第32弁論
[解説]ギリシア世界の、ありとあらゆる地域から参列者が参集する全ヘラス的祭礼は、次の四つであった。(1)オリュンピア祭、(2)ピュティア祭、(3)イストミア祭、(4)ネメア祭。 この中で、伝統の古さと規模の大きさを誇ったのは、言うまでもなく、オリュンピア祭であった。この祭礼は、四年目ごとの真夏、エリスにあるオリュンピアの野で、主神ゼウスをたたえて開催された。戦争中といえども、この祭礼が行われる年は、休戦が結ばれ(ekecheiria)、祭礼参列者には、旅行中の安全保障が与えられた。ギリシア各地から、体育家や競走馬の所有者が集まり、また、大きな市が開かれた。さらには、その聴衆目当てに、詩人や弁論家たちが、自分の作品を携えてやってきた。 祭礼は、本来、人間が人間にすみないことを自覚し、神を蔑ろにするような暴慢(hybris)を戒めるためのものであった。しかし、祭礼はまた自己目的化しやすい。一定の経典もなく、絶対的権力を有する神官階級も存在しないような社会にあっては、特にそうである。諸々のポリス住民が一堂に会する全ヘラス的祭礼は、現在のオリンピックがそうであるように、同時にポリスの国威掲揚の場でもあった。 アテナイのシケリア遠征を撃退した後、シケリアは今度はカルタゴの進出に脅かされていた。このような窮状に乗じて、シュラクサイに僣主ディオニュソスが立ち(BC 405 ) 、カルタゴをシケリア西部に押しこめるとともに(BC 392)、イタリア半島からアドリア海沿岸へと、東部を窺うようになっていた。そして、第98回オリンピア祭〔BC 388〕には、大使節団を祭礼に乗りこませたという〔Diodoros ho ikeliotes,Bibliotheke Historike, 14_109_)。その前で、リュシアスは、ヘラスは一丸となって、西のディオニュソス、東のペルシア大王を討つべしとぶちあげた。その時の演説の出だしが、この第33弁論である。 ハリカルナッソスのディオニュシオスは、リュシアスの「見せびらかし的」弁論の能力を示す作品として引用し、次のような梗概を付している。 [これは彼による一種の祝祭演説であって、この中で彼は、オリュムピアで大祭が開催された時、ヘラス人たちに向かって、僣主ディオニュシオスを支配から追い出してシケリアを自由にするよう、また、ただちに開戦して、金と真珠、他にも多くの富によって飾られた僣主の宮殿を襲撃するよう説得している。というのは、このディオニュシオスは、大祭のために神に犠牲を捧げる使節を送りこんだが、その使節たちのために、神域の中に豪壮高価な宿舎が立てられたが、それは僣主がヘラスにもっと驚嘆されるためであった。このことを前提にして、彼は論を次のように始めた]。 |