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偽ルゥキアーノス作品集成

犬儒者

KunikovV
(Cynicus)






[解説]

 『犬儒者』をルゥキアーノスの作品とみなす校訂者がいないわけではないが、この対話編の文体は、ルゥキアーノスのそれに似たところをほとんどもっていない。詳しい分析は、J. Bieler, Ueber die Echtheit des Lucianischen Dialogs Cynicus (Hildesheim, 1891)を見よ。さらに、Γ写本中の『犬儒者』の位置は、疑いの余地がなくはない。

 犬儒者がこのような信望をもって登場するという事実もまた、ルゥキアーノスが原作者であることに対する反対論として用いられてきた。しかし、このこと自体は、そうである必要はない。ルゥキアーノスは、犬儒者 — 例えば、メニッポス、ディオゲネース、『Jupiter confutatus』の犬儒者 — に好意的な肖像を与えているからである。ルゥキアーノスが喧嘩する相手は、真面目な犬儒者であることはほとんどなく、ペレグリーノスのような山師に対してだけである。しかしながら、ルゥキアーノスによって刻まれたとして疑わしい点があるとしたら、犬儒者のソークラテース的方法と対比させたとき、その形象が貧しいことである。『De Parasito』中のTychiadesによって演じられる弱々しい役割といくらか並行しているが、あの対話編は、『犬儒者』のような真面目さはなく、ルゥキアーノスの作品ではないかもしれないのである。

 それゆえ、わたしはFritzscheにしたがい、この作品について、ルゥキアーノスによってなされた批判に対抗して、犬儒者が自派を擁護した作品とみなす。Fritzscheが示唆しているとおり、古代の信仰と哲学を鼓舞した背教者ユリアノスの時代に書かれたのかもしれないが、かなり初期のものであろう。

(M. D. Macleod)






"t".1
犬儒者

1.1
リュキノス:
 いったい、どうしてなんだ、君。君は髭も長髪も持っているくせに、外衣は持たず、裸で裸足、――浮浪者の人間離れした、獣じみた生活を選び、自分の身体を多くの人たちとは正反対にいつも使い、あっちこっちとほっつき歩き、地面の床に寝るもんだから、すっかり泥のようになった短かマントを、それも薄物どころじゃない、柔らかくも華やかでもないのを着ているというのは。
1.9
犬儒者:
1.10
 必要でもないからだよ。何を恵んでくれるにしても、その所有者にとって最も容易で最小のものをぼくは申し出てきた。それでぼくは充分だからだよ。2.1 ところで、君、神々にかけてぼくに云ってくれたまえ。贅沢(polutelei/a)には悪(kaki/a)がくっついていると君は考えるのじゃないか。
2.3
リュキノス:
 そのとおり。
2.4
犬儒者:
 すると、質素(eu)telei/a)には徳(a)reth/)が〔ともなうと〕?
2.5
リュキノス:
 そのとおり。
2.6
犬儒者:
 それなのに、いったいどうしてたわけかね、――ぼくが多くの人たちよりも質素な暮らしをし、多くの人たちは贅沢な〔暮らしを〕しているのを見て、ぼくを非難し、あの者たちは〔非難〕しないというのは。
2.9
リュキノス:
 なぜなら、ゼウスにかけて、君の暮らしぶりは、多くの人たちより質素なのではなく、より欠乏しているのであり、むしろ完全に欠乏的で困窮しているようにぼくに思えるからだよ。君は、日々の糧をせがむ物乞いたちと、何ら異なるところがないのだから。
2.14
犬儒者:
 それでは、よければ、見ることにしよう、言葉がここまで進んだからには、欠乏(to_ e)ndee_j)とは何か、そして充足(to_ i9kano/n)とは何かを。

3.2
リュキノス:
 君によいと思われるなら。
3.3
犬儒者:
 そもそも、各人にとっての充足とは、その人の用(xrei/a)に達するところのものである、それとも何か他に言うことがありますか。
3.5
リュキノス:
 そうとしておこう。
3.6
犬儒者:
 これに対して、欠乏とは、用により欠けて、必要なものに達しないところのものである。
3.8
リュキノス:
 そうだ。
3.9
犬儒者:
 ゆえに、ぼくのもので欠けるものはない。なぜなら、ぼくの用を果たさないものは、そこ〔ぼくのもの〕には何もないのだから。
3.11
リュキノス:
 君が言うのはどういう意味だ。

4.1
犬儒者:
 ぼくたちが必要とするものが、何のために存在するのかを考察してみると、例えば、家はそもそも防護(ske/pth)のためにあるのではないか。
4.3
リュキノス:
 そうだ。
4.4
犬儒者:
 では、どうか。着物は何のためあるのか。そもそもこれも防護のためではないか。
4.6
リュキノス:
 そうだよ。
4.7
犬儒者:
 では、防護そのものは、神々にかけて、何のためにわれわれは必要とするのか。防護される者がより善いものを得るためではないか。
4.9
リュキノス:
4.10
 ぼくにはそうに思える。
4.10
犬儒者:
 それでは、両足のどちらを、より悪いものとしてぼくが持っていると君に思われるか。
4.11
リュキノス:
 わからないよ。
4.12
犬儒者:
 いや、こうすれば分かるだろう。足の働き(e!rgon)とは何か?
4.13
リュキノス:
 歩くこと。
4.14
犬儒者:
 それでは、ぼくの足たちは、多くの人たちの足たちよりも、歩き方がより悪いと君に思えるかい。
4.16
リュキノス:
 そんなことはないだろう、多分。
4.17
犬儒者:
 そうすると、自分たちの仕事をより悪く果たしているのでないかぎりは、〔足たちは〕より悪いものを持っているのではない。
4.19
リュキノス:
 多分ね。
4.20
犬儒者:
 この足たちにかぎって、多くの人たちよりも劣ったものをもっているような気がぼくはしないのだ。
4.22
リュキノス:
 そのようだ。
4.23
犬儒者:
 では、どうか。そのほかのぼくの身体は、はたして、より悪いのだろうか。というのは、もし、より悪いのなら、より弱くもあろう。身体の徳は強さなのだから。はたして、ぼくのはより弱いのか。
4.26
リュキノス:
 そうは見えない。
4.27
犬儒者:
 すると、足たちはぼくにとって防護に欠けているようにも見えず、その他の身体もそうだ。なぜなら、もし欠けていたら、悪い状態にあったろうから。というのは、欠乏はどんな場合も悪であり、それが付け加わるものらに、より悪いものを持つようにさせるのだから。しかしながら実際のところ、ぼくの身体は、あり合わせのものらで養われているにしても、より悪いもので養われているようには見えない。
4.33
リュキノス:
 明らかにね。
4.34
犬儒者:
 丈夫にもならないね、もしも悪く養われているとしたら。邪悪な養いは身体を損なうのだから。
4.36
リュキノス:
 そのとおり。
4.37
犬儒者:
 それなら、いったい、どうしてなのか、ぼくに云ってくれたまえ。事情以上のごとくであるのに、君がぼくを責め、この生活を見くびり、惨めな者と謂うのはなぜなのか。

5.2
リュキノス:
 こういうわけだよ、ゼウスにかけて。君が崇敬する自然や神々は、大地を真ん中に設置し、そこから数多くの善きものらを引き渡し、そのおかげで、ぼくたちは必要のためのみならず、快楽のためにも、あらゆるものを惜しみなく手に入れているにもかかわらず、君ときたら、それらすべて、あるいは少なくとも大部分のものらと無縁であり、それに何ひとつ与らぬ点では、獣たちに何ら劣らぬ。すなわち、君が飲む水は、獣がまさに飲むものだし、見つけ出したものを食べるのは、犬たちと同じだし、寝床は、犬たち以上のものは何ひとつ持たぬ。あいつらと同様、餌だけで君は満足している。さらには、外衣も、貧乏人にふさわしいもの以上のものは着ていない。君はこういったものらで満足しているけれども、もしも正しく思慮したなら、神は正しく作らなかったことになろう。〔神は〕あるいは、羊に羊毛を作り、あるいは、葡萄に甘いブドウ酒を〔作り〕、あるいは、その他の供給(paraskeuh&)、オリーブとか蜂蜜とかその他、驚くほど多彩な供給を〔作り〕、そのおかげで、ぼくたちは多種多様な食物を持ち、快い飲み物を持ち、金銭を持ち、柔らかい寝床を持ち、美しい屋敷や、その他ありとあらゆる驚くほど整えられたものらをもつことができる。というのも、諸々の技術の働きは、神々の賜物だからだ。だから、これらあらゆるものを失って生きることは惨めなのだよ。牢獄の囚人たちのように、誰か他人によって奪われたとしてもね。まして、はるかにもっと惨めなのは、ひとが自分であらゆる美しいものらを自分から奪う場合で、それはもうはっきりとした狂気だよ。

5.27
犬儒者:
6.1
 なるほど、多分、君の言うのは正しいのだろう。しかし、次のことをぼくに云ってくれたまえ。もしも、富裕な男が、熱心にかつ親切に食事をしていて、同時に打数の、病弱な人たちとか、強壮な人たちとか、多種多様な人たちを客遇し、しかる後に、数多くの多種多様なものを給仕しているときに、すべてをかっさらい、すべてを食べる者がいたとしたら、――隣にあるものばかりか、遠くにある、病弱者たちのために供されたものまで、自分は健康であるにもかかわらず、しかも、胃袋はひとつしか持たず、食養には少ししか必要としないのに、多くのものによって駄目にされようとする者がいたとしたら、そんなやつはどんなやつだと君に思えるか。まさか、思慮深いやつだなどとは。
6.11
リュキノス:
 ぼくには思えないね。
6.12
犬儒者:
 では、どうか。正気だと。
6.13
リュキノス:
 そうも思えないね。
6.14
犬儒者:
 では、どうか。もしも、ひとが、その同じ食卓についていて、多数のものや多彩なものらは無視して、最も近くにあるものらのうちのひとつを選んで、自分の用には充分なので、これを礼儀正しく食べ、これだけを用い、その他のものらには眼もくれない人がいるとしたら、この人を、さっきの者よりもより慎ましくより善い人だと君は考えるのではないか。

7.7
リュキノス:
 ぼくならね。
7.8
犬儒者:
 すると、君はわかったのか、それとも、ぼくが言わねばならんのかね。
7.9
リュキノス:
7.10
 どんなことが。
7.10
犬儒者:
 こういうことだ。――神は、美しく客遇する前者のひとに似ている。数多くの多彩で多種多様なものを給仕し、あるものは健康な者たちに、あるものは病人たちに、あるものは強壮な者たちに、あるものは弱い者たちにと、調和したものらを持つようにし、ぼくたち全員があらゆるものを用いるためにではではなく、各人が自分に合ったものを、自分に合ったもののなかでも、とくに必要なものを用いるようにしているのだから。

8.1
 ところが、君たちときたら、飽くなさ(a)plhsti/a)と不節制(a)krasi/a)とであらゆるものを引っさらう後者に似ている。あらゆるもの、至るところにあるものを用いることを要求する。自分たちが暮らしている大地や海で充分な生活ができるとは考えないものだから、君たちのところにあるもののみならず、大地の果てから諸々の快楽を購入し、舶来品を地元産のものよりもいつも尊重し、贅沢品を質素なものより、輸入しにくいものを輸入しやすいものよりも〔いつも尊重し〕、要するに、面倒で悪しきものらを持つことを、面倒なしに生きることよりもいっそう好むのだから。つまり、多くの高価な幸福な供給、これを君たちは喜ぶのだが、これが、数多の不幸と艱難によって君たちにはそなわるのだ。例えば、よければ、願わしい黄金を考えてみるがよい。銀を考えてみるがよい、豪勢な屋敷を考えてみるがいい、丹精された衣裳を考えてみるがよい、こういったものらに追随するあらゆるものを考えてみるがよい。商品にどれほどの面倒、どれほどの労苦、どれほどの危険がかかっているか、いやむしろ、人間たちの血と死と破滅とがどれほどかかっているか、それは、多くの人々がそれのために航海中に亡くなり、探険中・造作中に恐るべき目に遭うということばかりではなく、それをめぐる多くの戦いがあり、そのために君たちはお互いに陰謀をめぐらすということでもある。友たちに友たちが、父たちに子どもたちが、女たちが男たちに。そういうわけで、ぼくの思うに、エリピュレーも、黄金のために夫を裏切ったのだ。

9.1
 たしかに、こういったあらゆることが起きるのだ。多彩な外衣が、よりいっそう温めることができるわけではなく、黄金葺きの屋敷が、よりいっそう防護するわけではなく、銀の湯飲みが飲み物に益するわけでないのはもちろん、黄金の湯飲みが〔益する〕わけでもなく、また、象牙の寝椅子が快い夢を提供するわけでもなく、むしろ、象牙の寝椅子や高価な敷物の上で、幸福な人たちが夢を見ることができないのは、君のしばしば眼にすることになろう。なぜなら、食べ物をめぐる多種多様な面倒は、よりいっそう養うことはなく、身体を損ない、身体に病気を植えつけるということについて、言うべきことが何かあるかい。10.1 さらにまた言うことが何かあるかい。――10.2 人間は、性愛のためにどれほどの面倒を為すとともに蒙るか。本当は、この欲望(e9piqumi/a)を癒すことは容易だ、ひとが贅沢を拒みさえすればね。ところが、これ〔欲望〕に対する狂気と破滅は、人間たちを満ち足りさせるどころではなく、存在するものらの有用性さえもひっくり返し、本来の目的ではないそれぞれの目的に使用し、あたかも、馬車の代わりに寝椅子を、まさしく馬車のように使用しようとするひとがいるなら、その場合のごとくだ。
リュキノス:
 いったい、そいつは何者だ。
10.10
犬儒者:
 君たちのことだよ、人間たちを荷曳き用の獣みたいに使うのだから。君たちは彼らが馬車のように寝椅子を首に掛けて運ぶよう命じ、自分たちは威張りかえってその上に乗っかり、そこから、驢馬たちのように人間たちを扱ってこれを馭するのだ。これを引っ繰り返さないよう命じながらね。そうして、君たちはこれを特にうまく実行する者たちとして、特に浄福視されている。11.1 さて、肉を食糧として使うだけでなく、これから染料を考案しもする連中――紫衣を染める者たちとはそういう連中であり、彼らもまた、神の装備を自然に反して使うのではないか。
11.5
リュキノス:
 ゼウスにかけて。染めることができるのだから、紫の肉は、食べるだけでなくね。
11.7
犬儒者:
 しかしながら、そのために存在するのではない。混酒器も、やむを得ない場合は、ひとはこれを土器のように使うことができるとはいえ、しかし、そのために存在しているのではない。いや、実際、いかにすれば、こういったことの不幸(kakodaimoni/a)をことごとく詳述しえようか。それほどのものだよ。だのに君ときたら、それ〔不幸〕に与ることを望まぬからとて、ぼくを告発する。しかし、あの礼儀正しいひとのようにぼくは生きるのだ。ぼく自身のものらによってもてなされ、最も簡素なものらを使い、多彩で多種多様なものらは求めることなくね。

12.1
 それでも、獣の生活とさしてかわらず、わずかなものらを使って生きていると君に思われるのなら、君の言葉にしたがえば、恐らく神々は獣たちより劣っているのであろう。〔神々は〕何も必要としないのだから。だが、多数のものらを必要とするとかとは、それぞれどういうことなのかを、もっとはっきりと君が学知するために、次のことに思いを致してくれたまえ、つまり、子どもたちは成人たちよりもより多くを必要とし、女たちは男たちよりも、病者たちは健常者たちよりも、総じて、常により劣っているものは、よりすぐれたものよりも、より多くのものを必要とするということだ。それゆえ、神々の必要とするのは皆無、神々に最も近い者たちはごくわずかである。

13.1
 それとも、君は信じるのか。ヘーラクレース――あらゆる人間の中で最善なる者、神的な男子にして、正しく神を信じた人物――は、不幸(kakodaimoni/a)のせいで放浪したのだと。毛皮だけを身につけて裸のまま、君たちと同じものは何ひとつ必要とせずに。いやむしろ、あの人物は不幸だったのではない、他の人たちの悪をも防いだのだから、また貧乏人だったのでもない、大地も海も支配したのだから。いずくであれ、赴くところ至るところであらゆるものらを制覇し、当時のものらのうち誰ひとり等しい者、まして自分よりすぐれた者に出会うことなく、ついに人間界より立ち去ったのだ。それとも、君は思うのか。敷物や履き物に困窮して、それゆえにそういうひとはさまよったのだと。とんでもない、彼は自制力にとむ忍耐強い人で、節制を好み、贅沢を望まなかった。また、この人の弟子テーセウスは、全アテーナイ人たちの王、言い伝えでは、ポセイドーンの息子、彼の時代の人々の中の最善者だったのではないか。14.1 それどころか、この人も、やはり、裸足であることを好み、裸で歩きまわること、髭と長髪を持つことが彼を満足させた、この人ばかりではなく、昔の人たちみんなをも満足させた。なぜなら、彼らは君たちよりもより善い者たちであり、彼らはライオンに劣らず、ひとりとして、剃ったままにしておく者はいなかったからである。肉体の水っぽさや滑らかさは、女にふさわしことと考え、自分たちはあるがまま、男と見られることを好み、髯を男の飾りと信じたからだ。馬のたてがみやライオンのたてがみのようにね。神はこれを装飾や飾りのために付け加えたのだが、男たちにも同様に付け加えられたのだから。だから、ぼくはあの昔の人たちを羨望し、あの人たちの真似をすることは望むが、今の人たちを、その驚歎すべき幸福を理由に、羨望することはしないのだ。彼らは、〔この幸福を〕食事についても衣裳についても有し、身体のあらゆる部分をみがいたり、むしったり、いかなる秘所も、持って生まれたままにしておくことをしないのだが。

15.1
 そこでぼくの願いはといえば、ぼくの足が、言い伝えにあるケイローンのそれのように、馬の武器とちっとも変わらないこと、自分はライオンたちのように敷物を必要としないこと、高価な食用を犬たちと同じくらい必要ともしないことだ。そうすれば、ぼくにとって全地を自足的な寝床として持つことができ、家は宇宙(ko&smoj)と信じ、食養は最も容易なのを授かることを選ぶことができよう。そうすれば、金も銀も必要としない。ぼくはもちろんだが、ぼくの友たちのうち誰ひとりとして。なぜなら、人間たちにとってあらゆる悪しきものは、それらに対する欲望から生まれるのだから。内戦も戦争も陰謀も殺戮も。すなわち、万事はより多くのものに対する欲望を源として持つ。これさえぼくたちからなくなり、強欲をけっして追い求めることがなければ、より少ないもので辛抱することができる。

16.1
 ぼくたちのことは、君にとって、以上のとおりだ、もちろん、多くの人たちの望みとはちっとも一致しない。しかし、何ら驚くべきことではない。ぼくたちが彼らと恰好が異なり、意思選択の点でもこれほど異なるからには。それにしても、君についてぼくが驚くのは、あるひとを、キタラ歌いの衣裳や恰好だ、ゼウスにかけて、笛吹の恰好だとか、悲劇役者の衣裳だとか信じるのに、善き人物については、もはや恰好や衣裳では信じず、彼は多衆と同じものを、それも数多くの悪いものらの中の〔同じものを〕持っているに違いないと君が想うのは、いったいどうしてなのかということだ。16.10 もしも、善き人たちにとって固有のひとつの恰好が必要だとするなら、放縦な者たちにとっては最も恥知らずなもの、そして、この人たちが持つことを最も願わないもの以上にふさわしいものがあろうか。

17.1
 さて、ぼくの恰好はといえば、陰気で、襤褸服で、襤褸外套(tri/bwn)を身につけ、長髪、裸足、そういうものなのだ。これに反して君たちのは、みだらな者たちのそれと同じだから、判別できるひとはひとりとしていない。長衣の色によっても、柔らかさによっても、上っ張りの多さによっても、服地によっても、履き物によっても、髪の毛の装いによっても、匂いによっても。というのも実際、君たちはすでにこの最も幸福な者たちとして、あの連中と似たり寄ったりの匂いをさせている。しかしながら、人がみだらな連中と同じ匂いをさせているとき、ひとが与え得る何があろうか。そういうわけだから、諸々の労苦は、あの連中よりも多いことを君たちは我慢せず、諸々の快楽は、あの連中よりも少ないことを〔君たちは我慢しない〕。そうして、同じものらによって養われ、等しく眠り、歩き、より多く歩くことは拒否し、ある者は人間たちによって、ある者たちは家畜によって、まるで荷物のように運ばれる。これに反し、足たちは、どこでもぼくの必要とするところにぼくを運んでくれる。ぼくもまた、寒さを我慢することにも、暑さに耐えることにも、惨めな人間なのだから、神々の業を忌避しないことにも満足している。ところが君たちときたら、幸福なものだから、生起したことの何ひとつにも満足せず、あらゆることに文句をつけ、現にあることに耐えることを拒否し、ないものにあこがれる。冬には夏を願い、夏には冬を〔願い〕、暑いときには寒さを、寒いときには暑さを〔願う〕。まるで病人のように気むずかしく、愚痴っぽくなって。原因はといえば、あの連中〔病人〕にとっては病気だが、君たちにとっては性格(tro&j)なのだ。

18.1
 そうであるのに、君たちはぼくたちを心変わりさせ、ぼくたちのことを矯正しようとする。ぼくたちのすることについて忠告の仕方が悪いことしばしばで、それは、自分たちのことについては無反省で、それも判断と思量によってなすのではなく、習慣(e0/qoj)と欲望(e)piqumi/a)によって〔する〕からだ。そういうわけだから、君たちは谷川に運ばれるものらと何の違いもない。というのは、後者は、どこであれ流れの赴くままに運ばれのだが、君たちも、どこであれ諸欲望が〔赴くままに運ばれる〕からだ。また、気が狂って馬に乗った者がこうむると言い伝えられていることと似たり寄ったりことを君たちはこうむっている。というのは、例の馬が彼を引っさらって連れ去った。彼はもはや走る馬から下りることはできない。このとき出くわしたひとが彼に、どこまで行くのかと尋ねた。すると彼は云った、「どこであれ、こいつの気にめすところまで」と、馬を指さしながらね。君たちにも、「どこまで運ばれてゆくのか」とひとが尋ねたら、真実を言おうとして、君たちは単純に述べる、「いずこであれ、欲望たちの気にめすところへ」と、詳しくは、「いずこであれ、快楽の気にめすところへ」、時には、「名声の〔気にめす〕ところへ」、時にはまた、「愛利(filokerdi/a)の〔気にめすところへ〕」。時には気性(qumo&j)が、時には恐怖が、時には他の何かそういったものが、君たちを運び去るように見える。なぜなら、君たちときたら、1頭〔の馬〕ではなくて、時と所により、多頭の馬に乗って、それもすべて気の狂った〔馬に乗って〕運ばれるのだから。そういうわけだから、彼ら〔馬たち〕は君たちを処刑坑や処刑崖に運び去る。そして君たちは、投げこまれるまで、投げこまれようとしているということに、全然気づかないのだ。

19.1
 さて、この襤褸外套(tri/bwn)――これを君たちはばかにするのだが――、長髪、ぼくのこの恰好は、これほどの力を持っているので、静穏に(e)f' h(suxi/aj)、つまり、ぼくが何でも望むことをなし、望む者たちといっしょに生きるという生活をすることを提供してくれる。なぜなら、無学な人間たちや無教育な者たちのなかには、この恰好のおかげで、ぼくに近づこうとする者はひとりもおらず、軟弱な連中はずっと遠くから避けてくれる。近づいてくるのは、至賢の人たち、最も公正な人たち、徳の欲求者たちばかりだ。この人たちがなかんずくぼくに近づいてくる。こういう人たちなら、ぼくはいっしょになることを歓迎するからだ。だから、いわゆる幸福な人たちの戸口を崇めることをせず、黄金の冠や紫衣はたわごと(tu~foj)だと信じ、人間どもを嘲笑するのだ。20.1 それでは、この恰好――善き人物たちのみならず、神々にとってこそふさわしいものなのに、これをあなたは嘲笑するのだが――について、君が理解するために、神々の奉納像を考察してみたまえ。君たちと同様だと君に思えるか、それとも、ぼくと〔同様だと思えるか〕。少なくとも、ひとりヘッラス人たちのみならず、異邦人たちの神殿をも渉猟して検証したまえ。神々ご自身が、ぼくのように長髪、髭を生やしているか、それとも、君たちのように剃ったものとして塑像され描かれているか。いや、それどころか、多数の〔神像〕が、ぼくのように無衣でさえあるのを君は眼にするだろう。それでもなお、この恰好について、つまらぬと強弁するのは何ゆえなのか、神々にもふさわしいように見えるのに。

2006.01.23. 訳了。

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