める。「アポッロドルスは言う、最初の王はアロルスであった、彼はバビュローン出身のカルデア人で、10サロスの間統治した。彼は1サロスを3600年で区切り、他に2つ〔の時代区分〕ネロスとソッソスを追加する。彼が言うには、1ネロスは600年、1ソッソスは60年である。このようにして、彼は何らかの古代の計算法に従って、年数を数える。こう言った後、彼はアッシュリアの10人の王を、一人ずつ年代順に列挙することに取りかかる。最初の王アロルスからクシストルスまでである。この最後の〔王の〕治世に、最初の大洪水が起こり、これにはモセスも言及している。
 彼が言うには、これら諸王の統治期間は総計120サロス、これは43万2千年に相当する。彼は個々の王について次のように書いている。
  ・アロルスが崩じたとき、彼の息子アラパルスが3サロスの間王となった。
  ・アラパルスの後、パウティビブロン市出身のカルデア人アムロンが13サロスの間王となった。
  ・アメロンの後、パルミビブロン出身の〔?〕カルデア人アムメノンが12サロスの間王となった。
  彼の治世下に、怪物アンネドトゥス — その姿は人間と魚の合成であった — が紅海から出現した。
  ・パウティビブロン市出身のマガラルスが18サロス統治した。
  ・パウティビブロン市出身の羊飼いダオヌスが10サロス統治した。
  その治世下、二度4匹の怪物が紅海から出現し、それらは〔アンネドトゥスのように〕人間と魚の合成であった。
  ・パウティビブロン市出身のエウエドラクスが18サロスの間統治した。
  その治世下、別の怪物が紅海から出現した。これもまた人間と魚の合成で、その名はオダコン。これらすべて〔の怪物〕は、オアンネスが部分的に主張したことを詳細に説明している。
  ・ラランカ出身のカルデア人アメムプシヌスは10サロスの間統治した。
  ・ラランカ出身のカルデア人オティアルテスは、8サロスの間統治した。
  ・オティアルテスが崩じたとき、彼の息子クシストルスが、18サロスの間王となった。
  彼の治世下に、大洪水が起こった。
 これらすべての王たちの統治期間は、総計120サロス。彼らは次のように計算される。
 ・アロルス 10サロス
 ・アラパルス 3サロス
 ・アメロン 13サロス
 ・アムメノン 12サロス
 ・メガラルス 18サロス
 ・ダオヌス 10サロス
 ・エウエドラクス 18サロス
 ・アメムプシヌス 10サロス
 ・オティアルテス 8サロス
 ・クシストルス 18サロス
 総計10王、120サロスである。そして彼らは言う、120サロスは、1サロス3600年に等しいから、432000年に等しいと。
 以上が、アレクサンドロス・ポリュイストールがその書の中で述べられていることである。もしも、その書に含まれていることが真の歴史だと思い、〔それら諸王が〕かくも無量年数の間本当に支配したのだと思う者は、その書にある他の似たような、同じように信じがたい事柄をも信じるべきであろう。そこで、ベロススがその歴史書の第1巻の中に書いていることをわたしは述べよう、そして先ず、〔アレクサンドロス・〕ポリュイストールの同じ書からの別の引用を追加しよう、それは以下のごとくである。〔断片"1b"の内容に続く〕

6.1
Syncell.:
 以上のことに加えて、アポッロドーロスも以上のことに耽溺して次のように言う。
 「これを記録しているのはベーローッソスである、最初の王になったのは、バビュローン出身のカルデア人アローロスであると。彼は10サロスの間王支配し、続いてアラパロス、そして、パウティビブロン出身のアメーロースが〔王支配した〕。次いで、カルデア人アムメノーン。彼の治世に、オーアンネース、つまり、アンネードートスという怪物(第2代目?)がエリュトラー海から現れたという。[これは、アレクサンドロスは先を見越して、第1年目に現れたと述べている。しかしこの〔ベーローッソス〕は、40サロス(?)後のことであるという。しかし、アビュデーノスは、アンネードートスは第2代目で、26サロス後のことであるという]。次いで、パンティビブロス人たちの都市出身のメガラロス、だが彼が王支配したのは18サロスであるという。この後、パンティビブロス出身の羊飼いダオーノスが10サロス王支配したという。このころ、再びエリュトラー海から第4のアンネードートスが現れた、上述のものらと同じ状態で、魚と人間の混合したものである。次いで、パンティビブロス出身のエウエドーラコスが支配し、18サロスの間王支配したという。この治下に、エリュトラーの海から、魚と人間の混合という点で等しい別のものが現れたと謂う、これの名はオーダコーンである。これらすべての〔王たち〕は、オーアンネースによって要点的に述べられたことが詳細に説明していると彼は謂う。[これについてアビュデーノスは何も云っていない]。次いで支配したのはラランコス出身のカルデア人アメムプシノス。彼が王支配したのは18サロスの期間である。次いで支配したのはラランコス出身のカルデア人オーティアルテースで、王支配したのは8サロスである。オーティアルテースが亡くなると、彼の息子クシスゥトロスは18サロス王支配した。その治下に、大洪水が起こったと彼は謂う。10人の王たち全員をいっしょにすると、120サロスになる」。

"6a".1
Josephus Ant. I, 3, 9:
 徳と、彼らが考案した天文学や幾何学の善用によって……600年を生きるのでなければ、彼らにとっては安全に予知することはできなかった。というのは、それだけの期間を通して、大年(mevgaV ejniautovV)が満たされるからである。なお、わたしのこの言葉に証言してくれるのは、ヘッラス人、非ヘッラス人を問わず、古代史を著したすべての者たちである。というのも、アイギュプトス誌の書を著したマネトーン、カルデア誌の著ベーローッソス、モーコスとヘスティアオイオス、これに加えてさらにアイギュプトス人のヒエローニュモスはポイニキア誌を著したが、彼らはわたしよって言われていることに同意しているのである。

7.1
Syncell.:
 というのは、同じアレクサンドロスが、カルデア人の書き物を基に、9代目の王アルダテース(deb. オティアルテース)から、10代目の、彼らの間でクシスゥトロスと言われる〔王〕まで、再度系譜をたどって、以下のように言っているのである。
 「アルダテースが亡くなったので、その息子クシスゥトロスが18サロスの間王支配した。彼の治世下に大洪水が起こった。そのロゴス〔話〕は次のように記されている。
 (2)クロノスが夢の中で彼に現れて、ダイシオスの月の第15日に、人類は洪水によって亡ぼされるであろうと謂った。そこで、あらゆる言語で〔歴史の〕初め、中頃、終わりを刻して、太陽の都市シスパロイ〔シッパル〕に埋蔵するよう命じ、箱舟を建造し、同族たちや近しい友たちとともに乗りこんだ。また、食い物や飲み物を積みこみ、さらにまた動物、鳥、四足獣も乗りこませ、用意万端整えて船出した。どこへ航海するのかと尋ねられると、神々のところへ、人類に善きものらが生じるよう祈りつつ、と謂ったという。
 (3)なお、彼が〔神の言いつけに〕そむくことなく建造した箱舟は、長さが5スタディオン、幅は2スタディオンであった。また、言いつけられたことはすべて果たし、妻たちも子たちも近しい友たちも乗りこませたのである。
 (4)さて、洪水が起こり、やがて終わったとき、クシスゥトロスは数羽の鳥を放った。しかしそれらは、食糧を見つけられず、とまる場所も〔見つけられず〕、再び舟に舞い戻ってきた。数日後、クシスゥトロスは再び鳥を放った。今度は、それらは足に泥をつけて舟にもどってきた。三度目に放たれると、もはや船に帰ってこなかった。クシスゥトロスは、地面が現れたことを知ったので、舟の継ぎ目の一部をこじ開けて、舟がとある山の上に漂着しているのを見て、妻と娘と操舵手をともなって下船し、大地に跪拝し、祭壇を築いて、神々に供儀すると、下船した人々もろとも見えなくなった。
 (5)舟に残され人々は、クシスゥトロス一統の人々がもどってこないので、下船して、彼の名を叫びながら捜した。すると、クシスゥトロス本人はもはや彼らの目に見えなかったが、空からこう命ずる声があった、 — 彼らは神を敬う者たるべきこと、というのも、自分は敬神のゆえに、神々とともに住むために前進したのだから。こうして、自分の妻も娘も操舵手も同じ名誉に与ったのだ、と。
 (6)また彼らにはこう云った、 — 再びバビュローン帰ること、そして彼らの定めのとおり、文書をシスパロイ〔シッパル〕から取り出し、人類に引き渡すよう、また、彼らがいるのはアルメニアという地方であることを。彼らはこれを聞いて、神々に供儀し、めぐりめぐってバビュローンへと進んだ。
 (7)なお、アルメニアにたどり着いたこの舟は、アルメニアのコルデュアイオイ〔クルド〕人たちの山々の中になお一部分が存続して、一部の人たちは舟からアスファルトを剥がして、これを厄除けの護符に用いている。ところで、バビュローンにもどった人々は、シスパロイから文書を掘り出し、また多くの都市を建設し、神殿を建てて、バビュローンを再興した」。
 以上が、アレクサンドロス・ポリュイストールから〔の引用である〕が、その彼は、カルデア誌を虚言したベーローッソスから引用したものである云々。

8.1
Josephus Ant. Jud. I, 7, 2:
 わたしたちの父祖アブラム〔アブラハム〕についてはベーローッソスも言及しており、名は挙げていないが、次のように言う。「大洪水の後、第10代目に、カルデア人たちのもとに、義人にして偉大な、そして天体のことに精通した人物がいた」。

9.1
Moses Chorenens. Hist. Arm. I, c. 5:
〔未訳〕

"10a".1
Syncell.:
 アレクサンドロス・ポリュイストールが〔バベルの〕塔の建造について。
 「シビュッラが謂うには、全人類が一つの言語を使っていたとき、その一部の者たちが、巨大な塔を建設して、天に昇ろうとした。しかし神が諸々の風を吹き送って、彼らを滅ぼし、それぞれの者に固有の言語を与えた、だからこそ、その都市はバビュローン(Babulwvn)と呼ばれた。そして大洪水の後、ティターンとプロメーテウスが生まれたという」。
 さらにアレクサンドロスは、塔建造のこのことをも証言し、彼自身は、バビュローンと呼ばれたのは、何万年もの前、彼らを王支配してきたと神話される混乱(suvgcusiV)のゆえだという。

"10b".1
Eusebius Arm.:
 アレクサンドロス・ポリュイストールの〔書から〕、塔の建設について。
 シビュラは言う、「全人類が同じ言語をしゃべっていたとき、彼らは非常に高い、天に昇りつけるだけの塔を建設しようとした。しかしながら、神が彼らに風を送り、塔を倒壊させた。それから、彼は彼らのめいめいに独自の言語を与えた、それで、その都市はバビュロンと呼ばれた。洪水の後、ティタンとプロメテウスがこの者たちの時代に、ティタンはサトゥルヌスに対して戦いを起こした」。
  以上が塔の建設に関することである。

11.1
Eusebius:
 〔洪水に続いて〕ポリュイストールは以下の詳細を続ける。
 ・洪水後、エウェキウス(?)がカルデアの地を4ネロスの間支配した。それからその息子コマスベルスが4ネロスないし5ソッソスの間王となった。  クシストルスと洪水から、メディア人たちによるバビュロンの攻略まで、ポリュイストールは全部で86人の諸王とその名前を、ベーローススの書から引き写して列挙している。これらの諸王の統治は総計33091年である。しかし、この都市がしっかり確立したとき、思いがけずメディア人たちがバビュロンに向けて軍を起こし、これを占領した。以来、ここの支配者として、彼らは自分たちの王を任命した。
 ・彼はメディアの王8人の名を挙げている。その統治は224年である。
 ・それからさらに11人の王、〔28〕年間である。
 ・それからカルデア人の王、458年間。
 ・それからアラビア人の王、245年間。
 ・その時代から以後、〔彼が言うには〕サミラミスがアッシュリア人たちの支配者となった。
 ・それから、彼は45人の王の名を個々に挙げており、彼らに526年を割り当てている。
 ・その後、フュルスがカルデア人たちの王となった。
 ヘブライの文献は、この王をプルと呼び〔列王下15_19〕、これがヘブライ人たちの土地に侵入したと言う。
 ・彼の後、ポリュイストールは、セネケリブスが王になったと言う。
 ヘブライの文献が言うところでは、セネケリブスはエゼキア〔王〕と〔預言者〕イサイアの時代の王であった。正確には、聖書が言っている、「ヒゼキア王の第14年にアッスリヤの王セナケリブが攻め上ってユダのすべての堅固な町々を取った」〔列王下18_13〕。そして、物語全体を述べた後、〔聖書は〕続ける。「そこでその子エサルハドンが代わって王となった」〔列王下19_37〕。後ほど再び、それは付け加える。「そのころ、ヒゼキアは病気になった」〔列王下20_1〕、そして「そのころ、〔バラダンの子であるバビロンの王〕メロダク・バラダンは手紙と贈り物を持たせて使節をヒゼキアにつかわした云々」〔列王下20_12〕。これがヘブライの文献が言っていることである。
 しかしながら、セネケリブスとその子アソルダヌス〔エサルハドン〕とメロダク・バラダンは、ナブコドノソルス〔ネブカドネザル〕も併せて、カルデア人たちの歴史家たちによって言及されており、彼らについて次のように言う。〔断片12に続く〕

"11a".1
Syncell.:
 ナボナサロス(NabonavsaroV)以来、カルデア人たちは星辰の動きの期間を精確に調べあげ、カルデア人たちからはヘッラスの学者たちが受け取った、というのは、アレクサンドロスとベーローッソス — カルデアの天地創造を習得した者たち — が謂っているように、ナボナサロスは、自分より前の王たちの行跡を集めて抹消したので、カルデアの王たちの一覧は、彼以降ということになったのである。

12.1
Eusebius Arm.:
 同じアレクサンドロスの〔書から〕、セネケリブスとナブコノソルス、その開拓と徳について。
 セネケリブスの兄弟の統治後、ハギサエが王となり、30日足らずして、彼はマルダクス・バルダンに暗殺された。マルダクスは王位に就いたが、6ヵ月の支配後、彼はエリブスなる者に暗殺され、これが彼に代わって王になった。彼の統治の第3年に、アッシュリア人たちの王センナケリブがバビュローニア人たちを攻めるため軍を発し、戦いで彼らを妥当した。彼はエリブスを捕らえ、その友人たちもろとも、アッシュリア人たちの地にとらわれの身となるよう命じた。バビュローニア人たちが彼の配下になるようになって、彼は息子のアソルダヌスを彼らの王に任命した。それから彼はアッシュリア人たちの地に帰った。
 センナケリブは、ギリシア人たちが戦いの意図を持ってシケリアに到来したと聞き及ぶと、彼はシケリアに向けて進発し、これと対戦した。自分の軍隊から多数の戦死者を出しながらも、彼は敵を打倒し、その勝利に記念に、その場に自分の像を建てた。それがカルデア語で記されるよう彼は命じ、これは彼の武勇と偉大さを後世に記録した。また、彼はタルススの都市を、バビュローンと同じ形に建設し、これにタルシスという名を与えた。
 それから、センナケリブの他の業績を述べた後、彼〔アレクサンドロス・ポリュイストール〕は付け加える。「18年間〔王位に〕とどまった後、自分に対する息子アルドゥムザンによって企てられた陰謀の結果亡くなった」。以上が、ポリュイストールが〔センナケリブについて〕言っている事柄である。
 これらの年代は、聖書に言われていることと一致する。というのは、エゼキアの時代について、ポリュイストールが述べるには、
 ・センナケリブが王であったのは、18年間。
 ・それから彼の息子が、8年間。
 ・それからサムムゲスが、21年間。
 ・その兄弟が、21年間。
 ・それからナブパラッサルスが20年間。  ・ナブコドロッソルスが43年間。  センナケリブからナブコドロッソルスまで総計88年間である。
 ヘブライの文献を注意深く調査すれば、似た結論に達するであろう。エゼキアの後、残ったユダヤ人たちを統治した王たちは、
 ・エゼキアの息子マナッセが、55年間。
 ・それからアモスが、2〔?〕年間。
 ・それからヨシアスが、31年間。
 ・それからヨアキムス。
 彼の統治の初めに、ナブコドノソルスがエルサレムに押し寄せ、ユダヤ人たちを捕虜としてバビュローンへ連れ去った。
 エゼキアからナブコドノソルスまで合計88年、これはポリュイストールがカルデア人たちの歴史の中で計算した年数と同じである。
 この後、ポリュイストールはセネケリブスの他の行跡と開拓を述べている。彼はその息子について同じようにヘブライの文献にしたがって語り、おこったことをすべての詳しい説明をしている。彼が言うには、哲学者のピュタゴラスは、これらの王たちと同じ時代に生きたという。サムムゲスの後、サルダナパッルスが21年間カルデア人たちの王となった。
  サルダナパッルスは、メディアの太守アスダハギス〔アステュアゲス〕救援のために軍隊をつかわし、アスダハギスの娘アミュヒアム〔アミュイティス〕を、自分の息子ナブコドロッソルスの花嫁として受け取った。それからナブコドロッソルスが43年間王となった。軍隊を集めると、彼はユダヤ人、ポイニキア人、シュリア人たちを攻撃し、これを彼は捕虜として連れ去った。ポリュイストールはこのことにおいてもヘブライの文献と一致していることを証明するために、わたしは長々しい説明を加える必要を感じない。
  ナブコドロッソルスの後、その息子アミルマルドクス12年間王となった。彼はヘブライの歴史書の中ではアルマルドクと呼ばれる。ポリュイストールは言う、彼の後、ネグリサルスが4年間カルデア人たちを支配し、それからナボニドゥスが17年間〔支配した〕。彼の統治下に、カムビュセスの子キュルスが軍を率いてバビュローニア人たちの地を攻めた。ナボニドゥスはこれと対戦したが、敗れ、逃走した。
  ・それからキュルスは、9年間、バビュローンの王となった。
  ・キュルスがダハルス平野〔?〕の別の戦いで亡くなった後、カムビュセスが、8年間、王となった。
  ・それからダリウスが、36年間。
  ・ダリウスの後、クセルクセスと自余のペルシアの王たち。
  ベーローッソスがカルデア諸王のおのおのについて短い説明をしているように、ポリュイストールも同じように彼らのことを記している。彼が言うところによれば、明らかに、ナブコドノソルスはユダヤ人攻撃の軍を率い、これを征服した。ナブコドノソルスからペルシア人たちの王キュルスまで、期間は70年である。

13.1
Josephus Ant. Jud. X, 2, 2:
 バビロニア人たちの王ババダ〔メロダクバラダン〕にはベーローッソスも言及している。
 センナケリブスの兄弟の統治後、ハギサエ〔アキセス〕が王になって30日足らずで、メロダク・バラダンに暗殺された。メロダク・バラダンは王位に就いたが、6ヵ月の支配後、エリブスという者に暗殺され、これが彼に代わって王になった。その統治の第3年目に、アッシュリア人たちの王セネケリブスがバビュローニア攻撃に軍を率い、戦いで彼らをやぶった。彼はエリブスを捕らえ、その友人たちもろとも、アッシュリアの地に虜囚となるよう命じた。バビュローニア人たちが彼に制御されるようになって以来、彼はその息子アソルダヌスを彼らの王に任命した。それから、彼はアッシュリア人たちの地に帰った。
 セネケリブスは、ギリシア人たちが戦争の意志をもってシケリアにやってきたと聞いて、彼はシケリアに向けて進発し、これと一戦を交えた。彼自身の軍隊の多数の兵士が殺されたにもかかわらず、彼は敵を打倒し、その勝利の記念として、その場に自分の像を建てた。彼はそのことがカルデア文字で記述されるよう命じたが、これは彼の武勇と偉大さを後世のために記録した。また彼は、バビュローンと同じ形をしたタルススの都市を建設し、これにタルシスという名を与えた。
 それから、セネケリブスの別の業績を述べた後で、彼は付け加える。18年間〔権力の座に〕あった後、彼はその息子アルドゥムザンによって企まれた陰謀の結果亡くなった」。以上が〔セネケリブスに関して〕ポリュイストールが言っている事柄である。
 これらの年代は、聖書において言われている内容と一致している。というのは、エゼキアの時代の中で、ポリュイストールは主張している。
 ・セネケリブスは王であった、18年間。
 ・次いで彼の息子、8年間。
 ・次いでサムムゲス、21年間。
 ・彼の兄弟、21年間。
 ・次いでナブパラッサルスが20年間。
 ・次いでナブコドロッソルス43年間。
 総計で、セナケリブスからナブコドロッソルスまで、88年間である。
 



"t14a-16a".1
第3巻

"14a".1
Josephus C. Apion. I, 19:
 そこで今度こそ、カルデア人の間で、わたしたちについて書かれたり記録されたりしている事柄を言うことにしよう、これらこそ、その他の事柄についても、わたしたち自身の文書と多くの一致を有しているのである。これの証人がベーローッソスで、生まれはカルデア人であるが、教育に携わる者たちにとって周知の人物である。天文学に関して、また、カルデア人たちのもとで哲学した事柄に関して、みずからヘッラス人たちのために著書を公けにしたからである。さて、このベーローッソスが、最も古い記録にしたがい、生起した洪水と、それによるに人類の滅亡について、モーゥセースが記録したとおりに記録している。箱舟についても、これによってわたしたちの氏族の始祖であるノーコスが救われたのだが、これがアルメニアの山の頂きに漂着したことについて〔記録している〕。次いで、ノーコスの血を引く者たち、これに年月を添えて系譜をたどり、バビュローンとカルデア人たちの王ナボパラッサロス〔625-604 BC〕までたどり、この〔ナポパラッサロスの〕行跡を語って言う、 — 自分たち〔ユダヤ民族〕が反乱を起こしたと聞き及んだので、アイギュプトス遠征に、またわたしたち〔ユダヤ〕の地の遠征に、いかなる仕方で自分の息子ナブゥーコドノソロス〔ネブカデネザル(604-562 BC)〕を、大軍をつけて遣わしたか、そしてすべてを征服し、ヒエロソリュマにある神殿を焼き払い、わたしたちの民すべてをすっかり追い立てて移住させたかを。その結果、この都市は、ペルシア人たちの王キュロスに至るまで70年間、荒廃したままになったのである。なお、彼の謂うには、このバビュローニアの王は、アイギュプトス、シュリア、ポイニキア、アラビアをも征服し、その行跡において、彼以前にカルデア人たちやバビュローニア人たちを王支配した者たちすべてを凌駕するという。次に、続けて、ベーローッソスは少しさげて、もう一度、最も古い古記録を付け加えている。そこで、ベーローッソスの言葉そのものを引用しておこう、それは次のような内容である。〔以下、次の"14b"と同じ内容〕

"14b".1
Ant. Jud. X, 11:
 彼〔ナブゥコドノソロス=ネブカデネザル〕の行跡については、ベーローッソスも言及しており、『カルデア誌』第3巻の中に記録して、次のように言っている。
 「彼の父ナボパラッサロスは、アイギュプトス、および、コイレー・シュリアとポイニキア周辺地域の太守に任命した男が、自分に背いたことを聞き及んだとき、自らはもはや戦争の労苦に耐えることができなかったので、年頃であった息子のナブゥコドノソロスに軍勢の一部を託し、その〔太守〕に立ち向かわせるために送り出した。
 ナブゥコドノソロスは、この謀反人と交戦し、これと渡りあって打ち破り、その配下にあった土地を自分の王国のものにした。しかし、そのころ、自分の父ナボパラッサニロスがバビュローニア人たちの町で病いに倒れ、生を変えるということになった。21年の王支配の後である。ほどなくして、父親の死を知ったナブゥコドノソロスは、アイギュプトスやその他の地方の事件に結着をつけると、友人たちの一部に、大軍を率い、戦利品を携えて、イウゥダイオイ人や、ポイニキア人、シュリア人、アイギュプトスの族民などの捕虜をバビュローニアに連れて行くことを命じ、彼自身は少数の護衛をしたがえて出発し、砂漠を横断してバビュローンに戻った。そして、カルデヤ人たちによって取り仕切られていた政事と、彼らの中の最も最善者によって維持されていた王位を引き継ぎ、父親の残した支配権の完全な主人になると、自分のもとにやって来た捕虜たちに居住地としてバビュローニア内の最適地を割り当てるように命じ、自分は、ベ一口スの神殿やその他を功名心をもって飾り、初めからあった都市を再建し、〔城外に〕新市街をつくり、将来攻囲しようとする者たちが河の流れを変えて都市を攻める準備がもはやできないように、都市の内側を三重、外側を三重の囲壁 — 内側は焼きレンガとアスファルト、外側は素焼きレンガ — で取り囲んだ。
 こうして彼は、市街地を語るに足るほどに城壁で囲み、城門を聖なるものにふさわしく飾りつけると、父親の宮殿近くに、自分たちのものである別の王宮を建てた。その建物の高さやその他の豪華さを言うのは、おそらく余計なことであろう。ただし、それが巨大で素晴らしいものであったにもかかわらず、15日間で完成したことは別である。
 彼はこの王宮に石のテラスをしつらえ、あらゆる種類の樹木を植えて、山岳とまったく同じ風景を呈するようにこしらえ、また世に言う吊り庭園をつくった。メーディア地方で育った彼の妻が、故郷にいる気分を欲したからである」。

"14c".1
Josephus C. Apion. I, 20:
 以上が、彼〔ベーローッソス〕が、前述の王〔ナブゥコドノソロス〕について記録していることであるが、しかしながら、これに加えて多くの事柄を、『カルデア誌』第三巻の中に〔記録しており〕、そこでは、ヘッラス人の著作者たちを非難している、 — 〔ヘッラスの著作者たちは〕バビュローンは、アッシュリアのセミラミスによって建設されたなどと誤解したり、また、彼女について、驚嘆すべき作品は彼女によってこしらえられたなどと、嘘を書いているというのである。そして、これらのことに関しては、カルデア人たちの書き物こそが信ずるに足るものと見なさるべきである、いやそれどころか、ベーローッソスによって言われている事柄には、ポイニキア人たちの古代記録にも一致し、バビュローニア人たちの王に関して、あの人〔ナブゥコドノソロス〕がポイニキア全土をも征服したといっているのである。とにかく、これらのことに関しては、ピロストラトスも、『歴史』において一致承認しており、彼はテュロスの攻囲に言及し、メガステネースも、『インド誌』第4巻の中で、上述のバビュローニア人たちの王は、武勇と行跡の大きさにおいて、へーラクレースのそれよりも抜きん出ていたことを立証しようとしている。というのは、彼〔王〕は、リビュアの大半とイベーリアを征服したとメガステネースは謂っているからである。また、ヒエロソリュマにある神殿に関するこれまでの記録、すなわち、それがバビュローニア人たちの侵入者たちによって焼きおとされ、キュロスがアシアの王位を継承したときにその再建が始められたことなどに関するこれまでの記述内容は、ベーローッソスから引用する次の文書によって〔よりいっそう〕明瞭となるであろう。すなわち、その第三巻で彼はこう言う。
 「さて、ナブゥコドノソロスは、上述の城壁〔建設〕開始後、病に倒れ、生を変えた。治世43年であった。彼の息子エウェエイルマラドゥコス〔エピルメロダク〕が王国の主となった。この人物は、政事の執り方が無法で、放埒であったために、陰謀を企てられ、自分の姉妹の良人ネーリグリッソオロス〔ネルガル・シャレゼル〕によって陪殺された。王位にあること2年であった。これが陪殺された後、支配を継承したのは、彼にたいして陰謀を企てたネーリグリッソオロスで、王位にあること4年であった。彼の息子ラボロソアルコドス〔ラバシ・マルドゥク〕は、少年であったが、9か月間王国を統治したが、不良的な性格が多々明らかになったため、陰謀が企てられ、その友人たちによって磔にされた。彼が陪殺された後、彼に対して陰謀を企てた者たちは、共同で、ナボンネードスなる者〔ナブ・ナイド〕に王位を授けた。〔ナボンネードスは〕バビュローン出身で、同じ謀叛人の一味であった。この者の治世下に、バビュローニア人たちの都市の河のそばの城壁が、焼きレンガとアスファルトとをもって建設された。
 さて、この王の治世第17年目のことである。キュロスがペルシスから大軍を率いて来襲し、残りのアシア全域を征服したうえ、バビュローニア攻撃に進発した。ナボンネードスは彼の来襲を察知し、軍隊を率いて迎え撃ち、戦列を組んだが、闘いに敗れ、少数の随員とともに逃れて、ボルシッペーノイ人たちの町にたてこもった。一方キュロスは、バビュローンを占領したが、彼にとってその都市があまりにも手強くて抜きがたく見えたので、都市の外側の城壁の破壊を命じた後、ナボンネードスを攻囲すべく、ボルシッポンに向かった。進軍した。しかしナボンネードスは、攻囲も待たず、我が身を相手の手にゆだねた。それ以前に、キュロスが人間的に扱ったからである。そしてカルマニアを居住地として彼に与えて、バビュローニアから追放した。こうして、ナボンネードスはその地で余生を送り、生を終えた」。

"14d".1
Clemens Alex. Strom. I:
 セデキオスの王制下第12年目、ペルシア人たちが覇権を握る70年前、ナブゥコドノソロスは、ポイニキアとイウゥダイオイ人たちに対して遠征したと、ベーローッソスが『カルデア誌』の中で謂っている。またイオバスは、アッシュリア人たちについて書いて、この歴史はベーローッソスから得たと認め、この人物のために真実を証言している。

15.1
Theophilus Antioch. Ad Autolyc. III〔, 29〕:
 なお、わたしたちが謂った年代についてはベーローッソスも唱和しているのであって、カルデア人たちのもとで哲学し、〔この人は〕ヘッラス人たちにカルデアの文献を紹介した人であるが、彼は大洪水その他の多くの事柄につて出来事について調査探求して、幾つかの点においてモーゥセースに追随したことを云っている。さらにまた、ヒエレミアやダニエールといった預言者たちとも、ある部分において一致したことを云っている、というのは、バビュローニア人たちの王 — みずからはアボバッサロスと名乗り、ヘブライ人たちの間ではナブゥコドノソル〔ネブカドネツァル〕と呼ばれていた — の支配下でイウゥダイオイ〔ユダヤ〕人たちに起こった出来事のことである。ヒエロソリュマ〔エルサレム〕にある神殿についても、〔ベーローッソスは〕言及し、カルデア人たちの王によってどのような仕方で掠奪されたか、また、キュロスが王支配した2年目に神殿の基礎が据えられ、ダレイオスが支配した2年目に、今度は神殿が完成したという。

16.1
Clemens Alex. protr. I, 5:
 彼らは神々の像として、ヘッラス人たちのように、木や石の〔像〕をそうみなすことはなく、またアイギュプトス人たちのように、トキやイクネウモーンを〔そうみなす〕こともなく、哲学者たちのように、火や水を〔そうみなしていた〕。しかしながら、多くの年周期の後、彼らは人間に似た像を崇拝するようになったと、ベーローッソスが『カルデア誌』第3巻で、何年も経った後ペルシア人は人の姿をした(神)像を作るようになったという。これはダレイオス〔2世〕・オーコス〔424-405 BC〕の子アルタクセルクセース〔2世・ムネーモーン。405-359 BC〕が唱導したもので、彼はアプロディーテー・アナイティスの像を初めて建造し、バビュローン、スーサ、エクバタナ、ペルサイ、バクトリア、ダマスクス、サルディスにおいて、これを崇拝するよう指示した。

"16a".1
Hesych.:
 サラケーロー(Sarachvrw)とはベーローッソスによると、ヘーラーの侍女(kosmhvtria)のこと。



"t17-25".1
天文学・占星術関連の断片

17.1
Virtuvius IX, 1〔邦訳はii, 1-2〕:
 ベーローススは、カルダイア人の都市の出 — というよりもむしろカルダイア族の出 — で、アシア中にカルダイアの学問を広めた人であるが、この人がこう公言した:月は半面では白く輝き他面では青みを帯びた色をしている球である。自分の運行路を通っているうちに太陽の円軌道の下を行くと、そのときそれは〔太陽の〕放射線と熱の力に捉えられ、白く輝く面を、その光の特性故に、光の方に向ける。そして、太陽の軌道に呼ばれて上の方を向くと、その時はそれの輝いていない下の方の面は空気と一緒になってしまって暗く見える。それが太陽の放射線の方向と一直線になった場合は、すべての光は上方の面に確保される;そのときそれは朔月と呼ばれる。
 もっと進んで月が東天のあたりに急ぐと、太陽の力から解放されてそれの端の部分が極めて細く白く輝く線になって地に輝きを送る;このことからそれは二日月と呼ばれる。また日々の回転のおくれによってそれは三日月四日月と日で数えられる。七日目に太陽が西にあり、月が東と西の中間の天空の中ほどを占める時、天空の広がりから半分だけ太陽から距たっているから、同じく半分だけの輝いた回転面を地に対してもつ。太陽と月の間に、実に、全宇宙空間が距たっている東の月に対し太陽が〔全宇宙空間を〕越えて反対の西にある時、月は〔太陽の〕放射線からいよいよ遠退くから、14日には全円の望の輪形となって光輝を放つ;残りの日は太陰の1月が完結するまで周行して日ごとに欠けて行き、途中で太陽に呼ばれてその輪と放射線の下を行き、そして月々の日の割り付けができあがるのであると。

18.1
Stobaeus Eclog. Phys.:
 べーローッソスは、月は半燃えの球体〔だと謂う〕。
Id. ibid.
 ベーローッソスは、それ〔月〕は固有の光を有すると〔謂う〕。

19.1
Plutarch. De placit. phil. II, 29:
 ベーローッソスが〔謂うには〕、〔朔月とは〕われわれに対して燃えない部分を向けた場合に起こると。

20.1
Vitruvius IX, 6〔邦訳ではviii, 1〕:
 カルダイアの人ベーローススは正方体からえぐりとられ〔天空の〕傾きに合わせて切り取られた半円形を発明したといわれる。サモスの人アリスタルクスは椀型あるいは半球型〔発明した〕。

21.1
Seneca Nat. Qu. III, 29〔28, 6-29.1〕:
 それゆえ、世界にとって革新がよいと決定したときには常に、われわれに向かって海が上方から放流されることになる。それは、他の壊滅の方法がよいと決定したときの熱火と同様である。
 ベロッソス、すなわちベルスを翻訳した彼は言っている — このような大変動はもろもろの天体の運行によって起こる — と。たしかに、彼は大火災と大洪水の時期を指定するほど、はっきりと断言している。すなわち彼は次のように強く主張する。陸地の諸事物が将来燃えるときは常に、現在ばらばらに運行を続けている天体全部が蟹座に集結し、それら全体の領域を通じて一本の直線が走ることのできるように、全部が同一の軌道の下に置かれた場合であろう。洪水が将来発生するのは、同じ諸天体の群が山羊座に集結したときであろう。蟹座の場合には夏至が、また山羊座の場合には冬至が、それぞれ引き起こされる。これらは大きなしるしである。それら自体のうちに1年の変わり目を動かす力が存するからである、というのである。

22.1
Plinius H. N. VII, s. 57〔邦訳では56〕〔193〕:
 他方、第一級の権威であるエピゲネースは、バビュローニア人は73万年もの間、天文学的観察を日焼煉瓦に記してきたと教えている。そして期間をいちばん短く見積もる人―― ベーローッソスとクリトデーモス――は49万年としている。こういうことから推して、アルファベットという物は非情に古い時代から用いられてきたもののように思われる。

"23a".1
Idem VII, 50〔邦訳では49〕〔160〕:
 エピゲネースは112年生きることは不可能だと宣言した。ベーローッソスは116年を越えることが可能だと言った。

"23b".1
Censorin. De die nat. c. 17:
 最も長い生涯はエピゲネースによると112年間だというのだが、ベーローッソスによると116年間であるという。

24.1
Vitruvius IX, 4〔邦訳はvi, 2〕:
 他の星学〔占星術〕のうち、12の星座と5つの惑星と太陽と月が人間の一生のあり方にどんな影響をもつかということはカルダイア人の理論にゆだねられるべきである;なぜなら、過去も未来も星を測ることから解明することができるという彼らの占星術の理法は独特のものであるから。彼らの発明をまさにカルダイア民族の流れを汲む幾人かが後に伝え、しかも極めて熟達し鋭敏であった;まず、ベーローススがコースの島のコースの町に居を構えてそこでこの教説を公開した;続いて彼に学んでアンティパテル、次いでアテーノドールス。このアテーノドールスは誕生からでなく懐妊してから解き明かす占星術の理法を後に残した。

25.1
Plinius H. N. VII, 37〔123〕:
 いろいろな科学の知識で名を挙げた人々は数えきれるものではない。といっても我々は人類の花を摘み分けているのだから、そういう人々に言及しない訳にはいかない。天文学においてはベーローッソス。彼の驚くべき予言の故にアテーナイでは競技場に公金で、舌に金をかぶせた彼の像を建てた。

2009.07.05.

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