Atthis

イストロス断片集



[底本]
TLG, 1450 004
Fragmenta, ed. K. Muller, FHG 1. Paris: Didot, 1841-1870: 418-427. frr. 1-65.
5
(Q: 2,826: Hist.)





"t1-32"
アッティカ誌(Attika)』
"t1-6"
《第1巻》

断片1
Suidasの"Titanida gen"〔ティタンの地〕の項:

 ……イストロスが『アッティカ誌』の第1巻の中で、ティタンたちが吼えるという。なぜなら、人間どもの頼みを聞いて援助したからと、ニカンドロスが『アイトリア誌』第1巻の中で。

断片2
Apostolius XVIII, 77:
〔本項の訳に自信なし(^^ゞ〕
 ティタン〔の地〕に、愛神行為の見返りに、あなたは隣人として住む。〔ティタンの地のことを〕ある人たちは全地だ〔と言い〕、ある人たちは、ティタネー〔=ティタンのイオニア方言〕にちなんでアッティカの地〔のことだと言う〕、――これはティタンたちよりも古い一人のティタンで、マラトンあたりに住んでいたが、彼一人は神々に対する征戦に加わらなかったからと、ピロコロスが『四市〔オイノエ、マラトン、プロバリントス、トリコリュトス、いずれもアッティカ北部の都市〕』で、イストロスも『アッティカ誌』第1巻の中で。

断片3
Harpocrat.:
"Lampas"〔松明競技〕
 ……アテーナイ人たちは3回の松明競技の祭礼を執り行う、――パンアテーナイア祭、ヘーパイステイア祭、プロメーテイア祭であると、ポレモーンが『表玄関(propylaia)〔『案内記』第1巻22章(6)〕の絵画について』の中で主張している。しかし、イストロスは、『アッティス誌』の第1巻の中でいう、――アテーナイ人たちは、アパトゥウリア祭の時に、最美な衣装に身を包んだ人たちが、竈から採火した松明をとり、ヘーパイストスに供犠して讃歌をうたう、火の扱い方を知悉して、他の人たちに教授したことの記念としてである。

断片4
Photius in Lex. et Suidas "Lampados"の項:

 イストロスの主張によれば、ヘーパイストスに供犠して松明競技を挙行することを最初にしきたりとしたのはアテーナイ人たちであるという。

断片5
Harpocrat.:
"Theoinia"〔酒神祭〕
 リュクウルゴスが『Krokonidai対Koironidaiの争訟』の中で。酒神祭と言われたのは区のディオニュシア祭のことで、このおりに、両親が後で供犠する。なぜなら、ディオニュソスは酒神(Theoinos)と言われたからと、アイスキュロスが説明し、イストロスも『集成』第1巻の中で。

断片6
Schol. Sophocl. Oed. Col. 1059:
「西方〔の牧場(nomos)〕」。
 (ソポクレースが)主張しているのは、アイガレオーン山地のこと。というのも、この山地はこの区〔アイガレオース区〕のはずれにある。〔合唱隊が?〕数え上げている地域は、このあたりでクレオーンとテーセウスとに関わる事件で特にひどい災禍があったことを連想しているのである。「雪をいただいた平地」と(ソポクレースが)言っているのは、そういうふうに言われる平地ないしはアイガレオーン山地の頂で、たしかにそれらが取り囲んでいると言い伝えられるのは、イストロスが『アッティカ誌』第1巻の中に記録しているとおりで、次のように〔言う〕。「海沿い(paralia)から平地(leia petra)へは」。そして少し後で、「ここ〔アテナイ市?〕からコローノスまでは、「カルクウス〔「青銅細工師」〕(Chalkous)」と命名された地点で、ここからエレウシスに至る秘儀の入口(mystike eisodos)までがケピソス河畔。そこ〔入口〕から左手に、エレウシスの方に進むと、日の出の方角にあるアイガレオーン丘にいたる」〔エレウシスには、アイガレオーン山地の峠を越えてゆくことになるが、この項の訳に自信はない(^^ゞ〕。

"t7-8"
《第3巻》

断片7
Harpocrat..:
"Panathenaia"〔パンアテナイア祭〕
 ……この祭礼を最初に導入したのは、ヘーパイストスの子エリクトニオスである。……この人より前にはアテーナイア祭と言われたと、イストロスが『アッティカ誌』第3巻の中で明らかにした。

断片8
Suidas:

 "Tauropolos"とはアルテミス女神のことをいう、"tauros"は万物を凌駕するゆえにと、アポッロドーロスが。しかしイストロスは『アッティカ誌』第3巻の中で、〔アルテミス女神は〕ポセイドーンからヒッポリュトスに送られた"tauros"を全地に狂暴ならしめたゆえにという。

"t9"
《第4巻》

断片9
Schol. Sophocl. Oed. Col. 42:

 イストロスは第4巻の中で、エウメニスたちの母親としてエウオーニュメーを挙げているが、この女神は〔大地女神〕ゲーとみなされているという。

"t10-11"
《第12巻》

断片10
Apostol. XIV, 40:
"Homoloios Zeus"。
 イストロスは『集成』第12巻の中で、アイオリス人たちの間では同心的にして平和的なことは"homolon"と言われるという。またテーバイにはホモロニア(Homoloia)・デーメーテールもまします。

断片11
Schol. Aristoph. Av. 1694:

 アクロポリスにある泉が"Klepsydra"〔「漏り水」の意〕で、イストロスが第12巻の中で、著作者たちの作品を列挙しながら、これに言及している。で、そういうふうに名づけられたのは、季節風が吹き始めると、増水するが、吹きやむと、減水すること、ナイル河と同様で、あたかもデーロスにある泉のごとくである。また、彼の主張では、この泉に血塗られた皿(phiale)落ちたところ、20スタディオン離れたパレーロン港で見つかったという。言い伝えでは、この泉は底なしであるが、水は塩辛いという。

"t12-13"
《第13巻》

断片12
Plutarch. Thes. c.34:

 一種独特な、まったく相違した話(logos)を、イストロスは『アッティカ誌』の第13巻の中で、アイトラについて書き留めている、つまり、一部の人たちの言うのには、アレクサンドロスすなわちテッサリアのパリスは、スペルケイオス河畔の戦闘でアキレウスとパトロクレスとに敗北したが、ヘクトールはトロイゼン人たちの都市を略取し略奪し、アイトラがそこに置き去りにされていたのを連れ去ったというのである。しかし、この話には不合理な点が数多くある。

断片13
Harpocrat.:
"Oscho-phoroi"〔葡萄枝運び〕
 ……イストロスは『テーセウスについて』第13巻の中で次のように言って書いている。「共同体の救済のため、生まれと富の点で抜きんでた者たちのうち二人を、いわゆる"oscho-phoroi"として選抜することを定めた」。
 〔プルタルコス「テーセウス伝」22-23 参照〕

"t14-15"
《第14巻》

断片14
Athen. XIII,:

 テーセウスはヘレネーを掠奪し、そのあと続けてアリアドネーを掠奪した。じっさい、イストロスは、『アッティカ誌』第14巻の中で、テーセウスにものにされた女たちを数え上げ、そのうちのあるものは恋情によって、あるものは略奪によって、他のものは合法的婚姻によってものにされたと主張している。略奪のよったのは、ヘレネー、アリアドネー、ヒッポリュテース、そしてケルキュオーンやシニスの娘たち。合法的に彼が結婚したのは、アイアースの母メリボイアであるという。

断片15
Photii Lex.:

 アナイデイア(Anaideia)は女神である。アナイデイアはアテーナイ人たちにも尊崇され、この女神の神殿もあったと、イストロスが第14巻の中で。

"t16"
《第16巻》

断片16
Harpocrat.:
"Grapezo-phoros"
 リュクウルゴスが『祭式について(peri tes hiereias)』の中で、"trapezophoros"〔卓運び役〕は聖職の名称という。これと、"kosmo"〔=priestes of Pallas〕とがいっしょになって、アテーナの祭式全体を主宰するということを、この弁論家が同じ書物の中で明らかにし、イストロスも『アッティカ誌集成』第16巻の中で。

"t17-32"
出典不明断片(Fragmenta Incertae Sedis)》

断片17
Scholiast. Aristoph. Lysistr. 642:

 〔聖函運び役の童女たちは〕ケクロープスの娘エルセーのために捧持すると、イストロスが記録している。

断片18
Hygin. Astron. II, 35, canis:

 〔未訳〕

断片19
Harpocrat.:
「出棺の間、長柄を構えるということと、墓標の上で宣告するということ」。
 デーモステネースは、『エウエルゴスとムネーシブウオロス弾劾』で、強殺されたの者につて同じことを主張している。またイストロスは、『アッティス集成』の中で、プリクリスとケパロスについて述べるさいに、こう書いている。「ある人たちの主張では、塚の上に長柄を突き刺して、エレクテウスをば、加護者として、また、いかなる受難が起こったかの徴を表してくれるものとするのは、そういう仕方で殺人者たちを追及するのが、親族にとってのしきたりだったからである」。

断片20
0069a.jpg Tzetz. ad Lycophr. 1327:

 エウモルポスは、イストロスが『集成』のなかでいうように、トラキア人ではなく、秘儀の創建者で、外国人たちは秘儀に与るべからずと命じた。ヘーラクレースがエレウシスに進出し、よろこんで秘儀に与ったとき、〔エレウシス人たちは〕エウモルポスの法を守り、さらには共同体の善行者としてヘーラくレースによろこんで仕え、エレウシス人たちは彼のために小秘儀を執り行った。そして入信者たちはギンバイカ〔ミルテ。右図〕の花冠をかぶった。

断片21
Scholiast. Soph. Oed. Col. 1046 (1108):

 いったい、エウモルポス一族は、外国人であるのにもかかわらず、神職者(teletes)たちを先導するのは何故か、が問題である。ひとはこう述べることができよう――一部の人たちの力説するところだが、エウモルポスは、トリプトレモスの娘デーイオペイーの子で、エレウシスにおける秘儀を執り行った最初の人であり、トラキア人ではない、このことも、イストロスが『錯綜(Atakta)について』のなかで記録している、と。

断片22
Tzetz. ad Lycophr. 467:

 ヘーラクレースによるトロイアの攻略が行われた後、テラモーンはテアネイラを、ヘーシオネーともども、格別の褒賞として得たと、イストロスが『混血者たち』のなかで主張している。

断片23
Schol. Pindar. Nem. 5, 89:

 アテーナイでは、言い伝えでは、角力術はテーセウスの体育教師ポルバスによって発明されたという。しかしペレキュデースの主張では、ポルバスはテーセウスの御者で、テーセウスといっしょにアマゾーン女人族を掠奪したという。ポレモーンも記録しているところでは、角力を発明したのはアテーナイ人ポルバスだという。しかし、テーセウスはアテーナから角力を学んだということを、イストロスが記録している。

断片24
Diog. Laert. II, 59:

 イストロスの主張では、彼〔クセノポーン〕が追放刑になったのは、エウブウロスの動議によってであり、また帰還したのも、同じ人の動議によってであるという。

断片25
smilax_aspera.jpg Schol. Sophocl. Oed. Col. 673 (683):

 イストロス(いわく)、ギンバイカやスミラクス〔右図〕――これをめぐって争訟が起こったが――は、デーメーテールの標であるという。祭司(Hierophantes)も女祭司たち(hierophantides)も松明持ち(daidouchos)もその他の女神官たち(hiereiai)もギンバイカの花冠を身につける。それゆえデーメーテールもこれをかぶるという。

断片26
Harpocrat.:
"Tritomenis"〔月の第3日〕
 ……月の第3日は"tritomenis"と呼ばれた。アテーナの誕生日と思われている。イストロスの主張によれば、その日が"Tritogeneia"とも言われるゆえんは、同じ女神がセレーネーと信じられるているからという。

断片27
Schol. Sophocl. Oed. Col. 697 (730):

 イストロスは、それら(聖樹(moria))の数をも明らかにして、次のように書いている。「**一部の人たちは、アカデーメイアにあるオリーブ樹の枝は、アクロポリスから移植されたと言い伝えている。

断片28
Harpocrat.:
"Anthesterion"〔アンテステーリオン月〕
 これはアテーナイ人たちのもとにおける第8月で、ディオニュソスの聖月である。イストロスが『集成』のなかで主張しているところでは、これがそう呼ばれるのは、大地よりのたいていがこの時期に花咲くゆえだという。

断片29
Harpocrat.:
"Koironidai"
 ……種族に"Koironidai"というのがあり、これについてはイストロスが『アッティス集成』のなかで主張している。コイローノスにちなんで名づけられたものらしく、コイローノスはクロコーンの庶子の兄弟。だからこそ"Koironidai"も尊敬されたという。

断片30
Schol. Sophocl. Oed. Col. 58:

 青銅の敷居に言及しているのはイストロス、そしてアステュダマスも。

[註] コローノスのあたりには、瞑府に通じると考えられた急な下り坂があり、おそらくは天然の洞穴だったと思われる。その入口には青銅の階段がついていたために、付近を「青銅の敷居」と呼んだらしい。しかし、断片6によれば、「青銅」は地域名ということになる。

断片31
Harpocrat.:
"Paianieis"と"Paionida"
 パンディオニス部族のパイアニア区民に二つの区がある。……しかしこの二つの区民はパイオニア人たちとは異なると、イストロスが『錯綜(Atakton)』のなかで示唆している。これには弁論家たちも言及している。……レオーンティス部族にもこういう区〔ポタモス区〕がある。

断片32
Suidas:

 "Peristi-archos"とは、竈や民会や都市を清祓する人。竈(hestia)ないしは歩き回ること(peristeichein)にちなむ。しかしイストロスは『アッティカ誌』の中で、「"Peristia"は」と彼は主張する、「浄化祭(katharsia)」と命名されている。そして、神域を浄化する人たちが"Peristiarchoi"である。なぜなら、神官たちが各自戦刀を身に帯びているとき、彼らは外を歩き回る、――公的な建物に取り囲まれながら、巡回路を受け持って」。

"t33-37"
アポッローンの諸顕現(hai Apollonos epiphaneiai)』

断片33
Harpocrat.:
"Pharmakos"

 アテーナイでは2人の男を引き出し、タルゲーリア祭の都市の浄めたらしめる、1人は男たちのために、1人は女たちのために。通称をパルマコスといい、アポッローンの聖なる皿(phiale)を盗んで、アキッレウス一統に捕らえられ、抹殺された、そしてタルゲーリア祭の行事でそのことが模倣されるのだということを、イストロスが『アポッローンの諸顕現』の第1巻の中で述べている。

断片34
Photii Lex.:
"Trittyan thysian"。
 ……イストロスは『アポッローンの諸顕現』のなかで、〔供犠されるのは〕牛、羊、牝豚で、すべて3歳のものによって〔という〕。

断片35a
Plutarch. De musica t. III:

 さらに、デーロスにある彼(アポッローン)に対する奉納物である立像も、持っているのは右手に弓、左手にカリスたちで、彼女たちはめいめいが音楽の楽器の1種を持っている。すなわち、一人はリュラを奏で、一人は縦笛を、真ん中の一人はシュリンクスを口に当てている。これはわたしの言っている話ではないということを、アンティクレースが、イストロスも『諸顕現』の中で、同じことを述べている。

断片35b
Athen. III, 74, E:

 イストロスは『アッティカ誌』の中で主張している、――自分たちのところで作られた干しイチジクもアッティカから輸出しなかったのは、住民たちだけが享受できるようにとのこんたん。ところが、多くの者たちが盗むところを暴かれたとき、この連中を裁判官たちに密告する者たちが、このとき初めて「イチジク暴き(sykophantai)」と呼ばれた。

断片36
Hygin. Astron. II, 40:

〔未訳〕

断片37
同 II, 34:

〔未訳〕

"t38"
プトレマイス市(Ptolemais)』

断片38
Athen. X〔XI, 478b〕:

 カッリマコスの弟子イストロスは、『プトレマイス市〔フェニキアの都市。今のAcre。Str. II, 5.39〕』首巻の中で、アイギュプトスにある都市について、次のように書いている。「コノンの酒杯(kylix)1対、テリクレス作陶器1対」。

"t39-42"
アイギュプトスの植民諸市(Aigyption Apoikiai)』

断片39
Constantin. Porphyrog. De themat. lib. I:

 キュプロスと呼ばれたのは、キニュラスの娘キュプロスにちなんでか、あるいは、ビブロスやアプロディーテーにちなんでであると、ピロステパノスが『島々について』のなかで、またイストロスも『アイギュプトスの植民市〔について〕』のなかで記録している。

断片40
Clemens Alex. Strom. I:

 この娘を、イストロスは『アイギュプトスの植民市について』のなかで、プロメーテウスの娘だと主張している。

断片41
Stephan. Byz.:
"Olenos"
 ……ゼウスの子オーレノスにちなんで呼ばれたと、イストロスが『アイギュプトスの植民諸市』の中で。「ダナイスたちのひとりアナクシテアとゼウスとからオーレノスが生まれ、オーレノス人たちの支配者となった」。

断片42
Stephan. Byz.:

  "Aigialos"とは、シキュオーンとブウプラシオスとの間にそう呼ばれる地域があり、イナコスの子アイギアレウスにちなむと、イストロスが『アイギュプトスの植民諸市』の中で。

"t43-44"
アルゴス誌(Argolika)』

断片43
1141.jpgAthen. XIV〔650b〕:

 梨にちなんで、ペロポンネソスも「アピアApia〔梨〕」〔Pyrus communis。右図〕と呼ばれていたことがあるのは、この植物がかの地に生い茂っていたからだと、イストロスが『アルゴス誌』の中で主張している。

断片44
Stephan. Byz.:

 梨"Apia"――新しい世代の人たちはアルゴスのことをそういうふうに……しかし、同地に産する野梨"achras"〔Pyrus amygdaliformis。下図〕も、イストロスの主張では、この地の産である"Apia"だと外つ国の人たちに言われているという。

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断片45
Steph. Byz.:

 "Phyteion"は、エリス盆地の都市。この都市はピュテウスにちなんで名づけられたと、イストロスが『エーリス誌』第4巻で言う。

断片46
Schol. in Platon〔Phaed. 89C〕:
「ヘーラクレースといえども二人をいっぺんに相手してはかなわぬ」
 エケキュリダスによれば、彼(ヘーラクレース)はアウゲイアス征討のおりに、モリオニダイのクテアトスとエウリュトスに負かされたという。そして、ブウプラシスまで追跡され、敵たちが誰も接近してこないか見回して、一息つき、そばを流れていた河から飲んで声を挙げた。その水が甘かったのだ。その河は、今、デュメーからエーリスに流れ、土地の者たちに甘露水と呼ばれている河である。同じことをペレキュデースもコーマルコスも、イストロスも『エーリス誌』の中で記録している。また、こういうわけで、モリオニダイがコリントスに行くのを眼にして、ヘーラクレースはクレオーナイあたりで待ち伏せして殺害した。ここからして、エーリス人たちにとって、イストミア祭で競技するのが禁忌であるのは、モリオニダイがイストモスに〔代表として〕送られるのを眼にしてこれを亡き者にしたヘーラクレースが、コリントス人たちに受け容れられたからである。

"t47"
クレータの供犠集成(He Synagoge ton Kretikon thysion)』

断片47
Eusebius Praepar. evang. IV:

 イストロス『クレータの供犠集成』にいわく、――クレータ人たちは昔からクロノスに子どもたちを供犠していると。

"t48"
個人的な褒賞について(Peri Idiotetos athlon)』

断片48
Clemens Alex. Strom. III:

 またキュレーネー人アリストテレースは、〔自分を〕恋するライス〔コリントスの名妓〕を、彼のみは軽蔑していた。けれども、敵対者たちに対して何らかの点で自分に加勢してくれるなら、ちかって彼女を祖国に連れて帰るとの誓いを立てていたところ、そのとおりにしとおしたので、よろこんで誓いを実行し、最高に彼女にそっくりの肖像を書いて、キュレーネーに出発したと、イストロスが『個人的な褒賞について』の中に記録している。

"t49-51"
抒情詩人たち(Melopoios)』

断片49
Schol. Aristoph. Nub. 971:

 プリュニスはミュティレーネーのキタラ弾き。この人物は、カッリアスが執政の時、アテーナイのパンアテーナイア祭で、キタラ競演で初めて勝利したと思われている。アリストクレイデースの弟子であった。このアリストクレイデースは、最善のキタラ弾きであった。生まれはテルパンドロスの血を引く。ペルシア戦争の時にヘラスで盛年をむかえた。縦笛吹きのプリュニスを引き取って、キタラの弾き方を教えた。しかしイストロスの主張では、彼は他の者らといっしょにヒエロンの暗殺者であったが、アリストクレイデースに赦されたという。しかしこれは時のはずみでしたことらしい。というのは、ヒエロンの奴隷にして暗殺者であったとしたら、喜劇役者たちが、歌をこわして、古い習慣に反して革新する場合には、しばしば彼に言及しているのに、隠すはずがないからである。

断片50
Suidas:

 イストロスは『叙情詩人たち』という表題の書の中で、プリュニスはレスボス人で、カノープスの息子と主張している。そしてこの人物は僭主ヒエローンの暗殺者云々。

断片51
Graeca Sophoclis Vita:

 ソポクレースは、生まれはアテーナイ人で、ソピロスの息子。ソピロスは、アリストクセノスの言うのとは違って、大工とか青銅細工師とかではなかった。またイストロスというのとは違って、戦刀作りを生業としていたわけでもなかった。たまたま奴隷の青銅細工師や大工を所有していたにすぎない。こういう者から生まれた人が、ペリクレースやトゥキュディデースといった、国の第一人者たちといっしょに、将軍職にふさわしいと思われるはずがないからである。いや、それどころか、喜劇役者たち――テミストクレースにさえ遠慮会釈のなかった喜劇役者たちにによってさえ、いつも変わらず構われることがなかった。ところで、相手がイストロスであっても、彼〔ソポクレース〕がアテーナイ人ではなく、プレイウウス人だと主張するのは、信用する必要はない。もともとプレイウウス人だったなどということは、イストロスを除けば、ほかの誰の作品にも見いだされないのである。……しかし、子どもころ、角力や音楽にも刻苦精励し、そのいずれにおいても花冠を受けたと、イストロスは主張する。……さらにまたイストロスの主張では、白長靴を発明したのも彼で、これを俳優たちや合唱隊が着用した。また、彼らの自然本性に合わせて劇を書いたともいう。また芸神たちのために、教育された者たちからなる劇団(thiasos)を結集したという。……彼の最期は、イストロスとネアンテースの主張では、次のようなものであった。俳優のカッリッピデースが、仕事柄、オプウスからコース人たちのもとに赴き、彼に葡萄房を送り届けた。ソポクレースはこれを受け取って、まだ熟れていない葡萄を口に[放りこみ]、ひどい老齢だったので窒息して命終したという。……イストロスの主張では、アテーナイ人たちはこの人の徳をたたえ、[毎]年ごとに彼に供犠するという決議もしたという。

"t52"
註釈書(Hypomnemata)』

断片52
Plutarch. Quaest Graec.:

 イタケー人たちの都市がアラルコメナイと命名されたのはどうしてか?……アレクサンドレイア人イストロスが『註釈書』の中で付録しているところでは、彼女〔アンティクレイア〕はラエルテーに結婚目的で与えられ、ボイオーティアのアラルコメネイオンあたりに連れてこられたときにオデュッセウスを生んだ、そこでこれがために、イタケーのこの都市が母国の名前をもつように命名されたと彼は主張している。

"t53-55"
アッティカ方言(Attikai Lexeis)』

断片53
Eustath. ad Odyss. I:

 とにかく、昔の人たちの主張では、盛りの時期は、"aren"〔1歳以下の子羊〕"amnos"〔牡の子羊〕"arneios"〔牡羊〕3つだけではないということ。また、"amne"〔牝の子羊〕という"amnos"の牝もいて、この羊は盛りのさなかにあるということ。また、"amne"は1歳の"arna"であることは明らかということ。いや、そればかりか、イストロスが『アッティカ語』の中で主張するところでは、"arna"、その次が"amnos"、その次が"arneios"、その次が"leipognomon"だということである。

断片54
Hesych.:

 "amallai"とか"dragmata"〔把〕は、麦の穂の束(desmai)のことである。ソポクレースが『トリプトレモス』において〔使用している〕。"ankale"は2把(dragmata)と、イストロスが主張しているが、ピレタスの記録するところでは、200把。ホメーロスもこの方言を使用している〔Il.XVIII, 555, XXII, 503〕。

断片55
Schol. Villois. Iliad. X, 439:

 〔武具のことが〕"teuchea"〔"teuchos"の複数〕といわれるのは、イストロスの主張では、エウボイアのテウキオスで、キュクロープスたちによって初めてこしらえられたものだからという。

"t56-65"
出典不明断片作品(FRAGMENTA INCERTORUM OPERUM)》

断片56
Eustath. ad Dionys. v. 513:

 言い伝えでは、イストロスという人の記録によれば、大洪水は4回起こった、これによってヘレスポントスがいっぺんに決壊し、アシアからエウローパを分断したという。

断片57
Stephan. Byz.:
"Arkas"
 ……イストロスの主張では、テミストーとゼウスからアルカスが生まれた。その母親が獣に変身――というのは、ヘーラによって彼女は熊の名前にされたのである――によって、その命名にあずかったという。

断片58
Steph. Byz.:

 "Karne"は、ポイニキアの都市で、ポイニキア人カルノスにちなむと、イストロスが主張している。

断片59
Schol. Pindar. Ol. I, 37:

 ピンダロスの主張では、ペロプスはリュディア人というが、イストロスによれば、パプラゴニア人だという。

断片60a
Schol. Apollon. II, 207:

 イストロスいわく、――アイエーテースは、(ピネウスが)プリクソスの息子たちの救済者となったのを知って、これに呪詛をかけたが、ヘーリオスが聞きつけて、不具にしたという。

断片60b
Schol. Pind. Ol. VII, 146〔80〕:
「両方の競技者たちに対する判定」
 〔ピンダロスが〕言っているのはヘーリエイア〔太陽〕祭の競技における判定のことで、この〔競技〕を制定したのはロドス人たち、だからピンダロスは嘘をつているのである。なぜなら、この競技が執り行われるのはトレーポレモスのためではなく、彼らは太陽神のためにこの競技を捧げると、イストロスが『太陽神の競技について』の中で主張しているのだから。「ロドス人たちはロドスにましますヘーリオスのために花冠のかかった体育競技を捧げる」。

断片61
Schol. Villois. ad Hom. Iliad. II, 110:

 言外に全英雄たちに向かって言っているのかどうか。イストロスに対する修正意見では、王たちだけが英雄と言われているという。

断片62
同 ad XVII, 34:

 言われているのは全英雄かどうか、両義的だが、王たちが〔言われているの〕でないと、イストロスが。

断片63
Hesych.:

  シケオン、イストロスによる。シケリア人が、諺上の将兵になっているのは、僭主ヒエロン一統が外国の将兵〔傭兵〕をところきらわず利用したからで、彼らが報酬を要求しても、シケリア人たちは誰にも払わなかったという意味。イストロスによる。

断片64
Plutarch. Alexand.〔46章〕:

 ここで、彼のもとにアマゾン〔女人族の女王〕がやってきたことは、多くの人たちが言っている。その中には、クレイタルコスも、ポリュクリトスも、オネーシクリトスも、アンティゲネースも、イストロスもいる。

断片65
guineafowl.jpeg Aelian. H.A. V, 27:

 レロス島にいるメレアグロスの女たち〔ホロホロチョウ〕は、曲爪類のいずれの鳥類にも不正される〔=害される〕ことがないと、イストロスが言っている。

[註]ホロホロチョウ(Meleagris)は、金毛羊皮を取りに行ったり、大イノシシを退治した英雄メレアグロスの名にちなんだもので、その死を悲しんだ妹たちは、ホロホロチョウに変えられ、羽の模様には涙の粒が真珠のようにちりばめられたという。アフリカのスミジア産ホロホロチョウの一種 Numida (Numides) meleagris〔右上図〕のことといわれる。

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