title.gifBarbaroi!
back.gif第22弁論


Lysias弁論集



第23弁論

パンクレオンに対して プラタイア人ならざりし件






[解説]



 「市民」を意味するギリシア語には、polites (男性形のみ)という語とともに、astos (男性形)・aste(女性形)という語がある。どちらも、日本語では単に「市民」と訳されているが、ギリシア語では厳密な使い分けがある。すなわち、polites は、言うまでもなく、アテナイ市民の嫡出の男性にして、しかも区の市民名簿に正式に登録された者である。これのみが参政権を有し、したがってpolites には女性形がない。これに対して、astos・asteは、polites よりも広い概念であるが、ここに内包されるのは、アテナイ市民の嫡出の男女に限られる。

 BC 451/450 年、ペリクレスが提案した市民権法が可決され、これによって、それまでは父親がアテナイ人(astos) であれば、母親は必ずしもアテナイ人でなくてもよかったのが、両親ともにアテナイ人(astos/aste)でなければ、市民権に与かり得ぬこととなったのである。このような法案が通過した理由について、種々論じられているが、いずれにしても、このような閉鎖性が、ポリスの一つの特質であったことに間違いはない。

 ポリスは、戦士としての市民の平等社会であって、民主制も、そのためのものでしかなかった。したがって、ポリスは本来、閉鎖的社会なのである。それが、自由・平等という開かれた理念を、みずからの内にかかえこんだ時、ポリスは同時に崩壊の危機を抱えこんだのだといってよい。

 アテナイの最盛期にあって、閉鎖的な市民権法を可決したアテナイ人たちは、まさに最盛期なるがゆえに、ポリス社会の危機を敏感に感じ取っていたのに違いない。以後、彼らは事あるごとに、「一致協力(homonoia 「同心」の意)」を叫び続けなければならなかった。しかし、いかにすれば、あるいは、誰と共闘し、何と敵対すれば、それが可能なのか……。彼らはポリス崩壊の時まで、ついにそれに気づくことはなかった。ポリス(polis) なしには存在し得ない市民(polites) にとっては、ポリスを超えるなど、もともと無理な注文であったと言わなければならない。

 彼らが共同意識の解体に怯えている時、市民社会から疎外され続けた居留民や奴隷たちは、間断なくその市民団に浸透していったのである。

 第23弁論で告発されたパンクレオンも、そういう一人であったのだろう。何か別の事由で、居留民としてポレマルコスのもとに提訴されたパンクレオンは、自分はアテナイ市民だから、裁判はポレマルコスの管掌にないと抗弁したのに対し、原告が反論を加えたものである。市民の詐称が明らかとなれば、彼は奴隷として売却されることになろう。

forward.gif第23弁論・本文
back.gifLysias弁論集・目次