神代地誌

シゲイオンのダマステース



[略伝]
 前5世紀の神代地誌家、ヘーロドトスよりも若い世代、ヘッラーニーコスの弟子。作品はギリシアの出来事を含む。民族的・地理的作品はヘカタイオスにともづくが、正確な書名は伝わっていない(『族民について』あるいは『族民と諸都市の目録』あるいは『周航』)。『詩人と知者について』。ギリシア文学の歴史を書く最初の試みは多分失われた。『トロイで戦った者たちの先祖』。古代においては、彼の作品はゴルギアスの弟子アクラガスのポーロスに帰せられることしばしばである。
 (OCD)





生涯と作品

T1
SUID.「ダマステース」の項。
 トローアスのシゲイオン出身のシゲイオン人、ディオークシッポスの息子、ペロポンネーソス戦争の前に生まれた、ヘーロドトスの同時代人、最富裕層の出、歴史家。著書は、『ヘッラスの出来事について』、『イリオンに出征した者たちの親と先祖について』2巻、『族民と諸都市の目録』、『詩人とソフィストについて』、その他多数。ヘッラーニーコスの弟子であった。

T2
DIONYS. HAL. De Thuc. 5:
 ペロポンネーソス戦争より少しばかり前に生まれて、トゥキュディデースの壮年期まで生きながらえたのは、レスボス人ヘッラーニーコス、シゲー人ダマステース、キオス人クセノメーデース、リュディア人クサントス、その他多数である。1 T 17を見よ。

T3
SUID.「ポーロス」の項(7 T 1):
 『イリオンに出征したヘッラス人・非ヘッラス人たちの系譜論と、おのおのがどのように解散したか』を書いた。しかし、これをダマストスの作品に帰する人たちもいる。

T4
AGATHEM. ge. inf. I 1:
 次いで〔ヘッラーニーコスの後〕シゲイオン人ダマステースは、大部分をヘカタイオスの作品から書き写して『周航記』を書いた。(1 T 12を見よ)。

T5
PORPHYR. b. EUSEB. PE X 3 p.466B:
 いったいどうしてあなたがたに言う必要があろうか、ヘッラーニーコスの『非ヘッラス人たちの法習』(4 F 72)が、ヘーロドトスとダマステースの作品からいかにして編集されたかを。

T6
AVIEN. or. mar. 46:
 

T7
STRABON I 3, 1:
 上記の問題については、エラトステネースもまた当を得ていない。彼は言及にあたいしない人々に長々と言及し、ある点は反駁し、ある点は信用して証人として利用している。例えば、ダマステースや他のそういった人々を……しかし、ダマステースを証人として利用したのでは、ベルが人やメッセーニア人エウメーロスその他の人々を証人として召喚するのと何ら異ならない。こういった人々を、ご当人は愚にもつかないおしゃべりと非難して述べているのである。(F 8に続く)

T8
PLIN. NH I 4. 5. 6:
 下記諸地域の位置、種族……典拠著作家……外国の典拠著作家 ポリュビオス(I 5. 6ではユバ王)、ヘカタイオス、ヘッラーニーコス、ダマステース、エウドクソス(I 5では欠如)、ディカイアルコス……

T9
同、I 7:
 内容……特別な長寿の事例……生活上の発見について……典拠著作家……外国の典拠著作家……ヘッラーニーコス、ダマステース、エポロス。F 5. 6を見よ。

断片集

『ヘッラスにおける出来事について』

(F 4を見よ)

『イリオンに出征した者たちの親と先祖について』第1巻、第2巻

『族民と諸都市の目録』ないし『族民について』ないし『周航』

(F 2.8-10を見よ)

F1
STEPH. BYZ.「ヒュペルボレオイ」の項。
 プロータルコス(VI)によれば、アルプス山脈(!AlpeiV)はリパイア山脈というふうに命名され、アルプス山地(!Alpeia o[rh)に居住する者たち全体がヒュペルボレオイ人と名づけられたという。しかしアンティマコスは、アリマスポイ人(=Arimaspoiv)に同じと謂う。ダマステースは『族民について』の中で、スキュタイ人の上方にイッセードネス人が住み、これより上方がアリマスポイ人、アリマスポイ人の上方がリパイア山脈、ここから北風が吹き、雪がここから消えることは決してないという。この山脈の彼方に、ヒュペルボレオイ人がもう一方の海まで領しているという。各人各様である。ヘッラーニーコス(4 F 187)は、+Uperbovrioiというふうに二重母音で書き記す。

『詩人たちとソフィストたち』

(F 11を見よ)

書名のない断片集

F2
AVIEN. or. mar. 370:
 〔未訳〕

F3
DIONYS. HAL. AR I 72, 2(EUSEB. ARM. p.132, 11 Karst. SYNKELL. p.362, 5 Bonn):
 アルゴスの女神官たちとそのおのおのの行跡の著者〔Hellanik. 4 F 84〕は、アイネイアスは、モロットイ人の地からオデュッセウスと連れだってイタリアに赴き、その都市の建設者となり、これを、イリオン女たちの一人ローメーにちなんで〔ローマと〕名づけたと言う。この女性は、漂流中に身重になり、他のトローアスの女たちに、自分に協力して船体を焼き払うよう激励したと〔ヘッラーニーコスは〕言う。これに同意しているのは、シゲイオン人ダマステースや、その他の幾人かである。

F4
EPISTOL. SOCRATIC. 30:
 ピリッポスに。この書簡をもたらしたアンティパトロス(II)は……アテーナイ人たちのためにヘッラスの行跡を書いた……[2] 例えば、イソクラテースは、ヘッラスのためにあなたや、あなたの先祖によってなされた功績を明らかにしたわけもなければ、一部の人たちによってあなたに浴びせられた中傷を解いたわけでもない……。[3] ……すなわち、クセルクセースが土と水を要求する使節をヘッラスに送ったとき、〔アミュンタスの子〕アレクサンドロス〔2世。在位前494頃-452〕はその使節を殺害した〔Hdt. V_18以下〕。後に、非ギリシア人たちが叛乱を起こしたとき、ヘッラス人たちはわれわれのヘーラクレイオンで会戦したが、アレクサンドロスは、アレウアスとテッタリア人たちの陰謀をヘッラス人たちに密告し、ヘッラス人たちは粉砕してアレクサンドロスのおかげで助かった。[4] にもかかわらず、こういった功績に言及しているのは、ヘーロドトスとダマステースのみである……。

F5
a) PLIN. NH VII 154:
 ヘッラーニーコス(4 F 195)は、アエトリアのエピイ氏族には、200歳に達する者が何人かいると言っているが、これはエピイ氏族の一人で、身長も体力も抜群であった男ピクトレウスは300年も生きていたというダマステースの記録によって支持されている。
b) VALER. MAX. VIII 13 ext 6:

F6
同上、同書、207:
 二段櫂船は、ダマステースによると、エリュトラ人によって(作られたという)。

F7
PLUTARCH. Camill. 19:
 さらに、タルゲーリオン月〔アッティカ歴第12月、今の5月後半から6月前半〕が非ヘッラス人に不幸をもたらしたことは明らかである。……〔この月の〕24日目に、イリオンが陥落したらしいことは、エポロス(II)やカッリステネース(II)やダマステースやピュラルコス(II)が記録している。

F8
STRABON I 3, 1:
 (T 7から)また著者〔エラトステネース〕はダマステースの愚にもつかない話のひとつを進んで紹介しているが、紹介してもらった方は、アラビア湾を湖だと思っている程度の人物である。さらに、著者によるとストロンビコスの子ディオティモスがアテーナイからの使節団の長となって、キリキア地方から入り、キュドノス河を経てスゥサのそばを流れるコアスペス川へと遡航し、40日行程でこの市に着いたことがあり、このことをディオティモスは自分でダマステースに話して聞かせた。ところが、著者はその後になって、キュドノス河がエウプラステス、ティグリス両河を横断してコアスペス河へ注ぐことがありえたかどうかについて、ダマステースは不思議に思っていると説明する。

F9
同上、XIII 1, 4:
 さて、アイオリス人は、詩人によってトロ−イケーと言われているとわたしたちの謂った地方の全域にわたって散開したが、後代の史家の間ではこの呼び名を、アイリオス全域にあてはめる説と、その一部にあてはめる説があって、お互いの間にまるで意見の一致がない。プロポンティス海に面した諸地域がたちまちその例で、ホメーロスはトロアス地方の起点をアイセポス河に置く。しかし、エウドクソス(V)はプリアポスとアルタケ――後者はキュジコス市に属する諸島のうち前者と向かい合った島――に置いて、この地方の境界を縮めている。またダマステースは、さらに一段と縮小して、パリオンから始まるとするが、しかし、この作家は境界をレクトン岬まで延ばしているのに、これとは別の切り方をする作家たちもいる。ラムプサコス人カローン(III)は、プラクティオスから始めて前者の説より300スタディオンほど削り、この数字はパリオンからプラクティオスまでの距離にあたる。ただし、この著者は〔終わりの境界を〕アドラミュッティオンまで延ばしている。さらに、カリュアンダのスキュラクス(V)は、アビュドスから始める。エポロス(II)も同じようにアビュドスからキュメまでをアイオリス地方として説明しているが、これとは別の説明をする作家たちもいる。

F10
同、XIV 6, 4:
 しかし、詩人たち……に驚嘆する必要がどうしてあろうか。ダマステースの詩行を比較検討するばよい。彼はこの島〔キュプロス〕の長辺を北から南の方へ宛て、彼の謂うには、これはヒエロケーピアからクレイデス諸島までにあたる。エラトステネース(V)の記述も当を得ていない。この著者はダマステースを責めながら、ヒエロケーピアは北方ではなく南方の起点だという。しかし、実際にはこの市は南方ではなく西からの起点である。

F11
a) VIT. HOM. ROM. p.30, 24 Wil.:
 さて、アナクシメネース(II)とダマステースと、抒情詩人ピンダロス(F 264)は、彼〔sc. ホメーロス〕をキオス人だと言明し、またテオクリトスも『エピグラム詩集』の中で〔そういっている〕。さらにダマステースは、彼〔ホメーロス〕はムゥサイオスから第十代目だと謂う。
b) PROKLOS Vit. Hom. p.26, 14 Wil:
 ヘッラーニーコス(4 F 5)とダマステースとペレキュデース(3 F 167)は、彼の生まれをオルペウスに帰着させる。すなわち、ホメーロスの父親マイオーンと、ヘーシオドスの父親ディオンとは、アペッリスの子、その親はメラノープス、その父エピプラデウス、その父カリペーモス、その父ピロテルペウス、その父イドモーニス、その父エウクレウス、その父ドーリオーン、その父オルペウスである。レオンティノイ人ゴルギアスは、彼をムゥサイオスに帰着させる。

2008.01.16. 訳了。


forward.gifエーリスのヒッピアス