title.gifBarbaroi!
back.gifヒッピアス、あるいは、浴場

ルゥキアーノスとその作品

ディオニューソス

DiovnusoV
(Bacchus)


[解説]
 ルゥキアーノスの時代に、弁論術的な才気のひらめきを持った形式的な作品に、多かれ少なかれ私的なくだけた話を序に付けるという習慣が起こった。A. Stock, de prolalisrum usu rhetorico, Königsberg, 1911 を見よ。「ディオニューソス」は、『本当の話』第2巻の序だというのが一般の見解である。(A. M. Harmon)

 翻訳にあたって、近藤司郎氏の訳を下敷きにさせていただいた。多謝。


003 t 1
ディオニューソス・序


1.1
 ディオニューソスがインドイ人に向けて軍隊を進めたとき — 思うに、あなたがたにバッコスのことを語るのに何の差し支えもあるまいから — 言い伝えでは、かの地の人間どもは、最初、彼を見くびるあまり、攻め来るのを嘲笑し、それどころか、その大胆さを憐れみさえしたという。立ち向かってきても、たちまち象たちにぺしゃんこに踏みにじられよう、と。というのは、思うに、見張りたちが彼の軍隊について奇妙なことを報告するのを彼らは聞いていたからである。「彼の密集部隊と軍団は、狂乱した、狂気に憑かれた女どもで、蔦の花冠をかぶり、仔鹿の皮をまとい、鉄製でない小槍を持ち、これもまた蔦製で、また、ひとが触れるだけでぼんぼんと鳴る軽い小楯〔を持っている〕」。思うに、小太鼓(tuvmpanon)を丸楯と彼らは想像したのであろう。「他方、その中に、小人数の田舎くさい若者たちが何人かいて、彼らは裸で、コルダクス〔古喜劇の猥褻な踊り〕を踊っているが、尻尾と、生まれたての仔山羊に生え出たような角を持っている。
2.1
 大将本人はといえば、軛につながれた豹の牽く二輪戦車に乗り込んでいるが、髭は皆無、頬にも少しもなくてすべすべ、角を生やし、ぶどうの房を頭に冠して、髪紐(mivtra)で髪を結び、紫衣と金色の沓を身につけている。大将代理を務めるは二人、一人は、かなりちびの、年配者で、太っちょ、太鼓腹、鼻べちゃ、ピンと立った大きな耳を持ち、〔身体は〕わなわな震えていて、杖を突いているが、おおかたは驢馬に乗り、この男もサフラン染めの〔女物の〕衣に身を包み、自分の部隊の指揮官のような者としてまったくお似合いである。もう一人は、化け物じみた人間で、下半身は牡山羊に似ており、脚は毛むくじゃら、角を持ち、長い髭、怒りっぽくて性急、別の手に葦笛を持ち、右手には曲がった笏を振りかざして、陣営中を跳ねまわり、女子衆は彼に驚いて、彼が近づくたびに、風になびく髪を振り乱し、「エウオイ!」と叫ぶ。これは、どうやら、自分たちの主人を呼んでいるらしい。とにかく、羊の群はとうに女どもに奪われ、家畜は生きたままばらばらにされた。彼女らは生肉を喰らうような連中だから」。

3.1
 これを、インドイ人たちとその王が聞いて、尤もなことながら、大笑いし、迎え撃ったり戦列をひいたりすることもせず、連中が接近したら、たかだか、〔インドイ人の〕女どもを彼らにぶつければいいと考えていた。彼らには、勝ったり殺したりするのは醜いことである思われたのだ — 気のふれた女子衆、女物の髪紐をつけた指揮官、酔っぱらった小さな老人、別の半山羊の将兵、裸の合唱舞踏隊、どれもこれもおかしな連中を。しかし、この神がすでに国土に火を放ち、町を人もろとも焼き尽くし、森に火をつけて、瞬く間にインド全土を火の海にしてしまった — 火はディオニューソスの一種の武器であり、父祖伝来のもの、雷に由来するのだから — と報告されるや、事ここに至って、彼らはようやくあわてて武具を身にまとい、象に鞍を置き、轡をかませ、その背に櫓を載せて、迎撃に向かったが、その時になってもまだ、一方では軽蔑し、他方ではやはり腹を立て、あの髭なし大将を、当の陣営でひねりつぶさんものといきまいていた。
4.1
 さて、彼らが接近して相見えたとき、インドイ勢は象を先頭に押し立てて、密集隊(favlagx)を進め、片やディオニューソスは、みずからが中央を受け持ち、その両翼には、右翼をシーレーノスが、左翼をパーンが嚮導した。軍団長や部隊長には、サテュロスたちがおさまっていた。そして合言葉は、いつでも「エウオイ!」だった。ただちに小太鼓が打ちならされ、シンバルが戦闘を合図し、サテュロスの一人が角笛を取って縦隊進撃に伴奏し、シーレーノスの驢馬は戦の神憑った嘶き声をあげ、大蛇を腰に巻いたマイナスたちは、テュルソスの先端の鋼鉄を剥き出しにして、喊声(ojlolughv)とともに跳びかかった。片やインドイ勢とその象たちは、たちまち崩れて、算を乱して敗走し、飛び道具の射程内に踏みとどまることもなく、ついには力ずくで捕りおさえられ、捕虜として、それまで嘲笑されていた者たちによって連行され、異邦の軍隊を、初めに耳にしたことを根拠にして侮ってはならないということを、行動によって学んだのである。

 
5.1
 「ところで、ディオニューソスに対してこのディオニューソスは何なんだ」とひとは云うであろう。わたしには思われるのだが — 女神カリスたちにかけて、わたしがコリュバースの狂躁に憑かれているとか、完全に酔っぱらっているとか推量しないでいただきたい。たとえわたしのことをわたしが神々に譬えても — 多くの人たちは、新しい言説に対して、あのインドイ人たちと同じようなことを体験するのだが、それはわたしの〔言説〕に対しても同じである。つまり、サテュロス芝居や何か滑稽なこと、すなわち、すこぶる喜劇的なことをわたしたちから聞かされるのだろうと思っているので — なぜなら、彼らはそういう確信を持っていて、わたしについて彼らにどう思われているかわたしは知らないのだから — ある者たちは端からやって来もしない。象たちから降りた者たちが、女たちのお祭り行列や、サテュロスたちの跳ねまわりに耳を傾ける必要など何もないわけだし、ある者たちは、何かこういったことのためにやっては来るが、蔦の代わりに鋼鉄を発見すると、事態の意想外さに騒然となって、称讃するのもままならぬのである。しかし、わたしは勇んでこの人たちにこう公言しよう。かつてのように今も、秘儀を何度も目にする気があり、古の飲み仲間が、「かつて盛りの時の共通の祭り行列」〔出典不明〕を憶えているなら、そして、サテュロスたちやシーレーノスたちを侮らず、この混酒器一杯の酒を飲むならば、彼らもまた今なおバッカスの秘儀に与り、われらとともに何度も「エウオイ!」と言うであろう、と。6.1 そこで、前者は、 — 聞くのは自由なのだから — 何でも好きなことをせしめよ。

 わたしとしては、インドイ人たちの中にまだいるのだからして、他にもそこにあるのことをあなたがたに話したい。これもディオニューソス崇拝と無関係ではなく、わたしたちがしていることとも無縁ではない。インドイ人のマクライオイ族民、彼らはインドス川の、これの川下に向かって見ると左岸に、オーケアノス〔外洋〕に至るまで広がって居住していたが、彼らのところの囲い地の中に聖なる森があった。〔この囲い地は〕それほど大きくはなかったが、深い陰に包まれていた。というのは、おびただしい蔦や葡萄の木が、これをすっかり陰濃やかにしていたからである。ここに、このうえなく美しく、このうえなく透き通った水をたたえた泉が3つあり、一つはサテュロスたちの、一つはパーンの、一つはシーレーノスのものだった。ここに、インドイ人たちは年に一度入りこんで、神の祝祭を執り行い、泉の〔水を〕飲むが、すべての〔泉〕から全員が〔飲むの〕ではなく、年齢に応じて、少年はサテュロスたちの〔泉〕から、盛年はパーンの〔泉〕から、シーレーノスの〔泉〕からは、わたしと同世代の者たちが〔飲むの〕である。

7.1
 さて、子どもたちが飲むと、どんな体験をするかとか、盛年がパーンに取り憑かれるといかなることを〔体験する〕かとか、言うと長くなろう。だが、老人たちが、水に満たされた場合、何をするか、云うのは無関係ではない。老人が飲んで、シーレーノスが彼に取り憑くと、たちまち、長いこと声を失い、千鳥足となって酒にひたった者に似、それから急に、澄んだ音声(fwnhv)と、冴えわたる声色(fqevgma)と、高鳴る語気(pneu:ma)が彼に内生し、最も寡黙な者から、最も冗舌な者となり、轡をかませても、彼がしゃべり続け、長広舌をふるうのをあなたはやめさせることができないであろう。しかしながら、すべては理解可能な、正常なことであって、ホメーロスのあの弁論家の在り方なのだ。というのは、「冬の日の雪にも似たものが通り過ぎる」(Il. iii_222)のだから。もっとも、彼らを白鳥に譬えることは、あなたにとって無理だとしても、蝉のようなものとして、夕方遅くまで、一種密にして軽快なる〔律動〕を繋ぎ合わせるのである。それからは、彼らの酔いがすっかり引くと、沈黙し、もとの状態へと戻る。とはいえ、最も意想外なことをまだ云っていなかった。というのは、老人が日没のせいで、自分が詳述している言葉を最後まで語り終わるのを妨げられ、途中で未完成のまま残した場合には、翌年にもう一度水を飲んで、前年に酔いが彼を置き去りにした〔時に〕言っていたそのことを繋ぎ合わせるのである。

8.1
 以上は、モーモス〔非難の神〕に倣って、わたしによってわたし自身をからかわれたものとしていただきたい。ゼウスにかけて、わたしはもう教訓を引き出すことはしない。なぜなら、わたしがいかほど神話に似ているか、すでにあなたがたは目されたのだから。だから、もしわたしたちが何かしくじったなら、酩酊が原因だが、もし言われている事柄が真っ当だと思われるなら、それはシーレーノスが親切だったということなのだ。

//END
2011.11.12.


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