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back.gifルゥキアーノスの作品・目次

ルゥキアーノスとその作品

パラリス 1

FavlariV A
(Phalaris 1)


[解説]
 この1篇と、これに続く作品は、パラリスが体裁をつくろい、汚れた贈り物を受け取ることをデルポイ人が釈明するための真面目な試みと受け取られるべきではない。これらは弁論家の素材の善き見本であり、それ以上の何かである。あなたが他人になりすまし、彼が言いそうなことを言うことは、弁論学校の正規の実習であったが、あなたが言ったことをこっそり笑うことは、通常の弁論家のやり方ではなかった。(A. M. Harmon)

 インターネット上では、パラリスの訳は、最初、『古典ギリシア語事始』〔今はリンク切れ〕の近藤司郎氏が発表し、これに倣って、『世界の古典つまみ食い』のTomokazu Hanafusa氏が発表した。
 また、出版本では、内田次信『ルゥキアーノス選集』(国文社、1999.10.)に収載されている。


001 t 1
パラリス1


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〔パラリスの使者の演説〕

1.1
 われらを派遣したるは、おお、デルポイ人諸君、われらが君主パラリスにして、われらが、神にこの牡牛を供し、あの方自身のためとこの奉納物のために、尤もな事柄を諸君と対話せんがためである。されば、われらが来たる所以は以上である。が、諸君に申し伝えることは、以下のとおりである。


 「余は」と彼は謂われておる、「おお、デルポイ人たちよ、〔余を〕憎む連中や妬む連中の声が、無知な者たちの耳に吹きこんでいるような人物としてではなく、あるがままの人物として、もとより全ヘッラス人たちに受け取ってもらえさえするならば、いかなるものとでも交換したいが、とりわけ汝らにはそうである。汝らがピュートーにます神〔アポッローン〕の神官にして補佐役、神の同居者にして一つ屋根の下に住むも同然の汝らであるからには。なぜなら、もしも汝らに対して弁明でき、残忍だと受け取られていることが戯言だと説得できるなら、汝らを通して自余のすべての人たちにも弁明しきった者となると思うからである。余が述べんとすることの証人には、神ご自身を勧請しよう。もちろん、この神が誤解させられたり、虚言に惑わされることはありえない。人間どもを騙すのはおそらく容易であろうが、神に、とりわけこの〔神〕に、気づかれずにすむことは不可能なのだから。

2.1
 そもそも、余はアクラガスの目立たぬ階級の出ではなく、他の誰よりも生まれよく、自由に育てられ、教育に専心し、常にし続けていたのは、都市に対してはおのれを民衆的な者として、同胞市民たちに対しては適正で節度ある者として提示することで、乱暴だとか左巻きだとか暴慢だとか頑迷だとか、余の以前のその生に誰一人何の添え名もしなかったのである。しかるに、余と反対の政治を行う連中が、策謀し、あらゆる手段を講じて余を亡き者にしようと企んでいるのを見出したので — 当時われらの都市は分裂していたのだ — 、この回避と安全の一法、同時に都市の救済をはかる同じ法を発見した。つまり、自分が支配に就き、あの連中は抑えて、策謀をやめさせ、都市をして余儀なく慎み深くさせるなるということだ。というのも、これを称賛する者たちが少なからずおり、それは節度ある、都市を愛する者たちで、わが考えをも企ての余儀ないことをも知っている者たちであった。そこでこの者たちを同志として、易々と制覇したのであった。

3.1
 以来、連中はもはや騒ぐことなく、聴従し、余は統治し、都市は党争なきものとなった。死刑とか追放とか財産没収とかは、策謀者たちに対してさえ余は行わなかった。閥族制の初期には、そういったことを最も敢行するのは余儀ないことであるにもかかわらずである。人間愛と、柔和さと、おとなしさにより、また公平無私さを通して、彼らが聴従することへ導けると、驚くべきことに余は期待したのである。とにかく、敵たちとはすぐに灌酒して和解し、その大多数を助言者や知己として用いることができた。
 都市そのものの方は、政務を司る者たちの職務怠慢によって堕落しきっているのを余は目にして — 多くの連中が盗んだから、いやむしろ、公共の物を略奪したからなのだが — 、余は水路を引くことで復活させ、建造物の再建によって飾り、市壁をめぐらせて強化し、歳入は、公共のものであるかぎり、上司たちの精勤によって容易に増加させ、余は若衆に気をくばり、老人たちを思いやり、民衆を見世物や大盤振る舞いや祝祭や公的な宴会の中で過ごさせた。処女の暴行とか少年の堕落とか女たちの拐かしとか、槍持ちたちの派遣とか独裁的のやる一種の脅迫とかは、余にとって耳にするさえ厭わしいことであった。

4.1
 それどころか、支配権を手放し、権力の座を降りることについて、すでに機会さえ余は窺っていたのだ。いかにすればひとは安全に辞められるかということばかりに思いを致して。というのは、支配し、万事を行うことは、それだけでもすでに重荷であるのに、妬みかうとなると、苦役だと余に思われたからだ。しかしながら、以下にすれば都市はこのような奉仕のようなことを二度と必要としないですむか、これを依然として余は探究していた。ところが、古くさい余が、以上のことにかかずらわっている間に、連中の方はすでに余に対して結託し、策謀と叛乱の仕方についても考察し、結社を組織して、武器を集め、資金を調達し、近隣の市民たちに呼びかけ、ヘッラスへはラケダイモーン人たちやアテーナイ人たちにも使節を送ったのであった。ほかならぬ余について、余が捕らえられた場合、彼らによってすでに何が決定されていたか、余を手ずから引き裂いてやるといかに脅迫するか、いかなる懲罰を思いついていたかは、公的に拷問されて白状した。
 そういったことを何らこうむらないですんだことこそは、策謀を露見させてくださった神々のおかげであり、とりわけピュトーにます方こそは、夢みを予示し、おのおの〔の夢見)の告知者を遣わしてくださった方である。

5.1
 余としては、今ここで、おお、デルポイ人たちよ、汝らが同じ恐怖に今想像で身を置き、その時の為すべき事柄を余に助言してくれることを要請する。無防備のまま、すんでのところで捕らえられそうになり、情況について救いを探究していたときに。されば、しばらく、心の中で、アクラガスへ、余のもとに出郷し、彼らの準備を目にし、脅迫を耳にしたうえで云ってもらいたい、何を為すべきか。連中に対してなおも人間愛を発揮し、容赦し我慢するべきか。今にも最悪の事態が出来しようというときに。いやむしろ、すでに剥き出しの喉元を差しだし、愛する者たちが亡き者にされるのを目の当たりに見るべきなのか。
 それとも、そういったことはまったく一種の阿呆のすることであって、心を気高く、男らしく保ち、分別ある者が不正されたときにみせる男の怒りを持って連中を追及し、余自身には、所与の状況から将来の安全をもたらすべきなのか。きっと、汝らはこれを助言してくれたことであろう。

6.1
 それでは、余はその後、何をしたか。余は犯人たちを召喚し、彼らに言葉〔弁明〕を許し、反証を突きつけ、それぞれの事柄をはっきりと反論すると、もはや自身も否認しなかったので、余は報復した。怒りの多くは、余が策謀された故ではなく、初めから立てていたあの計画の続行が、彼らのせいで拒まれた故である。
 以来、余はわが身を守り続ける一方、あの者たちのなかに毎度現れる策謀者たちには、懲罰を与え続けてきたのである。すると、人間どもは余を残忍だと非難する。われわれのうちどちらにこのことの最初のきっかけがあるかをもはや思量することなく。途中経過と、連中が処罰される所以はともに捨象して、復讐そのものと、そこに見られる残忍さを非難する。それは、汝らのところで、ある神殿荒らしが岩場から突き落とされるのを見た者が、やつが何を敢行したか、夜間に神殿に忍びこみ、奉納物を引きずり降ろし、神像に手をかけた、ということは思量せず、汝らをひどく野蛮だ、ヘッラス人にして神官であると言いながら、ヘッラスの人間を神殿の近くで — というのも、岩場は都市からあまり遠くないと言われている — そのような懲罰を着せるのだから、と中傷するに等しい。いや、余が思うに、諸君に対してそういうことを言う者がいたら、汝ら自身は笑いとばすだろうし、他の人たちもみな、不敬者たちに対する汝らの残酷さを称賛するだろう。

7.1
 総じて、民衆というものは、政事を司る者がいかなる人物であるか精査することなく、義しい人物であろうと不正な人物であろうと、単に僭主制という名称そのものと僭主を憎み、アイアコスであれミノースであれラダマンテュスであれ、事情はどうあれ等しく亡き者にしようとするのは、彼らの中の邪悪な者たちは眼前に置くが、有用な者たちは、名称の共通性によって等しい憎しみに包みこむからである。
 とはいえ、聞くところによれば、そなたらヘッラス人たちの間にも、評判の悪い名前のもとに、有為で穏和な性格を披瀝した知恵ある僭主たちが数多おり、何人かの短い言葉さえ、汝らの神殿の中に保管され、ピュトーにます方の奉納物であり宝蔵になっているという。

8.1
 さらには立法者たちも、懲罰の部門に重きを置いていることは汝らの見られるとおりである。それは、懲罰の恐怖と危惧が加わらなければ、自余のことは何の役にも立たないからである。われわれ僭主には、こちらの方こそはるかに余儀ないことである。強制的に(pro;V ajnavgkhn)嚮導し、憎悪を持つと同時に策謀する連中といっしょに暮らすのであるかぎりは。そこでは虚仮威しはわれわれにとって何の役にも立たず、事態はヒュドラをめぐる神話に似ている。つまり、われわれが頭を切り落とせば落とすほど、ますます多くの懲罰の芽が生え出るからである。だが、我慢して、生え出るものをその都度切り落とし、ゼウスにかけて、イオラーオスに倣って焼灼するのは余儀ない。われわれが統治しようとするならば。なぜなら、いったんこういった状況に陥るよう余儀なくされた者は、自分もその役割に等しい者となるか、あるいは、隣人を大切にして破滅しなければならないからである。
 総じて、鞭打ったり、悲鳴を聞いたり、殺害されるのを見て快とするほど、それほど粗野ないし野蛮な人間のような者がいると汝らは思うか。ただし、懲罰の何か大きな理由を持っている場合は別であるが。いったい、鞭打たれる他人のために余が涙を流したこと幾度であろう、また、余儀なくおのれの運命を嘆き悲しんだこと幾たびであろう。自分の方こそより大きな、より長い懲罰を甘受しつつ。なぜなら、自然本性は善人でありながら、余儀なく過酷である男にとっては、懲罰を受けることよりも懲罰を加える方がはるかに困難であるからだ。

9.1
 だが、率直に(meta; parrhsivaV)云わねばならないとするなら、余は、誰かを不正に懲罰するか、あるいは、自分が殺されるか、いずれを望むか、選択が余に課せられるなら、よろしいか、何のためらいもなく、何ら不正せぬ者たちを懲罰するよりも、むしろ死ぬことを選ぶであろう。しかし、もしひとが、「おお、パラリスよ、おまえが望むのは、自分が不正に処刑されることか、それとも、策謀者たちを義しく懲罰することか」と謂うなら、余は後者を望むであろう。というのは、再度汝らに、おお、デルポイ人たちよ、助言をお願いしよう、不正に処刑されるのと、策謀者を不正に助命するのと、どちらがより善いか。生きることを優先させるよりも、敵どもを助命して破滅するような、それほどの愚か者は一人としていまい。にもかかわらず、余に手をかけようとし、阻止された者たちのうちにさえ、余が助命した者たちがいかほどいよう。例えば、このアカントス、またティモクラテースとその兄弟レオゴラス。自分たちの間での旧来の友誼を憶えていたからである。

10.1
 余という者を汝らが知りたいと望む場合には、アクラガスに通う外国人たちに、彼らに問いただすがよい、余が彼らをいかに扱うか、入港する彼らを人間愛をもって遇するかどうかを。港に監視人と検問吏まで置いて、何者が何処から下船したのかを〔調べ〕、ふさわしい礼をもって彼らを送り返すようにしているのである。人によっては、それもヘッラスの最高の知者たちなのだが、わざわざ余のもとに通い、余との交わりを避けぬ者もいる。例えば、先ごろも知者ピュタゴラースが、われわれのところにやって来たごとくである。彼は余について違ったことを聞いていたのだが、試した結果、立ち去ったのである。余を義しさゆえに称賛し、余儀なき残酷さに同情しつつ。それなのに、異国の者たちに対して人間愛にあふれる者が、自国民たちに対してそれほどまでに残酷に振る舞うと汝らは思うのか。ただし、何らか格段に不正するなら別だが。

11.1
 さて、以上が、余自身のために汝らに弁明することで、真実であり、義しいことであり、憎むよりは称賛に値することであると、そう余自身を納得させている。そこで、奉納物のために、この牡牛を何処から、また、いかにして余が手に入れたかを、汝らが聞く適期である。これは、自分で彫刻家に注文したのではなく — こういう所有物を欲するほど、それほどの狂人ではありたくないからだ — 、ペリラーオスという内地人で、銅細工師としては善き者〔優れた者〕であるが、人間としては邪悪なやつがいる。こいつが、余の考えをまったく誤解して、いかな手段であれ懲罰することを余が欲していると思って、何か新奇な懲罰法を思いついたら、余に懇ろにできると思った。まさしくそういう次第で、この牡牛をこしらえて、余のところに持参した。見るからに最美にして、このうえなく精巧に似せられたのを。というのは、有魂であるとさえ思われるには、ただ動きと唸り声を欠いているだけであったからだ。そこで、見るなり余は叫んだ、『ピュトーにおわす方にふさわしい所有物だ、牡牛はあの神に送られるべきだ』。ペリラーオスはといえば、側に寄って、『お知りになれたらいかがでしょう」と謂った、「これにこめられた知恵や、これが提供できる用途を』。それと同時に牡牛の背のところを開けて、『誰かを』と彼は謂った、『処罰しようとなさったら、この装置の中に押しこんで錠をかけたうえ、これらの笛を牡牛の鼻の孔にあてがい、下から火をつけるよう命じてください、そうすれば、〔犠牲者は〕絶え間のない苦しみにとらわれて泣き喚き、その叫び声は、笛を通って、可能なかぎり晴朗な旋律をあなたのために奏で、悲痛な階調を笛で奏で、悲嘆の旋律を唸るでしょう。かくて、一方は懲罰され、閣下はその間中笛の音を享受できるというわけです』。

12.1
 余はといえば、これを耳にするや、男の悪しき工夫に吐き気を催し、拵え物の思いつきを憎み、やつに親しい罰を科してやった。そして、『しからば、いざ』と余は謂った、『おお、ペリラーオスよ、それが単なるそらごとの請け合いでないなら、自分で中に入って、この術知の真実を示し、叫ぶ者らを真似よ、そなたの謂う階調が本当に笛を通して響くのかどうかをわれらが知るために』。
 ペリラーオスはこれを承知し、余は、やつが潜りこんだので、やつを閉じこめ、火を点けるよう命じ、『受け取るがよい』とよは謂ってやった、『そなたの驚嘆すべき術知にふさわしい報酬を。音楽の教師たるそなた先ずもってみずから笛吹くために』。
 かくて、やつは自分の発明の才を享受して義しい目に遭った。余の方は、やつがまだ息があり、生きているうちに引きずり出すよう命じた。それは、やつが中で死んでその作品を汚さないためだが、やつを埋葬することなく、断崖から突き落とすよう命じ、牡牛の方は浄めて、神に奉納さるべく、汝らのもとに送った。また、これの上には、経緯のすべてを刻むよう命じた。つまり、奉納者たる余の名前、術知者ペリラーオス、やつの思いつき、余の義しさ、適切な罰、知者たる銅細工師の歌、音楽の最初の試みを。

13.1
 汝らとしては、おお、デルポイ人たちよ、義しいことを実行するはずである — 余のために、使節たちともども供犠し、牡牛は神殿の美しいところに奉納し、さすれば、余が邪悪な者たちに対していかなる人物であるか、連中の悪行への有り余る欲望を余がいかに防いでいるかを、万人が知ることになろう。
「デルフィのみなさん、あなたたちは、この使節と一緒にわたしに代わって神様に犠牲を献げて、この牛の像を神殿の中の汚れのない場所に納めてくださ るのがいいでしょう。そうすれば、わたしが悪人に対してどのような態度をとる人間か、彼らの悪事への異常な欲求を、わたしがどのようにして罰する人間であ るかを、誰もが知ることになるのです。とにかく、余の為人を明らかにするのは、次の一事だけでも充分である。つまり、ペリラーオスは懲罰を受け、牡牛は奉納され、他の者たちが懲罰を受けるときのために笛が保管されることはもはやなく、術知者唸り声以外にはもはや他の〔唸り声〕が奏でることもなく、ひとり彼の場合にのみ術知の試みをしただけで、あの非音楽的・非人間的な歌を余は中止したということで。
 余から神に差し上げられる物はこれだけである。しかし、余は他のものらもしばしば奉納するつもりである。もはや懲罰の必要なしと〔神が〕余にご容赦あるときは」。


14.1
 以上が、おお、デルポイ人諸君、パラリスからの〔言伝〕です。すべては真実であり、それぞれが為されたとおりの事柄です。われらが証言するのを、諸君に信じてもらって義しい〔当然〕であろう。われらは〔事実を〕知ってもおり、今、虚言する理由を一つとしてもっていないのであるから。しかしもし、邪悪な人間と徒に思われており、心ならずも懲罰することを余儀なくされている男のために、懇請する必要があるのであれば、われらアクラガス人が、ヘッラス人にして古のドーリス人として、諸君に嘆願しよう — 友足らんとし、公的にも私的にも、諸君のめいめいに善く為ることを努めてきた男を迎え入れるよう。  されば、諸君みずから牡牛を受け取り、奉納し、アクラガスのため、パラリス本人のために、祈願してもらいたい。そして、われらを無為のまま送り返すこともなく、あのかたを侮辱することもなく、神から最美であると同時に最も義しい奉納物を奪い取ることもないようにしてください。

//END


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