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ルゥキアーノスとその作品

スキュティア人、あるいは、客遇者

SkuvqhV h] ProvxenoV
(Scytha)





[解説]
 ルゥキアーノスは、今、マケドニアにあって、〔有力者の〕父親と息子に、彼らの援助を懇請し、『ハルモニデース』においてのように、おべっかに勢いをつける伝統的な物語を語る。スキュティア人アナカルシスの別の物語については、彼の『アナカルシス』を参照せよ。(K. Kilburn)


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スキュティア人、あるいは、客遇者

 [1] ヘッラス式の教育を欲して、スキュティアからアテーナイへやって来た最初の人物は、アナカルシスはなく、彼より前にトクサリスもまた、知者にして愛美者、最善の生き方の愛学者で、家郷では王族でないのはもちろん、ピロス〔と呼ばれるフェルト帽〕を被れる階級の出でもなく、多衆の平民のスキュティア人たちの1人で、こういう人たちは彼らの間では八足(oJi ojktavpodeV)と呼ばれる者たちで、それは、牛2頭と1台の荷車の主人という意味であった。このトクサリスは、もはやスキュティアに帰ってくることはなく、アテーナイで亡くなり、程経ずして半神と思われ、アテーナイ人たちは彼を「異邦の医神(XevnoV =IavtroV)」として供犠している。この名称は、半神となって獲得したものである。称号の理由、何ゆえ半神たちの中に登録され、アスクレーピオスの末裔のひとりと思われたのか、詳しく語るのも悪くない。そうすれば、〔人を〕不死にし、ザモルクシスのもとに派遣することがスキュティア人たちの地元の習慣であるのみならず、ヘッラスの地においてスキュティア人たちを神にすることが、アテーナイ人たちにとってできるということもあなたがたは学ぶであろう。

 [2] 大疫病の時〔430-429 B.C.〕、アレイオス・パゴス会議員アルキテレースの妻が、自分の傍にこのスキュティア人が立って、小路に多量の葡萄酒を撒けば、疫病にとりつかれることが止むだろうと、アテーナイ人たちに云えと命じたように思われた。このことが何度も実行に移された結果 — アテーナイ人たちが〔これを〕聞いて等閑にしなかったからだが — 彼らを疫病が襲うことを終熄させたのである。葡萄酒がその臭いで何か邪悪な蒸気を消したにせよ、半神トクサリスが、医者であったから、何か他により多くのことを知っていて、勧告したにせよ。とにかく、治癒の報酬が、今もなお、彼に捧げられている。白馬が墓標に供犠されて。そこは、ここから彼が現れて、あの葡萄酒のことを指図したとデイマイネテーが示したところである。ここにトクサリスが埋葬されたことは、全体はもう見えないけれど、碑銘によってわかるが、とくに、標柱のうえにスキュティア人の人像が刻まれていることによってわかる。〔この人像は〕左手に張られた弓を持ち、右手には、どうやら、本を持っているらしい。今もなお、君はその半分以上と、弓の全体と本を見ることができよう。が、標柱の上部と顔は、時がすでに摩耗させたことであろう。それはディピュロンから程遠からぬところ、アカデーミアに下向する左手、塚は大きくなく、標柱が地面に立っている。とはいえ、常に花冠を飾られ、彼のおかげで幾つかの熱病が止められたと伝えられるが、ゼウスにかけて、少しも信じられないことではない。かつて都市全体を治癒させたことがある彼にしてみれば。

 [3] もちろん、わたしが彼に言及した所以は、トクサリスはまだ存命中であり、アナカルシスは下船したばかりで、ペイライエウスから上っていった。じつに客友や非ギリシア人にありがちなように、彼はまだ心境が途方もなく混乱していた。何もわからず、どこを向いても恐ろしいほど騒音にあふれ、自分でどうすればいいかわからなかったのである。というのも、身なりを見た者たちに笑われていることを悟り、同じ言語を使う者を誰ひとり見つけられず、要するに、彼はこの旅を早くも後悔し、アテーナイを見るだけで、その足ですぐに引き返して、船に乗り、もう一度ボスポロスに帰帆しようと決心していたのだ。そうすれば、家郷スキュティアへの旅は彼にとって長くないものになるはずであった。そういうアナカルシスに、ある善きダイモーンが巡り合ったのだ。本当にすでにトクサリスがケラメイコスに来ていたのだから。つまり、最初祖国風の衣裳が彼を引きつけ、しかしながら次に彼がアナカルシスであることを認知することも難しくはなかった。最も高貴な生まれに属していたし、スキュティア人たちの第一人者の階級に属していたからである。しかしアナカルシスの方は、相手が同族であることを知る術はなかった。ヘッラス風の衣服、剃りあげた顎、帯なく、鉄器をつけず、アッティカ地生えの1人。それほどまでに彼は時の経過によって変わりはてていたのである。

 [4] とはいえ、しかし、トクサリスはスキュティア語で彼に話しかけた、
 「もしや、あなたは」と彼は謂った、「ダウケタスの子アナカルシスではありませんか」。
 喜びのあまり、アナカルシスは落涙した。同じ言語を話す者を見つけ、自分がスキュティア人たちの間で何者なのかを知っている人を見つけたからである。そこで尋ねた、
 「あなたはどうしてわれわれを知っているのですか、おお、客友よ」。
 「わたし自身も」と彼は謂った、かの地、あなたがたのところから来ました。名はトクサリス。あなたに知られるほどの貴顕の出ではありません」。
 「すると」と彼は謂った、「トクサリスとはあなたではないか。トクサリスという人は、ヘッラスに恋をし、妻と幼い子をスキュティアに置き去りにして、アテーナイへ行ってしまい、最善者たちに尊敬されながら今もかの地で過ごしているとわたしは聞いたところの人は」。
 「わたしが」と彼は謂った、「それです。わたしの噂のようなものがまだあなたがたの間にあるとするならば」。
 「それでは」と彼アナカルシスはいった、「わたしはあなたの弟子であり、ヘッラスを見たいとあなたが恋した恋情の渇仰者であると知ってください。それこそが出郷したこの旅行の目的だと。途中、諸々の族民たちの間で無量の受難をあじわってあなたのところにやって来ました。万一あなたに出会わなかったら、太陽が沈む前に、下向してもう一度船に引き返そうとすでに決心していました。これほどわたしが惑乱させられているのは、何を見てもみな異様で見知らぬことばかりだからです。とはいえ、しかし、わたしたちにとって父祖伝来の神々、アキナケース〔右図〕とザモルクシスにかけて、akinakes.jpgあなたは、おお、トクサリス、わたしを伴って、案内人となって、アテーナイ人たちのうち最善の人たちを、次にはまた他のヘッラスにおける〔最善の〕事どもをも、示してください。諸々の法習のうち最善のものらとか、人々のうち最善の人々とか、諸々の習慣や、諸々の祝祭や、彼らの生活とか、国制を。それらこそ、あなたと、あなたと、あなたに次いでわたしも、これほどの道程をやって来た所以のものです。それらを見学しないまま引き返すのを見過ごさないでください」。

 [5] 「これは」とトクサリスが謂った、「全然恋情を述べたことにはならんでしょう。扉のすぐ前までやって来ながら、立ち去って帰ってしまうというのは。しかし、大丈夫です。というのは、あなたの謂うように、あなたが帰ることはないのはもちろん、この都市があなたを容易には放さないでしょうから。客友たちにとって有する魅力は小さくはなく、あなたをしっかり捉えているので、妻も子どもたちも、すでにあなたにとってそうであるなら、なおさら思い出すこともないほどなのです。そこで、あなたがアテーナイ人たちのこの都市をできるかぎり速やかに全体を見られるよう、また、ヘッラス全体と、ヘッラス人たちの美しいものらをもっとよく〔見られる〕よう、わたしはあなたに提案しましょう。当地に賢者がいます。土地の人ですが、アシアへ、アイギュプトスへと非常に多く出郷し、人類の最善の人たちと交際し、にもかかわらず富裕者には属さず、とても貧しい者です。あなたは非常に民衆的な身なりをした老人を目にするでしょう。ただし、知恵とその他の徳のゆえにこそ、〔世人は〕彼を非常に尊敬しており、その結果、国制のために立法者としても起用し、その人の指令に従って生活することに決めているのです。この人を友としてもち、どういう人かを学べば、あなたは彼の中に全ヘッラスをもち、彼女〔ヘッラス〕にとっての善きものらの要諦をすでに知ったとみなしなさい。あなたのために何でも美しいことをしてあげられるとしても、あの人に紹介してあげること以上に大きいことはできないのです」。

 [6] 「それでは、われわれはぐずぐずしてはならないない」と謂った、「おお、トクサリスよ」とアナカルシスが。「さあ、わたしを連れて、彼のところに案内してください。ただ、わたしの恐れるのは、彼が近づきにくい人で、わたしたちに代わってのあなたの代願を片手間仕事にするのではないかということ、これです」。
 「口を慎みなさい」と彼がいった、「わたしは最大のことであの人に懇ろにするようにわたしには思われる。客友に善くする〔=親切にする〕機会を提供するのだから。とにかくついてきなさい。「客友の〔ゼウス〕」に対する尊敬(aijdwV)が、その他の適正さ(ejpieivkeia)や正直さ(crhstovthV)とともに、いかほどのものであるか、あなたは知るでしょうから。いや、むしろ、神意によるとでもいおうか、当の本人がわれわれに近づいてくる。想いに耽り、ひとりごちている人だよ」。と同時に、ソローンに話しかけて、「これが、あなたのために」と彼は謂った、「わたしが連れて来た最大の贈り物です。友愛を必要とする客友をね。[7] わたしたちのところの貴族に属するスキュティア人ですが、それにもかかわらず、そこでのすべてを捨ててやって来たのは、あなたがたと交際するため、ヘッラスの最美なものらを目にするためです。そこで、どうすれば、彼が自分で最も容易にすべてを学ぶことができ、最善の人たちと知己になれるか、わたしは彼のためにある近道を見つけ出しました。それが、あなたに彼を紹介するということでした。そこで、あなたがわたしの知っているソローンであるなら、あなたはそういうふうにし、この人の客遇者となり、あなたがヘッラスの嫡出の市民たることを証明してくれるでしょう。そして、少し前にあなたに謂ったことですが、おお、アナカルシス、ソローンを見たからには、あなたはすでにすべてを見たのです。これがアテーナイ、これがヘッラスのなのです。もはやあなたは客友ではなく、万人があなたを知っており、万人があなたを愛しているのです。それほどのものがこの長老には具わっているのです。この人といっしょにいれば、スキュティアに〔残してきたもの〕すべてを忘れられよう。出郷の褒賞、つまり恋情の目的をあなたは得る。これがあなたにとってヘッラス的規準であり、これがアッティカの愛知の実例である。ですから、このうえないしあわせであるということを悟りなさい。ソローンと交わり、この人を友とできることは」。

 [8] ソローンが賜物(そう彼は云うのですが)をどれほど悦んだか、以後、どのように交わったかを詳述すれば、長くなりましょう。最美な事柄を教える先生となったのは、ソローンで、アナカルシスを万人にとっての友となし、ヘッラス人たちの中の美しい人たちに紹介し、ヘッラスで最も快適に暇つぶしできるよう、あらゆる仕方で気配りし、他方〔アナカルシス〕は、彼〔ソローン〕の知恵に驚嘆し、片時も傍を離れようとしませんでした。実際、トクサリスが彼に請け合ったとおり、ソローンという1人から短期間のうちにすべてを知り、万人の知己となり、その人のおかげで尊敬されました。というのは、ソローンの称讃は小さくはなく、その点でも人々は立法者としての彼に聴従し、その人が合格とした人々を愛し、最善な人たちであると信じたからです。最終的には、異邦人たちのうち唯一アナカルシスだけが、市民にしてもらった後、秘儀入信者にさえしてもらったのです。彼についてこのことも記録しているテオクセノスを信じるべきだとすれば、ですが。そして、思うに、彼はスキュティアに帰ることもなかったでしょう。ソローンが亡くなることのないうちは。

 [9] さて、あなたがたによろしければ、物語に決着をつけましょうか。無頭のままうろつくことのないように。実際、知るべき刻です。スキュティア出身のアナカルシスとトクサリスとが、今マケドニアにやって来て、しかもアテーナイから老ソローンを案内して来たのは、わたしにとって何のためなのか、を。わたしは謂います、わたし自身もアナカルシスとまさしく同じような情態にある — どうか、わたしが自分を王族に譬えても、カリスたちにかけて、わたしの譬えに憤慨しないでいただきたい。というのも、あの人は非ヘッラス人であり、わたしたちシュリア人がスキュティア人たちに劣ることは何もないのは明らかでしょうから。にもかかわらず、わたしの事情を類比に採用するのは、王族だという点ではまったくなく、次の点においてなのです。つまり、初めてあなたがたの都市に寄留したとき、たちまちわたしは驚倒しました。大きさ、美しさ、人口の稠密さ、その他の力とあらゆる輝かしさを目にしたからです。ですから、長い間これらに驚嘆し、見物に飽きませんでした。あの若い島人〔テーレマコス〕がメネラーオスの館にかんして経験したように〔Od. iv, 71〕。これほどの隆盛を極める都市、あの詩人がいう

依って以て都市が栄えるところのあらゆる善きものらに花咲ける

〔都市〕を目にして、そんな気になりそうになりました。

 [10] まさしくそういう情態なものですから、為すべき事柄についてすでに考察し、あなたがたに言葉〔弁論の才〕を示すことは、以前から決心されていました。いったい、これほどの都市を黙って通り過ぎるとしたら、わたしの示し得る人が他にいるでしょうか。というのは、真実を包み隠すことをしますまい、わたしは探究したのです。秀抜な人々であるのは誰々であり、お近づきになって、保護者として登録して、一般的な共闘者になってくれるのは誰々か、を。その際、わたしにとっては、アナカルシスと違って、〔保護者は〕1人、それもトクサリスという非ヘッラス人ではなく、大勢、いやむしろ、全員が同じことを異口同音に言ったのです。「おお、客友よ、この都市には他にも多くの有為にして右利きの人たちがいるのだ。実際、他所ではこれほど善き人たちをあなたは見出しえないであろう。しかし、わたしたちにとってとくに最善の人たちは2人で、生まれと栄誉の点では、あらゆる人たちよりもはるかに抜きん出、教育と言葉〔弁論〕の能力の点では、アッティカの十人に匹敵するであろう。この人たちに対する民衆からの好意は、まったく恋情的で、この人たちが望むことは何でも、そのとおりに成るのだ。なぜなら、彼らは何でも都市にとって最善のことを望むのだから。すなわち、仁慈(crhstovthV)、客友たちに対する人間愛(filanqrwpiva)、これほど偉大にもかかわらず妬みを惹き起こさないこと、好意を伴う丁重さ(to; met' eujnoivaV aijdevsimon)、優しさ(to; pra/:on)、お近づきになりやすいこと(to; eujprovsodon) — これらを、少し後に試されたときに、貴君は自分で他の人たちに説明することであろう。

 [11] さらにもっと貴君が驚嘆すべきなのは、息子と父は、2人とも1つの同じ家に属するということだ。後者は、ソローンとかペリクレースとかアリステイデースとかいった人をあなたが想像すればよく、息子の方は、目にされるや、たちまち貴君を惹きつける、それほどまでに、背が高く、とても男らしくて恰好がよくて美しい。だから、彼は口をきくだけでも、両耳を自分に惹きつけて貴君を置いてけぼりにする、それほどのアプロディーテー〔色気〕をこの青年は舌に持っているのだ。たしかに、彼が民衆演説するために進み出るときはいつも、全都市が口をぽかんと開けて彼に耳を傾けるさまは、かつてのアテーナイ人たちがクレイニアースの子〔アルキビアデース〕に対して経験したと言い伝えられているようなものだが、違いは、後者は、程なく、アルキビアデースに対していだいた恋情を後悔したが、前者をば都市は愛しているのみならず、尊敬することをすでに決め、要するに、この1つがわれわれにとって公的善であり、あらゆる人たちにとっての大いなる益なのである。この人こそが。したがって、当の本人とその父親が、貴君を受け容れ、友とするなら、貴君は都市全体を得るのである。そこで、拍手させねばならない。それだけで、貴君の疑いはもはやなくなる」。

 以上が、(誓いも言葉に出さねばならないとするなら)ゼウスに誓って、あらゆる人が言っていることであり、すでにわたしの経験からして、彼らは本当に在ることの万分の一を述べたに過ぎないように思われました。ケオス人〔バッキュリデス〕が謂っているとおり、「されば、遅延も猶予も与えず」、こういう人たちがわたしたちの友となるよう、帆綱をすべて動員する、つまり、あらゆることを為し、言うべきです。なぜなら、それがひとたび手に入れば、万事は晴朗、航海は好調、海は波穏やかにして、港は近いのですから。

2012.02.29. 訳了。

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