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犬儒派作品集成

エメサのサッルゥスティオス

〔後5世紀〕



[略伝](出典:Wikipedia「Sallustius of Emesa」

エメサのサッルゥスティオス(Salouvstios)(後5世紀)
 〔シリアの〕エメサの犬儒派の哲学者。紀元後5世紀後半に在世。

 父Basilidesはシリア人。母Theocleaはエメサ人。サッルゥスティオスはエメサに生まれ、そこで成長した。初め法律学を学ぼうとし、エメサのEunoiusのもとで弁論術を学んだ。その後、弁論研究を捨て、ソフィストとなる。彼はとりわけアッティカ弁論家たちに心を寄せ、デーモステネースの弁論に傾倒した。彼自身の文章は、彼が模倣した偉大な手本にふさわしくないわけではないように思われる。

 Eunoiusの授業は自分にとってもはや役に立たないのを見て、彼はアテーナイに、次いでアレクサンドリアに旅立ち、(アレクサンドリアのイシドーロスの仲間に加わって)弁論術の学校で学んだ。哲学への嗜好を持ち、新プラトン学派に学んだ後、犬儒派の教義を信奉し、以後はこれに大いに情熱を注いだ。Simpliciusは言っている — サッルゥスティオスは赤熱した石炭を太腿の上に置いて息を吹きかけ、どれくらいの間苦痛に耐えられるかを試した」と〔Simplicius, Commentary on Epictetus' Manual, 13〕。

 彼は当時の哲学者たちを激しく攻撃したが、これに彼の嘲りの力が効果を添えた。哲学は不可能だと主張し、若者たちに、その教師のもとに通うことを思いとどまらせた〔Suda, Athenodoros〕。彼は雄弁を揮い、同時代人たちの愚かさや悪徳を攻撃して勝利し、Proclusとの論争をうまく片づけた。

 Photiusによれば〔Photius, Cod. ccxlii.〕、彼は一種の占いや運勢判断をして、目を見れば、その人がどんな死に方をするかわかると公言した。サッルゥスティオスが神々に関して敬虔な意見を持っていたことは疑わしい。少なくとも、新プラトン主義者たちの狂信的な教義に対する攻撃は容赦なかったように見える。

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