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back.gifエピグラム詩集


偽ルゥキアーノス作品集成

ネローン







[解説]

 『ネローン』は、写本Nと他に2つの写本の中でルゥキアーノスの作品に帰せられているが、3人のピロストラトスの一人、おそらくは最初のピロストラトス — この人物の他の作品は、Sudaの中にその題名が挙げられているにもかかわらず、失われた — 、あるいはむしろ、この人の息子で、「アテーナイ人」ピロストラトス — この人は、皇后Julia Domnaのために『テュアナのアポッローニオスの生涯』を書いた。彼女の死は217 A.D.で、この書の刊行に先立つが — の作品であることは、ほとんど疑いえない。『ネローン』がピロストラトスに帰せられる根拠は、以下のとおりである。

(1)文体がルゥキアーノスのそれにまったく似ておらず、Teunbnerの編纂者C. L. Kayserの見解では、ピロストラトスのそれに非常に似ている。
(2)『ネローン』の第4節は『アポッローニオスの生涯』4.24に非常に似ている。もっとも、ムゥソーニオスがCyaraで追放されたことよりも、むしろコリントスで開鑿に携わったことに言及している唯一の他の箇所は同書 5.19ではあるが。ほかには、ムゥソーニオスが、おそらくはローマで幽閉されたこと(4.35と4.46)、また、Cyaraで拘留されたこと(7.16)に、この「アテーナイ人」が言及していることに注意せよ。
(3)『ネローン』という題名は、Sudaの第1のピロストラトスの作品のリストの中に含まれている。(しかしながら、思い浮かべるべきは、Sudaの証拠はしばしば当てにならず、この場合には、第1のピロストラトスがネロの同時代人として記述されていることで、疑念がわき起こる。近くの記事中には、彼の息子をほとんど200年後に存命と記しているのであるが。さらに、あまりたしかでないのは、Sudaの題名のリストの中に、『ネローン』に続く『QeathvV』がそれから切り離されうるということである)。
(4)K. Mras「Die Ueberlieferung Lucians」p.236の註 — いくつかのルゥキアーノスの古写本もまたピロストラトスその他のソフィストの作品を含んでおり、したがって、このような写本の中では、『ネローン』はピロストラトスの最初の作品としてよりも、ルゥキアーノスの最後の作品に間違われたかもしれぬということである。
(5)ピロストラトスの家郷レムノスがc. 6に言及されている。

 KayserとF. Solmsen「Transactions of the American Philological Association」1940, pp. 556 ff.は、『ネローン』は、『The Life of Apollonius』の作者の作と考えるが、この行論は、多分、Sudaの証拠と、『The Life of Apollonius』5. 19 fin. — これは他の作家への礼儀正しい言及のように見える — の観点によって却下されよう。

 もっと可能性の高い見解は、K. Münscherのそれである。彼はSudaにしたがって、『ネローン』を第1のピロストラトスの作とする。この見解は、J. Korver『Mnemosyne』1950, p. 319 ff.によって発展され、彼の示唆によれば、この対話は、212 A.D. 彼の兄弟Getaがカラカッラ帝に死をたまわったことに刺激され、ネロの運命は、カラカッラ帝に対して、その不道徳な振る舞いが、遅すぎることになる前に改めるよう警告として役立っている、という。

 この対話篇の劇年代(dramatic date)は68 A.D.、舞台はおそらく、キクラデス諸島中の小さな島Cyara。この島をメネクラテースはレムノスから訪問している。(あるいは、場面はレムノスでありえる。ここにムゥソーニオスがいることは説明不能であるけれども)。対話者の一人は、有名なストア派の哲学者 Musonius Rufus。彼はネロによってCyaraに追放されたが、後にローマに帰り、Vespasiaに厚遇された。もうひとりの対話者Menecratesは、通常、想像上の人物と解されている。しかしながら、ネロは、同名のお気に入りのリュラ弾きを持っていた(cf. Suetonius, Nero, 30, Dio Cassius 63.1, Petronius 73.19)。そうとすると、この対話のメネクラテースが、ネロの音楽の成果を質問するというのは、奇妙な暗合である。だから、『ネローン』のメネクラテースは、歴史的実在のMenecratesでありうる。もしそうなら、答えを知っている事柄を彼が質問するというのは最も非現実的なことである。もっと可能性があるのは、この作者は、他の仕方のしくじりと同じく、ネロとメネクラテースとの関係を忘れていたということである。(M. D. Macleod)





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005 636t

ピロストラトスの『ネローン』


636.1メネクラテース
 [1] イストモス〔地峡〕の開鑿は、あなたにも、ムゥソーニオス、手ずから関与を許されたおかげで、世評では、皇帝にヘッラス精神を添えたとのことですが。
ムゥソーニオス
 よろしいか、おお、メネクラテース、ネローンの思いつきは〔ヘッラスにとって〕より善いことでもあったのです。というのは、マレア〔岬〕を廻ってのペロポンネーソス周航を、海運業者たちのために、イストモス地峡20スタディオンの距離に短縮したのですから。このことは、貿易商人たちを利しただろうし、海に臨む諸都市をも、内陸の〔諸都市〕をも〔利〕した。というのも、臨海地方が繁栄すれば、国内の果実が、当の〔内陸の〕諸都市にも充分ゆきわたるからです。
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メネクラテース
 そのことを詳しく話してください、ムゥソーニオス、わたしたちはみな聞くことを望んでいます、何か外の勉強のお心づもりがないならば。
ムゥソーニオス
 〔あなたがたが〕お望みゆえ説明しよう、こんな厳しい学舎に勉学のためにやってきた〔あなたがた〕の願いをかなえることより善いことを、何かわたしは知らないのだから。
 [2] さて、ネローンをアカイアに連れてきたのは歌であった。つまり、ムゥサたちでさえ〔自分〕より快く歌い出すことはありえないという妄信であったが、競技の最高の鍛錬者として、オリュムピア祭でも歌で花冠を受けることを彼は望んだのであった。というのは、ピュティア祭をば、これに参加することはアポッローンにとってよりもむしろ自分自身にとってより善い、キタラや〔リュラを伴奏にした〕歌唱においては彼〔アポッローン〕でさえ自分に対抗できるはずもないと〔思っていた〕のだからである。だからイストモスは、遠くからの彼の計画の中に含まれていたのではなく、この場所の自然に出くわしてから、大事業に恋したのである。かつてトロイアへと〔遠征した〕アカイア勢の王を、いかにしてエウボイアをボイオーティアのカルキスあたりのエウリポスで分断したか思いつき、そのうえ更にダレイオスをも、スキュタイ人への攻撃に、ボスポロス〔海峡〕が彼〔ダレイオス〕によっていかに架橋されたか〔思いつき〕、だが、これらよりも先に、おそらくは大事業中の大事業であるクセルクセースの〔偉業〕に思いを致し、かてて加えて、638 1 わずかな時間で全員が相互に交流することで、ヘッラスが外来者たちに輝かしくもてなされると考えたのである。というのは、僭主の自然本性は、酩酊していても、やはりその名声を耳にすることを、いくらかは渇望するものだからである。[3] かくて、〔ネローンは〕天幕から進み出て、アプロディーテーとポセイドーンに讃歌と、メリケルテースとレウコテアーに長くない頌歌を歌い、ヘッラスを委任統治している者が彼に黄金の二叉の鋤を差し出すと、拍手と詠唱を受けつつ、大地に三度触れ、彼は開鑿に取りかかった、思うに、開始を任された者たちに、張り切って仕事に接するよう励ました後、コリントスへと引き上げた。ヘーラクレースの功業をすべて凌駕したと思ったのである。牢獄から〔駆りだされた〕者たちは岩がちで難事業に辛労し、兵士たちは、土がちで平坦な箇所に〔辛労した〕。
 [4] およそ75日の間、われわれがイストモスの苦役につながれていたとき、コリントスから、まだはっきりしない話がひろまった。噂によれば、アイギュプトス人たちが両方の海の自然を測地したところ、それらが平らな平面になって会しておらず、レカイオン側の〔海〕がより高いと考え、アイギナのために恐れている、というのは、これほどの海洋が〔アイギナ〕島に押し寄せれば、アイギナは水没して流し去られるから、というのである。だが、ネローンをイストモスの切断から心変わりさせさせることは、最高の知者にして最高の自然究理家であるタレースでさえできなかったであろう。というのは、彼〔ネローン〕は公的に歌うことよりも、切断することに恋していたからである。[5] が、西方の族民の反乱と、これに今や加担した執政官、その名はビンディクスが、ヘッラスとイストモスからネローンを引き上げさせ、彼の測地はむなしくなった。というのは、海は陸地との高さが等しく、平らな平面をしていることをわたしは知っているからだ。とにかく噂では、ローメーでの状況は彼にとってもはや落ち目となり、衰退したとのことである。これは、あなたがた自身も、昨日、寄港した千人隊長から聞いたところである。
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メネクラテース
 [6] 声の方は、ムゥソーニオス、これのせいで音楽気違いとなり、オリュムピア祭とピュティア祭に恋したということですが、皇帝にとってどうなのですか。というのは、レームノスに寄港した人たちのうち、ある人たちは驚嘆し、ある人たちは嘲笑したのですが。
ムゥソーニオス
 いや、あの人物にかぎっていえば、おお、メネクラテース、声音のゆえに驚嘆にあたいするわけでも、また、笑いものなるわけでもない。というのは、自然が彼を申し分なく、中程度に調律したのだから。だから、彼の発声は自然にうつろで、喉が彼によって〔低く〕調整されると低いが、音調はどういうわけか、そういうふうな造りになっているので、ぶんぶん(響く)。だが声の調子はといえば、そういった欠点を取り繕っているが、それは、彼が自分自身に信を置くのではなく、音色の優しさや、御しやすい作詩、巧みなキタラ伴奏、時宜を得て歩き、止まり、方向転換、音調に合わせて頭を振ることに〔信を置いて〕いる場合である。唯一見苦しいのは、この王がそれらを精確にすることがよいことだと思っていることだけである。
 [7] 彼が〔自分〕より勝った人たちを真似する場合は、ああ、何たる滑稽、彼のことを笑う者がいれば、無数の恐怖がのしかかっているにもかかわらず、観客たちから数々の〔笑い〕が漏れいづるとは。というのは、彼は息を凝らして、ほどほど以上に頭を振り、〔拷問の〕車輪にかけられた者たちのように反りかえって、足の爪先立ちとなり、彼の顔は、自然に赤いのだが、燃える以上に赤くなり、息は短く、もちろん浅くなる。
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メネクラテース
 [8] それなのに、彼との競演に参加した人たちはどうして譲歩するのですか、おお、ムゥソーニオス。というのは、術知によってきっと懇ろにされるでしょうから。
ムゥソーニオス
 術知によって〔懇ろにされる〕というのは、例えば八百長相撲をとる連中だな。いや、思いを致しなさい、おお、メネクラテース、悲劇の役者を、イストモスで殺されたということを。というのは、諸々の術知についても危険があるのだ、術知に携わる者たちが張り切るときは。
メネクラテース
 それはまたどういうことですか、ムゥソーニオス。そんな話は全然聞いたことがないものですから。
ムゥソーニオス
 では、聞きなさい、尋常ならざる話だが、ヘッラス人たちの目の前で行われたことだ。
 [9] すなわち、イストモスにおいて喜劇も悲劇も競演をするべからずと法が定められているのに、悲劇で勝利することがよいとネローンには思われ、この競演に多数の者たちが参集したが、エーペイローテース — 最善の声を有し、これのおかげで好評を博し、驚嘆された人物 — は、通常よりも羽出に振る舞い、642 1 花冠に恋していることも、ネローンが勝利のために彼に10タラントを与えるよりも前に断念することもないことも見え見えであった。これに対し彼〔ネローン〕は激怒し、狂ったようになった。というのも、じっさいまた、まさしくこの競演を幕の裾で聞いていて、ヘッラス人たちがエーペイローテースに歓呼したとき、書記官を遣って、この男が自分に譲歩するよう命じたが、相手は声を張りあげ、公然と争うので、ネローンは自分自身の役者たちを、あたかも演技の関係者か何かであるかのように、壇上に送りこんだ。というのも、じっさいまた彼らは、象牙製の書板を(携え、そして)これを二枚重ねにして、短剣のように、前に構え、エーペイローテースを近くの柱に押しつけて、書板の真っ直ぐな部分で撃って、彼の喉を打ち砕いたのである。
メネクラテース
 [10] それで、悲劇に勝利したのですか、ムゥソーニオス、かくも血にけがれた災難を、ヘッラス人たちの眼前でしでかしながら。
ムゥソーニオス
 こんなことは児戯だよ、母親殺しの若者にとっては。悲劇の役者を、その声色を殺すことによって殺したとして、何を驚くことがあろうか。というのも、じっさいまたピュティアの口 — これから託宣(aiJ olmfaiv)が吐き出される — さえをも彼はふさごうとした。そうなったら、アポッローンにも声はなかったことであろう。とはいえ、ピュティアの〔神〕は、オレステースの輩やアルクマイオーンの輩に彼を分類したことであろうが。〔この神が〕彼らに母親殺しと同時によき世評の道理(lovgoV)のようなものを与えたが、その所以は、父親のために復讐したからである。しかるに、彼〔ネローン〕の方は、誰のために復讐したのか云うことは全然できないけれど、真実よりも柔和なことを聞きながら、この神に侮辱されたと思ったのであった。
 [11] しかしながら、話している間に、近づいてくるあの船は何だ? どうやら、何か善い報せを運んで来たようだ。というのは、縁起のよい合唱舞踏隊のように、頭に花冠をいただいる、そして、ひとりは船縁から手を差しのべ、われわれに元気を出すよう、喜ぶよう呼びかけて、叫んでもいる、わたしの聞き間違いでなければ、ネローンが身罷った、と。
メネクラテース
 たしかに叫んでいます、ムゥソーニオス、ますますはっきりしてきました、陸に接岸するにつれて。よきかな、おお、神々よ。
ムゥソーニオス
 いや、感謝の祈りをするのはやめよう。亡き者らをさしてそうすべきではないと謂われているから。

2010.11.19. 訳了。

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