神代地誌

ケオスのシモーニデース



[略伝]

抒情詩人のシモーニデースとは別人である。





生涯と作品

T1
SUID.「ケオス人シモーニデース」の項。
 前代の幾人かによれば、〔抒情詩人(556/5-469/8)の〕娘の息子〔孫息子〕で、メリケルテースと呼ばれた。生まれたのは、ペロポンネーソス戦争(432/1)の前。『系譜論』3巻を書いた。『発明品』3巻。


断片集

『系譜論』1巻-3巻

F1
ET. M. p.479, 47 (TZETZ. Lyk. 355):
 アテーナは、テッサリア人たちの間ではイトーニス、またイトーニアとも述べられている。イトーンというある都市に由来する。系譜論者シモーニデースの謂うところでは、イトーンには娘が二人あり、アテーナとイオダマであるが、彼女らはお互いに重装備の武芸の稽古を使用として、イオダマがアテーナに〔誤って〕殺されたという。

F2
SCHOL. APOLL. RHOD. II 866「アンカイオスをば……イムブラソスの流れのほとりでアステュパライアはポセイドーンのために生んだ」。
 つまり、ポセイドーンと、ポイニクスの娘アステュパライアとの子がサモス人アンカイオスであり、ティーピュス亡き後、船〔アルゴー号〕を操舵した人物であるということ、系譜論者シモーニデースもアポッローニオスと同様に系譜を語っている。

『発明品について』第1巻-第3巻



不確実断片と疑わしいもの

F3
SCHOL. APOLL. RHOD. I 763:「ミニュアースの裔プリクソス」。
 イオールコス人はミニュアースの裔である。というのは、ミニュアース人〔下註〕はイオールコスに居住したと、シモーニデースが『混合論』の中で謂っているからである。さらにオルコメノス人の代わりにもなりうる。というのは、多くの人たちが、アタマースはオルコメノスに住んだと謂っているからである。
 〔ミニュアース人(Minuvai)
 先史時代のポイオーティアのオルコメノス市を中心とし,ミニュアースを祖とする民族。彼らはイアーソーンの市たるテッサリアのイオールコスIolkosをも領有し,この他にもペロポネーソスのエーリスElis,トリビューリアTripbylia,エーゲ海上のテーラTbera島,レームノス島(アルゴナウテースたちの遠征の項を見よ)にもミニュアース人を祖とする民族があった.アルゴナウテースたちもミニュアース人と呼ばれ,それは彼らが大部分ミニュアースの娘たちの子孫であったからだといわれているが,伝存のアルゴナウテースたちのリストはこれに反する。しかしこの物語の古い形ではおそらくそうであったのであって,のちにこの冒険に当時の英雄のすべての者が加わったごとくに改められたものであろう。
 (『ギリシア・ローマ神話辞典』)〕

F4
Aetios IV 1, 86 Cornar:
 3 F 173参照。

2007.10.18. 訳了。


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