第35話

ハト(peristera)について


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 ヨハネが言ったことであるが、「わたしは見た、天が開け、天から精霊がハトのように降りてきて、あの方の上にとまり、天からの声があって、言った、これはわが最愛の息子、わが心にかなえる子」〔ヨハネ、第1章32。ただし、引用は、マタイ、第3章16の方が合致している〕。

 [数多くのハトについて自然窮理家は告げている。すなわち、ハト飼いなる者たちがいて、ハトの数も多くかつ多色である。椋鳥色、黒様色、黄金色、白無垢色、火炎色]。

 自然窮理家はハトについてこう言った、 — たとえハト全部をハト飼いが放したとしても、ほかのハト飼いの〔ハトは〕それを一羽も導くことも、巣にもどるよう説得することもできない、ただし、火炎色だけは別で、すべてのものを導き、説得する、と。

 父が、キリストの〔この世への〕在留に先立って、万人を生命へと呼ぶためにハトのように遣わされたのは、モーセ、エリヤ、サムエル、エレミヤ、イザヤ、エゼキエル、ダニエル、その他の預言者たちであったが、これらの人たちは誰ひとり、人間たちを命の方へと導く力がなかった。しかし、われらの主イエス・キリストが、天なる父のもとから遣わされるや、ご自身の血で万人を命の方へと導き、おっしゃった。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとに来なさい、わたしがあなたがたを休ませてあげよう」〔マタイ、第11章28〕。

 [娼婦ラハブは、緋色の印を信じ、自分の魂〔生命〕すなわち理性的な緋色のすべてと、自分の家とが救われた〔ヨシュア、第2章〕。また雅歌の中でもソロモンは主張している。「あなたの唇は緋色の糸のよう」〔雅歌、第4章3〕。さらにはマリアも、緋色の布と紫色の布とを織ることを承知したが、それはそうするよう定められたからである。また、マタイによる〔福音〕の中にも、磔柱にかけられんとしたとき、主は緋色のマントを着せられたと書かれており〔マタイ、27章28〕、ヨハネによる〔福音〕の中には、紫色のを着せられたと〔書かれている〕〔ヨハネ、19章2〕が、ここには秘密の意味がある。マタイは、緋色によって肉に対する配剤と解釈したのであり、ヨハネは紫色によって、王国を示した。というのは、王にあらざるかぎり、何びとも紫色をまとえないからである。

 かく美しく、自然窮理家は火炎色のハトについて言った。


第35話 異文1 同じハトたちについて

 自然窮理家はこう言った、 — ハトたちがみないっせいに飛び立つなら、羽音の大合奏を引き起こして、タカといえども、その中の一羽にも近寄れない。しかし、一羽がはぐれたのを見つけたら、やすやすと掠めてこれを食いつくす。

 この話は処女組に解される。一群れになって教会に会しているときは、祈りと讃美歌によって神に唱和し、響きよき聖歌をささげ、彼女たちの反対者たる悪魔といえども、彼女たちのひとりにも近づくことを拒む、彼女たちの祈りと讃美歌とを恐れるあまりにである。しかし、ひとりはぐれたのを見つけたら、やすやすと掠して、これを殺す。されば、ひとは、ただに処女のみならず、キリスト者はみな、神の集会をやめてはならない、邪なる者の獲物とならないためにである。


第35話 異文2 ハトについて

 主はまたこうも主張なさった。「素直なること、ハトのごとくあれ」〔マタイ、第10章16〕。なぜなら、彼女らハトたちは、雛を奪われても、そうした相手に遺恨を残すことなく、再び別の巣づくりに心を砕き、そこで雛を孵し、再び別の雛たちに心を砕くのである。
 そのようにわたしたちも、あらゆることに対して無悪であるように、そうして、奪われても遺恨を残さず、まして撃退することなく、わたしたちを襲うすべての事を、歓びを持って受け容れるようにと〔主は?〕備えられるのである。





 ハトの種類については、第28話の註を参照。
 "peristera"はヘブライ語「ヨーナー」の訳語に当てられる。創世記8章で最初に言及される。ハトの特徴や性質のうち、飛ぶ速さについては詩編55:6に、羽毛の美しさについては詩編68:13に、岩地や谷間にあるその住み家についてはエレミヤ書48:28とエゼキエル書7:16に、悲しげな鳴き声についてはイザヤ書38:14、同59:11、ナホム書2:7に、素直さについてはマタイ福音書10:16に、愚かさについてはホセア書7:11に、愛らしさについては雅歌1:15、同2:14などに、それぞれ言及されている。(『聖書動物大事典』p.149)。

 アイリアノス『自然誌』第4巻2章
 「シケリアのエリュクス市に祭礼がある。これを、当のエリュクス人たちはもちろん、シケリア全島の人々も、「船出祭(A)nagow&gia)と呼ぶ。この祭礼の名称の由緒は、その期間、アプロディーテーがここからリビュエーに船出すると言う。はたして彼らがその証拠と想うのは次の事実による。ここにはおびただしい数のハトの大群がいる。ところが、それらが見かけられなくなる、エリュクス人たちは、女神〔アプロディーテー〕の槍持ちとして出かけたのだと言う。ハトはアプロディーテーの愛玩動物であると彼らは歌うのみならず、万人もそう信じていると。さて、9日間が過ぎると、見た目に際だった1羽が、リビュエーに続く海の方から飛んでくるのが見られるという。それは自余のハトたちの群とは異なり、緋色である。あたかも、テーオス人、われらのアナクレオーンがアプロディーテーのことを歌い、「緋色した」とどこか〔Fr. 2. 3D〕で言っているように。〔このハトは〕さらには黄金に似ているようにも見える。これもかの〔ホーメロス〕が「黄金の」と讃美している〔Il. V_427〕ホメーロスの同じ女神に倣えば。このハトの後に、残りのハトたちの雲なす一団が続く、そして再びエリュクス人たちの祭礼つまり「帰港祭(Katagw&gia)」という祝祭がもたれる。この名称もその事績に由来する」。

異文1
 飛んでいるハトを襲わないタカがいることは、『動物誌』第9巻36章(620a)。
異文2
 ハトが1年のうちに何度も卵を産むことは、『動物誌』第6巻4章(562b)。

 画像出典は Ulysse Aldrovandi『鳥類誌(Ornithologiae hoc est De auibus historiae)』XV。