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ソークラテース学徒

アンティステネース『対論』







[底本]
TLG 0591 001
Declamationes (fragmenta), ed. F. Caizzi, Antisthenis fragmenta.
Milan: Istituto Editoriale Cisalpino, 1966: 24-28.
frr. 14-15.
5
Ai1aj h)_ Ai1antoj lo_goj (fr. 14): pp. 24-25.
0Odusseu_j h)_ 0Odusse/wj lo/goj (fr. 15): pp. 26-28.
(Cod: 1,462: Rhet.)



[背景]

 本編は、トロイア攻囲中、アカイア〔=ギリシア〕軍中に起こった2人の英雄――オデュッセウスと大アイアスとの間に起こった争論に仮託した対論である。まず、事件の経緯について述べておこう。

 『小イーリアス』によると、まずネストールが乱戦の間にパリスのため馬を射られ、車が進まなくなる。そこヘ〔トロイアの英雄〕メムノーンが槍をかざして近づくので、彼は大いに狼狽して息子のアンティロコスに救けを求める。そこでアンティロコスが自らメムノーンに立ち向かい、互いに槍を投げあった末、メムノーンの手にかかつて討死を遂げるのである。これを遠くから見たアキレウスは猛然とその場に馳けつけ、激しい闘いの末にメムノーンを殪して、親友の仇を報ずる……。

 メムノーンの討死に、トロイア勢は周章狼狽して算を乱し、イーリオスの城中へ雪崩をうって逃げこもうとした。もはやイーリオスの護りとなるべき勇將は居ないのであった。狼に追われる羊群のように、彼らが艦の中に隠れ家を見出そうというのも当然だったろう。しかもアキレウスは一足早く、敵勢の中へ混じって、城門を閉じる間もあらせず、イーリオスの囲壁を越えてはいっていった。彼の前には、もはやその槍を支ええよう者は、見当たらない筈であった。トロイアの落城の日は迫ったかと見えた。

 しかしその時、アポローン神はパリスに命じて、その弓を彼に向けさせた。第一の矢はまず彼の右の踵を射、続いて飛んだ第二の矢は彼の胸にふかく突きささった。砂塵の中に倒れ伏した彼の屍をめぐって、スカイアの門の傍で、激しい戦がおこなわれた。この際にアキレウスに続いていたのは、テラモーンの子のアイアース1人だった。彼はいつものように単身アキレウスの屍を護って、群がるトロイアの勇士たちを防いでいた。そのうちにオデュッセウスもかつ馳けつけ、アイアースが屍を肩に担げば、オデュッセウスが敵勢の追撃を防いで、辛うじてギリシア方の船陣に帰ることができた。……

 アキッレウスの武具をめぐって、ギリシア軍の陣中では烈せしい競り合いが起った。誰がその継承者となるか、というのである。勿論、残ったギリシア勢中第一の者が、とあるべきところを、武骨一遍のアイアス(アキッレウスの從弟に当たる)と、知謀において及ぶ者のないオデュッセウスとが、それぞれ加担者を背に、我こそと申し出たからであった。

 今にも刀傷沙汰に及んで、互いに一騎打ちにより優者を決めようと逸るのを、ようやくのことで人々は宥め、一同の評議でもって被贈者を決定することにした。そのとき、アテーナー女神とアガメムノーンとは、オデュッセウスに味方して、アキッレウスの屍を持ち帰ったときの働き振りをたたえ、(アイアスは屍を担いで來ただけだが、オデュッセウスは敵の追撃を退けた)、ついに全軍の決議を、オデュッセウスに有利なように向けてしまう。

 そこでアイアスは恥辱と不当な待遇とに憤懣やる方なく、狂乱してアカイア勢の牧羊の群をオデュッセウスとその味方と錯覚して、その中へ刀を揮つて乱入し、縦横に切りまくるが、やがて正氣に返ると己を恥じ、不名誉な生よりは名誉ある死をと、自刀して終るのであつた。
 (呉茂一『ギリシア神話』新潮社、p.130-131)

 議論は、2人のうちどちらがアカイア軍にとって功績があるかという「働き(e!rgon)」をめぐって争われる。
 正攻法しか知らぬ無骨一辺倒のアイアースは、「言葉(lo/goj)」を軽視、したがって、言葉を聞いて判定しようとする審判者たちには、判定の資格がないとまで言う。これでは、勝負は初めからついているといわなければならない。
 「正攻法しか知らぬ」――その「知」すなわち無知を、オデュッセウスは執拗露骨に衝いてくる。





対論(Declamationes)

14."t".1
アイアス、あるいは、アイアスの論

14.1.1
 事件現場にも居合わせたその同じ者たちが、われわれを裁くことをわしは望んでいた。というのは、彼〔オデュッセウス〕はわしを黙らせる必要があったが、ぎょうさんなことを言うやつには、〔言うべきことは〕何もないということを、わしは知ってたからだ。ところが、実際は、諸々の働き(e!rgon)そのものに関係した者たちは遠くにおり、おのおのがた、何も知らない者たちが裁こうとしている。いったい、いかなる裁きがあるというのか、――裁き手たち、それも、言葉によってしか知らない裁き手たちに。事件は事実(e!rgon)によって生じるというのに。

14.2.1
 さて、アキッレウスの身体は、わしが担いで運んだ。武具の方は、この御仁が……。〔この御仁は〕識っていたのだ、トロイア人たちは武具ほどには、屍体を手に入れることを欲しないということを。なぜなら、やつらはこの〔屍体〕を手に入れたら、身体を蹂躙し、ヘクトールの戦利品として運び去ったことであろう。だが、この武具の方は、神々に奉納することなく、隠したであろうから。

14.3.1
 彼ら〔トロイア人たち〕は、この御仁を善勇の士として恐れている。以前にも、神殿荒らしをして、夜陰に乗じて彼らの女神の奉納物を掠して、何か美しい働きでもしたかのように、アカイア人たちに見せびらかしたやつだから。わしが〔武具を〕受けることを要求するのは、この武具を友たちに与えるためだが、この御仁は、売り払うためなのだ。というのは、これを使いこなすことは、しようと思ってもできまいから。臆病者は誰ひとりとして、音に聞こえた武具を使おうとはしない。自分の臆病さを武具が露見させることを知っているからだ。

14.4.1
 ほとんど万事が似たり寄ったりである。というのは、武勇比べを手配するのが王であると主張しながら、徳に関する判定は他の者たちにゆだねる者たちも、何も知らないくせに、おのおのがたが知らないことについて裁くのだと約束する者たちも。だが、わしは次のことを識っている。――王たるに充分な者にして、徳に関して判定することを他の者たちに委ねるような者はひとりもいない。それは、善き医師が、病気の診断を他人に任せないのと同じである、ということを。

14.5.1
 わしとこの御仁とには、似たり寄ったりのところがあったにしても、わしに圧倒されるほどの違いはなかった。しかし、実際は、わしとこの御仁ほど多く違うものはない。というのは、何であれ彼が公然と行動することはないが、わしが敢えて人知れず行うことは何もない。わしは、悪口を聞いて、ましてひどい目に遭って捨て置くことはないが、この御仁は、なにか儲けがありそうなら、宙ぶらりんのままであろう。

14.6.1
 誰あろう、奴隷どもに鞭をくらわせ(mastigou~n)、棒でその背中を、拳でその顔を殴ることを自慢していた御仁が、次には襤褸を身にまとって、夜陰に乗じて敵どもの城壁に潜入し、神殿荒らしをして引き上げてきた。これを為したことにも彼は同意し、おそらくは説得さえするであろう。為されたことは美しいと言って。だからといって、アキッレウスの武具を、この破落戸〔"mastigi/aj"は「笞刑にふさわしい者」〕にして神殿荒らしが手に入れることを要求してよかろうか?

14.7.1
 そこで、わしは、おのおのがた、何も知らぬ判定者にして裁き手たちに言いたいのだ。徳について判定するのに、言葉によりも働き(e!rgon)にもっと注目するようにと。というのも、戦争は言葉によってではなく、働き(e!rgon)によって判定されるのだから。敵対者たちには、反論することさえできない。ただ、戦って制覇するか、黙って隷従するかである。このことを凝視し、考察せよ。美しく裁けば、おのおのがたは知るであろうから、言葉は働き(e!rgon)に対しては何ひとつ力を有さないということを。

14.8.1
 この御仁が何を言おうと、おのおのがたに益するところはなく、ただ、諸々の働き(e!rgon)に窮すればこそ、数々の長々しい言葉があるのだということを、はっきりと知ることであろう。いや、あるいは、言われていることが理解できないと言って、立ち上がるがよい。さもなければ、正しく裁くがよい。もっといえば、ひそかにではなく、公然と。それは、正しく裁くのでないかぎり、裁き手自身にも裁きがあるのだということを知るために。そうすれば、おそらく、おのおのがたは言われていることの判定人としてではなく、心証形成者(docasth/s)として座っているのだということを知るであろう。

14.9.1
 わしとしては、わしと、わしのこととについて、知によって判定すること(diagignw/skein)をおのおのがたにゆだねるが、心証によって判定すること(diadoca/zein)は絶対に断る。それが、こいつ――自発的にではなく、いやいやながらトロイアにやってきたやつについてであれ、わし――いつも真っ先に、たったひとりでも、城壁なしでも、持ち場についてきたわしについてであれ。


15."t".1
オデュッセウス、ないし、オデュッセウスの論

15.1.1
 それがしの拠って立つ言葉(lo/goj)は、ひとり貴公に関わるのみならず、他の衆みなに関わるものである。すなわち、この遠征において、それがしは、おのおのがた全員よりも、より多くの善きことを行ってきた。このことは、アキッレウス存命中にも言っていたことであるが、彼亡き今も、おのおのがたに言いたい。というのは、おのおのがたは、それがしとおのおのがたとが共にしなかったような戦闘は、他に何ひとつ戦わなかった。換言すれば、おのおのがたの固有の危難のうち、それがしが何ら関知しなかったものは、ひとつもないということである。

15.2.1
 実際のところ、共通の戦闘において、われわれの武勇比べが美しくなかった場合でさえ、もっとひどいことにはならなかった。他方、それがしが独りで危難を冒すそれがしの危難において、成功した場合には、われわれが当地にやってきた目的はすべておのおのがたによって達成されたが、それがしがしくじった場合には、おのおのがたが失うのは、それがしという戦士ひとりにすぎない。なぜなら、われわれがここにやってきたのは、トロイア人たちと戦うためではなく、ヘレネーを奪還し、トロイアを陥落させるためなのだから。

15.3.1
 これこそが、それがしの危難のすべてである。というのは、われわれのところから盗まれた女神の奉納物注1)を先に手に入れないかぎりは、トロイアは難攻不落であると神託がくだされたとき、その奉納物をここに運んできた者は、それがし以外の誰であろうか? それを、貴公は、神殿荒らしと判定する。女神の奉納物を収容した者を、神殿荒らしと呼び、われわれのもとからくすねたアレクサンドロス注2)〔=パリス〕はそう呼ばぬとは、貴公は何も知らぬということだ。

15.4.1
 トロイアを陥落させることは、われらみなの誓願にほかならぬのに、いかにすれがそれが成るかを見つけ出したそれがしを、貴公は神殿荒らしと呼ぶのか。なるほど、イリオン〔トロイア城市〕を陥落させることは美しいにしても、その手がかりを見つけ出すことも美しい。そして、余人は感謝しているのに、貴公だけはそれがしを誹謗する。無学ゆえに、貴公は自分が何を良くしてもらっているか、何ひとつ知らぬのだ。

15.5.1
 それがしとしては、貴公の無学を誹謗はせぬが――貴公も余人も、そんな目に遭うのは誰しも本意ではあるまいから――、しかし、それがしに対して誹謗しているもののおかげで無事でいられるのに、それを貴公は納得することができぬばかりか、この武具がそれがしのものに票決されるようなことになれば、何か悪しきことをしでかすと、ここなる人々を貴公は脅しさえする。たしかに、何か小さなことを働くより前に、貴公はしばしば、それもぎょうさんな脅しをかける。しかしながら、尤もらしいことから何か立証さるべきだとしたら、それがしの思うに、貴公は悪しき怒りによって何か悪しきことをわが身に働くことになろう。

15.6.1
 それがしに対しても、敵どもに仇を為してきたのに、臆病と貴公は誹謗する。しかし、貴公の方は、辛労してきたのは公然、空疎なのだから、愚か者であった。それとも、おのおのがた皆といっしょにそれをしでかしたのだから、より善かったとでも思うのか? そのうえ、それがしに向かって徳について言うのか? 先ずもって、いかに戦ったらよいかも知らず、イノシシのように怒りに駆られ、いつかきっと、何か悪いことに遭遇して、自殺するような御仁が。貴公は知らないのか、――善勇の士は、自分自身によっても、同志によっても、敵どもによっても、どんな悪い目にも遭うことはないってことを。

15.7.1
 しかるに貴公は、ここにいる者たちが貴公のことを勇者だと謂っているということで、子どものように喜ぶのか? だが、それがしなら〔謂おう、貴公は〕誰よりも臆病で、何よりも死を恐れる者だと。誰あろう、貴公こそは、打ち砕かれることも傷つけられることもない武具を有し、そのおかげで貴公は無傷でいられると謂われている。いったい、どうするつもりか、――敵のひとりが、そんな武具をもっておまえに襲いかかったときには。さだめし、何か美しく驚嘆すべきことが起こるだろうよ、貴公らのどちらも、何の為すすべもないとしたら。それなのに、そんな武具を持っていたら、城壁の中にいるのとは異なると思うのは、どうしてなのか? 貴公の謂うとおり、城壁は貴公ひとりのためにあるのではない。そこで、貴公ひとりは、わが身の前衛に、牛皮7頭分の城壁〔楯〕を身に帯びている。

15.8.1
 これに反して、それがしはといえば、武具も身につけず、敵の城壁に立ち向かうのではなく、城壁そのものの中に入りこみ、敵の前哨が目覚めているのを、武具そのもので殺害した。それがしは、貴公や他の全員の将軍にして守護者、自陣のことも敵陣のことも知っている。偵察者として余人を遣わすこともない。いや、みずからが、舵取りが、夜も昼も、いかにすれば船の安全を保てるかに心を砕くように、わたしも、貴公や他の全員の無事を保っているのだ。

15.9.1
 いかなる危難も、恥ずべきこととしてそれがしが避けてきたような危難はなく、これによって、これからも敵どもに仇を為してゆくつもりだ。それがしを眼に見ようとする者らがいても、評判されることは敢えて求めもしなかった。それどころか、奴隷にも、物乞いや破落戸にもなって、敵どもに仇を為すつもりだし、誰ひとり見る者がなくても、企てたことであろう。なぜなら、戦争は思うことではなく、昼も夜も、何かをしでかすことを好むからだ。それがしには、敵どもとの戦いに挑む武器といっても、定まったものはなく、相手がどんな仕方を望もうと、1人に対しても多数に対しても、それがしにはいつでも用意がある。

15.10.
 戦って、疲れたときも、貴公と違って、それがしは武具を他の者たちに預けることもなく、敵どもが休息しているそのときに、夜陰に乗じて、やつらに襲いかかる。やつらを最もよく害するような武具をとって。また、夜が、わし〔の視力〕を奪って、しばしば戦っては満足する貴公と違って、休ませたこともない。いや、それどころか、貴公が高鼾をかいているそのときに、それがしは貴公の無事を保つばかりか、敵どもに常に何かと仇を為している。これらの奴隷的な武器や襤褸や鞭を持って。これらのおかげで、おぬしは安全に眠っているのだが。

15.11.1
 ところで、貴公は、屍体を担いで運んだことで、勇者だと思っているのか? これをそれがしが運ぶことができないなら、戦士ふたりで運んだことであろうが、そうすると、その者たちは徳に関して、おそらく、われわれに異議申し立てをしたであろう。その彼らに対しても、それがしの論は同じである。が、貴公は、彼らに対して何と言って異議申し立てするのか? それとも、2人のことは気にしないが、ひとりよりは臆病であることに同意して恥じいるのだろうか?

15.12.1
 貴公は知らぬのか、トロイア人たちにとって、いかにして手に入れようかと関心があったのは、屍体ではなくて武具だということを。というのは、前者なら引き渡そう、しかし武具の方は、神域の神々に奉納しようとしていたのだから。恥ずべきなのは、屍体を収容されない者らにとってではなく、埋葬を許可しない者らにとってであるから。だから、貴公はお膳立てのできたものを運んだにすぎぬ。しかし、それがしは、誹謗されるものをやつらから奪い取ったというわけだ。

15.13.1
 妬み(fq/noj)と無学(a)maqi/a)、諸悪の中で自分たち自身に正反対のものを貴公は病んでいる。前者は、貴公に美しいものらを欲求させ、後者は踏み外させる。だから、貴公は一種人間的な感情をいだいている。だからこそ、自分は強者であり勇者であるように思っている。貴公は知らないのか、戦争に関して、知恵において強いということと勇敢さにおいて強いということとでは、同じではないということを。無学は、これを有する者たちにとっては最大の悪である。

15.14.1
 思うに、いつか、徳に関して知恵ある詩人が生まれたら、それがしのことは、辛抱強い〔Il. 8_97〕、知謀豊かな〔Il. 1_311〕、術策に富む〔Il. 2_173〕、城を攻め落とす者〔Il. 2_278〕、たった独りでトロイアを陥落させた者と詩作するであろうが、貴公のことは、それがしの思うに、その自然本性を愚鈍な驢馬たちや、放牧された牛たちや、その他、みずからに足枷と軛をもたらすものらになぞらえて〔詩作することであろう〕。

2005.06.02. 訳了。

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