F1
a) DEMETR. DE ELOC. 12(GREGOR. CORINTH. VII 1215, 26W):
「ミーレートス人ヘカタイオスは次のように語っている。それをわたしは書こう、わたしに真実であると思われるとおりに。というのは、ヘッラス人たちの言説は数多く、滑稽であるようにわたしには見えるから」T19へ。
b) ebd. 2:
しかしながら、精神が、時には全精神が、これらの節を配置することが望ましい。例えば、ヘカタイオスが『歴史』の初めで、「ミーレートス人ヘカタイオスはこう語る」と謂っているように。
c) DIO PRUS. or. LIII 9 (II 112 v. Arnim):
さらには、どこにも自分の名前を書きこまなかったこと……じっさい、他の作家たちはみな、詩作に関してであれ散文で著作する場合であれ、ひとかどの能力を持っていると思われるかぎりの者たちは、初めにであれ最後にであれ、自分の名前を書きこんだし、多くの作家たちは、文章や詩そのものの中にさえ〔書きこんだ〕、[10] 例えば、ヘカタイオス、ヘーロドトス、トゥキュディデース……
F2
SCHOL. APOLL. RHOD. I 551「イトーンのアテーナイエーの事業」
ボイオーティアのコローネイアにおけるイトーンのアテーナの事業のこと。ただし、アポッローニオスは、アルゴー号の建設にたずさわったアテーナを、コローネイアにおける添え名にちなんで言ったのではなく、テッサリアのイトーンにちなんで言ったのである。この〔テッサリアのイトーン〕については、ヘカタイオスが『歴史』の第1巻の中で言及している。またアルメニダスは『テーバイ誌』(III)の中で、アムピクテュオーンの息子イトーンはテッサリアで生まれたと。またアレクサンドロス(III)は、『コリンナ〔前6-5世紀(?)、ボイオーティアのタナグラ生まれの女流抒情詩人〕の思い出』第1巻の中で。
F3
STEPH. BYZ. 「アムパナイ」の項。
ドーリス地方の都市。ヘカタイオス『系図』第1巻。テオポムポス(II)は、『ピリッポス記』第5巻の中でこの都市をアムパナイアと呼ぶ。テッタリアの地方も同様。
F4
同、「オイネー」の項。
アルゴスの都市。ヘカタイオス『歴史』第1巻。族称(ejqnikovn)はOijnai:oV〔男性形〕、Oijnaiva〔女性形〕、oijnai:on〔中性形〕。オーロスはこの都市をオイノーエーと謂い、これの族称はOijnwavthV、女性形はOijnwa:tiV !ArtemiV (Eurip. Herakl. 379)、これはプロイトスによってアルゴス地方のオイノーエーに建造された。
F5
同、Favlannaの項。
ペッライビア注2)の都市。テュロスの娘パランネーにちなむ。リュコプローン(Al[exandra] 906)。「ゴンノスとパランナ、これらはオロッソノスの妻たちである」。ヘカタイオス『歴史』第1巻は彼女をヒッピアと呼ぶ。またエポロス(II)は第9巻の中で彼女をパランノスと呼ぶ。
F6
STEPH. BYZ. 「プソーピス」の項。
アルカディアの都市。リュカオーンの子プソーピスにちなんで呼ばれる。彼〔リュカオーン〕によってこの都市は建設されたと謂われる。あるいは、エリュクスの娘プソーピスにちなんで。プソーピスという都市は他にアカルナニアにもあり、こちらは古〔プソーピス〕と言われる。アカイアにも第三の都市がある。市民はYwfivthVとなるはずだったが……性の関係から、アルカスが=ArkavdioV、アウリスがAujlivdioVとなるように、プソーピスからYwfivdioVとなった。ヘカタイオスは『系譜』第2巻で。「山中にイノシシあり、プソーピス人たちを大いに害した」。
F7
a) 同、「カディシア」の項。
レウコシュリア人たちの都市。ヘカタイオスが『系譜学』の第2巻で、「テミストクレーは、カディシアからテルモドーンに達する平野である」。
b) SCHOL. APOLL. RHOD. II 999「リュカスティアイ族」
リュカストスはレウコシュリアの地方である。これにちなんで、アマゾーン女人族のことをリュカスティアと〔アポッロドーロスは〕云った。ヘカタイオスが彼女たちをカデーシアと云ったのは、「尻込みさせる(kadh;sai)」に由来する。
F8
HARPOKR.「ajdelfivzein(ETYM. COD. PARIS. 2669; Cram. An. Par. IV 94, 31. SUNAI. LEX. CHS. 341, 23 Bk.)」の項。
「兄弟と呼ぶこと」の代用。イソクラテースの作品『アイギナ人』(XIX 30)、ミーレートス人ヘカタイオス『英雄物語とストラッティス』第2巻のなか、あるいは、アポッローパネースの『イピゲローン』の中で。
F9
ATHENAI. IV 148F:
ミーレートス人ヘカタイオスは、『系譜』第3巻の中で、アルカディアの食事について書き記し、「大麦パン(ma:za)」と「豚肉」があると謂う。
F10
STEPH. BYZ.「トレミレー」の項。
ルキアがそう呼ばれたのは、パニュアシス(F 18 Ki)によれば、トレミレースに由来するという。「ここに偉大なトレミレースが住み、ニュムペーのオーギュギエーという娘と結婚した。住民はTremilei:V。アレクサンドロス(III)は第2巻で、「成人すると、ベッレロポンテースはトレミレイス人たちをリュキア人と改名させた」。ヘカタイオスは『系譜学』第4巻の中で彼らをトレミライと呼ぶ。
F11
同、「メリア」の項。
カリアの都市。ヘカタイオス『系譜』第4巻。族称はメリア人(MelieuvV)。
F12
同、「ミュギッソイ」の項。
カリアの都市。ヘカタイオス『系譜』第4巻。族称はミュギッシオス、アテーナー・ムギッシア、ミュシガイス。
F13
SCHOL. THUKYD. I 3, 2:
ヘカタイオスが記録しているところによれば、デウカリオーンは3人の子どもを持っていた、プロヌゥスとオレステウスとマラトーニオスである。ヘッレーネーはプロヌゥスの娘と謂われる。
F14
SCHOL. APOLL. RHOD. IV 266「ペラスゴスの国(Pelasgiva)も、誉れ高いデウカリオーンの裔に治められていなかったころのこと」
デウカリオーンの末裔は、氏族を形成して、テッサリアを王支配していたと、ヘカタイオスとヘーシオドス(F 8 R2)とが謂っている。テッサリアは、王国を築いたペラスゴス人からは、ペラスゴスの国(Pelasgiva)と呼ばれていた。
F15
ATHENAI. II 35 AB:
ミーレートス人ヘカタイオスは、ブドウはアイトーリアで発見されたと言い、さらに次のようにも謂っている。「デウカリオーンの子オレステウスは、王たらんと欲してアイトーニアに赴いた、そしてかれの犬が木の株(stevlecoV)を生んだ、そこで彼はこれを埋めるよう命じた、ところがこれから房もたわわなブドウの木が生えた。それゆえにまた自分の子もピュティオス〔生むもの〕と呼ぶことにした。この〔ピュティオス〕からオイネウスが生まれたが、〔この名は〕ブドウの木にちなんで呼ばれたものである(というのは、彼の謂うには、いにしえのヘッラス人たちは、ブドウの木のことをオイネーと呼んだとのことであるから)。オイネウスからアイトーロスが生まれた」。
F16
HERODIAN. p. mon. lex. 41, 24 (II 947, 8 Lentz):
koVに終わる語のうち、2つの音節に鋭アクセントをとるものはない。〔例えば〕KevskoV、FuvskoV――ヘカタイオス。「イオーンはロクロスよりも年長であった。FuvskoVの子である」――ZuvskoVはマケドニアの河であると、アンティゲネース(II)が謂う。
F17
SCHOL. APOLL. RHOD. I 256「乙女ヘッレーが亡くなったとき、プリクソスもまた、牡羊もろとも、黒い大波に呑まれたらよかったのに。いやそれどころか、あの不吉な魔物は、人間のことばを発した」
言われているところでは、ヘッレーが墜落したとき、プリクソスが心配しているのに対し、ゼウスのはかりごとで、牡羊が彼を励まして人語を発した、彼をスキュティアに避難させようとしたのだ。これは、当のアルキメーデー〔イアーソーンの母〕にとっては、やがて悪いことが起こることになった。息子が彼の地に避難したときにである。つまり、ヘカタイオス〔の作品〕に、雄羊がしゃべったという報告があるのである。しかし一部の人たちは、彼は雄羊の顔をもった船に乗って航行したのだと謂う。ディオニュシオスは第2巻(32 F 2)の中で、クリオス〔「雄羊」の意〕とはプリクソスの養父のことであり、これ〔プリクソス〕といっしょにコルキス人たちのところへ航行したのだと謂う。ゆえにまた、彼の地で雄羊の供儀に関する事柄が語られているのである。
F18
a) 同、IV 259「トリトーン〔ナイル河の古名〕地方のテーベー生まれの不死なる神々に仕える神官たちが教えてくれたもうひとつの航路があります」
ヘーロドーロスは『アルゴー号の乗組員たち』(31 F 10)の中で、コルキス人たちのところへ行ったのと同じ海を通って帰ってきたと謂う。しかし、ミーレートス人ヘカタイオス〔のいうに〕は、パシス河からオーケアノスへ、次いでそこからネイロス河へ、ここからわれわれの海へと通り抜けてきたという。しかし、エペソス人アルテミドーロス(V)はこれは嘘だと謂う。というのは、パシス河が流れこんでいるのはオーケアノスではなくて、山脈から流れくだっているからだ、と。同じことをエラトステネースも『地理誌』第3巻(V)の中で謂っている。しかしティマゲートスは『諸々の港について』第1巻(V)の中でパシス河は**だがイストロス河は、ケルタイ地方にあるリパイア山脈から流れくだり、次いでケルタイ人たちの港に流入し、そののち流れは二つの分かれ、ひとつは黒海に、もうひとつはケルタイ海に流れこむという。この河口を通って航海したのがアルゴー号の乗組員たちであったという。そして、テュッレーニア海にやって来たのだと。これ〔ティマゲートス〕にはアポッローニオスも同意している。しかしヘーシオドス(F 64 Rz2)と、ピンダロスは『ピュティア祝勝歌』(IV 25 f.251)の中で、またアンティマコスは『リュディア』の中で、彼らはオーケアノスを通ってリビュアにやってきたのであり、アルゴー号を運んでわれわれの海洋にたどり着いたという。
b) 同、284:
(アポッローニオスが)謂うところでは、イストロス〔=ドナウ〕河はヒュペルボレオイ人の国とリパイ山脈から流れくだり(この点は、『解放されたプロメーテウス』(F 197 N2)の中でそう言っているアイスキュロスに従って云ったのだ)、スキュティア人たちとトラキア人たちの間を抜けながら二つに分かれ、ひとつの流れはわれわれの方の海〔黒海〕に流れこみ、もうひとつはポントス海に[アドリア湾に]流れ落ちるという。しかしスキュムノス(V)は、『エウローペーについて』第16巻(?)の中で、イストロス河だけは無人の地から流れ出ると謂う。そしてリパイア山脈は日の出の方にあるとは、カッリマコス(F 215 Schn)である、「リパイア山に発し、ここが第一である」。しかしエラトステネースは『地理誌』第3巻の中で、無人の地から流れ出るが、ペウケー島を環流するという。だが、これらの地を通ってアルゴー号の乗組員たちがわれわれの海に航海してきたと報告する者は、ティマゲートスを除いて誰もいない。この〔ティマゲートス〕にアポッローニオスは付き随ったのである。というのは、スキュムノスは彼らはタナイス河を経て大海に航海し、そこからわれわれの海にやってきたという。そして余談として、アルゴー号の乗組員たちは、何と陸路を進み、アルゴー号を大梁にかついで運び、遂に海にたどり着いたという。しかしヘーシオドス(F 63)は、パシス河を通って彼らは航行して出たと言う。ヘカタイオスは、**しかしアルテミドーロスは彼を批判し、パシス河は海に注ぎ込んでいないと報告する。彼らが航行したのはタナイス〔ドン〕河でもなく、初めと同じ航路をたどったと、ソポクレースは『スキュティア人たち』の中で報告している。カッリマコスも**彼らのうち、アドリア海に向けて航行した者たちは、アルゴー号の乗組員たちに出会わなかったが、「黒岩(Kuavneai pevtrai)」を通ってケルキュラへと〔航行した〕者たちは、そこで彼らと落ち合った。イストロス〔ドナウ〕河の方は、ヒュペルボレオイ人たちの国から流れくだった後、スキュティアとトラキアの中間地点に達したところで、2つに分かれ、そのひとつは黒海に注ぎ、他はテュッレーニア海に〔注ぐ〕。
F19
SCHOL. EURIP. Or. 872「ダナオスがアイギュプトスの裁きを受けるため、……はじまりと謂われる丘」
多くの思念が、アイギュプトスがアルゴスに赴いたということを阻止する。このことは他の人たちもそうだが、ヘカタイオスも次のように書いて謂っている。「アルゴスにやって来たのは、アイギュプトス本人ではなくて、やって来たのは子どもたちであると、ヘーシオドス(F 25)が詩作し、〔その数〕50人というのに対し、わたしは、20人でさえないという」。詩史作家ディオニュシオス(15 F 6)も、†この中で似たようなことを謂っている。しかし悲劇作家のプリュニコスは、『アイギュプトス人たち』(p.720 N2)の中で、アイギュプトスはアルゴスにやって来たと謂っている。
F20
SCHOL. DIONYS. THRAC. [Gr. Gr. III] p.183, 1 Hilgard:
文字の発明者を、他の人たちもだが、エポロスも第2巻(II)の中でカドモスだと謂う。しかしある人たちは、〔カドモスは〕発明者ではなく、ポイニクス人たちの発明をわれわれに伝えた伝達者だと、ヘーロドトスも『歴史』(V 58)の中に、またアリストテレース(F 501 Rose)も報告している。すなわち、謂われているところでは、ポイニクス人たちが文字を発明し、カドモスがこれをヘッラスに伝えたというのだ。しかしピュトドーロス(IV)は『文字について』の中で、またデーリオン人ピッリス(II)は『年代記』の中で、カドモスの前にダナオスがこれを伝えたと謂う。これらの人たちに加えて証言しているのは、ミーレートスの著作者たちのアナクシマンドロス(9 F 3)、ディオニュシオス(III)、ヘカタイオスで、アポッロドーロスもこれらの人たちを『新人たちの目録』の中に加えている。しかし一部の人たちは、メーティオーンとステロペーとの間にオルペウスで生まれたムゥサイオスが発明者だと言う。しかしアテーナイ人アンティクレイデース(II)は、発明者をアイギュプトス人たちに帰している。ドーシアデース(III)は、これはクレータで発明されたと謂う。アイスキュロスは、プロメーテウスが発明したと、同名の劇作品の中(460)で謂う。ステーシコロスは『オレステイア』第2巻の中(F 34)で、またエウリピデース(F 578 N2)もパラメーデースが発明したと謂う。ムナセアス(V)はヘルメースが〔発明したと謂う〕。他の人たちも区々まちまちである。
F21
HERODIAN. p. mon. levx. 7, 32 (II 912, 23 L):
1音節以上51音節までの女性名詞の綴りで、曲アクセントで発音する綴りは、アテーナ=Aqhna:という1語を除いて、ひとつもない……ヘカタイオスにおいてはダナDana:もそういうふうにのべられていると言う人がいてもだ。――「ゼウスはダナと交わった(th:i Dana:i mivsgetai ZeuvV)」――。知るがよい、ヘカタイオスにおけるこの例は、彼自ら謂っているように、ポイニキア語の用法に従ったのであって、アッティカ語や慣用的語法にはまだ知られていないものだ……1音節以上の綴りでと付け加えたのは、なじみのムナmna:〔金銭の単位〕を避けるためだ……クナKna:という語はなじみになっていない。なぜなら、ポイニキア地方は昔そう呼ばれていたからだ(F 274)。
F22
SCHOL. HOMER. A Il. O 302:
……表記の仕方はさまざまだが、muvkhtaとmuvkhn〔いずれもmuvkhV(マッシュルーム)の対格〕。歩格〔韻律の単位〕が原因でないことは、ヘカタイオスがそのように語尾変化させていることから明らかである。すなわち彼は謂う、「両刃剣の鞘を触れて、抜け落ちた芯を見つけた」。アラトス(976)は音節を増やして語尾変化させ、「あるいは提灯の芯を分け前分集める(h] luvcnioi muvkhteV ajgeivrontai peri; moi:ran)」。
F23
EPIMER. HOM. 第十一巻(Cram. An. Ox. I 265, 6):
laovV〔民人〕ということばは、ホメーロスの作品では変化しないのままであるが、後世のイオーニア方言において変化した。「lho;n ajqrhvsaV(民〔lhovnはlaovVのイオーニア語形・対格〕を見つめて」とヒッポーナクス(F 88)。注意すべきは、単に群衆o[cloVを意味するのではなく、服従した者を意味するということである。例えばヘカタイオスは、ヘーラクレースのことを、一人であるにもかかわらず、〔複数形を用いて〕「エウリュステウスの民人EujrusqevwV lewvn」〔lewvnはlaoiv(複数形)のイオーニア方言・対格〕と言っている。
F24
AELIAN. HA IX 23:
ヘーラクレースの功業のひとつレルナのヒュドラ〔退治〕を歌ったのは、詩人たちや古神話の編集者たち――この中には史伝作家ヘカタイオスも含まれる――である。キマイラの性質はホメーロスも歌った……これらは、どうやら、神話とみなされているらしい。ところでアムピスバイナの蛇とは……〔ajmfivsbaivaは「前にも後ろにも両方に進める」という意〕
F25
STRABON. VIII 3, 9:
しかしミーレートス人ヘカタイオスの言うには、エペイオイ族はエーリス族とは別であるという。少なくとも、エペイオイ族は、アウゲアス攻略にヘーラクレースといっしょに出征し、アウゲアスとエーリスとを彼といっしょになって滅ぼした。彼〔ヘカタイオス〕が謂うには(F 121)、デュメーもエペイオイ族とアカイア人の都市であるという。
F26
ARRIAN. anab. II 16, 5 (EUSTATH. Dion. Per. 558):
アルゴス人ヘーラクレースは、エウリュステウスの命令で、ゲーリュオネースに立ち向かい、ゲーリュオネースの飼い牛どもを追い立てて、ミュケーナイへと連れ帰ってきたが、史伝作家のへカタイオスが言うところでは、〔そのゲーリュオネースは〕イベーリア人たちの土地とはまったく関係がないばかりか、ヘーラクレースの方もまた、外なる大洋にあるエリュテイアとかいう島に遣わされたのでもなかったのであり、ゲーリュオネースはアムプラキアやアムピロキア人が住むあたりの本土の王だったのであって、ヘーラクレースがその飼い牛どもを連れ去ったのも、本土のこの地方からだったのである。しかし、だからといって彼のこの功業が、それだけ卑小なものになるというわけのものではむろんないのだ。[6] わし自身もよく知っているが、本土のこの地方は今日にいたるまで、牧畜に適した土地柄であって、最美な牛を産する。だからエーペイロス産の名牛の評判とゲーリュオネースというエーペイロス王の名前と、そのいずれもがエウリュステウスの耳にまで届いたとしても、それはあり得ぬことではないと思われる。だが、エウローペーのさい果てなるイベーリア人の王の名前までは、いかにエウリュステウスといえども知るはずはなかったろうし、また美しい牛が果たしてその土地で飼われているのかどうかも、〔物語作者の〕誰かがヘーラをこの話のなかに割りこませ、女神がエウリュステウスの口を借りて、ヘーラクレースにこの難業を命ずる、という風に筋を仕立てあげ、そのようにしてこの話の荒唐無稽な点を神話的にぽかそうとしたのでないかぎり、とうていエウリュステウスの考え及ぶところではなかったと思われるのである。
F27
PAUSAN. III 25, 4:
タイナロン岬……岬の上に洞窟に似た神殿と、その前にポセイドーン神像。[5] ヘッラスの詩人のなかには、へーラクレースが冥界の犬を連れてここへ上ってきた、と詩作した例もある。しかし、洞窟を通って地下へ通じる道もなく、亡霊たちが集るような、神々の地底の館のようなものがあるとは、にわかには信じられない。ところが、ミーレートス人へカタイオスが発明した話には、もっともな内容がある。それによると、このタイナロン岬の上に恐ろしい蛇が住み、これに噛まれると蛇毒のためにすぐ死ぬしかなかったことから、冥界の犬と呼ばれた。ヘーラクレースによってエウリュステウスの許へ連れて行かれたのは、この蛇である、と。[6] 他方、ホメーロスは――ヘーラクレースが連れてきたのは冥界の犬だと語った(VIII-368, XI-623)最初の詩人である――、キマイラにふれた場合と違って、けっして自分で命名したのでなく、寄せ集めの姿を創ったのでもなかった。ところが、後代の詩人たちは、ケルベロスという詩作し、……これは三つの頭を持つ、という。
F28
同、IV 2, 2:
これ以後、ポリュカオーンの子孫は……もはやひとりもいなくなったため、人々〔メッセニア人〕はアイオロスの子ペリエーレースを招いて王とした。メッセニア人たちの謂うとこによると、この王の許へ、メラネウスという名で、弓矢の名手のためアポッローンの子だとされている者が、やってきた。ペリエーレースは彼に、メッセニアのカルナシオン――当時オイカリアと呼ばれた――を分け与えて住わせた。この都市の旧名はメラネオスの妻に因んでオイカリアとなった、と謂われる。
[3] テッサリア人たちやエウポイア人たちの言うところでは、……前者の伝承によると、エウリュティオンは――われわれの時代にはエイリュティオンは無人の地だが――、古くは都市であり、これがオイカリアと呼ばれた。他方、ボイオティア人たちの言い伝えでは、クレオーピュロスが『ヘーラクレイア』(F 2 p.62 K1)のなかで、後者の伝承に合致した内容を詩作した。しかしミーレートス人ヘカタイオスは、オイカリアはエレトリア地方の一画をなすスキオーンにある、と書いている。
F29
a) 同、VIII 4, 8;
〔アルカディアでは〕アイピュトスの次にアレオスが支配権を握った。……アレオスには息子リュクゥルゴス、アムピダマス、ケーペウスと、娘アウゲーがあった。[9] ヘカタイオスの物語によると、ヘーラクレースはテゲアにやってきたとき、このアウゲーと交わった。最後には、ヘーラクレースの子を産んだことが露見し、アレオスは彼女を赤児といっしょに箱へ入れて海へ捨てるが、娘の方はカイコス平原の権力者テウトラスというものにたどり着き、テウトラスに愛されていっしょになった。今日でもカイコス川の向うのベルガモンにアウゲーの墓がある……。
b) 同、VIII 47, 4:
〔アテナ・アレアの〕神殿の北側の場所に泉があり、この泉のそばでアウゲーがヘーラクレースに強姦されたと謂われるが、この処女についてのヘカタイオスの説を地元では認めていない。
F30
ANONYM. p. u{y. 27, 2:
ヘカタイオスの作品にもあるとおりである。「ケーユクスはこれら恐ろしいことをした後、すぐにヘーラクレースの後裔たちに出て行くよう命じた。『なぜなら、わしはおまえたちから身を守ることができない。おまえたち自身が滅びることも、わしを傷つけることもないよう、いずれなりと他の民のもとに立ち去れ』」。T 20の続き。
F31
PHOT. lex.「テンテウス」の項。
ヘカタイオスによれば、ペンテウスのことである。
F32
SCHOL. SOPH. oC 1320「第六には、アルカディアのパルテノパイオスが突進する。この名はかつて永らく処女(パルテノス)を守っていた母にちなんでつけられ、ついに母となったアタランテーの生んだ頼もしい息子」
一部の人たちの謂うには、出征したのはアタランテーの子パルテノパイオスではなくて、タラオス(カッパーに変えてカラオスと呼ぶ人たちもいる)の子であるという。テゲア人アリスタルコス(F 5 N2)やピロクレース(F 3 N2)はそのように記録し、ミレトス人ヘカタイオスも記しているとおりである。
F33
AELIAN. HA XIII 22:
二十と四頭の象たちが、見張り番として順番に〔インドの〕王のそばに立つ……見張りを続け、眠りこまないよう彼らに調教がほどこされる。もちろん、これもまた一種インド流の知恵によって教えこまれるのである。そしてミーレートス人ヘカタイオスの言うには、オイクレースの子アムピアレウスは見張り中に眠って、すんでのところで、彼が言っているような受難に遭うところだったという。
F34
SCHOL. APOLL. RHOD. II 946
というのは、彼らはトラキア語――この口語をアマゾ−ン女人族も使った――〔そのトラキア語〕でmevqusoi sanavpai〔酒飲みサナパイ〕と言われ、その都市はサナペー、後に滅亡時にはシノーペーと呼ばれたという。酒飲みアマゾーンmevqusoV =Amazw;nはこの都市から出発してリュディア地方にたどり着いたと、ヘカタイオスが謂う。
F35
JOSEPH. AJ I 107 (EUSEB. PE IX 13. SYNKELL. p.78 ed. Bonn. JOANN. LYD. De mens. III 5 p.39, 16 W[u]):
なお、わたしの立言には、ヘッラス人、非ヘッラス人を問わず、古代史を著した者たち全員が証言している。というのも、……マネトーン、……ベーロソス、……モーコスとヘスティアイオス、さらにはアイギュプトス人ヒエローニュモスも、わたしによって言われている事柄に同調しており、[108]ヘーシオドス(F 256 RZ2)、ヘカタイオス、ヘッラーニーコス(4 F 202)、アクーシラーオス(2 F 46)、さらにはエペロス(II)、ニコラオス(II)にいたっては、古代人たちは1千年生き延びたと記録している。
F36
a) AGATHEM. ge. inf. I 1 (T 12):
したがって、往古の人々は、人の住まいする全地を球として、その中央にヘッラス、その〔ヘッラスの中央〕にデルポイがあると書き記している。〔デルポイは〕大地の臍だから、と。しかし、大地は、その長さが幅の一倍半ある長方形だと最初に洞察したのは、……デーモクリトスであった。ペリパトス派のディカイオアルコスもこれに同意した。しかしエウドクソスは、長さが幅の2倍であると。しかしエラトステネースは、2倍よりも大きいと。
b) HERODOT. IV 36:
これまですでに多くの人々が世界地図を描き、しかもその誰ひとりとしてその地図にもっともな説明を与えることができなかったのを見るにつけても、わたしは失笑を禁じ得ないのである。この人たちは陸地があたかもコンパスで描いたごとく円形をなし、その周りをめぐるオーケアノスが流れているように地図を描きアシアをエウローペーと同じ大きさとしているのである。
F37
HARPOKR.「ロドーニア」の項。
……ロドーニアとは、バラrJovdonの花壇のことである、ちょうど、イオーニアがイオンi[on〔スミレ〕の花壇のことであるようにと、ヘカタイオス『周航記』第1巻の中で明らかにしている。
スペイン
F38
STEPH. BYZ.「エリビュルゲー」の項。
タルテーッソスの都市。ヘカタイオスが『エウローペー』で。 族称は=ElibuvrgioV。
F39
同、「カラテー」の項。
ヘーラクレースの柱からさほど遠くない都市。ヘカタイオスが『エウローペー』で。しかしエポロス(II)はこれをカラトゥーサと謂っている。
F40
同、「エルベスティオイ」の項。
リビュアの族民。ピリストス第7巻(III)「リビュア人たちに隣接する」……ヘカタイオスが『エウローペー』で「エルベスティオイとマスティエーノイ」。
F41
同、「マスティアノイ」の項。
ヘーラクレースの柱の向かいの族民。ヘカタイオスが『エウローペー』で。都市マスティアにちなんで云われる。
F42
同、「マイノボーラ」の項。
マスティエーノイ人の都市。ヘカタイオスが『エウローペー』で。族称はMainobwrai:oV。
F43
STEPH. BYZ.「シクソス」の項。
マスティエーノイ人の都市。ヘカタイオスが、「続いて、都市シクソス」。
F44
同、「モリュブディネー」の項。
マスティエーノイ人の都市。ヘカタイオスが『エウローペー』で。
F45
同、「シカネー」の項。
イベーリアの都市だと、ヘカタイオスが『エウローペー』で。
F46
同、「クラバシア」の項。
イベーリア人たちの都市。ヘカタイオスが『エウローペー』で。
F47
同、「エスデーテス」の項。
イベーリアの族民。ヘカタイオスが『エウローペー』で。
F48
同、「ヒュオプス」の項。
イベーリアの半島にある都市。ヘカタイオスが『エウローペー』で。「続いて都市ヒュオプス、続いてレシュロス河」。
F49
同、「イララウガタイ」の項。
イベーリア人たち。ヘカタイオスが『エウローペー』で。「そしてイララウガテース河」。
F50
同、「ミスゲーテス」の項。
イベーリア人たちの族民。ヘカタイオスが『エウローペー』で。
F51
同、「クロミュウゥサ」の項。
イベーリアの島。ヘカタイオスが『エウローペー』で。
F52
同、「メールゥサ」の項。
イベーリアにある島。ヘカタイオスが『エウローペー』で。
F53
STEPH. BYZ.「エリシュコイ」の項。
リギュス人たちの族民。ヘカタイオスが『エウローペー』で。
F54
同、「ナルボーン」の項。
ケルタイの交易所にして都市。ストラボーン第4巻(1, 6)。しかしマルキアノスは、これをナルボーネーシアと謂う。族称はNarbwnivthV……ナルボーン港もあり……アタコスという河もある。しかしヘカタイオスは彼らを「Narbaivoi」と謂う。
F55
同、「マッサリア」の項。
ケルタイにあるリギュス地方の都市で、ポーカイア人たちの植民市である。ヘカタイオスが『エウローペー』で。しかしティマイオス(III)は(etymologie des namens)……
F56
同、「ニュラクス」の項。
ケルタイの都市。ヘカタイオスが『エウローペー』で。
F57
同、「モノイコス」の項。
リギュス地方の都市。ヘカタイオスが『エウローペー』で。
F58
同、「アムペロス」の項。
リギュス地方の都市。ヘカタイオスが『エウローペー』で。
F59
STEPH. BYZ.「アイタレー」の項。
テュルセーノイ人たちの島。ヘカタイオスが『エウローペー』で。どうやら、鉄を得るのに煤煙(aijqavlh)の中で仕事をすることから呼ばれたらしい。しかしピリストスは『シケリア誌』第5巻(III)の中で、これをアイタレイアと呼んでいる。ヘーローディアノスとオーロスも。しかしポリュビオスは第34巻(11, 4)の中でアイタレイアはレームノス島がそう呼ばれたと言っている。……キオス(Ci:oV)の代わりにアイタリテースと呼ばれることは可能である。キオス(Ci:oV)はそう言われていたからである。
F60
STEPH. BYZ.「キュルノス」の項。
イアピュギアの北面の島。ヘカタイオスが『エウローペー』で。
F61
STEPH. BYZ.「ノーラ」の項。
アウソネス人たちの都市。ヘカタイオスが『エウローペー』で。これをノーレーとポリュビオスは謂う(II 17, 1)。
F62
同、「カピュア」の項。
イタリアの都市。ヘカタイオスが『エウローペー』で。トローイア人カピュス注4)にちなむ。
F63
同、「カプリエーネー」の項。
イタリアの島。ヘカタイオスが『エウローペー』で。カプリアイとも言われる。
F64
STEPH. BYZ.「アリンテー」の項。
内陸部のオイノートゥリア人たちの都市。ヘカタイオスが『エウローペー』で。
F65
同、「アルテミシオン」の項。
内陸部のオイノートゥリア人たちの都市。ヘカタイオスが『エウローペー』で……しかしピリストス(III)はこれをアルテミティオンと呼ぶ、おそらくはドーリス方言であろう。
F66
同、「エリモン」の項。
内陸部のオイノートゥリア人たちの都市だと、ヘカタイオスが。
F67
a)同、「イクシアス」の項。
内陸部のオイノートゥリア人たちの都市。ヘカタイオスが『エウローペー』で。「そこにはイクシアスという都市、ここにはメネキネーという都市」。
b)同、「メネキネー」の項。
内陸部のオイノートゥリア人たちの都市。ヘカタイオスが『エウローペー』で。
F68
同、「コッサ」の項。
内陸部のオイノートゥリア人たちの都市。ヘカタイオスが『エウローペー』で。
F69
同、「キュテリオン」の項。
内陸部のオイノートゥリア人たちの都市。ヘカタイオスが『エウローペー』で。
F70
同、「マラニオス」の項。
ヘカタイオスによって『エウローペー』の中に枚挙されたオイノートゥリア人たちの内陸部の都市。族称はMalavnioVとMalanieuvV。
F71
同、「ニナイア」の項。
内陸部のオイノートゥリア人たちの都市。ヘカタイオスが『エウローペー』で。族称はNinai:oVあるいはNinaieuvV。
F72
STEPH. BYZ.「ザンクレー」の項。
シケリアの都市。ヘカタイオスが『エウローペー』で。ある人たちは、土地生え抜きのザンクロスあるいはザンクレーの泉に由来するとする。しかしある人たちは、クロノスがそれで父の恥部を切り捨てた鎌をそこに隠したことに由来する〔という〕。ニカンドロスは『シケリア』の第8巻(21 Schn.)の中で、「いったいどうして、ザンクレーだけから、鎌のかたちをした町であることがわかるのか」。鎌のことをシケリア人たちはzavgklonと呼ぶからである(Thuk. VI 4, 5)。
F73
STEPH. BYZ.「カタネー」の項。
シケリアの都市。ヘカタイオスが『エウローペー』で。「続いてカタネーという都市。その上にアイトネー山」。
F74
同、「シュラクゥサイ」の項。
シケリア最大の都市だと、ヘカタイオスが『エウローペー』で。
F75
同、「リリュバイオン」の項。
シケリア西方の岬。ヘカタイオスが『エウローペー』で。都市でもある。
F76
同、「モテュエー」の項。
ヘーラクレースにその牛を誰が減少させたかを密告した妻モテュエーにちなむ都市。ヘカタイオスが『エウローペー』で。シカシピリストス(III)は、この都市はシケリアの海岸にある砦frouvrionだという。
F77
同、「ソルゥス」の項。
シケリアの都市だと、ヘカタイオスが『エウローペー』で。ソルゥスにちなんで呼ばれた、〔ソルゥスは〕客あしらいが悪かったので、これをヘーラクレースが殺害した。
F78
同、「ヒメラ」の項。
シケリアの都市。ヘカタイオスが『エウローペー』で。リビュアにも〔同名の都市が〕ある。……ヒメラ河もあると、ニカノールが。
F79
同、「ミュライ」の項。
シケリアの都市。ヘカタイオスが『エウローペー』で。
F80
STEPH. BYZ.「ラメーティノイ」の項。
<イタリア>の都市、†クロトーンに近い†ラメートス河にちなむ。ヘカタイオスが『エウローペー』で。「ここにラメートス河あり、ここにラメートス人あり」。
F81
同、「メドゥメー」の項。
イタリアの都市にして、同名の泉。ヘカタイオスが『エウローペー』で。「ある人の乙女メドゥメーにちなむ……リギュス地方に別の都市もある。
F82
同、「スキュッライオン」の項。
岬、これについてヘカタイオスが『エウローペー』の中で謂っている。
F83
同、「ロクロイ・エピゼピュリオイ」の項。
イタリアの都市。ヘカタイオスが『エウローペー』で。
F84
同、「カウローニア」の項。
イタリアの都市。これを「アウローニア」とヘカタイオスが呼ぶのは、窪地(aujlwvn)の真ん中にあるからである。アウローンの娘にちなんで、後にカウローニアと改名されたのは、英雄メタボスにちなんでメタポンティオン、エピタウロスがエピダウロス、プラゾメナイがクラゾメナイ〔と改名されたのと〕同様である。シケリアには他にも〔同名の都市が〕ある。ロクロイにも別なのがある。
F85
同、「クロタッラ」の項。
イタリアの都市。ヘカタイオスが『エウローペー』で。
F86
STEPH. BYZ.「イアピュギア」の項。
2つの都市。ひとつはイタリアにあり、もうひとつはイッリュリアにある(F 97)と、ヘカタイオス。族称は=Iavtux、〔男性形は〕=IapuvgioV、〔女性形は〕=Iapugiva。
F87
同、「エレウティオイ」の項。
イアピュギアの族民。ヘカタイオスが『エウローペー』で。
F88
同、「カンダネー」の項。
イアピュギアの都市。ヘカタイオスが『エウローペー』で。「ここにはカンダネーという都市がある。続いてペウカイオイ族」。
F89
同、「ペウケティアンテス」の項。
オイノートロイ族に付け加わっている族民と、ヘカタイオスが『エウローペー』で。
F90
STEPH. BYZ.「アドリア」の項。
都市、これのそばにはアドリアの港も、また同様に河もあると、ヘカタイオスが。この地方は家畜たちにとっては良好で、1年に2度、それも双子を生むほどである。三つ子四つ子を生むこともしばしばである。1年に5回もそれ以上も生むこともある。また、めんどりは1日に2土産卵するが、大きさはどんな鳥よりも小さい注7)。
F91
同、「イストロイ族」の項。
イオニア湾内の族民。ヘカタイオスが『エウローペー』で。
F92
同、「カウリコイ族」の項。
イオニア湾の族民。ヘカタイオスが『エウローペー』で。山名にちなんで呼ばれていた。この〔族民〕をアポッローニオス(IV 324)はアルファを入れてKauliakovnと謂う。
F93
同、「リビュルノイ族」の項。
アドリア湾の沿岸内部に隣接した族民。ヘカタイオスが『エウローペー』で。女性形はLiburnivV。Liburnai:oiとも〔称される〕。名付けられたのは、アッティコスの†リビュルノスにちなんでである。リビュルニア船skavfhが発明された。さらにリビュルニア羊毛外套manduvhという一種の衣服もある(Aischyl. F 364 N2)。
F94
同、「メントレス」の項。
リビュルノイ族近隣の族民。ヘカタイオスが『エウローペー』で。
F95
同、「シュオーピオイ族」の項。
リビュルノイ族に付随する族民だと、ヘカタイオスが『エウローペー』で。
F96
同、「ヒュトゥミタイ」の項。
リビュルノイ族とシュオーピオイ族とに隣接する族民だと、ヘカタイオスが『エウローペー』で謂う。
F97
同、「イアピュギア」の項。
2つの都市、ひとつはイタリアにあり(F 86)、他はイッリュリアにあると、ヘカタイオス。
F98
同、「オイダンティオン」の項。
イッリュリア族の都市。テオポムポス(II)が『ピリッポス記』第38巻で。族称はOi[danteVだと、ヘカタイオスが謂う。オイダンティオンの大地とも。
F99
STEPH. BYZ.「セサレートス」の項。
タウランティオイ族の都市だと、ヘカタイオスが謂う。
F100
同、「ケリドニオイ族」の項。
イッリュリアの族民。ヘカタイオスが『エウローペー』で。「セサレートス族の北にケリドニオイ族が住む」。