第23弁論
[解説]アリストテレスの『アテナイ人の国制』第49章に、次の記述がある。 「評議会はまた働けぬ者(adynatos)を審査する。3ムナ以下の財産しかなく、身体が不具で、何ら仕事のできぬ者は、評議会が審査して、国家から各自に扶養料として毎日2オボロスを与えるよう法律に規定されているから。そして、かかる人々のための財務官は抽選で選ばれる」。 ここで、われわれは、働けぬ者の資格審査は、評議会で行われたことを知ることができる。第24弁論は、その資格審査において、(1)馬に乗っていること、(2)商売をして豊かに暮らしていることを理由に、扶養料の差し止めを要求した者に対して、当該の身体障害者が反論を加えたものである。アリストテレスには、扶養料は2オボロスとあるが、4世紀の初め、支給額はまだ一日1オボロスであったことが知れる。 それにしても、この時代に、身体障害者に対する国家による保障制度があったことは、充分に驚きに価する。しかし、これを近・現代の社会福祉の考えと直結するのは、大いに危険である。近・現代の社会福祉思想の前提にあるのは、資本主義体制と、貧困はこれに必然的に伴う現象だとする認識である。言ってみれば、資本主義と社会福祉思想とは、同じ一つのものの両面にすぎない。 古代のアテナイにおいては、ポリス市民団は一つの戦士集団にほかならなかったから、戦闘中の負傷によって働けなくなった者たちへの保障は、市民団すなわち国家の当然の義務であった。このような保障制度は、ソロンまたはペイシストラトスの創設によると伝えられている。国家による保障は、国家に身を捧げた者に対する報酬ないしは報徳であった。 これが、一般の働けぬ者たちを含むに至ったのは、ペリクレス以後のことである。その先進性に驚嘆する一方で、アテナイには新生児遺棄が何の抵抗感もなく行われていた事実を見のがしてはならない。アリストテレスも平然と言ってのける。「しかし新生児を捨てるか育てるかということについていうと、障害のある者は育ててならないという法律が定められなければならない」(『政治学』第7巻第16章)。 このような社会にあっての、「働けぬ者」に対する社会保障とは何か? それは、市民団を他と截然と区別するための制度であったと言わなければならない。そして、そこに浮かび上がってくるのが、またもやおびただしい数の奴隷の存在である。市民を奴隷にしてはならぬ――これが、アテナイ民主制の淵源たるソロンの至上命法であった。しかし、そのためにいくら奴隷が存在しようと、あるいは、海外に侵略しようと、それは問題ではなかったのである。 |