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ルゥキアーノスとその作品

占星術について

Peri; th:V =AstrologivaV
(De astrologia)





[解説]
 天罰としての占星術に対する揶揄的讃辞、これを、イオーニアの話し言葉を使う昔の名士 — ほとんど確実にデーモクリトス、イオーニア散文の文体とその作者であるヘーロドトスの仲間 — の言ったことにし、キケロ(de Divin., I, 42)に従って、占卜についての論文調で。

 本編はきわめて巧妙で、あらゆる人を(わたし自身を含めて)騙して、これを本気に受け取らせ、したがってこれが偽作であると公言させるほどである。しかしながら、これがルゥキアーノスの原点であることは、近くから充分に見れば明白である。オルペウスは、ルゥキアーノスの他の箇所では、哲学や舞踏をギリシアに導入した指導的役割を与えられているが、ここでは占星術を唱導者である(「説明的に」ではないが)。冥界におけるオデュッセウスは、テイレシアースの言うべきことを聞くことに熱心なあまりに、自分の母親の「亡霊」が渇しているのを目にすることを堪える。タルタロス同様(「哀悼」8)、疑いもなく〔死者でさえ〕渇きで死ぬらしい。エジプトでは人によって崇拝する獣帯の徴が異なるという小説的臆見は、彼らの神々が動物の姿をしていること — ルゥキアーノスが悪戯っぽく立ち帰り続ける話題である — ばかりでなく、魚の禁忌 — その所以についてはヘーロドトスは寡黙であった — を説明するのに利するが、「シリアの女神」の中で彼は言及する。神話の合理的解釈に対する同じような瞬きしながらの彼の愛好は、他の箇所ではプローテウスのみならず、エムプーサをも無言劇的なdaneerに向かわせるが、ここでは完全な自由奔放さで占星術的な意味の中に自己主張し、ついにはパーシパエーを名工の仲間に含めるまでに至る。そして、物語をすることに対する純愛は、彼をお気に入りの物語、つまり、パエトーンのそれの繰り返しへと逸脱させるとき、彼の文体が彼を完全に裏切る(「琥珀」と「神々の対話」25を参照せよ)。

 本編は揶揄的讃辞にすぎないが、そこに含まれる面白さにもかかわらず、やはりsatireとかparodyほどの意味はまったくない。本編はもともとは、『パラリス』I・IIと同じ性質のソフィスト的な文学練習で、ここに含まれる面白さは偶然のもの — ルゥキアーノスの言う「片手間仕事」である。この効果をいくぶん得るために、翻訳は、Sir Thomasが『Vulgar Errors』の中に現れるようなほのめかしを出すよう心がけられた。(A. M. Harmon)




占星術について(Peri; th:V =AstrologivaV)

 [1] 天に関説し、星辰に関説する本書は、星辰そのものを扱うのではなく、天そのものを扱うのでもなく、ほかならぬこれら〔天や星辰〕から人間どもの人生に介入するところの占術と真理に関わるものである。とはいえ、わがロゴスは、訓戒を有するのではなく、いかにしてこの占術に秀でるかという教えを告げるのでもなく、知恵ある者たちがみな、他の事柄はおのれの子どもたちにも修練させ、話して聞かせながら、ひとり占星術のみは、尊重もせず、修練させもしないことを非難するものである。[2] 実際、知恵というものは古い — われらの時代に新しく達したのではなく、往古の神々の友なる王たちの為事(e[rgon)である。しかるに今の代の知者たちは、無学、無頓着、かてて加えて苦労嫌いとあって、あのものらに反感をいだき、偽りの占いを受けた人に出会いでもしようものなら、星辰に有罪判決を下し、占星術そのものを憎み、これを健全なところも真実なところもない、ロゴスは偽りで風のようなものとみなすのだが、それは義しくないとわたしには思われる。なぜなら、大工の不識は、大工術そのものの不正ではなく、笛吹きの無音楽は、音楽術の無知ではなく、むしろ彼らこそが諸術知の無学者であり、それぞれの〔術知〕はそれぞれにおいて知恵あるものなのである[1]。

[註]議論については、『舞踏』80参照。

 [3] このロゴスを人類のために初めて確立したのはアイティオプス人たちである。その原因は、ひとつは族民の知恵にあり — というのも、その他の点でもアイティオプス人たちは他の族民よりも知的であるから — 、ひとつは住んでいる場所の善運さにある。というのは、快晴と凪がいつも彼らを取り巻き、年の推移を辛抱することもなく、ひとつの季節に暮らしているからである[註]。それゆえ、まず最初に、月はいつも等しく見えるわけではなく、多形であり、時により形を変えることを見て、このものが驚きと困惑に値することは彼らに思われたのである。ここにおいて、探究の結果、その原因を発見した。つまり、月の光は固有のものではなく、太陽からそれに来たものであるということである。[4] さらにまた彼らが発見したのは、他の星辰 — ほかならぬ惑星とわたしたちが呼ぶところのものである。他のものらのうちこれらのみが動くからである — の運行、それらの自然本性、権能、おのおのが何を達成するかという働きである。そこにおいて、それらに名前をつけたが、それは、思われているのとは違って名前ではなく、象徴なのである。

[註]ルゥキアーノスの時代に流布していた学説では、占星術の起源はエジプトに帰していた。われわれが称賛すべきは、エチオピアに好意を寄せる彼の見識である。ディオドロスは、彼らは最初の人間であり、神々を崇拝することを最初に人間に教え、エジプト人たちは彼らの植民であること、エジプトの文明の大部分はエチオピア人のものであると記録している(III, 2, 1)。そしてもし、プラトンの『エピノミス』やマクロビウス(Comm. in Cic. Somn. Scip., I, 21, 9)の中でわれわれが読むように、エジプト地帯が天象の研究に指導的だったとすれば、エチオピアのそれは、当然、はるかにもっとそうであることになる。

 [5] 以上、アイティオプス人たちは、天に観察した事柄を、その後、隣人であるアイギュプトス人たちに未完成のロゴスとして引き渡し、アイギュプトス人たちは、彼らから受け継いで、完成途中の占術をより高い段階に引き上げ、おのおのの動きの尺度を明示し、年々や月々や季節々々の数を決定した。そして、月々の尺度は月とその回帰(ajnastrofhv)が、年のそれは太陽と太陽の公転(perivforoV)が彼らによって充てられた。[6] しかし彼らは、他にももっと多くの、これらよりも大きなことを案出した。つまり、全天と、他の惑動することなく確定していて、決して動かない〔星辰〕を、動くものたち〔星辰〕のために、12に分割し、〔形は生き物であるが〕「宿(oijkiva)」とも名づけ、これらのおのおのが別の姿へと模写された。そのあるものは海獣、あるものは人間、あるものは獣、あるものは鳥類、あるものは家畜へと。

 [7] かるが故にこそ、アイギュプトスの聖なるものらも多形に作られている[註]。なぜなら、アイギュプトス人たちはみな、12の部分すべてから占うのではなく、他の人たちは他の部分を使い、例えば、牡羊座を仰ぎ見る人々牡羊を崇拝し、魚座に先触れを見る人々は魚を食さず、また山羊座に精通する人々は山羊を殺さず、その他の人たちもその他の〔聖なる〕ものらを各人各様に宥めているのである。もちろん牡牛をも、天界の牡牛の栄誉をたたえて崇めており、そしてアーピスは、彼らにとって最も聖なるもので、国土を養い、かの地の人たちは、占いはあの牡牛の占いの徴として捧げるのである。

[註]獣帯の徴の発明を、エジプト人たちに信任状を与えることで、われわれの作者は同時代人(cf. Macrobius, loc. cit.)と一致するが、これらの徴からエジプトの神々の動物の形姿を導き出したり、その地方における魚の禁忌を魚座と結びつけることは、彼の独自の研究の結果を表す。

 [8] しかし久しからずして、リビュア人たちもこのロゴスに足を踏み入れた。というのも、リビュア人たちのアムモーンの占いは、これもまた天とその知恵に基づいており、これを基に、この人たちもアムモーンを牡羊の頭に作っているからである。[9] さらにこれらのおのおのの事柄をバビュローン人たちも、この人たちはといえば、言われているところでは、他の人たちよりも先にさえ知っていたというのだが、わたしに思われるところでは、この人たちにこのロゴスが達したのは、ずっと後であるようである。[註]

[註]『シリアの女神』(2)の中では、ルゥキアーノスは宗教におけるバビュローン人の優位の主張を考えていたようである。『逃亡者』の中では、哲学はインド、エチオピア、エジプト、バビュローン、ギリシアと続く。

 [10] ヘッラス人たちはといえば、アイティオプス人たちからも、アイギュプトス人たちからも、占星術について何ひとつ聞くことなく、彼らにとっては、オイアルゴスとカッリオペーとの子オルペウスがこれを宣明した最初の人であったが、まったく明瞭ではなく、ロゴスを持ち出したのは光の中でもなく、魔術的・神秘的言説の中へであった。それがあの人物の(dianoiva)であった[1]。というのは、彼はリュラを組み立てて、狂宴(o[rgia)を挙行し、聖なる歌を歌った。そしてリュラは7弦からなり、惑動する星辰の調和を奏でていた[2]。これらを尋ね求め、これらを喚起して、あらゆるものを魅了し、あらゆるものを支配した。

[1] アトラスは最初の天文学者であるということが、よりよく確証されていたらしい。cf. Cicero, Tusc. Disp., V, 3, 8, and Vergil, Aen., I, 740. 彼は天空の教説をヘーラクレースに教え、ヘーラクレースがこれをギリシアに導入したという事実は、ヘスペリスたちの林檎の物語の基礎になる — とにかくディオドロスはそう言う。しかしながら、オルペウスはいろんな方面で活動的な人物であった。例えば、哲学(『逃亡者』8)、非常に好ましい舞踏(『舞踏』15)、そしてゲラサの数学者ニコマコス)との関係で。ルゥキアーノスの同時代は、オルペウスのリュラは惑星と合致させるため7弦で、宇宙の音楽を演奏するということで、彼に同意していた。
[2] この考えは、惑星は唯一の楽器を形成し、本来天文学者であるオルペウスが真に関心をいだいた唯一の音楽を演奏している、ということである。

 オルペウスが石とか顔料とかで模写されたのを目にしたことがあるなら、真ん中に坐り、歌っている人のように、手にリュラを持ち、彼のまわりには無数の生き物たちが立ち、その中には牡牛も人間もライオンもその他のそれぞれのものがいたことであろう。これらを目にしたとき、私のために以下のことを想起していただきたい、あのひとの歌は何であり、リュラもまた何であり、牡牛もまた何であるか、あるいは、オルペウスに聞き惚れているライオンとは何なのかと。そして、わたしが言うところの所以を知れば、あなたは天におけるそれらのおのおのをも明察できよう。

 [11] 世人が言うには、ボイオーティアーの人テイレシアースの名声は占術に関して大いに高まったものであるが、このテイレシアースがヘッラス人たちの間で云ったという。迷動する星辰のうちあるものは雌であり、あるものは雄であって、等しいことを成就するのではない、と。さらに、テイレシアース自身も2つの自然本性をそなえ、両方の人生を — あるときは女の、あるときは男の — 人生を生きたのだ、と世人は神話する。[註]

[註]ここに再びわれわれは「独自の思想」を持つ。この神話の非常に広汎な異本の説明は、早くはCephalioによって提起された(cf. J. Malalas, Chron., p. 40), 1, in the Bonn edition)。それに依れば、テイレシアースは出産の神秘に関心をいだいた医師の弟子だったという。

 [12] また、アトレウスとテュエステースとが、父祖伝来の王位をめぐって愛勝したときには、ヘッラス人たちにとって占星術と天の知恵とは、明らかに既に非常に重視されており、アルゴス人たちの共同体は、別の者よりも知恵に抜きん出た者が自分たちを支配すべしと決定した。さればこそ、テュエステースは天に現れた牡羊座を彼らに前兆として演示し、かるが故にこそ、黄金の雄羊がテュエステースのものになったという神話になっているのである。これに対してアトレウスの方は、太陽とその上昇について、太陽と宇宙[1]は等しい軌道を動くのではなく、相互に対蹠的な位置を反対方向に動くのであり、今下降(duvsiV)と思われているのは、宇宙の下降であって、太陽の上昇(ajnatolhv)であるというロゴスを展開した。こう云った彼をアルゴス人たちは王とし、彼の知恵のおかげで大いなる名声を得たのであった。[2]

[1] 恒星の位置する天空ないし天体のこと。これは東から西に回転すると考えられている。もちろん太陽もこの動きに与るが、自身の反対の動きを有し、これは動く車輪の外縁を歩く蟻のそれは、車輪の動きと逆方向になることに比せられる。
[2] 以前の著作者たちは、ルゥキアーノスの「不備」として取り残した。アトレウスが、太陽の逆行運動の発見で王位を得たということは、ポリュビオス(XXXIV, beginning)に知られていたのみならず、アラトスに対する注釈者(Achilleus: Maass, Comm. in Arat., p. 18)によれば、ソポクレースやエウリピデースにさえ知られていた。ルゥキアーノスが思いついたのは、テュエステースも天文学者であって、牡羊座の発見者であることを指摘し、太陽の真の動きが東から西へであるかぎり、彼が真に上にのぼる、つまり、上昇するのは、彼が沈むときであり、下にくだる、あるいは沈むのは、彼が立ち上がるときであるという示唆と、他の教説にパラドクサの感触を付け加えること〔を思いついたの〕であった。

 [13] さらに、わたしはベッレロポンテースについても次の考えをもっている。馬のように彼に翼があったということには、わたしはまったく納得せず、わたしが思うに、彼はこの知恵を求めて高みを熟慮し、星辰と交わって、天へと、馬によってではなく、知性(dianoiva)によって上ったのだと。

 [14] 等しいことが、アタマースの子プリクソスについてもわたしによって述べられているとしていただきたい。彼こそは、黄金の雄羊によって、霊圏を通って駈けたと神話されている人物である。もちろん、アテーナイ人ダイダロスもそうである。記録は奇妙であるが、わたしが思うに、占星術にほかならず、自らそれを用いたのはもちろん、自分の子どもをも仕込んだ。[15] ところがイーカロスの方は、若さと思い上がりのなすまま、適切なことを求めることができず、理性を天頂へと引き上げられて、真理から転落し、ロゴス全体から逸脱して、底無しの状況の海洋に陥ったのであるが、ヘッラス人たちは別様に神話し、この海の湾を彼にちなんでイーカリオス海と呼ぶのである。

 [16] おそらくはパーシパエーもまた、ダイダロスから、星辰の中に出現する牡牛と、占星術そのものとについて聞いて、このロゴスに対する恋に陥り、ここにおいて、ダイダロスが彼女を牡牛の花嫁にしたと世人は信じているのである。[註]

[註]パーシパエー神話のこの説明が、飛行伝説に対するルゥキアーノスの名手的扱いにいかに適切に出版社マークを捺すか、読者が注意しそこなうことはあるまい。これはまったく彼自身のものである。

 [17] また、この知識を部分部分に分けて、それらについておのおのが別のことを考えつく人たちもいて、ある者たちは月に関係する事柄を、ある者たちは木星に関係する事柄を、ある者たちは太陽に関係する事柄を集めて、それらの軌道と [18] 動きと影響力について〔考えつく〕。そしてエンデュミオーンは [19] 月に関係する事柄を体系づけ[註]、パエトーンは太陽の軌道を推察したが、厳密にではなく、ロゴスを不完全なままに残して亡くなった。一部の人たちはこのことに無知で、パエトーンをヘーリオス〔太陽〕の子だと思い、彼についてまったく信じがたい神話を語る。すなわち、父であるヘーリオスのところに赴き、光の戦車を禦することを要請し、彼〔ヘーリオス〕は彼〔パエトーン〕に許可し、馬を操る法をも教えたという。ところがパエトーンは、戦車に乗りこむや、若気と無経験のせいで、時には地表近くに禦し、時にはあまりに地上からはるか高くに揚げて禦した。そのため、人類をば、耐えられない寒気と熱気で滅ぼした。まさにそのために、ゼウスは立腹して、稲妻をともなう大旋風(prhsthvr)でパエトーンを撃った。落下した彼を、姉妹は取り囲んで大いに哀悼し、ついに姿を変じて、今も彼女らは黒ポプラ(Populus nigra)となって、彼のために琥珀の涙を流している。これはそういうふうではなく、そのことに納得することが敬虔なわけでもなく、ヘーリオスが子を作ったわけでもなく、彼の子が死んだわけでもない。

[註]アラトスに対する注釈において、シキュオーンのムナセアスは、月の軌道の発見をエンデュミオーンに帰しているという情報をくれた点で、われわれはGermanicusに学恩を負う。飛行伝承の鍵を見つけたことで、ルゥキアーノスがパエトーンの中にエンデュミオーンを釣り飾りにすることは容易であった。

 [20] ところが、他にも多くの神話めいたことをヘッラス人たちは言うのだが、これをわたしはこれっぽっちも納得しない。いったい、アイネイアースはアプロディーテーの子である、ミノースはゼウスの、アスカロポスはアレースの、アウトリュコスはヘルメースの〔子である〕と信じることが、どうして敬虔なことなのだろうか。いや、この者たちは、それぞれがあれら〔神々〕の神に愛されし者であって、彼らが生まれるとき、ある者にはアプロディーテー〔金星〕が、ある者にはゼウス〔木星〕が、ある者にはアレース〔火星〕が目にかけたのだ。というのは、実際、人間どもにとって、その誕生の際にどれほどの力が宿の優位を占めていようと、これが自分たちの生みの親のように、容色であれ、形姿であれ、仕事であれ、知性であれ、達成するのであり、ミノースが王になったのはゼウス〔木星〕の導きがあったため、アイネイアースの美しさはアプロディーテー〔金星〕の企みによって備わったのであり、盗人アウトリュコスは、彼の盗人術がヘルメース〔水星〕から到来したのである。

 [21] むろん、クロノスをゼウスが縛ったわけでもなく、タルタロスに投げこんだわけでもなく、その他のことを、人間どもが思いなしているのとは違って、たくんだわけでもなく、左様、クロノス〔土星〕はわれわれからはるか遠く、外側の軌道を運ばれており、その動きはのろく、人間どものようなものに見られるのは容易ではない。だからこそ、彼は足枷をはめられたかのように静止していると言われるのである。また、大気のはるかなる底はタルタロスと呼ばれる。

 [22] とりわけ、詩人ホメーロスとヘーシオドスの叙事詩から、古の占星家たちと一致する事柄をひとは学ぶことができよう。で、ゼウスの綱[1]とヘーリオスの牛群を物語るとき、わたしはこれこそが日々[2]であると解し、ヘーパイストスが楯の中に作りこんだ諸々の都市も、合唱舞踏隊も、果樹園も……[3]アプロディーテーと、アレースの姦通に対して彼によって言われたかぎりのことは、これもまた明らかにこの知恵から詩作されたものにほかならないからである。というのは実際、アプロディーテー〔金星〕とアレース〔火星〕の合(oJmodromiva)こそが、ホメーロスの歌を制作するのであるから。他の叙事詩の中では、それらのおのおのの仕事を規定して、アプロディーテーに〔こう〕云う。

いやさ、御身は、こころゆかしい婚姻の仕事に関わるがよい。

戦争のことについては、

かようなことは万事、すばしこいアレースと、アテーネーの関心事。[4]
[1] ホメーロス『イリアース』VIII, 18-26。ゼウスは、自分の強さを自慢しながら言う。もしも黄金の綱が天から降ろされて、どんな他の牛群であれ女神たちであれこれを持っても、自分を引き下ろすことはできず、むしろ自分が彼らを、大地も海ももろともに引っ張り上げ、綱をオリュムポスに結わえつけ、あらゆるものを宙づりにして立ち去るのだと。ソークラテースは『テアイテートス』153Aの中で言う。黄金の綱でホメーロスが意味しているのは、太陽にほかならない。他の人たちは、エウスタティオス(695, 9)によれば、彼に惑星の天体を意味させている。
[2] Odyssey, XI, 104 ff.; XII, 260 ff.
[3] Iliad, XVIII, 490(諸々の都市);561(果樹園);590(合唱舞踏隊)。これらの言葉に続いて、テキストに欠損が現れ、ルゥキアーノスの比喩的説明からわれわれを引き離す。合唱舞踏とは惑星の歌と舞踏(cf. Dance, 7)であることを見るのは容易であるが、諸々の都市と果樹園の天文学的意味はちょっと曖昧である。
[4] Iliad, V, 429, 430.

 [23] まさにこういったことを見て、昔の人々は占術を最も重用し、これを片手間仕事とはみなさず、諸々の都市を建設することも、諸々の市壁をめぐらすことも、人殺しをしでかすことも、女たちを結婚させることも、占い師たちからそれぞれのことを実際に聞かないうちは、実行しなかったのである。というのも実際、彼らにとって占い事とは、占星術以外ではなく、デルポイでは、乙女は天の乙女座の前兆予言として持ち、大蛇が鼎の下で発声したのは、星辰の間にも大蛇が現れるからである。また、ディデュモイでも、アポッローンの占いは、わたしに思われるところでは、これもまた上天の双子座から名づけられている。[註]

[註]現代哲学は、生真面目にも、ディデュマ(Didymi)はその名を双子座(Gemini)に負うているというしあわせな考えを拒否して、名前はIdyma, Sidyma, Loryma, etc.と同じくCarianだと説明する(Bürchner, in Pauly-Wissowa, s. v.)。

 かくのごとく、彼らには占術は最も聖なるものと思われた結果、オデュッセウスがさすらいに疲れたとき、自分が陥っている事情についてはっきりしたことを聞こうとして、ハーデースに赴いたのは、「亡者たちや愉しみもなき地を見るため」〔Od. XI, 94〕ではなく、テイレシアースとロゴスを交わすためであった。そして、そして、キルケーが告げたその地に至り、穴を掘り、羊を屠った。多数の死者たちがそばにおり、その中には、自分の母親もいて、その血を飲もうとしたにもかかわらず、誰にも、当の母親にさえも許さなかった。テイレシアースが味わい、彼に占いをすっかり云い終えることを強制するまでは。そして、母親の亡霊が渇しているのを目にすることに堪えたのであった。

 [25] ラケダイモーン人たちには、リュクールゴスが国制全体を天から引いて配置し、彼らの法としたのは、決して〔外遊せぬこと〕戦争でさえ、月が満ちるまでは進発してはならないということであった。というのは、月の影響力は満ち欠けによって不等であること、万事はこれによって処理さるべしと彼は信じたからである。しかしながら、アルカディア人たちだけはこれを受け容れず、占星術を尊重もしなかったのだが、無知と知恵のなさによって、月よりも古い族民だと彼らは言う。

 [27] ところが、われわれの先達はかくも確乎として占術の愛好者であったのだが、現在の人々はといえば、そのある者たちは、占術の目的を見出すことは人間どもにとって不可能だと言う。なぜなら、それは信じられものでもないし、真実でもなく、アレース〔火星〕とかゼウス〔木星〕とかが天上でわれわれのために動いているわけでもなくて、人間的な事情には、あのものらは何ら関心を寄せず、あれとこれとに共通性もなく、独自に周回の必要性によって回転しているだけである、と。[28] また他の人たちは、占星術は虚偽ではないが、無益であると言う。なぜなら、変化が起こるのは占術によってではなく、運命に思われることのみが怒るからであると。[註]

[註]このように論ずる人たちの中に、ルゥキアーノス『糾弾されるゼウス』12-14の中のCyniscusがいる。

 [29] わたしとしては、これら両方に対して次のことを云うことができる。つまり、星辰は天における自分たちの〔周回軌道〕を選び取るが、自分たちの動きの片手間として、われわれにおける〔出来事〕のおのおのを惹き起こすのである。それとも、馬が驀進し、鳥類や人々が急に動いたときには、疾走の風によって石たちや麦わらが跳ねあがるが、星辰の旋回によっては、他には何も起こらないと君は言い張るつもりか。また、小さな火からはわれわれの方に流出(ajpovrroia)があり、その火はわれわれのために何かを燃やしているのではなく、われわれの暖かさを気遣っているのでもないが、星辰の流出はひとつもわれわれは受け容れないのか。実際また、占星術には、より劣悪なものらをよりすぐれたものに為すことは不可能であるが、流出した事物の何かを変化させることまで〔不可能〕なわけではなく、利用する人たちには以下の益がある。〔つまり〕よりすぐれたことが招来することをはるか前に知った人々を好機嫌にさせ、より劣悪なことは、受け容れることを容易にさせる。なぜなら、彼らにとっては知らない間に襲来するのではなく、気遣いと予想のおかげで容易でおとなしいことと考えられるからである。以上が、占星術についてのわたしの受けとめである。

2012.05.03. 訳了。

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