群小ソフィストの正義論
[出典] 『社会科学紀要』(東京大学)15(1966.3.)
一《正義とは強者の利益に他ならない。》(Politeia, 338 c.) 正義が強者の利益であるならば、それは弱者の不利益である筈である。即ち正義を行なうとは弱者が自らの犠牲において強者の利益のために行動することに他ならない(343 c.)。従って、 《正しき者は常に不正なる者に比して損をする。》(343 d.) 例えば共同事業の決算にあたって分前の多いのは常に不正者であり、等しい財産から余分に税金をとられるのは常に遵法行為者である。家事を顧みず公務に専念する者は家族に疎まれ産を破る等、物的・心的な損失を蒙るのに対し、職務怠慢な者はその逆となる等々(343 d-e.)。 《しかしこのことを最も簡単に知るためには最も完全な不正を思いみるがよい。そこでは不正をなす者が最も幸福となり、不正を蒙りながらもそれに不正をもって報いようとしない者は最もひどいめにあう。それがいわゆる僭主制である。そこでは僅かな他人の財をひそかに、あるいは暴力をもって領得するのではなく、……一切のものを一挙に領得するのである。個人のものを着服して露見すれば処罰されまた恥辱を豪るが、……市民の財産のみならず市民自身をも支配し屈従せしめるならば、辱しめをうけるどころか幸せ者、祝福された者だとされる。……かくて不正は正義より強力にして自由人たるにふさわしく、また人の上にたつ者にふさわしいものである。》(344 a-c.) ☆ ☆ ☆ (1)カルケドンのトラシュマコスはかかる「正義論」をもってソクラテスとボレマルコスの対話に割りこんでくる。一部の古典学者はかかる主張を言語同断の浅ましきものと考え、鷺を烏といいくるめる弁論術の実習としてのべられたもので、トラシュマコスの「学説」として受取るにはあたらぬという[2]。テイラーは近時の軽佻浮薄な風潮にまで戦線を拡大して日く。 《近代のある種の著作者連中におけると同様、トラシュマコスにおいてもその言をあまり真にうけない方がよい。彼にとっては こけおどしは日常茶飯時なのだ[3]。》 しかしながらこの対話篇におけるソクラテス、及びその著者たるプラトンは後世の古典学教授とは些か態度を異にしており、このトラシュマコスの主張を「冗談ではなく真実と思うところをありのままにのべにもの」としてうけとり(349 a.)、不正者が正しき者に勝るという主張を「一層重要なもの」とみなし(347 e.)、「我々が論じているのは些事ではなく人がいかに生くべきかの問題だ」となしているのである(352 d.)。 (2)多くの人々はトラシュマコスのこの主張を対話篇『ゴルギアス』に登場するカリクレスのそれと同じく「強者の権利」を主張するものであるとなす[4]。 カリクレスはフュシスとノモスの二元論を基礎とし、フュシスにおいては強者の権利と不平等とが妥当するのに対し、弱者が連合してノモスをたて、それによって、平等を破る者を不正であると唱えるのだという。それ故自然の強者はノモスを蹂躙してフュシスの正義の栄光をあらわさなければならないと説くのである(482 e-484.)。かかる「強者の権利」の主張はアテナイ帝国主義のへラス支配を正当化するものとして以前より唱えられていたものであって、ペロポネソス戦争開戦直前にスパルタを訪れたアテナイの使節がアテナイの地位の正当性を論証するために 「弱者は強者に服すべし」という法は常に妥当すること(Thucydides, History of the Peloponnesian War, I-76.)、実力をもって野心を実現しうる場合には法は無用であることなどを説いている(I-77.)。 そしてこの「強者の権利」の主張を実践に移したものとして最も劇的な事件がかの「メロス島事件」(416年)であった。アテナイはスパルタ移民の中立都市メロスを隷従せしめようとして使節を派遣し、その屈服を勧告する。トゥキュディデスの伝えるその一問一答は、その悲劇的結末と相まって、「力」と「法」に関する諸々の法哲学者好みの道学者的教説に根本的な反省を促すものである。アテナイの使者は、正義は実力相均しき者の間においてのみ妥当 するものであり、実力均しからざるときは「強者のなすところを弱者が忍ぶ」べきものと宣言する(V-89.)。メロス人(びと)はこれに抗して曰く。 《汝等の実力と運命とに抗することの難きは我等また之を知る。されど我等は神々の我等に汝等と同等の僥倖を幸はんことを信ず。我等は不正に抗する正義の者なれば。》(V-104.) アテナイの使者はこれを冷笑していう。 《神助は、我等また之を望みうるなり。我等のなさんとし、またなすことの一として、我等信ずるところの神々の御業と人々の業に背くを見ず。神々につきては我等の信じ、人々につきては我等の知るところ、即ち為す力ある者の支配するこそ自然の法則ならずや。この規(のり)を創造せし者我等に非ず、はたまたこの規(のり)を窮行する者我等をもって始めとするに非ず。そは古きいにしへより伝へられしものにして、我等またこれを未来永劫に伝へんとするものなり。我等のこの規(のり)を用ひんとするは、汝等にせよ、他の何人にせよ、我等の有する如き力を有するに至らば、その為すこと我等の為すところと寸分異ならざらむを知りてのことなり。》(V-105.) アテナイの使者は「汝等の議論すべて希望と未来に懸る、されど現在の戦備たるや、それに向けられたる我等の戦備に比し余りに乏しく、到底勝利を望むべからざるなり」といい更に「同等者には屈せず、優者とは和し、劣者には穏和なるこそ成功の道なれ。されば我等の去りし後熟慮せよ。ここに評議するは汝等の祖国、唯一の祖国にかかれるものなること、その興廃たるや一にこの思案に懸りたることを三思しっつ」といい残して座を立った(V-111.)。しかしメロス人(びと)は再評議の結果、再びアテナイに隷従の拒否を通告し、「我等は過去七百年神々の守り給ひしこの都市の運勢を信ず」とのべた(V-112.)。アテナイは直ちに軍事行動に移り、メロスは必死の抵抗にも拘らず遂に降伏を余儀なくされた。トゥキュディデスはこの事件の結末を簡潔に伝えて曰く。 《アテナイ人(びと)は虜えた一切のメロス人(びと)成年男子を殺戮し、婦女子はこれを奴隷として売却した。後にその地に五百名の植民者を 送り、自国の植民市となした。》(I-116.) ☆ ☆ ☆ このような背景からみればトラシュマコスの主張も当時流行していた議論を唱えているにすぎないことになる。アダムはいう。 《プラトンがトラシュマコスの口を通じて語らしめた(正義の)定義は当時の政界において流行していたものだと推定することも正当であろう。アテナイの同盟諸国に対する行動にはこの種の政治理論を実践に移した多くの例がある。……独立のポリスを公的生活の唯一の正当な形態であるとなしていたギリシャ世論の法廷において、アテナイ帝国の存在を擁護すべき唯一の論証が「力は法なり」であったといっても言過ぎでない程である[5]。》 (3)しかしながらカリクレスとトラシュマコスを同視することには強い反対論が存在する。例えばバーネットはいう。 《カリクレスの所説といえどもなお全き倫理的ニヒリズムではない。まことに力が*正義*なのである。これは正義を力であるとなすものとは大いに異なる。ところが『ポリテイア』においてトラシュマコスの唱えるのがまさにそれなのである。彼によれば正義なるものはそもそも存在しない。我々が正義の名をもってよぶところのものは強者の利益にすぎざるものであって、その利益は強者がその強力によって弱者に法として彼等を拘束するものであるとなして押しつけたものなのである[6]。》 アーネスト・パーカーもいう。 《ニーチェと同様カリクレスも道徳の*破壊者*というより、道徳の*革命児*である。彼が斥けるのは道徳そのものではなく、因襲的な衆群のモラル(herd-morality)であって、それによって自然の、主的モラル(master-morality)をもたらそうとするのである。彼はやはり一種の自然法の存在を認める。ただそれをカに基礎をおくものとなすのである。……ところがトラシュマコス の見解には自然法なるものほ存在しない。……カリクレスは常に正しい自然法の存在を信ずる点で一種の理想主義者(idealist)であるが、トラシュマコスは単一の恒久的な法などは存在しないと信ずる経験論者である。彼に似た者を求めるとすればそれはニーチェよりむしろホップズである。彼はホップズと同様、主権者の発したものが唯一の法であると信じたのである。これは(バーネット等のいうように)倫理的ニヒリズムである[7]。》 アルフレート・フェアドロスもその『古代法哲学・国家哲学綱要』においてカリクレスとトラシュマコスを全く別の項目のもとで論じている。カリクレスは 「ソフィストの自然法論」なる項目のもとで論じられ、次のように評価される。 《彼は人民主権のつくった「紙の上の法律」を「強者の自然権」と彼の標榜するところのものを基準として評価し、糾弾しているのであって、実定法を「自然」によって評価しようとするものであるから、彼の理論の基礎にはフュシス・ノモスの対立がある。従ってもとよりその理論への反対は大いにありうるにせよ、彼もまた一人の自然法論者とみなさるべきである[8]。》 それに対しトラシュマコスは「権力国家論」の項目のもとで論じられ、国家は恣意的権力であるとなし、一切の倫理的観念を虚しいものとなす故に、一種の法実証主義者であると規定される[9]。 (4)この、正義を嘲笑し、力の支配を唱え、社会秩序を危うくするところのトラシュマコスの不逞なる主張に対し古今の思想家の非難が集中したとしても不思議ではない。およそ道学者的発想とは無縁なバートランド・ラッセルさえ、彼の主張は「当時の人々のみならず、今日の民主国国民にとってもなお不道徳にみえる」という[10]。しかし一層烈しい言葉を用いるのはギリシャ啓蒙思想の熱烈な讃美者たるカール・ポパーである。彼はトラシュマコスを「最もたちの悪い政治的無頼漢」であるとなし[11]、彼の議論は「仮借なくシニカルなエゴイズム」であるとされる[12]。それ故「我々」は「トラシュマコスのニヒリズム」に対し「道徳的義憤」(moral indignation)を感ずるという[13]。 これらの見解に対しトラシュマコスはただ事実をありのままに見た経験論者であり、彼の主張は「非道徳」(amoral) ではあっても「不道徳」(immoral)ではないとなす者がある。 《トラシュマコスは単に事実を認識し現実を記述しようと欲したのみで何らかの理想をたてようとしたものではない[14]。》 対話篇の中でソクラテスは、支配者は自己の利益ではなく被支配者の利益を考慮するものであるとなしてトラシュマコスを批判する(342 d-e, 347 d.)が[15]、それに対しメンツェルはいう。 《トラシュマコスを「全く誤まった脆弱なるエゴイズムの盲目的唱道者であり、その理論はソクラテスの弁証法の輝やかしい勝利をもって(葬られた)」[16]となす者もある。しかし『ポリテイア』第一章を率直に評価するならば全く異なった結論へ導かれるであろう。トラシュマコスが――近時においてマルクスやラッサールが唱えたように――国家法は常に支配層の利益に適合するものだと唱える場合、その意図するところは*記述的*なものであって、それは「エゴイズムの理論」などでは全くない。またソクラテス、即ちプラトンがこの教説を輝やかしく反駁したというのも正当ではない。後者は何がある*べき*かを眼中においているのに対し、トラシュマコスが問題としているのは何が*現実*かである。彼等はすれ違っているのである[17]。》 メンツェルのトラシュマコス評価は次のようなものである。 《彼が法秩序は*常に*支配者の利益に従ってつくられているというのであればそれは恐らく行き過ぎであろう。しかし何れにせよこの主張は歴史の現実にかなり近いものである。ただいいうることは彼が世界をあまりにも悲観的にみすぎたということである[19]。》 (5)このような見解を一層発展せしめたものとしてエリク・ヴォルフのそれがある。 《彼は率直に不愉快な事実に対した。トラシュマコスの多くの言辞は法哲学的要請、倫理的価値判断として――無愛想・邪道とまではいわないとしても――違和感を感じさせるものである。しかしこれを現実の社会学的認識、あるいは心理学的説明と解するならば異なった相貌を呈するであろう[20]。》 トラシュマコスは 「現存在に対する逃れようのない絶望」(ausweglose Verzweiflung am Dasein)に陥っていたのであり[25]、「絶望という死に至る病」を病んでいたのである[26]。従ってトラシュマコスが縊死したという伝説も[27]、通説はその真実性に否定的であるが[28]、ヴォルフは可能なものと解釈する[29]。 (6)かくてトラシュマコスは価値ニヒリストでもなければ価値相対主義者でもなく、むしろ敗北に瀕しているにせよなお一つの正義の信奉者であるということになる。ヘルミアスの伝えるトラシュマコスの一断片に曰く。 《神々は人間界のことを眼中におきたまわぬようだ。さもなくば神々は人間的諸善のうちの最大のものたる正義を放置したまわぬであろうに。しかるに我々は人々がそれを窮行するのをみないのである[30]。》(Diels-Kranz, 85 B 8.) アドルフォ・レヴィはこの断片についていう。 《不正が常に勝利を博する場面に接し、その人生がそれによって深く傷つき、またそれに憤る者が、不正者のみが賢明であり、正しき者は単純、否愚昧ですらあると唱えたとしても不思議ではない。このようなことを口にするのは通常正義を愛しまた尊敬してきた者である[31]。》 従ってトラシュマコスの倫理学は強者の利益たる「いわゆる正義」と、それに毀損されるところの「真の正義」の二元的構造をもっている。ヴォルフは前者をノモス、後者をディカイオシュネーとよび、ノモスはディカイオシュネーを実現しないにもかかわらず、強者が自らの設定したノモスにディカイオシュネーの名を冠しているという事実を曝露したところにトラシュマコスの意義を認めるのである。 《トラシュマコスは、ノモスへの信心篤きソクラテスの倫理的法実証主義のうちに事実の陰蔽を見た。これに対する全き不信の念に発して、彼は彼なりに法的真実を求めようとしたのである[32]。》 アドルフ・メンツェルが、トラシュマコスの主張をマルクスやラッサールのそれに擬したの[33]はこの点において正当である。マルクスやラッサールの思想も明らかに「いわゆる正義」と「真の正義」の二元論の上にたっており、そのシニカルな、またニヒリスティックな正義論はすべてこの「いわゆる正義」に向けられているのである。国家は階級闘争における搾取の機構であり、所有は窃盗であり、憲法とは大砲に他ならぬという彼等の主張は「いわゆる正義」に対する「真の正義」よりの糾弾である[34]。「いわゆる正義」と「真の正義」、ノモスとディカイオシュネーの対立を実定法と自然法の対立としてとらえることができるとするならば、トラシュマコスを革命的自然法論の源流の一人として理解することをさえ不可能ではないようにみえる。しからばそのトラシュマコスの信ずる「真の正義」の内容は何であったか。 |