マネトーン断片集

アイギュプトス史



"t1-73".1

アイギュプトス史(AIGUPTIAKA)

"t1-33".1

第1巻

"t1-5".1
神々、半神たち、死者の霊たちの第1王朝

1."t"
MANETO EUBEBII

1.1
Eusebius, Chronica I. (Armenian Version), p. 93 (Mai):
 マネトーンのアイギュプトスの記録から、彼はその歴史を3巻本に著した。神々、半神たち、アイギュプトス人たちを支配した死すべき王たちについて、ペルシア人たちの王ダレイウスの時代まで。
 1. アイギュプトス人たちのあいだの最初の人間はウゥルカーヌス〔ヘーパイストス〕で、彼は彼ら〔アイギュプトス人たち〕のために火を発明した。彼はソール[太陽]の父であった。彼の後に生まれたのが[アガトダイモーン(?)。次いで]サートゥルヌス〔クロノス〕である。次いでオシリス。次いで、オシリスの兄弟テュポーン。それからまた、オシリスの息子オールスとイシス。これらがアイギュプトス人たちの最初の支配者たちであった。彼らの後に、ビュディスの時代まで次々と跡を継ぎ、その期間は、1月30日の太陰年で13900年間である。今われわれが1月と呼んでいる期間を、当時の人々は1年と呼んだのである。
 2. 神々の後、半神の類が1255年間支配した。彼らの後、別の王たちが1817年間[国を]支配した。彼らの後、メムピス出身の30人の王たちが1790年間[支配した]。
 3. それからまたティニス出身の別の10人の王たちが350年間支配した。それからまた霊たちと半神たちが王となった、5813年間である。これらすべての期間の総計は11000年、これは太陰年つまり月数である。
 4. アイギュプトス人たちが神々、半神たち、霊たちにに割り当てる年代の総計は、24900太陰年 — これは太陽年2206年に等しい。
 5. この数字をヘブライ人たちの年代記とくらべると、ほとんど同じ年数になることを見出すであろう。というのは、アイギュプトスはヘブライ語でメストライムス〔Mizraim〕と呼ばれ、彼は洪水の時代より多年数の後生まれた。ノアの息子ハムがメストライムスの父になったのは洪水の後の時代で、これ〔メストライムス〕はアイギュプトスとも呼ばれた。そして、人類が地上に散らばったとき、メストライムスはアイギュプトスに住むため出発した。ヘブライ人たちによると、アダムから洪水まで合計2242年間であった。
 6. 洪水に先立つ時代、その古さはアイギュプトス人たちに自慢させるがよい。彼らは言う、自分たちは何人かの神々を、半神たちを、霊たちを有したと。ヘブライ人たちによって記録された年数が月数に換算されれば、その合計は2万太陰年以上、したがって、最初に生まれた人間からメストライムスまでを数えれば、ヘブライ人たちによって記録された年数に含まれるとほぼ同じ数の月数があることになる。メストライムスはアイギュプトス人たちの始祖であり、アイギュプトスの第一王朝は彼の血を引く。
 7. しかしながら、たとえそうだとしても、見出される年数はあまりに大きすぎるので、その理由は次のように考えるべきである。おそらく、同じ時代に、多数の王たちがいたのだ。彼らの言では、その何人かはティニスの王たち、何人かはメムピスの、何人かはサイスの、何人かはアエティオピアの王たちであった。さらに他の場所には他の王たちがいたと。そして、どうやら、これらの諸王朝は、それぞれ固有のnomo(?)で支配したらしく、彼らが次々と支配を継承したとはありそうにもないことである。むしろ、彼らの何人かはある場所で支配し、他の者は他の場所で支配したのである。それゆえ、年数の増加はそういうふうに説明され得る。しかし、この問題は後にして、アイギュプトス人たちの年代記の詳細に進もう。〔Fr. 7(b)に続く〕

"t2".1
MANETHO PANODORI

2.1
Syncellus, p. 73:
 1. その後で、アイギュプトスの30の王朝における5つの部族 — 彼らの間におけるいわゆる神々、半神たち、死者たち、死すべき者たち — についても彼〔sc. マネトーン〕は歴史記録しており、パムピロスの子エウセビオスも、その『年代記』の中でこれに言及して、次のように謂っている。
 2. 「アイギュプトス人たちは、神々、半神たち、彼らの間における死者たちや他の死すべき王たちについて、おびただしい馬鹿げた神話を語っている。というのは、彼らの間における最古の〔王たち〕は、30日からなる太陰年が1年であると謂ったが、彼らの後を継いだ半神たちは、3ヵ月を1年としてホーロイ(w|roi)〔w|roVの複数形〕と呼んだのだ」。
 3. 以上は、エウセビオスが、彼らの莫迦さ加減を批判して叙述したのだが、その言やよしであった。わたしが思うに、パノドーロスがこの〔エウセビオス〕を非難して、次のように言っているのは美しくない。つまり、彼〔エウセビオス〕は〔歴史〕著述家たちの考案を解明しそこなったが、自分はかなり斬新な方法で訂正したように思って〔次のように〕言うのである。
 4. 「アダムの創造からエノークまで、つまり、一般的な世界年の1282年間、日々の数は月でも1年でも認識されておらず、覚醒者たち(ejgrhvgoroi)が、一般的世界年の1千年に下降してきて、人類と交わった結果、12獣帯の2つの発光体の軌道が、360の部分から成ることを彼らは教え、地球により近く、より小さく、より明るい、30日周期の月の軌道を観察して、1年として数えるよう託宣した。その所以は、太陽の軌道も、360という等しい数の部分をもった同じ12獣帯で満たされているからであった。こうして、彼らの間で王支配する神々の王支配は、6世代、6王朝の間、彼らの間では、30日の太陰月からからなる周期年で数えられることとなったのである。この太陰年は、合計すると、11985年、太陽年では969年である。これに、彼らの王支配以前の太陽年1058年が合算されて、総計2027年が導き出される」。
 同様にして、9人の半神たちの2つの王朝 — これらはけっして実在しなかったにもかかわらず、実在したかのように思われている — に対しても、858ホーロイ、あるいはトロポイから、214+1/2年を確立することに懸命になり、その結果、969年、つまり1183+1/2年になると彼〔パノドーロス〕は謂う。そして、アダムから神々の王支配に至るまでの1058年が合計されると、洪水まで2242年が出てくるというのである。
 5. 以上が、神に反した、また、神の霊感をうけた〔聖〕書に反したアイギュプトスの著書が、それ〔聖書〕と一致することを示すべく、パノドーロスが奮闘しているところであり、彼はエウセビオスを非難するのであるが、自分の議論が証明にも計算にも堪えられず、自分自身にも真理に反していることが証明されていることがわかっていないのである。……バビュローンとかカルデアとかは、洪水以前に王支配されたことはないし、アイギュプトスも、メストレム以前に王支配されたことはないし、居住さえしていなかったとさえわたしは思うのである。

3.1
Syncellus
3."2t"
アイギュプトス人たちの古代史について
3.3
Syncellus, p. 32:
 アイギュプトスにある汚れた神殿の大祭司、セベンニュトスのマネトーは、ベーローッソスの後、プトレマイオス・ピラデルポス〔在位、前283-246〕の時代に生まれ、同プトレマイオスのために書いたが、ベーローッソス同様、彼自身も偽りを述べている — 6つの王朝と、けっして実在しなかった7神について、彼の謂うには、11985年が経過したというのである。その初代の神はヘーパイストスで、9000年間王支配した。なお、この9000年を、当代の歴史家たちの幾人かは、太陰月として計算し、同9000月を1年365日の日数で割って、727+3/4年を導き出し、いささか奇妙な点を修正できたと思ったのだが、しかし虚偽と真実を結びつける滑稽を演じているとむしろ云うべきである。

アイギュプトス人たちの最初の王朝

 1. ヘーパイストスが王支配した、期間727+3/4年。
 2. ヘーパイストスの子ヘーリオス〔太陽〕、80+1/6年。
 3. アガトダイモーン、56+7/12年。
 4. クロノス、40+2/1年。
 5. オシリスとイシス、35年。
 6. テュポーン、29年。〔合計、969年〕
〔半神たちの時代〕
 7. 半神オーロス、25年。
 8. 半神アレース、23年。
 9. 半神アヌゥビス、17年。
 10. 半神ヘーラクレース、15年。
 11. 半神アポッローン、25年。
 12. 半神アムモーン、30年。
 13. 半神ティトエース、27年。
 14. 半神ソーソス、32年。
 15. 半神ゼウス、20年。〔合計、214年〕
〔合計、1183年。Fr. 2参照〕

4.1
Excerpta Latina Barbari (Schöne, p. 215):
 エジプトの王国に、われわれは最古の王国を有し、その初めを、マネトによって与えられるとおり、記録する気にさせられる。最初に、神々の統治を、エジプト人たちによって記録されているとおり、次のように置こう。一部の人たちは言う、神ヘーパイストスがエジプトにおいて680年間統治したと。彼の後に、ヘーパイストスの息子ソール[ヘーリオス、太陽]が77年間。次いで、ソシノシリス[ソーシスとオシリス]が320年間。それから支配者オルスが、28年間。そして彼の後にテュポンが、1550年間。
 次いで、半神たちの統治が来るが、次のごとくである。初めに、アヌビスが83年間。彼の後にアムシスが、一部の人たちの言うには、王であった。彼について、エジプト史を著した文法学者アピオーンは、彼はアルゴス建設の際に王であったイナコスの時代に生きていたと説明する……〔アムシスの〕統治期間67年。
 I. この後、彼〔マネトーン〕は、死者の霊である王たちをまた半神と呼んで数え上げる……統治すること2100年、彼は彼らを「非常な勇者」と呼ぶ。
 II. ミネウスとその7人の後裔、253年間。
 III. ボックスと他の8人の王たち、302年間。
 IV. ネケロケウスと他の7人の王たち、214年間。
 V. 同様に他の17人の王たち、277年間。
 VI. 同様に他の21人の王たち、258年間。
 VII. オトイと他の7人の王たち、203年間。
 VIII. 同様に他の14人の王たち、140年間。
 IX. 同様に他の12人の王たち、409年間。
 X. 同様に他の7人の王たち、204年間。
 ここにマネトーンの第1巻が終わり、含むのは2100年である。
 XI. ディオスポリスの王たちの王朝、60年間。
 XII. ブバストゥスの王たちの王朝、153年間。
 XIII. タニスの王たちの王朝、184年間。
 XIV. セベンニュトゥスの王たちの王朝、224年間。
 XV. メムピスの王たちの王朝、318年間。
 XVI. ヘリオポリスの王たちの王朝、221年間。
 XVII. ヘルムポリスの王たちの王朝、260年間。
 第2巻には、第17王朝までの記録が続く、含まれるのは1520年間。以上がエジプトの王朝である。

"5a".1
Malalas, Chronographia, p. 25 (Migne, Patrologia Graeca, Vol. 97).:
 これらアイギュプトスの古い原初の王支配は、マネトーンが記録している。彼のこの著書の中には、5つの惑星の名称が別様に言われていることが含まれている。すなわち、いわゆるクロノス〔土星〕は光る星(lavmpwn)、ゼウス〔木星〕は輝く星(faevqwn)アレオス〔火星〕は火のような星(purwvdhV)、アプロディーテー〔金星〕は最美な星(kavllistoV)、ヘルメースの星はきらめく星(stivlbwn)と呼ぶことを彼らは習いとしていた。このことは後に最高の知者ソータテースが説明した。
"5b".1
Idem., p. 59:
 アイギュプトス人たちを王支配した初代の王は、ノーエの息子カムの部族出身、ナラコーとも呼ばれたファラオである。ところで、この〔王〕以前の、アイギュプトスの古代の王支配は、先に述べられたとおり、最高の知者マネトーンが説明している。
"5c"."t"
(VETUS QUOD DICUNT CHRONICON.)
"5c".1
Syncellus Chronic.:
 アイギュプトス人たちの間にはかなり古い年代史が伝えられており、これにマネトーンも惑わされたのだとわたしはおもう。その内容は、〔未訳〕

"5c".10
 ヘーパイストの時代、夜昼通じて彼が現れることはない。
 ヘーパイストの子ヘーリオスが王支配すること3万年。
 その後、彼の謂うには、クロノスと自余のすべての神々12神が王支配すること3984年。
 その後、8人の半神の王たち、217年。
 そして彼らの後にキュニコスの環の15世代が、443年を記録した。
 次いで、タニス人の第16王朝、8世代、190年。
 これに加えてメムピスの第17王朝、4世代、103年。
 彼らの後、メムピスの第18王朝、14世代、348年。
 その後、ディオスポリスの第19王朝、5世代、191年。
 次いで、ディオスポリスの第20王朝、8世代、228年。
 その後、タニスの第21王朝、6世代、121年。
 次いで、タニスの第22王朝、3世代、48年。
 その後、ディオスポリスの第23王朝、2世代、19人。
 次いで、サイスの第24王朝、3世代、44年。
 これらに加えて、アイティオピア人たちの第25王朝、3世代、44年。
 彼らの後、メムピスの第26王朝、7世代、177年。
 そして第26王朝の後、[アイギュプトス人たちの第27王朝は]ペルシアの5人の王たちからなる、124年。
 その後、タニスの第29王朝、**世代、39年。
 そして第30王朝に、1人のタニス人の王朝、18年。
 これら30王朝全体の合計は、36525年。
〔以下、未訳〕

"t6-75".1
死すべき者らの諸王朝(DYNASTIAE MORTALIUM)
アフリカヌスとエウセビオスとによる(SECUNDUM AFRICANUM ET EUSEBIUM)

6.1
Syncellus, p. 99.
 メストライムからネクタナボーに至るアイギュプトスの諸王朝の年代〔の知識〕は、年代研究に従事する者たちにとって大いに必要であり、しかしながら、キリスト教の歴史家たちによってマネトーンから把握された〔研究〕そのものは、その名称、王位の年代の長さにおいて、イオーセーフ〔ヨセフ〕がアイギュプトスを嚮導し、また、彼の後、見神者モーウセースが、アイギュプトスからのイスラエールの脱出を導いたのは、彼ら〔王たち〕の誰の治世下であったかについて、一致しないまま伝えられているので、最も顕著な2つの刊本 — わたしが謂うのは、アフリカヌスのそれと、彼の後では、パムピロスの子と呼ばれるエウセビオスのそれである — を抜粋し、これを互いに並置する必要があるとわたしは思った。そうすれば、正しく適用することで、〔聖〕書の真理に近い見解をひとは会得できよう。ただし、何よりも次のことを正確に知っておくならば — つまり、アフリカヌスは、アダムから洪水に至るまでの期間に20年を付け加え、2242年ではなく2262年であるように企てたが、これは美しいこととは思われない。これに対してエウセビオスの方は、2242年を充てたのは、健全であり、〔聖〕書に一致しているということである。
 しかしながら、両者とも間違っているのは、洪水からアブラアムとモーウセースに至るまでの年数において、アルパクサドの子カイナーン2世 — 神的な伝道者ルゥカの中でアダムからの血統で第13代目 — の年数を、1世代にしても、130年としたことである。もちろん、アフリカヌスは、アダムと洪水の間に彼によって付け加えられた20年によってこれを先取りしたため、カイナーンとその後裔には110年が残されるだけになった。それゆえ、アブラアムの第1年までをも、3202年を充てた。他方、エウセビオスの方は、130年を完全に省略したため、アブラアムの第1年までは3184年を与えたのである。

6."t30"
第1王朝(PRIMA DYNASTIA.)
6."t31"
アフリカヌスによる
6.32
 [洪水後]アイギュプトスの諸王朝について、アフリカヌスはこう謂う。
 1. 死者たちの後、最初の王家は8人の王たちの半神を数える、このうち最初の者がティニス人メーネースで、王支配すること62年。彼はカバによって連れ去られ、亡くなった。
 2. その息子アトーティス、57年間。メムピスに王宮を建てた人物。彼の解剖学書が伝存する。彼は医者であった。
 3. その息子ケンケネース、31年間。
 4. その息子ウゥエネペース、23年間。彼の治世下に大飢饉がアイギュプトスを見舞った。この人物はコーコーメーの近くにピラミッド〔複数〕を築いた。
 5. その息子ウゥサパイドス、20年間。
 6. その息子ミエビドス、26年間。
 7. その息子セメムプセース18年間。彼の治世下に最大の破滅がアイギュプトスを見舞った。
 8. その息子ビエーネケース、26年間。
 合計、253年。
 第1王朝のことは、エウセビオスもアフリカヌスと同様に述べている。

7."t"
エウセビオスによる
7a.1
Syncellus, p. 102.:
 [洪水後の]アイギュプトスの諸王朝に関して、エウセビオスはこういう。
 死者たちと半神たちの後、8人の王たちからなる第1王朝を〔アイギュプトス人たちは〕数え上げる。ここにメーネースが属し、彼らに対する彼の嚮導にはめざましいものがある。おのおのの氏族(gevnoV)出身の王族を枚挙できるのは彼以降のことである。その継承の仕方は以下のとおりである。
 1. ティニスのメーネースとその後裔17(他の書では7)、ヘーロドトスはメーンと名づけた、王支配すること60年間。この人物は国境を越えた遠征をし、輝かしいものと認められたが、カバに連れ去られた。
 2. この人物の息子アトーティスは27年間支配し、メムピスに王宮を建てた、また医術を実践し、解剖学の書を著した。
 3. その息子ケンケネース、39年間。
 4. ウゥネペース、42年間。彼の治世下に飢饉が国土を見舞った、彼はまたコーコーメーの近くにピラミッド〔複数〕を築いた。
 5. ウゥサパエース、20年間。
 6. シエバエース、26年間。
 7. セメンプセース、18年間。彼の治世下に数多の前兆が起こり、最大の破滅が生じた。
 8. ウゥビエンテース、26年間。
 以上の者らが王支配すること252年。

7b.1
Eusebius, Chronica I. (Armenian Version), pp. 94 以下:
 死者たちと半神たちの後、8人の王たちからなる第1王朝を〔アイギュプトス人たちは〕数え上げる。その初代はメーネースで、その王国の支配において好評を博した。彼を最初にして、王統を一人ずつ枚挙してゆこう。その継承の仕方の詳細は以下のとおりである。
 ティニスのメーネース(ヘロドトスはミンと呼ぶ)と彼の7人の末裔。彼は30年間統治し、王国の境界を越えてその軍を進め、その遠征によって好評を博した。彼はカバ神によって連れ去られた。
 その息子、アトティス、王位にあること27年間。彼は自分のためにメムピスに王宮を建て、また医術を実践し、解剖法について本を書いた。
 その息子ケンケネス、39年間。
 ウアウエネピス、42年間。その治世下に飢饉が国土をとらえた。彼はコ市の近くにピラミッド〔複数〕を築いた。
 ウサパイス、20年間。
 ニエバイス、26年間。
 メムプセス、18年間。彼の治世下に多数の前兆と疫病が起こった。
 ウィベンティス、26年間。
 合計、252年。

"7bis"."t"
エラトステネース
"7bis".1
Syncellus Chronogr.:
 I. 最初に王支配したのはティニス人メーネース、永遠なるもの(aijwvnioV)と翻訳される人物である。王支配すること62年間。世界年は2900年。
 II. テーバイ人たちを2番目に王支配したのは、メネースの息子アトーテース、59年間。この人物はヘルモゲネースと翻訳される。世界年は2962年。
 III. テーバイ人たちを3番目に王支配したのはアトーテースと同名の者、32年間。世界年は321年。
 IV. テーバイ人たちを4番目に王支配したのはアトーテースの息子ディオバエース、19年間。この人物は牡牛を愛する者(filovtauroV)と翻訳される。世界年は353年。
 V. テーバイ人たちを5番目に王支配したのは、アトーテースの息子ペムポース(Buns. セムプソース)、ヘーラクレースの息子(+HrakleivdhV)という意味である。

"t8-10".1
第2王朝(SECUNDA DYNASTIA.)

8."t"
アフリカヌスによる
8.1
Syncellus, p. 101. :
 第2王朝はティニスの9人の王たちからなる。  初代はボエートス、38年間。彼の治世下に、ブゥバストスで大きな裂け目(cvsma)が生じ、多くの人々が破滅した。
 2. カイエコース、39年間。彼の治世下に、メンピスのアピス、ヘーリオポリスのムネウイスといった牡牛たちと、メンデスの山羊が神とみなされた。
 3. ビノートリス、47年間。彼の治世下に、女たちは王の役職を得るよう定められた。
 4. トラス、17年間。
 5. セテネース、41年間。
 6. カイレース、17年間。
 7. ネペルケレース、25年間。彼の治世下に、ナイル河は蜂蜜が混じって11日間流れたと神話されている。
 8. セソークリス、48年間。彼は背丈5ペーキュス〔肘尺〕、横幅3プラトス〔掌尺〕。
 9. ケネプレース、30年間。
 合計、302年。

 [洪水後]第1王朝と第2王朝との合計は、アフリカヌスの第2版によると、555年。

9."t"
エウセビオスによる
9.1
Syncellus, p. 103.:
 第2王朝は9人の王たちからなる。  初代はボーコス、彼の治世下にブゥバストスで大きな裂け目が生じ、多くの人たちが破滅した。
 彼の後、二代目はコーオス、このとき、アピス、ムネウイス、他にはメンデスの山羊も、神とみなされた。
 3. ビオピス、彼の治世下に、女たちが王の役職を得るよう定められた。そして彼らの後、別の3人が続いたが、彼らの治世下に目立ったことは何もなかった。
 7. 7代目の治世下には、ナイル河は蜂蜜が混じって11日間流れたと神話されている。
 8. 彼に次いで、セソークリスが、48年間。この人物は背丈5ペーキュス、横幅3プラトスの大きさだったと言われている。
 9. 9代目の治世下には、言及に値することは何もなかった。
 これらの王たちの統治期間297年。

 第1王朝と第2王朝の合計は、エウセビオスの版によれば、546年。

10."t"
エウセビオスのアルメニア語版
10.1
Eusebius, Chronica I. (Armenian Version), p. 96.:
 第2王朝は9人の王たちからなる。
 初代はボコス、彼の治世下に、ブバストスで巨大な穴があき、多数の人々を呑みこんだ。
 彼の跡を継いだのはケコウス、彼の治世下に、アピス、ムネウィス、メンデスの山羊が神として崇拝された。
 次いでビオピス、彼の治世下に、女もまた貴族の役職を得るよう法定された。
 跡を継いだ3人の王たちの治世下には、目立った出来事は起こらなかった。
 第7代目の王の治世下に、ナイル河に蜂蜜が、11日間、水と同様に流れたと神話作家たちは言う。
 次いで、セソクリスが48年間支配した。彼は背丈が5ペーキュス、横幅3プラトスの大きさだったと言われる。
 結局、9人の王たちのもとでは、記録に値することは起こらなかった。
 これらの王たちの統治期間は297年。

"t11-13".1

第3王朝(TERTIA DYNASTIA.)

11.1
Syncellus, p. 104.:
11."2t"
アフリカヌスから
11.3
 第3王朝はメンピスの9人の王たちからなる。
 1. そのうちネケローペース、28年間。彼の治世下に、リビュア人たちがアイギュプトス人たちに対して反乱を起こしたが、月が常軌を逸して満ちたので、恐怖のあまり降伏した。
 2. トソルトロス、29年間。<彼の治世下にイモウテースがいた>。この人物は、その医術によって、アイギュプトス人たちの間ではアスクレーピオスとみなされた、また、切り出された石で家を建てる術を発明したばかりか、彼はまた書くことにも専念した。
 3. テュリス、7年間。
 4. メソークリス、17年間。
 5. ソーイピス、16年間。
 6. トセルタシス、19年間。
 7. アケース、42年間。
 8. セープゥリス、30年間。
 9. ケルペレース、26年間。
 合計、214年。
 最初の3王朝の合計は、アフリカヌスによれば、769年。

12."t"
エウセビオスによる
12(a)
Syncellus, p. 106.:  第3王朝は、メムピスの8人の王たちからなる。
 1. ネケローキス、彼の治世下にリビュア人たちがアイギュプトス人たちに対して反乱を起こしたが、月が常軌を逸して満ちたので、恐怖のあまり降伏した。  2. 彼の後セソルトス、……この人物は、その医術によって、アイギュプトス人たちの間ではアスクレーピオスと呼ばれた。彼はまた、切り出した石で家を建てる法を発明したばかりか、書くことにも専念した。
 残りの6人の王たちは言及に値することは何もしなかった。
 彼らが王支配したのは198年間。
 3つの王朝の合計は、エウセビオスによれば、747年である。

12(b)
Eusebius, Chronica I. (Armenian Version), p. 96.:
 第3王朝はメムピスの8人の王たちからなる。  ネケロキス、彼の治世下にリビュア人たちがエジプト人たちに対して反乱を起こした。やがて、月が途方もなく満ちたので、彼らは恐れて、帰順した。
 次に来たのがソソルトゥス……。この人物は、その医術ゆえに、エジプト人たちの間でアスクラピウスと呼ばれた。彼はまた切り出された石で家を建てる法を発明した。かてて加えて、彼は本を書くことに専念した。
 残りの6人の王たちは、言及に値することは何もしていない。全王朝の統治期間は197年になる。

13."t"
エラトステネース。VI_XIV.
13.1
Syncellus:
 VI. テーバイのアイギュプトス人たちを6番目に王支配したのは、メムピス人toigaravmacoVモムケイル、〔統治期間〕79年。この人物は人の余分な手足を持ったものと翻訳される。世界年では3500年。
 VII. テーバイのアイギュプトス人たちを7番目に王支配したのは、彼の息子ストイコス、非情なアレースの意、6年間。世界年は3169年。
 VIII. テーバイのアイギュプトス人たちを8番目に王支配したのはゴソルミエース、aijthsipantvV〔万人に愛される者〕の意、30年間。世界年は3175年。
 IX. テーバイのアイギュプトス人たちを9番目に王支配したのは、彼の息子マレース、ヘーリオドーロスの意、26年間。世界年は3205年。
 X. テーバイのアイギュプトス人たちを十番目に王支配したのはアノーイピス、お祭り騒ぎの好き者の意、20年間。世界年は3231年。
 XI. テーバイのアイギュプトス人たちを11番目に王支配したのはシリオス、処女の息子のい、だが他の人たちによれば邪視に損なわれぬ者の意、18年間。世界年は3251年。
 XII. テーバイのアイギュプトス人たちを12番目に支配したのはクヌゥボス・グネウロス、クリュソスの息子クリュセースの意、22年間。世界年は3269年。  XIII. テーバイのアイギュプトス人たちを13番目に王支配したのは、ラウオーシス、ajrcikravthrの意、13年間。世界年は3291年。
 XIV. テーバイのアイギュプトス人たちを14番目に王支配したのはビユレース、10年間。世界年は3304年。

"t14-17".1
第4王朝(QUARTA DYNASTIA.)
14."t"
アフリカヌスによる
14.1
Syncellus, p. 105.:
 第4王朝。メムピスの別の王統に続する王たち8人からなる。
 1. ソーリス、29年間。
 2. ソゥピス[1世]、63年間。この人物は最大のピラミッドを築いたが、ヘーロドトスはこの〔ピラミッド〕はクセオプスによってつくられたと謂っている〔II, 124〕。この人物はまた神々を蔑ろにする者となり、また、聖なる書を著した。この書は大いに有用なので、アイギュプトスに行ったとき、わたしはこれを入手した。
 3. ソゥピス[2世]、66年間。
 4. メンケレース、63年間。
 5. ラトイセース、25年間。
 6. ビケリス、22年間。
 7. セベルケレース、7年間。
 8. タムプティス、9年間。
 合計、277年。
 洪水後4王朝の合計は、アフリカヌスによれば、1046年である。

15."t"
エウセビオスによる
15.1
Syncellus, p. 106.:
 第4王朝は、メムピスの別の王統をなす17人の王たちからなる。
 そのうち3代目はソゥピス、最大のピラミッドを築いた人物で、ヘーロドトスはこれはクセオプスによってつくられたと謂う、この人物はまた神々を蔑ろにする者となったが、彼は悔い改めて、聖なる書を著した。アイギュプトス人たちはこれを大いに有用な書として扱っている。
 そのほかの王たちことは、何ら言及に値することは記録されていない。
 彼らが王支配したの448年間。
 洪水後の最初の4王朝の合計は、エウセビオスによれば、1195年である。

16."t"
エウセビオスのアルメニア語版
16.1
Eusebius, Chronica I. (Armenian Version), p. 97.:
 第4王朝は、別の王統に属するメムピスの17人の王たちからなる。そのうち3代目スピスは、最大のピラミッドの建設者であるが、ヘーロドトスは、これはケオプスによって建てられたという。スピスは神々に対して傲慢な振る舞いをしたが、その後悔い改めて、聖なる書を著した。エジプト人たちはこの中に大いなる宝を保有していると信じている。残りの王たちは、言及に値するような歴史記録を残していない。全王朝の統治期間は448年になる。

17."t"
エラトステネース17.1
Syncellus Chron.:
 XV. テーバイのアイギュプトス人たちを15番目に王支配したのはサオーピス、kwmasthvV、何人かの人たちによるとcrhmativsthV、29年間。世界年は3314年。
 XVI. テーバイ人たちを16番目に王支配したのはサオーピス2世、27年間。世界年は3343年。
 XVII. テーバイ人たちを17番目に王支配したのはモスケレース、hJliovdotoV、31年間。世界年は3370年。
 XVIII. テーバイ人たちを18番目に王支配したのはモステース、33年間。世界年は3401年。
 XIX. テーバイ人たちを19番目に王支配したのはパムメース、ajrcondhvV、35年間。世界年は3434年。

"18-19".1
第5王朝(QUINTA DYNASTIA.)

18."t"
アフリカヌスによる
18.1
Syncellus, P. 107.:
 第5王朝はエレパンティネーの8人の王たちからなる。
 1. ウゥセルケレース、28年間。
 2. セプレース、13年間。
 3. ネペルケレース、20年間。
 4. シシレース、7年間。
 5. ケレース、20年間。
 6. ラトゥレース、44年間。
 7. メンケレース、9年間。
 8. タンケレース、44年間。
 9. オンノス、33年間。
 合計、248年。
 先に配置された4つの王朝の1046年とあわせて、1294年になる。

19."t"
エウセビオスによる
19.1
Syncellus, p. 109.:
 第5王朝は、エレパンティネーの31年の王たちからなる。その初代はオトエース。この人物は槍持ちたちによって暗殺された。
 第4代プシオープスは、6歳で初めて王位に就き、100歳まで王支配した。こうして、先に配置された4つの王朝の1195年とあわせて、1295年になる。

"t20-22".1
第6王朝(SEXTA DYNASTIA.)

20."t"
アフリカヌスによる
20.1
Syncellus, p. 108.:
 第6王朝はメムピスの6人の王たちからなる。
 1. オトエース、30年間。彼は槍持ちたちに暗殺された。
 2. ピオス、53年間。
 3. メトゥウスゥピス、7年間。
 4. ピオープス、6歳で王支配を始め、100歳まで続けた。
 5. メンテスゥピス、1年間。
 6. ニトークリス、彼女の同時代人の中で最も高貴で器量よし、金髪色白であった、彼女は第3ピラミッドを建てた、12年間王支配した。
 合計、203年。先立つ5王朝の1294年とあわせて、1497年になる。

21."t"
エウセビオスによる
21(a)
Syncellus, p. 109.:
 第6王朝。
 女王ニトークリスが王支配した、彼女の同時代の人たちの中で最も高貴にして器量よし、髪の色は金髪で、彼女は第3ピラミッドを建設したと言われる。
 これらの支配者たちは3年間王支配した。他の書では203年間。
 先に配置された最初の5王朝1295年とあわせて、合計1498年。

 シュンケッルスの付言:注目すべきは、エウセビオスはアフリカヌスとほとんど同じ言い廻しで書き表しながら、王たちの人数、名前の省略、諸々の年代において、アフリカヌスよりも精確さに欠けるということである。

21(b)
Eusebius, Chronica I. (Armenian Version), p. 97.:
 第6王朝。女王ニトクリスは、同時代のどんな男たちよりも勇敢にして、どんな女たちよりも美しく、赤い頬に色白の女性であった。彼女によって、山のように見える第3ピラミッドが築かれたという。
 すべての王たちの統治は合計203年である。

22."t"
エラトステネース
22.1
Syncellus Chronogr.:
 XX. テーバイ人たちを20番目に王支配したのはアパップゥス、大王。この人物は、言い伝えられるところでは、100年に1ホーラだけ満たぬ期間王支配したという。世界年は3469年。
 XXI. テーバイ人たちを21番目に王支配したのはエケスコソカラ、1年間。世界年は3569年。
 XXII. テーバイ人たちを22番目に王支配したのはニトークリス、男の代わりに女で、意味は勝利をもたらすアテーナ、6年間。世界年は3570年。

"t23-24"
第7王朝(DYNASTIA SEPTIMA.)

23."t"
アフリカヌスによる
23.1
Syncellus, p. 108.:
 第7王朝はメムピスの70人の王たちからなり、彼らは70日間王支配した。

24."t"
エウセビオスによる
24(a)
Syncellus, p. 109.:
 第7王朝はメムピスの5人の王たちからなり、彼らは75日間王支配した。

24(b)
Eusebius, Chronica I. (Armenian Version), p. 97.:
 第7王朝はメムピスの5人の王たちからなり、彼らは75年間支配した。

"t25-26".1
第8王朝(OCTAVA DYNASTIA.)

25."t"
アフリカヌスによる
25.1
Syncellus, p. 108.:
 第8王朝はメムピスの王たち27人からなる。彼らの王支配は146年間。先に配置された統治期間とあわせて、8つの王朝の統治期間は1639年である。

26(a)."t"
エウセビオスによる
26(a)
Syncellus, p. 110.:
 第8王朝はメムピスの5人の王たちからなり、彼らの王支配は100年間である。先に配置された統治期間とあわせて、8つの王朝の統治期間は1598年間である。
26(b)
Eusebius, Chronica I. (Armenian Version), p. 97.:
 第8王朝はメムピスの5人の王たちからなり、その支配は100年間続いた。

"t27-28".1
第9王朝(NONA DYNASTIA.)
27."t"

アフリカヌスによる
27.1
Syncellus, p. 110.:
 第9王朝は、ヘーラクレオポリスの19人の王たちからなり、彼らが王支配すること409年である。そのうち初代は、アクトエース、彼以前の者たちのなかで最も恐るべき人物で、全アイギュプトスの人たちに災悪をもたらし、後には彼は狂気に陥り、ワニによって御陀仏となった。

28."t"
エウセビオスによる
28a
Syncellus, p. 111.:
 第9王朝は、ヘーラクレオポリスの4人の王たちからなり、彼らが王支配すること100年である。そのうち初代はアクトーエースで、彼以前の王たちの中で最も恐るべき人物で、全アイギュプトスにある人たちに災悪をもたらし、後には狂気に陥り、ワニによって御陀仏となった。
28b
Eusebius, Chronica I. (Armeinian Version), p. 97.:
 第9王朝は、ヘラクレオポリスの4人の王たちからなり、統治すること100年である。その初代は、オクトイスで、その祖先すべてよりも残忍な人物で、全エジプトを災いが襲った。結局、彼は狂気に陥り、ワニに呑みこまれた。

"t29-30".1
第10王朝(DECIMA DYNASTIS.)

29."t"
アフリカヌスによる
29.1
Syncellus, p. 110.:
 第10王朝はヘーラクレオポリスの19人の王たちからなり、彼らが王支配すること185年である。

30."t"
エウセビオスによる
30a
Syncellus, p. 112.:
 第10王朝は、ヘラクレオポリスの19人の王たちからなり、統治すること185年。
30b
Eusebius, Chronica I. (Armenian Version), p. 97.:
 第10王朝は、ヘラクレオポリスの19人の王たちからなり、統治すること185年。

"t31-33".1
第11王朝(UNDECIMA DYNASTIA.)

31."t"
アフリカヌスによる
31.1
Syncellus, p. 110.:
 第11王朝はディオスポリス[またはテーベ]の16人の王たちからなり、統治すること43年間である。これらの後、アムメネメースが、16年間。
 ここでマネトーンは第1巻を終わる。
 合計、王の数192人、統治期間2300年と70日。

32."t"
エウセビオスによる
32a
Syncellus, p. 112.:
 第11王朝はディオスポリス[またはテーベ]の16人の王たちからなり、統治すること43年間である。彼らの後、アムメネメースが、16年間。
 ここにマネトーの第1巻が終わる。
 合計、192人の王たち、2300年と79日間である。
32b
Eusebiusu, Chronica I. (Armenian Version), p. 97.:
 第11王朝はディオスポリス[またはテーベ]の16人の王たちからなり、統治すること43年。彼らの後、アムメネメースが、16年間統治した。
 ここにマネトーの第1巻が終わる。
 合計、192人の王たち、統治すること2300年である。

33."1t"
エラトステネース
33."2t"
第VII王朝_第XI王朝
33.1
Syncellus:
 XXIII. テーバイ人たちを23番目に王支配したのは、ミュルタイオス、アムモーノドトス、22年間。世界年は3576年。
 XXIV. テーバイ人たちを24番目に王支配したのはテューシマレース、krataiovV、これは太陽の意である、12年間。世界年は3598年。
 XXV. テーバイ人たちを25番目に王支配したのはセティニロス、祖国を拡大した力の意、8年間。世界年は3610年。
 XXVI. テーバイ人たちを26番目に王支配したのはセムプロゥクラテース、18年間。世界年は3618年。
 XXVII. テーバイ人たちを27番目に王支配したのはクゥテール・タウロス、僭主、7年間。世界年は3636年。
 XXVIII. テーバイ人たちを28番目に王支配したのはメウレース、filovskoroV、12年間。世界年は3643年。
 XXIX. テーバイ人たちを29番目に王支配したのはコーマエプタ、kovsmoV filhvfaistoV、11年間。世界年は3655年。
 XXX. テーバイ人たちを30番目に王支配したのはソイクゥニオス、oJcotuvrannoV、60年間。世界年は3666年。  XXXI. テーバイ人たちを31番目に王支配したのはペテアテュレース、16年間。世界年は3726年。


forward.gif『アイギュプトス史』第2巻