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back.gif第33弁論


Lysias弁論集



第34弁論

アテナイにおいて祖国の国家体制を解体してはならないことについて






[解説]



 本弁論は、リュシアスの演説文の佳作として、ハリカルナッソスのディオニュシオスによって引用されている。そして、彼は次のような梗概を付している。

 [民主派がペイライエウスから帰還して、市内に留まっていた者たちと和解して、出来事の何をも根に持ってはならぬとする票決をなしたが、大衆が富裕層に対して再び以前の気ままを取り戻して、再び暴行するのではないかという恐れがあり、またこれについて多くの議論が生じた時に、民主派といっしょに帰還した人たちの中でポルミシオスなる者が、亡命者たちを帰還させ、国家体制を全員にではなく、土地所有者たちに引き渡すという考えを提起し、そうなることをラケダイモン人たちも望んだのである。だが、この票決が決定すれば、アテナイ人たちのうちのほとんど五千人が国政から閉め出されることになる。そこで、そんなことが起こらないために、著名人や市民であった人たちの一部のために、リュシアスが次の演説を起草した。はたして、 これがその時述べられたかどうかは、不明である。とにかく論争に対していかにも適切に構成されている]。

 時は、間違いなく、BC 403年の秋である。

 「三十人」派をエレウシスに押しこめ、市内派とペイライエウス派との和解と誓約が成り、悪夢のような8か月の後に、再びアテナイに民主制が回復した。まさにそのような時期に、ポルミシオスなる人物が、参政権を土地所有者に限るべしとの提案を行った。第34弁論は、このポルミシオスの提案に反対する演説草稿である。

 ポルミシオスなる人物は、テラメネスと同じく、寡頭派にしろ民主派にしろ、その両極端を嫌う「父祖の国制を求める」一派に属していた(『アテナイ人の国制』第34章)。しかし、本人の慎重さと幸運に恵まれて、破滅を招来することもなく、ペイライエウスにおいて、ピュレあるいはムニキアから進撃してきた民主派を援助し、これとっしょに市内への帰還をはたした。

 参政権を土地所有者に限るという発想は、参政権を武器の自弁が可能な五千人に限るとした「四百人」寡頭派政権、さらには、参政権を与えると称して三千人を登録した「三十人」独裁政権の発想と隔たるものではない。そのような提案がなされ、真剣に議論されたところに、「大衆(plethos) 」を恐れる気持ちと同時に、戦勝国にして今や宗主国たるスパルタへの気兼ねがいかに強いかをうかがわせる。

 幸運にも、民会は提案を退けるだけの良識を備えていたが、回復民主政権なるものの内実がどのようなものであったかを示しているといえよう。民主派が再び自信を取り戻すには、まだもう少し時間が必要であったのだ。

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