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クラティッポス断片集






[略伝]
Kratippos 歴史家、前4世紀初期(?)
 アテナイ人であることは確実。トゥキュディデスが突然筆を折ったところ(前410年)からコノンのクニドスでの勝利(前394年)までの歴史を編んだ。トゥキュディデスの『歴史』第8巻のように、型にはまった演説は記述に組み入れられていなかったと思われる。
 興味深いことに、アウグストゥス時代以前にはクラティッポスへの言及はない。このため、ある学者たちは彼が実際にはヘレニズム後期の著述家だったと提唱するに到っている。しかし、彼がトゥキュディデスと同時代で年下であった可能性の方が高いと思われる。彼をオクシュリュンコスの歴史家と同一視する説もある。(ダイアナ・パウダー『古代ギリシア人名事典』原書房)



[底本]
TLG 1907
CRATIPPUS Hist.
(1 B.C.?: Atheniensis)
Cf. et HELLENICA (0558).
3 1
1907 003
Fragmenta, ed. K. M[u]ller, FHG 2. Paris: Didot, 1841-1870: 75-77.
Frr. 1-3.
5
(Q: 419: Hist.)





断片1
Etenim Plutarchus Vit. Orat. II, 1

 しかし、その後、彼〔アンドキデス〕は、みずからもヘルメスの諸神像を毀損し、かつ、デメテルの秘儀にかかわる過ちを犯したとして、不敬の罪を受けた、……もともと放埒な人物であって、夜間、お祭り騒ぎをし、その神の奉納物〔ヘルメス神像〕の一部を壊し、提訴され、告発者たちは引き渡しを求めたけれども、奴隷として売り渡されることを望まず、寝返った、そこで、第二の公訴の〔対象となった〕罪の容疑者となった。これこそ、久しからずして、シケリア遠征の原因となったものである。〔つまり〕コリントス人たちが、アテナイ人たちの中の彼らを助けようとして、レオンティノイ人たちとアイゲスタイ人たちとをひそかに派遣し、〔派遣された連中は〕夜間、市場一帯のヘルメス神像を毀損し、クラティッポスの主張では、そのために〔アンドキデスは〕裁判にかけられたが、犯人たちを暴露したおかげで亡命できた。

断片2
Dionys. Halic. De Thuc. c.16

 〔トゥキュディデスの〕『歴史』全巻を通じて、他にも多くのことを人は発見できよう、――至高の技能を発揮して、補足も削除も許されないところとか、〔逆に〕無頓着に扱って、あの才能の片鱗さえ見えないところとかを。とりわけ甚だしいのが、大衆演説や、対話や、その他の議論の場においてである。この〔不一致〕に気づいたからこそ、どうやら、彼は『歴史』を未完成のままにしたらしいことは、クラティッポス――彼の同時代に盛りにあり、彼が書き漏らしたことを編纂して記した人――も、それら〔の弁論〕が事実の妨げとなっているのみならず、聴衆にとっての厄介となっているといっているとおりである。まさにこのことに気づいたればこそ、彼〔トゥキュディデス〕は、『歴史』の終わりの巻々には、彼〔クラティッポス〕の主張だが、弁論はひとつも置いていない、議論と大衆演説とを通して実行に移された多くのことがイオニアで起こり、多くのことがアテナイで〔起こった〕にもかかわらずである。何はともあれ、第1巻と第8巻とを互いに突き合わせてみれば、両方が同じ意図、同じ能力によって行われたこととは思えないであろう。というのは、前者〔第1巻〕は、弁論の多さのために、事件は少なく些末な傾向にあるに反し、後者〔第8巻〕は、多くの大きな出来事で構成され、大衆演説的な議論には欠けているのである。

断片3
Marcellin. Vit. Thuc. c.46

 だから、一部の人たちは、彼〔トゥキュディデス〕は亡命者として過ごしてもいた当の地で亡くなったと言っている……これに反してディデュモスは、亡命から帰還して後に横死したと。このことは、彼の主張では、ゾーピュロスが記録しているという。すなわち、アテナイ人たちは、シケリアでの敗戦後、ペイシストラトス一族を除いて、亡命者たちに帰還を許した。そこで、彼〔トゥキュディデス〕は帰ってきたが、横死し、キモン一族の廟に安置されたという。だから、彼〔ゾーピュロス〕の主張したところでは、彼〔トゥキュディデス〕が命終したのは外地だが、埋葬されたのはアッティカの地だと信じる連中は、お人好しと言える。さもなければ、父祖伝来の廟に安置されることは決してなかったであろうし、ひそかに安置されたとしても、その墓に取りつけられ、この編纂者の名前を暴露している標柱にも墓碑銘にも与ることはなかったであろう。むしろ、明らかなのは、亡命者たちに帰還が許されたことだと、ピロロコスも言い、デメトリオスもその『執政官たち』の中で〔言っている〕とおりである。けれども、わたしは、この人物〔トゥキュディデス〕がトラキアで命終したとゾーピュロスが言っているのはたわごとだと信ずる。たとえ、クラティッポスが、彼〔ゾーピュロス〕が言うのは真実だと信じているにしてもである。

//END

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