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ルゥキアーノスとその作品

ヘーラクレース

+Hraklh:V
(Hercules)





 訳出にあたって、近藤司郎氏の訳を下敷きにさせてもらった。多謝。


004 t 1
ヘーラクレース・序


1.1
 ヘーラクレースを、ケルト人たちは土地の言葉でオグミオスと名づけていますが、この神の姿はといえば、きわめて異様なものに描いています。彼らにとって〔オグミオスは〕極端に年寄りで、はげ頭、髪の残っている部分は確実に灰色で、皮膚はしわくちゃ、真っ黒なまでに日焼けしていて、歳とった漁師のよう、むしろカローンとか、タルタロスの底の住人イーアペトスとか、ヘーラクレース以外なら何でも想像するでしょう。しかしこんなふうではあっても、やはりヘーラクレースの装備をしているのです。というのも、ライオンの皮を身にまとい、右手に棍棒をもち、矢筒を身にかけ、左手は弦を張った弓を構え、左手にかかげ,全身これヘーラクレースそのものなのです。
2.1
 そこでわたしは思いました — ギリシアの神々の乱暴(u{briV)に対して、ケルト人たちはヘーラクレースの姿形にこのような無法を加え、絵画で彼に報復しているのだ。それは、かつて彼らの土地にウシ泥棒目的でやって来たからで、このとき彼はゲリュオネースの家畜の群を求めて、ヘスペリスの種族の多くの財を荒らしたのでした。
3.1
 しかしながら、この絵の最も意想外な点をまだ話しておりません。なにしろ、くだんの老ヘーラクレースときたら、おびただしい数の人間どもの一団を、その全員が耳で繋がれたのを引っぱっているのですから。繋いでいるのは、金と琥珀でこしらえられた細い紐で、最美の首飾りに似ていました。しかも、こんな弱々しいもので引っぱられながら、につながれて連れられているにもかかわらず,やろうとおもえば簡単にできるだろうに逃げ出そうとせず,まるで逆らいもせず,あるいは足を突っ張って引かれていく方とは逆方向に身を反り返らすこともせず, そうではなくて反対に,嬉しそうについていき上機嫌で引導者を称えながら,みんな大急ぎで我先にと鎖をたるませるものだから,もしも解放でもされた日にはかえって怒り出すのではないかというありさまなのです。
 しかし、何にもまして最も奇妙奇天烈にわたしに思われたのは、これを臆せず云いましょう。つまり、画家は紐の端を結びつけておくところを持たないために、すでに右手には棍棒、左手には弓を持っているものだから、神の舌先に穴をあけ、そこから彼らが引っぱられるようにした。それで、〔ヘーラクレースは〕連行される者たちの方に振り向いて、にこにこしているのです。

4.1
 わたしはといえば、長い間立ちつくしておりました、これを眺めつつ、驚きつつ、当惑しつつ、腹を立てつつ。すると一人のケルト人が側に立って、ギリシア語を精確に発声してみせているところから、彼はわたしたちの事情について無教養な者ではなく、わたしの思うに、郷土誌の愛知者らしく、「小生があなたに」と彼は謂いました、「おお、異邦の方よ、この絵の謎を解いて進ぜよう。この〔絵〕に、どうやら、混乱させられておいでのようなの。言葉というものを、われわれケルト人は、あなたがたギリシア人と異なって、ヘルメース〔の領分〕だとは考えず、われわれはそれをヘーラクレースに譬えますじゃ。その所以は、ヘルメースよりもはるかに強力なのが、後者だからじゃ。じゃから、老人としてつくられていても、驚いてはならん。なぜなら、唯一言葉のみが、老年において完全な盛期を示すことを愛するからじゃ、あなたがたの詩人たちが真実を言っているとするならばじゃが。「年端のいかぬ者どもの心は浮ついている」(Il.3.108)が、「老齢は若者たちに比べれば、いささかなりと知慮に富んだことを話せるもの」(Eur.Phoen.530)とな。少なくともそういう次第で、ネストールの舌からもあなたがたに蜂蜜が流れ出し(Il.1.249)、トロイア勢の口達者たちが、花咲きにおう声を放つ(Il.3.152)のじゃ。たしか百合と呼ばれているな、わたしの記憶が正しているところでは、その花は。
5.1
 じゃから、耳と舌とを繋がれた者たちを、この老ヘーラクレースが引っ張っていても、これもまた何ら驚くことはないのじゃ、あなたが耳と舌の親近性をご存知であろうから。彼を侮ってはいけません,たとえこれ〔舌〕に穴があけられているのも、彼にとっては何ら乱暴(u{briV)ではない。たしか、わしの記憶では」と彼は謂いました、「あなたがたのもとでイアムボス調の喜劇も学んだのじゃが、『あらゆるおしゃべりたちにとって、舌はその先端に穴を穿たれている』と。
6.1
 総じて、当のヘーラクレースも、われわれは考えるのじゃが、賢者であって、言葉で万事を成し遂げ、説得でもってたいていのことを強制したのだと。そして、彼の矢とはまさしく言葉なのであって、わたしの思うに、それは鋭く、的を射て、素速く、魂を傷つけるもの〔言葉〕じゃ。じっさい、詩句に翼ありと、あなたがたも謂うておろう」。

7.1
 これだけのことが、そのケルト人の〔言ったことです〕。さてわたしはといいますと、このパロドスのここで、自分で自問自答しておりました — わたしはいい歳をして、昔に演示はやめてしまったのに、これほどの判者の方々に、もう一度わたしに一票を投じてくださいとお願いすることが美しいのかどうか、そんなおり、その絵のことを想起する好機に見舞われたのです。
 というのは、それまでわたしは危惧しておりました。 — あなたがたの誰かに、こんなまったく青臭いことを創作して、年甲斐もなくいきっていると思われるのではないか、だからまた、ホメーロス風の若者がわたしを咎めるのではないかと。「貴殿の臂力は弛みきり」とか、「無惨な老いが貴殿をとりつき」とか、「今ははや、介添えとて不甲斐なく、馬とても鈍い」(Il.8.103f.)とか云って、こういうことばで足元を冷やかしながら。しかるに、あの老ヘーラクレースを思い起こすと、どんなことでもやるよう導かれますし、こんなことを敢行しても、恥ずかしくありません。わたしはその絵の同輩なのですから。
8.1
 ですから、力強さも速さも美しさも、身体に属するかぎりの善をして別れを告げさせよ。そして、おお、テオースの詩人〔アナクレオーン〕よ、御身のエロース〔恋神〕をして、わたしの灰色がかった顎を覗きこんで、彼が望むなら、黄金に光る翼の羽根で、飛び交わせしめよ。ヒッポクレイデースも気することはないでしょうから(Herod. 6.126-131)。今や、言葉にとって、すっかり育ち、花咲き、最盛期となる時、そして、可能なかぎり多くの耳を引き寄せ、何度も弓を射かける〔時です〕。知らないうちに彼〔エロース〕の矢筒が空になるのではないかという心配は何もないのですから。

 ご覧のとおりです — わたしがいかに自分自身の年齢や老いを奮い立たせているか。それ故にこそ、わたしは敢えて、昔陸に引き上げておいた小舟を引き降ろして、持てるかぎりのものを装備して、海洋の真ん中へ漕ぎ出そうとしているのです。どうか、おお、神々よ、御身らのもとから右手の〔風〕を吹き込みたまえ。今まさに、帆いっぱいにふくらませる、結構な道連れの風(Od.11.7;12.149)をわたしたちは必要としているのですから。それは、もしわたしたちが価値あるものに見えるなら、わたしたちのためにもホメーロスのあの一節を誰かが復誦してくれるために。

 「ぼろ衣から何と老人は立派な腿を見せていることか」(Od.18.74)と。

//END
2011.11.01.




オグミオス(Ogmios)
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ヘルメースとして描かれたオグミオス
画像出典:OGMIOS-OGMA By Albrecht Drürer

 オグミオス神については、紀元2世紀のギリシアの作家サモサタのルゥキアーノスの書いたものから知ることができる。オグミオスは明らかにギリシア・ローマの半神英雄 — 英語など、「ヒーロー」の語源herosはもともとdemi-God半神という意味である — へーラクレースに比せられている。
 ルゥキアーノスは、おそらくマルセイユ近くのガリア・ナルボネンシスに住んでいたとき見たと思われるオグミオスの絵のことを記している。オグミオスは普通へーラクレースにつけられている弓と根棒とともに描かれるが、オグミオス=へーラクレースはギリシア・ローマ神話の力強い神ではなく、頭が禿げて日焼けした年寄りとして描かれている。奇妙なのは、ルゥキアーノスの記している絵の神は、その舌先と細い金の鎖でそれぞれ耳がつながれている幸せそうな一団の人々を後ろに従えていることである。ルゥキアーノスは、へーラクレースの強さはその雄弁にあるとケルトでは思われていると、ガリアの知人から聞いていた。
 ルゥキアーノスの証言のほかに、オグミオスは、コンスタンツ湖に面した都市ブレゲンツから出土した2つの鉛のデフィキシオネス(呪いの銘板)で祀られている。その1つは、子を産めない女性は決して結婚しないように邪魔をして呪いをかけてくれという願いだった。

 名前以外にも2つの特徴によって、ローマ=ケルトのオグミオスと初期の文献に出てくるアイルランドの神オグマは同一と考えられよう。オグマはへーラクレースのような「猛者」として描かれているばかりでなく、またオガム文字(石や木の垂直の二面にかけて、またはその角に、水平か斜めにしるしを刻む)の考案者とも考えられている。
 (『ケルト神話・伝説事典』)


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