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ルゥキアーノスとその作品

ヘーロドトス、あるいは、アエティオーン

+HrovdotoV h] =Aetivwn
(Herodotus)





[解説]
 マケドニアの聴衆を前に行われた序。主題は、アレクサンドロス大王と同時代のアエティオーンの絵の叙述。(K. Kilburn)


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ヘーロドトス、あるいは、アエティオーン

 [1] 願わくは、ヘーロドトスの他の諸点も模倣できればいいのだが。彼に備わっているかぎりのすべての点を謂っているのではない(それは分に過ぎた祈念であろうから)、ありとあらゆる点の中のひとつでも — 例えば、言葉の美しさとか、その調和とか、イオーニアに固有の生え付きの〔言い廻し〕とか、知見の非凡さとか、あの人がすべてを同時に集めて持っている、模倣できる希望を超えている無量の美点 — 〔ひとつでも模倣できればいいのだが〕。ただし、著書のために彼が何をしたこと、いかにして短期間のうちに全ヘッラス人に大いに価値ある者として立ったかは、わたしもあなたも他の人も模倣できるであろう。

 というのは、家郷カリアから、ヘッラス目指して直航したとき、彼は自問自答した。いかにすれば、できるかぎり速やかに、面倒なく、自分も著作も、有名となり、好評を博せるか、と。だからといって、順々に遍歴して、今はアテナイ人たちに、今はコリントス人たちに、あるいはアルゴス人たちに、あるいはラケダイモーン人たちにと、読みあげるのは、煩わしいことであり、長い期間がかかり、それには少なからぬ暇つぶしが必要だと考えた。そこで為すべきことを分散させることはもとより、そういうふうに分けて少しずつ名声を集め広めることもよしとせず、企てたのは、可能ならば、どこかに集まった全ヘッラス人を獲得することであった。そんなおり、大オリュムピア祭が近づいた。そこでヘーロドトスは、それこそ待ちこがれていた好機が自分にやって来たと考えて、会衆が満杯になるのを待って、至るところからやってきた最善者たちがすでに集結したとき、神殿の後室に、観衆としてではなく、オリュムピア祭の競技者として進み出て、『歴史』を歌って聴かせ、居合わせた人たちを魅了し、自分の本が、これも9巻であったことにちなんで、ムーサたちとも呼ばれるまでになったのである。

 [2] かくしてもはや、あらゆる人々が彼のことを、オリュムピア祭の勝利者そのものよりもはるかによく知っている。そして、ヘーロドトスの名を聞いたことがないような者はいない — ある人たちはみずからオリュムピアで聞き、ある人たちは、例大祭から帰ってきた人たちから伝え聞いて。そして、彼はどこかに現れさえすれば、指さされるのだ、「これがあのヘーロドトス。イオーニア語でペルシア戦争を著し、われわれの勝利を讃美した人」と。こういったことを、あの人は『歴史』で享受したのである。一度の集会で、ヘッラスの全民衆的な、共通の票を獲得し、ゼウスにかけて、ひとりの触れ役によってではなく、例大祭詣での人たちの各々が送られた全都市で勝ち名乗りをあげてもらって。

 [3] まさしくこのことに後になって気づいた者たちがいる。これこそが名声に至る近道である。彼らのうち、土地出身のソフィストであるヒッピアスも、ケオスのプロディコスも、キオスのアナクシメネースも、アクラガスのポーロスも、他にもおびただしい者たちが、自分たちも例大祭のときにいつも弁舌を披露し、それによって短期間のうちに有名人となったのである。

 [4] いったい、あの古のソフィストたちや著作者たちや書言家たちをあなたに言う必要がどうしてあろうか。その最後に、噂では、画家アエティオーンも、オリュムピアのときに「ロークサネーとアレクサンドロスとの婚礼」を描いて、みずから絵を携えて行って演示し、当時審判員だったプロクセニデースがその術知を喜び、アエティオーンを娘婿にしたと謂われているのに。

 [5] いったいいかなる驚異が彼の術知に内在していたのか、と尋ねる人がいるであろう。審判員がそのために土地の者でもないアエティオーンに娘の婚礼を結びつけるとは、と。その絵はイタリアにあり、わたしも見たことがあるので、あなたにも云うことができる。全美な私室と花嫁の寝椅子とがあり、ロークサネー、処女の全美なる者が、地上に目をやりながら横たわっている。立っているアレクサンドロスに対して羞じらっているからである。他方、何人かのエロースたちが微笑している。ひとりは、〔彼女の〕背後に立って、頭の被衣(かつぎ)をあげて、花婿にロークサネーを示し、もうひとりは非常に奴隷的なやつで、すでに寝台に横たわるよう、足から沓を脱がせ、他のもうひとりは、アレクサンドロスの外套(clanivV)をつかんで、エロース自身も彼をロークサネーの方に引いてゆく。力いっぱい引っぱって。王の方は、自分は花冠のようなものを少女に差しだし、介添え役(pavrocoV)にして花嫁導師のヘーパイスティオーン〔前324没〕がそばにいっしょに立っている。燃える松明を持ち、非常に器量のよい愛らしい若者にもたれかかりながら — ヒュメナイオスだと思う(名前が添え書きされていないから)。絵の他の側には、他のエロースたちが、アレクサンドロスの武器の中で遊んでいる。2人は、彼の槍の穂先を運び、梁を運んで疲れたときの担ぎ人夫を模倣している。他のもう2人は、楯の上に横たわっているひとりの者(明らかに王その人である)を、楯の把手をつかんで引きずっている。ところがひとりは、ひっくり返っている胴鎧の中に入りこんで、彼らが引きずりながら自分の前に来たときに、恐れさせてやろうと待ち伏せしているらしい。

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BOTTICELLI, Sandro, Venus and Mars (c. 1483)
   National Gallery, London. point.gif補足

 [6] これらはいたずらに戯れているわけでないのはもちろん、この中でアエティオーンは無駄な骨折りをしているわけでもなく、彼が明らかにしているのは、アレクサンドロスの戦争に対する恋と、ロークサネーをも恋していると同時に、武器をも忘れていない、ということである。ただし、絵そのものは、まったく違った真実の婚礼の意味を持っていたのであり、プロクセニデースの娘をアエティオーンに求婚させたのである。そして〔アエティオーン〕自身も、アレクサンドロスの婚礼の副産物として、花嫁導師である王のおかげで結婚したのである。制作された結婚の報酬として真実の結婚を加えて。

 [7] もちろん、ヘーロドトスは(あのひとに立ちもどるからなのだが)、オリュムピア祭の例大祭は、驚嘆すべき著者なればこそ、ヘッラス人たちのためにヘッラスの勝利を、あの人が詳述したように、詳述して示すに充分だと考えた。ところが、わたしは — どうか、「友愛」の神にかけて、わたしがコリュバースの狂気に駆られているとか、わたしの〔作品〕をあのひとの〔作品〕になぞらえているなどと推測しないでいただきたい。とんでもないことだ — とはいえ次の点では、わたしは彼に似ていると主張します。つまり、初めてマケドニアに滞在したとき、わたしが用いるべきはいかなることか、自問自答した。恋いこがれていることは、あなたがた全員に知られること、そして、マケドニアのできるかぎり多数の人たちにわたしの〔作品〕を示すこと、これである。しかし、1年のこの時期に、みずから遍歴して、各都市とつきあうことは、たやすいことではないようにみえた。だが、あなたがたのこの祭典を待って、中央に進み出て、言葉を示せば、狙いどおりわたしの祈りの〔内容〕が結果するだろう、と。

 [8] さて、すでにあなたがたみずからが集まっておられる。各都市出身のひとかどの人たち、全マケドニア人たちの頭脳そのものが。そして、ゼウスに誓って〔ありがたいことには〕、ピサ〔エリスの都市。オリュムピア祭の開催権を有す〕とは、かしこの土地の狭さ、天幕、小屋、息苦しさとは比べものにならない、最善の都市が迎えてくれている。さらに、例大祭詣での人たちは俗な群衆ではなく、競技者たちであるよりも見物を愛する人たちであり、多衆はヘーロドトスをついでに讃える人たちではなく、弁論家たち、歴史著述者たち、ソフィストたちの最も名望高き人たちである。わたしのことがオリュムピア祭にそれほど劣らないということは、小さなことではない。いや、あなたがたがわたしをポリュダマースとかグラウコスとかミローンに対比するなら、わたしはまるで厚かましい人間だとあなたがたに思われるだろう。しかし、想いをあの人たちよりははるかに多くわたしひとりに向けなおして、剥ぎ取って〔ありのままのわたしを〕見てくれれば、多分、わたしがそれほど鞭打ちにあたいするとはあなたがたに思われないだろう。これほどの競技場においてであること、これもわたしにとっては実際充分なのだ。

[補足]
 Botticelli let himself be inspired by classical models. The mischievous little satyrs playing practical jokes nearby were probably suggested by a description of the famous classical painting Wedding of Alexander the Great to the Persian princess Roxane, written by the Greek poet Lucian. Botticelli replaced the amoretti which Lucian describes playing with Alexander's weapons with little satyrs. His painting is one of the earliest examples in Renaissance painting to depict these boisterous and lusty hybrids in this form. They are playing with the war god's helmet, lance and cuirass. One of them is cheekily blowing into his ear through a sea shell. But he has as little chance of disturbing the sleeping god as the wasps nest to the right of his head. The wasps may be a reference to the clients who commissioned the painting. They are part of the coat of arms of the Vespucci family, whose name derives from vespa, Italian for wasp. Given that its theme is love, this painting was possibly also commissioned on the occasion of a wedding. Web Gallery of Artによる。

2012.02.09. 訳了。

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