神代地誌

エーリスのヒッピアス



[略伝]

 (OCD)





生涯と作品

T1
SUID.「ヒッピアス」の項。
 ディオペイテースの子、エーリス人。ソフィストにして哲学者。ヘーゲーシダモスの弟子で、自足(aujtavrkeia)を究極目的と定義した人物である。多数の作品を書いた。

T2
PLATON. Hipp. min. 368 B-D:
 つまり、あなた〔ヒッピアス〕は謂っていた、かつてオリュムピアに赴いたとき、身につけているものすべてあなた自身の作品だと……かてて加えて、そこに赴いた際、叙事詩、悲劇、ディテュランボスなどの詩、また散文の方でも、多くの多彩なのを作って携えて行ったということだ。また、わたしが今挙げた諸々の術知に関しても、また韻律や音階や文字の正しさに関しても、それ以外にも他に非常に多くのことにおいて、その造詣において他の人々よりもずば抜けたものを持って赴いたという。

T3
同、Hipp. mai. 285 D:
 おお、ソークラテース、英雄たちや人間どもの系譜についてとか、昔、諸都市がどのように建設されたかという建国話とか、要するに、何でも昔話を〔ラコーニア人たちは〕大喜びで聞きたがるのだ。そういうわけで、わたしとしては、そういったたぐいのことを一つ残らずすっかり暗記して、完全に習熟しておかざるを得ないことになってしまったのだ。

T4
PHILOSTRAT. Vit. Soph. I 11:
 彼はまた絵画や彫刻についても論じた。


断片集

『諸部族の名称』

(s. F 10. 12?)

F1
SCHOL APOLL. RHOD. III 1179:
 エーリス人ヒッピアスは、『諸部族の名称』の中で、ある族民がスパルトイと呼ばれたと謂っている。アトロメートス(VI)も同様に。3 F 22参照。

『オリュムピア競技勝利者録』

F2
PLUTARCH. Num. 1:
 年代を確定することは困難である。とりわけ、『オリュムピア競技勝利者録』に基づく〔年代〕はそうである。その記録を、信頼にたるいかなる証拠にも拠らず、後世に出版したとエーリス人ヒッピアスが謂っているからである。

『選集』

F3
ATHENAI. XIII 608 F:
 女たちは美しさゆえに有名になった……ミーレートス女タルゲーリアもそうで、容姿もすこぶる美しくしかも賢婦で、14回男と結婚したと、ソフィストのヒッピアスが『選集』という表題をつけられた書の中で謂っている。

表題のない断片

F4
CLEMENS ALEX. Strom. VI 15, 1 p.434, 21 Stãh:
 エーリス人のソフィストであるヒッピアスが、……ほぼ次のように言っているのを、わたしたちは引証しよう。「こうした事柄のうち、あるものはオルペウスによって、あるものはムゥサイオスによって、おのおのの場面に即して手短に述べられており、またあるものはヘーシオドスにより、あるものはホメーロスにより、またあるものはその他の詩人たちにより、またあるものは散文作品の中で、あるものはヘッラス人により、あるものは非ヘッラス人により。しかし、わたしはこれらすべてのものから最も重要な、そして同質のものを結び合わせて、この新しい多彩な文章をこしらえよう」。

F5
DIOG. LAERT. I 24:
 アリストテレース(De an. I 2 p.405a 19)たヒッピアスの謂うところでは、彼〔sc. タレース〕は、磁石や琥珀を証拠に、無生物にも魂を分与したという。

F6
HYPOTH. SOPHOKL. OR:
 ホメーロス以降の詩人たちは、トロイア戦争以前の王たちを、僭主と命名するような一種の特徴が見受けられるが、この名称は、後代、アルキロコスの時代にヘッラス人たちのもとにもたらされたものである。これはソフィストのヒッピアスが謂っているとおりである。少なくともホメーロスは、無法このうえないエケトスを王と謂って、僭主とは〔謂って〕いないのである。「死すべき者たちを破滅に追いやるエケトス王のもとに」(Od. XVIII 85)。そもそも僭主という名称は、テュッレーニア人に由来すると謂われる。彼らの中には、掠奪の際に難儀な者になる連中がいるからであるという。

F7
PLUTARCH. Lyk. 23:
 ソフィストのヒッピアスは、リュクゥルゴス自身が戦争に巧みなことこのうえなく、数多くの戦役の体験者だと謂う……しかしパレーロン区民デーメートリオス(IV)は、〔リュクゥルゴスは〕何ら戦闘行為にたずさわらず、平和のうちに国制を確立したといっている。

F8
PROKL. in Eukl. p.65, 11 Friedl.:
 この人〔sc. タレース〕の後、詩人ステーシコロスの兄弟マメルコスが、幾何学に情熱を燃やした人として言及されており、エーリス人ヒッピアスも、彼は幾何学で名声を博したと報告している。

F9
SCHOL. ARAT. 172 p.369, 24 M:
 さて、タレース(1 B 2 Diels)は、彼女たち〔sc. ヒュアデス〕は二人だと云った……。エウリピデース(F 780)は……3人だと。アカイオス(F 46)は4人だと。ムゥサイオス(67 B 18 Diels)は、5人だと。ヒッピアスとペレキュデース(3 F 90)は、7人だと。

F10
SCHOL. (EUST.) DION. Per. 270:
 しかしながらヒッピアスは、〔アシアとエウローペー大陸は〕オーケアノスの娘たちに由来すると謂う。というのは、その昔、オーケアノスの娘たち〔オーケアニデス〕は、アシアとエウローペーと、二人で、彼女たちから諸大陸が生まれたと述べられているという。

F11
SCHOL. PINDAR. P IV 288 a:
 この女〔sc. プリクソスの継母〕のことを、ピンダロスは『讃歌』(F 49)の中でデーモディケーと。しかしヒッピアスは、ゴルゴーピスと。ソポクレースは『アタマス』(p.131 N2)の中でネペレー〔雲〕と。ペレキュデース(3 F 98)は、テミストーと。

F12
同上、同書、N VII 53:
 4つのエピュラを挙げている。第1はまたの名をコリントスと名づけられたもの(Il. VI 152)……。他はテッサリアの近くにあるもの(Od. I 259)……。第3はエーリスの近くにあり、ヒッピアスが言及しているもの。第4はテスポロートイ人のところにあるもの。

F13
VIT. HOM. ROM. p.30, 27 Wil.:
 さらに、ヒッピアスとエポロス(II)は、キュメーで〔sc. ホメーロスは生まれたと謂っている〕。

2007.10.19. 訳了。


forward.gifアクラガスのポーロス