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back.gifソークラテース書簡集

犬儒派作品集成

ソークラテース派書簡集









書簡集(Epistulae)

"t".1.1
ソークラテース派書簡集


8.1."t"
アンティステネースからアリスティッポスに
8.1.1
 哲学者たる者のなすべきことは、僭主たる者たちの傍にいること、シケリア風宴卓に陪食すること、これではなく、むしろ、自分の都市にいて、自足に努めることである。しかるに君は、真面目な者の利点(pleonexiva)は、多くの金銭と、最も権勢ある友たちを得ること、これだと思っている。ところが、金銭も必要ではなく、たとえ必要だとしても、そういうふうにして獲得されるものは美しくない。多衆は無学で、この点では僭主たちも同じであるから、友となることはできない。したがって、わしは君に 8.1.10 忠告しよう、シュラクゥサイ人たちとシケリアから立ち去るがよい。しかし、もし、一部の人たちが謂うように、君が快楽を賛嘆するなら、そして、知慮深い人々にはふさわしくない物事に執着するなら、アンティキュラに行け。そうすれば、しこたま飲まれたエッレボロス〔Dsc.IV-51〕が君を益するだろう。なぜなら、この〔植物〕は、ディオニュシオスの酒よりも強いのだから。つまり、後者は多くの狂気をもたらすが、前者はそれを断つのだから。だから、健康と知慮が、病と無知慮とは異なるほど、君も目下君が罹っている病状を乗りこえられようから。健やかなれ。


9.1."t"
アリスティッポスからアンティステネースに
9.1.1
 われわれは、おお、アンティステネース、途方もなく不幸です。いったい、どうすれば不幸であることを拒めましょうか、僭主のもとにあって、日々、高価なものを喰い飲み、このうえなくかぐわしい香油を塗りこめ、タラース製の長い衣裳を引きずりながら。そして、ディオニュシオスの残忍さからわたしを脱出させてくれる人は誰もいないのです。彼はわたしを一種の人質のように、無名の者としてではなく、ソークラテースの言説の世話役として引き留め、わたしが謂ったようなものを食べさせ、塗油し、着せ、神々の裁きを 9.1.10 恐れることもなく、わたしをそういった扱いをしながら、人として恥じることもないのです。そして今はまた、悪はもっと恐るべき程度に立ち至りました。美しさと莫大な銀子において選ばれたシケリアの3人の婦人を賜ったのですのですから。
9.2.1
 いったい、いつになったら、この人物はこういったことをするのをやめるのか、わたしはわからない。だから、あなたがたの者たちの不幸に苛立っておられるのは、善く為しておられる〔仕合わせな〕のであり、わたしとしてはあなたの幸福を嬉しく思います。同じことをあなたにするとともに、ご親切のお返しをするのだと思っていただけますように。お元気で。

 干し無花果もお納めください。冬になります。また、クレータのパンもお受け取りください(これらは金銭よりも善いように思われますから)。そして、エンネアクルノス〔九つの井戸〕で沐浴し、飲水し、夏も冬も 9.2.10 同じ汚れた襤褸外套を着てください。アテーナイで民主的に生きる自由人にふさわしいように。
9.3.1
 わたしはといえば、僭主支配される都市と島にやってきて以来、あなたがわたしに書いておられるとおり、そういった目に遭って不幸だということはわかっております。今や、アクラガス人もゲラ人も、在留しているシュラクゥサイ人たちや、その他のシケリア人たちがわたしに同情し、訪問してくれます。しかし、無分別にもこのばかげた事態に陥ったわたしが狂った狂気にかけて、これらの悪がわたしを見捨てぬよう、祈り — わたしにあたいする祈り — を自分であげます。これだけの長い年月が過ぎたが、9.3.10 わたしは正気であるように思われるので、飢え、凍え、不名誉になることを望まないのはもちろん、長い髭をのばすことも〔望ま〕ないから。
9.4.1
 あなたに、ハウチワマメの大きくて白いのをお送りします。若い人たちのために『ヘーラクレース』を公刊された後、食することができるでしょう。こういったことを言ったり書いたりすることは恥ずべきことだとあなたに謂わないでしょうから。なぜなら、ディオニュシオスに、ハウチワマメについて言う人がいたら、それが僭主たちのしきたりですから、恥ずべきことだとわたしは思いますから。自余のことは、靴屋シモーンのところに、対話をしに、おいでください。知恵において彼より偉大な人は、現在も将来も、いないでしょう。わたしには、9.4.10 別の人たちの支配下にあるため、手工者に近づくことは禁じられているものですから。


10.1."t"
アイスキネースからアリスティッポスに
10.1.1
 わたしは、プラトーンにも、ロクリスの若者たちを救うよう、依頼の書を書き、君にも同じことを、手紙にしても、誤りではないと思う。なぜなら、君は喜んで実行してくれるだろうから。彼らとわたしとの関係は、もちろん、君は知っている。また、彼らが不正者だという思いをディオニュシオスが持っているのは、騙されているのだということも。さあ、急いでこれを実行するよう努めてくれたまえ。お元気で。


11.1."t"
アリスティッポスからアイスキネースに
11.1.1
 君が書いて寄越したロクリスの若者たちは、牢獄から釈放され、死刑になることはもちろん、なにがしかの財産を失うこともないであろう。すんでのところで死刑になるところだったが。しかし、これらのことをアンティステネースに言うのはやめてくれたまえ。ぼくが友たちを救ったとしても。なぜなら、僭主たちを友とすることは、あの人には気に入らず、〔気に入るのは〕パン屋や小売り商人 — アテーナイでパンや酒を義しく売り、スキーローン風〔北西の風〕が吹くときには、厚手の外套を賃貸しするような連中を捜し出し、シモーンに 11.1.10 仕えることなのだから。これは金銭じゃないからね。


12.1."t"
シモーンからアリスティッポスに
12.1.1
 聞くところによると、君はディオニュシオスの前で、われわれの知恵を愚弄しているという。もちろんわしは認める — 自分が靴屋であり、そういったものを製作しており、必要とあらば、無知慮な者たちが、ソークラテースの意向に反して、贅沢三昧に生きていると思われるなら、これに対する誡めのために、皮革をもう一度裁断しなおす用意がある。君たちの無知慮な戯れの矯正者(swfronisthvV)こそ、アンティステネースである。というのは、君はわれわれの議論(diatribhv)を茶化して彼に書いているからだ。いや、これで充分、おお、神的な心よ、わしに遊ばれたとしたまえ。しかしながら、12.1.10 飢えと渇きを忘れぬよう。これこそが、慎慮(swfrosuvnh)を追求する者たちには、大いなる能力なのだから。


13.1."t"
アリスティッポスからシモーンに
13.1.1  わたしが茶化したのは、あなたをではなくて、パイドーンをなのです。〔彼が〕あなたはケオス人プロディコスよりもすぐれており、知者だと言うものですから。彼〔パイドーン〕の謂うには、あなたは彼〔プロディコス〕の手に成る『ヘーラクレース頌』について彼を支持されたとか。もちろん、わたしはあなたに驚嘆し、称讃しております。靴屋でありながら知恵に満たされ、昔はソークラテースに聴従し、若い者たちのうちの最美にして最も生まれ善き者は、あなたのそばに坐ろうとしたものです。例えば、クレイニアスの子アルキビアデースとか、ミュッリヌゥス区民パイドロスとか、グラウコーンの子エウテュデーモス注1)とか、また公事を遂行している人たちの中では、13.1.10 楯持ち〔と綽名される〕エピクラテース注2)、エウリュプトレモス注3)その他、また、クサンティッポスの子ペリクレースも、もしも当時、将軍職に就かず、戦争がなかったとしたなら、この人物もあなたの傍にいたろうとわたしは思います。今も、あなたがいかなる人物かわれわれは知っています。何しろ、アンティステネースがあなたのもとに通っているのですから。あなたはシュラクゥサイでも哲学することができます。革紐や皮革は、〔当地では〕高価なのですから。
13.2.1
 そしてあなたはご存知ないのか — いかにわたしが、履き物の使用者として、折に触れて、あなたの術知を驚嘆すべきものにしているかを。これに反してアンティステネースはといえば、裸足ですから、あなたに休職と無賃をもたらす以外、いったい何をしているのでしょうか。若者たちや、アテーナイ人全員に、裸足になるよう説得しているのですから。だから考察してください。あなたにとってわたしが、安易さと快楽を歓迎する者として、どれほどの友であるかを。しかるにあなたは、プロディコスの問いかけは道理であることを認めながら、その帰結を自分では承知なさらない。さもなければ、あなたはわたしを賛嘆し、他方、長い髭をたくわえた者たちや、13.2.10 空威張りの杖ども、汚くて、虱だらけで、獣のように長い爪をしている連中 — あなたの術知とは正反対の提案をする連中は、嘲笑なさったことでしょう。


14.1."t"
アイスキネースからクセノポーンに
14.1.1
 貴君の息子グリュッロスの関係者たちがゲターンを貴君のもとにすでに派遣し、ソークラテースに関わること — 彼の裁判と死刑に際して起こったこと — のすべては彼が報告しました。しかしながら、ここでもまた運命が一種妨害者となり、そのせいで貴君はたまたまアテーナイにおらず、ラケダイモーンにいたというのは、必要なことでした。そこでどのように、おお、クセノポーンよ、鞣し革屋アニュトスの醜行(miariva)、メレートスの不敵(tovlma)と両人の横暴(qravsoV)を書けようか。なぜなら、これらいまわしい両人は、事態の最後に至るまで 14.1.10 邪悪な者たちであり続け、彼らが自分たちの仕業を恥じて〔仕業を〕止めたとわれわれが思ったとき、なおもっと激しく、われわれに害悪を及ぼすことに突き進んだのです。
14.2.1
 たとえ、メレートスは法廷において自分の役割を何ら果たさなかったにしても、悪霊に取り憑かれた人間でした。というのは、この告訴の根はアニュトスにあり、その所以は、ソークラテース自身が、若者たちの前で、革鞣しの仕事を 14.2.5 口にするのも恥ずかしいと言ったことに由来するのですが、この時〔ソークラテースが〕対話し、論じ立てていたのは、自分が教えを請う当の事柄に知識(ejpisthvmh)を有する人たちに師事することに関説してのことでした。このように、何であれ実行すると公言する人たちは、……医療のことを学んだアクゥメノスや、音楽のことを〔学んだ〕ダモーンや、14.2.10 メートロビオスの子コンノスを……。というのは、わたしが思うに、自分の息子たちがソークラテースの聴講者になったとき、その仕事をしていないことを彼は知らなかったからです。……今に至るまで演壇が彼を養うこともなく……大胆にふるまうことなく……自分の他の術知を……ハーデスの兜とかギュゲースの指輪とかを身につけて姿をくらまし……都市に住む人たちを裁判に訴える……。鞣し革業で生きているからです。
14.3.1
 そこで、その名は、わたしが謂ったように、彼の弟子であると同時に家来のメレートスでした。というのは、この人物は、あたかも悲劇の中で愛国者メノイケウスを演じるように、これに倣って、都市そのものがこの連中によって不正されたと憤慨していたからです。しかし、そのへぼな弁論は、貴君がその場にいたらよかったのに。貴君は、災厄の最中にありながら、笑ったことだろう。それは弁論作家ポリュクラテースのものだったが、これをやつは、まるで先生の教室で引用句を言う子どもたちのように、登壇して告発したとき、恐慌を来して呆然自失、14.3.10 科白を忘れて、他の者たちが彼に科白付けをする様は、まるで俳優カッリッピデースと同じ、こうして自分自身と書き物とを上から下まで台無しにしたうえで、彼は降壇しました。
14.4.1
 これに対してソークラテースは、この時、いかなる争訟であれ、これほどの争訟以外なら何でも心得ていました。だから — 〔ソークラテースの弁論が〕いかなるものかは貴君自身が知っている — 笑いを含んだ上品さで微笑しながら、貴君の息子たちが書き送った内容を云いました。また裁判員たちは、当時は、外を取り囲んで立っていた一味全員に支配されていたが、それでも罪の見積もりをするよう言ったところが、彼は大胆不敵にも、「プリュタネイオンでの食事、この裁きを提起する」と申し立てました。彼らが勢いを盛り返したのは、まさしくこの時でした。というのも、14.4.10 彼が弁明しているとき、彼が無罪放免になりはすまいかと彼らは恐れていたのです。実際ソークラテースは無罪放免になっていただろう。しかし今は、諂いの類も哀願の類も連中の前に連れ出すべきではなく、真実と義を言う〔べきだ〕と彼は思ったのです。なぜなら、このように弁明しながら、有罪宣告されるとしたら、彼は思ったのです、不正するのは自分自身ではなく、自分に有罪票決する者たちだ、と。
14.5.1
 しかるに、自分自身と哲学に相応しくないことをしたり言ったりしたうえで、解放されたら、呪わしい人足奴隷の生を生きることになろうと彼は謂いました。とりわけ、自分には老いが差し迫っており、これから先ただ生きることは自分にとってすぐれたことではなく、より悪いことだろうと彼は謂いました。たとえ解放されたとしても、もはやすぐれたものを見たり聞いたりすることはもはやできず、したがって、神意にしたがって、死はすでに近いと彼に思われました。こうして有罪評決を受けた後、彼は笑いながら〔法廷から〕出て行き、牢獄にいる時間、わたしたちと対話を楽しんだのでした。メレートスが彼を 14.5.10 いまだ告発せず、投獄されることもなかったときよりも。そういうわけで、彼は自分が居る別荘(oi[khma)と枷が自分に哲学することを強いると言っていました。「なぜなら、市場では」と彼は謂いました、「実際、一部の者たちからいつも悩まされていたのだから」。
14.6.1
 じっさいこういうふうに、こういったことも、これほどのことも、彼はわれわれと対話し、彼が投獄されていることをしばしば忘れるほどで、災難の最中に語られたのでないような、そういう言葉と声に出くわしたが、その次にはわたしたち自身が状況を失念していることをお互いに非難しあうことを自分で思い出し、彼の方は、わたしたちに生じている心情を察して、あたりを見まわして言ったほどです。自分は間もなく死ぬにしても、わたしたちは気にすることはない、わたしたちはこんなに笑っているのだから、と。そして、今度はクリトーンをひっつかまえて、「おお、莫迦な人だ」と謂いました、「今や、14.6.10 オリュムピア祭やあらゆる祝祭が終わった。われわれは死んだら、ここよりももっとすぐれたある所へ、真理をめざすところへ出郷しようとしているのだから」。
14.7.1
 他にも数々の美しい言葉をテーバイ人のケベースとシムミアスを相手に彼は対話しました。魂は不死であること、知慮を心がける者たちは、神々の場に出離し、いわゆる死によっては何ら恐るべきことを蒙ることはないということです。おかげでわたしたちは、ソークラテースのために、彼が死のうとしていることで泣くのではなく、彼を羨み、わたしたちは自分たちの身を、それほどの善を真理によって拒まれて生きていることを泣いたほどです。というのは、彼はこの用事を出郷(ajpodhmiva)と 14.7.10 言い、詩人エウエーノスを、わたしたちを通して、呼び出しました。もしも自分がよく知っているとおりなら、すみやかに自分のところに来るように。その詩からみて、彼は哲学者なのだから、と。
14.8.1
 なぜなら、哲学者は、死ぬことより他は何も為さない。身体の諸要求は軽蔑し、身体の諸々の快楽に隷従することはないが、それは身体からの魂の離反にほかならず、死もまたやはり身体からの魂の離反にほかならないからである、と。この点においては、彼は実際きわめて説得的でした。というのは、わたしの思うに、彼が災悪な目に遭おうとしているのをわたしたちが泣くことのないよう、彼はそれらの言葉でわたしたちを欺いたのであろう。が、それらの言葉は、14.8.10 おそらくは真実でもありました。それから、30日を過ごした後、彼は命終しました。毎年デーロス島へ派遣されている船のせいです。というのは、多日を経ても帰着せず、貴君も知っているように、公的に人を処刑することができなかったのです。聖なる日々でしたから。
14.9.1
 友人たちのうちで、命終する彼に付き添ったのは、わたしと、テルプシオーンと、アポッロドーロスと、パイドーンと、アンティステネースと、ヘルモゲネースと、クテーシッポスでしたが、プラトーンとクレオムブロトスと、アリスティッポスは欠席しました。というのは、プラトーンは病気になり、他の二人はアイギナにいたからです。毒薬を飲むや、アスクレーピオスに雄鶏を供儀するよう、彼はわたしたちに言いつけました。それは、デーリオン攻めの戦いから帰還してのち病を得たとき、一種の誓願によって、彼〔アスクレーピオス〕に借りがあるから、と。さて、わたしたちは一種驚嘆の念をもって落涙したのち、14.9.10 彼を運び出し、埋葬しました。ちょうどよい時機になっていたのと、本人が望んでいたからです。
14.10.1
 身体に対する気づかいのようなものもしないよう彼はわたしたちに言いつけていました。なぜなら、それは無価値であり、魂がそれを後に残したからには、もはや無用なものだから、と。そうであるにもかかわらず、わたしたちは可能な範囲でですが、この災難を無視し、言葉は聞き違えることにし、洗い清めたのち、できるかぎり彼を美装し、襤褸外套をまとわせ、相応しく埋葬したうえで、わたしたちは立ち去りました。以上が、ソークラテースとわたしたちとに関することです、おお、クセノポーン。たしかに、貴君にとっては、外征は大きな障害でした。14.10.10 ソークラテースが生きているときも命終するときも、わたしたちとともに彼に付き添っていたかったでしょうから。


15.1."t"
クセノポーンからソークラテースの同志たちに
15.1.1
 わが息子グリュッロスの関係者たちも、自分たちが為すのが当然なことを為し、またあなたがたも、ソークラテースに関することをわたしたちに書き寄越して善くしてくれました。とにかく、少なくともわたしたちがなすべきは、善き人物になること、そしてあの人が、慎み深く、神法にかなって、敬虔に生きた点で称讃し、運と、彼に策謀した連中を責め、非難することです。連中は久しからず償いをするでしょう。ラケダイモーン人たちも憤慨し(受難はすでにここにまで届いているのです)、わたしたちの民衆を叱責しています。15.1.10 またまた馬鹿げたことをしたものだ、最高の知者、ピュティアから最も慎み深い者と証言された者を、殺すよう説得されたとは、と言って。
15.2.1
 わたしたちが送ったもののうち、ソークラテースの同志たちが必要とするものが何かあったら、わたしに知らせてください。わたしたちが援助するつもりです。それが美しく必要なことですから。あなたがたがアイスキネースを仲間に持っているのは善くします〔幸いです〕、そのおかげでわたしに書き送れるのですから。とにかく、あの人がかつて言ったこと、為したことをわたしたちは著すべきだと思われます。それがまた、現在および将来にわたって、あの人の最善の弁明になるでしょう。わたしたちが法廷で競い合うのではなく、全生涯にわたってあの人の徳を提起することが。そしてわたしは主張します、15.2.10 もしもわれわれが喜んで書かないとしたら、共通の同志関係と、あの人が言ったように、真理(ajlhvqeia)とに不正することになるのだと。
15.3.1
 プラトーンの著作も、すでにわたしの手に入りました。それはソークラテースの名前と、何人かの人たちとのつまらなくはない一種の対話を内容とするものです。とにかく、わたしはメガラで読んだことがあるように思います15.3.4 〔おそらく欠損。"言われているように、こういったメガラ人のある人....."〕。とにかくわたしたちが謂うのは、こういったことは聞いたことがないということではなく、こういったことを想い出すことはできないということです。なぜなら、われわれは、彼自身は、詩作を極力否定しているにしても、彼はそれにほかならないような詩人ではないからです。というのは、彼は、美しい人たちの前では、自分の作品は無であるというそぶりをしながら、しかしながら15.3.10 若く美しいソークラテースの〔作品〕であると主張しているのですから。お元気で、わが親密このうえなき方々。


16.1."t"
アリスティッポスの〔書簡〕
16.1.1
 われわれ、わたしとクレオムブロトスとは、ソークラテースの最期に関することを学び知りました。つまり、脱獄を「十一人」に黙認されていたにもかかわらずとどまり、今も脱獄する気はない、それ以前に法的に救われないかぎりは。すなわち、そういうふうにすれば、祖国は、自分に関するかぎり、自分によって見捨てられたことになろうから、と言ったと。しかしわたしには、彼は不正に投獄されたのだから、どんな仕方であろうと救われるのがよいように思われた。とはいえ、わたしは、あの人によって為されたことは、悪いことも愚かなことも、そのすべてが義しいように思われるので、それを 16.1.10 途方もないことだと非難することもしません。ところで、あなたの手紙によれば、あなたがた、ソークラテースの愛者たちも哲学者たちもみな、自分たちの身にも何か同じことが起こるのではないかと恐れて、アテーナイから退いた由、その行為は不都合ではありませんでした。ところで、わたしたちも、目下のところアイギナで過ごしていますが、次はあなたがたのもとに赴き、何かもっと善いことを持てるなら、それを実行しましょう。


17.1.1

 わたしは知っております — 生前のソークラテースとあなたとの関係、また、あの人の友であるわたしたちとあなたとの関係がどうであったかということを、そして、あの人があなたや、ケオス人プロディコス、アブデーラ人プロータゴラスと徳について、それがどこに生じるか、いかに生じるか、万人はこれを目指さなければならないということを対論なさったとき、あなたが、尤もなことながら、驚嘆し、かつ、不平を託たれた、ということを。その人は、神々に対してと人間どもに対しての美と正の最高の邪悪者、無学者であるかのごとく、「十一人」による決定で亡き者とされましたが、あなたが 17.1.10 キオスにおられると聞き、それ以後のことについて、あなたに御手紙します。喜んでいただけるでしょう。
17.2.1
 というのは、アテーナイ人たちは、眠っていましたが、ついに目覚め、アニュトスとメレートスを、神法に悖る者として召喚し、死刑にしたのです。都市にとってこれほどの悪の原因をなしたからです。この口実は、彼ら両人に対して見つけられたものです。というのは、彼の死後、アテーナイ人たちは、万人から出来事の釈明を求められて、伏し目がちとなったからです。彼は不正していないのだから、そもそも弾劾すべきではなかった、いわんや、死刑にするなどもってのほかだと。いったい、プラタノスや犬にかけて誓ったらどうするのか。17.2.10 また、万人を私的にも公的にも、義しいことも美しいことも何も知らないと問いつめたら、どうするのか。そしてついには、若者たち全員が都市において放縦と無秩序に向かうであろう。なぜなら、あの人物の前で、いかほどか、つねに恥じているからです。
17.3.1
 とくに、彼らを衝きうごかしているのは、ラケダイモーンの若者の受難もそうです。というのは、ソークラテースに対する恋のせいで、彼と交わるためにやってきた者がいるのです。それまではソークラテースを知らなかったのに、彼のことを耳にして。彼が町の城門にたどりつき、喜んでいるとき、自分がそのためにやってきたソークラテースが刑死したとの報告を受け、城門内へはもはや入らず、その墓がどこにあるか訊き知って、そこに赴いて、墓標と対話し、落涙し、やがて夜が彼をとらえると、その 17.3.10 墓の上で眠り、翌朝まだき、自分が横たわっていた塵に何度も接吻し、熱愛をこめて何度も挨拶したうえで、メガラへと立ち去ってしまいました。
17.4.1
 さて、アテーナイ人たちはこのことを知り、また、あの〔ラケダイモーンの〕人々の息子たちが、自分たち〔アテーナイ人たち〕のところの知者を恋情から知者として扱っているのに、自分たちは死刑にし、一方〔ラケダイモーン人の息子たち〕は、ソークラテースに会うためこれほどの距離をやって来たのに、他方〔自分たち〕は、守ることができたのに、自分たちの中に彼〔ソークラテース〕を保有しながら、これを守り通すことをしなかったとするなら、最も恐るべきことでラケダイモーン人たちと仲違いすることになるだろうと感じた。そういうわけで、〔アテーナイ人たちは〕憤慨して、あの邪悪な両人をほとんど喰い殺したも同然でした、その結果、この都市は、自分はそれらもことを何も為さなかったと 17.4.10 弁明し、原因〔犯人〕は死んだということになったのです。こうして、いわば共有の穢れを、ヘッラス世界から、むしろ人間世界から振り捨てて、この経験を通して、〔アテーナイ人たちは〕われわれを益し、その他の人たちをも益したのです。そこで、ふさわしくないしかたで憤激したわれわれは、再びアテーナイで、以前のように一緒になるでしょう。


18.1."t"
クセノポーンから、ソークラテースの同志たちに
18.1.1
 わたしたちによってラコーニアに建立されたアルテミス女神の年祭を催しますので、お越しくださるよう、あなたがたにお便り申し上げています。美しいのは、全員に〔お越しいただくことです〕が、それができなければ、犠牲をささげる仲間をあなたがたの中からご派遣ください。それがわたしたちにとっての恩恵となりましょう。当地にはアリスティッポスが来ており、その前にはさらにパイドーンも来ていて、この場所にも、住居の他の造作や、わたし自身が自分の手で植えた植物にも気をよくしております。というのは、この場所はまた猟場をもそなえていますので、わたしたちには狩りも 18.1.10 できるのです。勇敢さ(これこそこの女神の愛でたもうものでもあります)をもって饗宴を催し、彼女〔女神アルテミス〕に感謝をするために。そもそも、〔この女神は〕わたしを救出してくださったのですから。異邦人の王からと、その後には、これほどの敵地からすでに救われたとわたしたちが思ったあの時に、ポントスならびにトラキアにおけるもっと大きいといってよいほどの害悪から。
18.2.1
 しかし、もしあなたがたが来られないなら、わたしたちに手紙を書くことが、あなたがたには必要です。ところで、わたしはソークラテースの想い出のようなものを執筆しました。そこで、完全に善いとわたしに思われれば、これをあなたがたにもお送りするつもりです。というのは、アリスティッポスとパイドーンは、かなり適切であるように思ってくれました。靴屋のシモーンによろしくお伝えください、そして彼を称讃してください。彼はソークラテースの言説に意を用いつづけ、貧しさも術知も、哲学しないことの口実とはしないのですから。他の人たちの中には、18.2.10 言説と、言説に含まれる内容とを徹底的に知り、かつ、驚嘆することを望まぬような人たちもいるのに。


19.1."t"
同じ人〔=クセノポーン〕の〔書簡〕
19.1.1
 来たれ、最高に驚嘆すべき方々よ、わたしたちのところに。というのは、アルテミス女神の非常に際立った神殿がわたしたちによって造られ、その地域は植木に囲まれ、神域であると認められました。ここにあるものらがわたしたちを扶養してくれるでしょう。なぜなら、ソークラテースが言っていたことですが、「これらがわたしたちを満足させないなら、わたしたちがそれらに満足するであろう」。息子のグリュッロスにも、同志にも、わたしは書いておきました、あなたが必要となさるものが何かあれば、あなたに提供するようにと。グリュッロスにはこう書いておきました、おまえがまだほんの幼少のおり、このひとにつきまとい、好きだと言っていたと。お元気で。


20.1.1

 あなたの堅忍(karteriva)をわたしは昔からも知っており、はなはだ驚嘆するのは、あなたが誰にもまして富と名声の持ち主でありつづけておられるからであり、まるでソークラテースの一種の生き写しがアテーナイをめぐっているように、生きておられることからです。他方、わたしたち自身も、テーバイで若者たちの世話をしています。わたしたちがソークラテースから聞いた言説を引き継ぎながら。これもまた、わたしたちにとっても交際者たちにとってもやりがいのあることです。


21.1."t"
[アイスキネースから]〔ソークラテースの妻〕クサンティッペーに
21.1.1
 わたしは、メガラ人エウプローンに、大麦粉6コイクス、8ドラクマ、新しい外套を与えました。これでこの冬を貴女は過ごせるでしょう。ですから、これを受け取って、エウクレイデーステルプシオーンがきわめて美而善なる人物であり、貴女とソークラテースに好意を持った人であることを知ってください。子どもたちがわたしたちのところに来る気になったときには、止めてはいけません。メガラまではそれほど遠くないのですから。貴女の〔流してきた〕ぎょうさんな涙で、おお、善き婦人よ、もうたくさんです。何の役にも立たないどころか、ほとんど害しさえするでしょうから。ソークラテースが言っていたことを思い出し、あの人の 21.1.10 習慣と言説に従うよう努めてください。事あるごとに悲しんでいては、貴女自身にも、とりわけ子どもたちにもよくないでしょうから。
21.2.1
 なぜなら、この子たちは、いわば、ソークラテースの雛鳥のようなもの、これをわたしたち養育しなければならないのみならず、わたしたち自身が彼らに付き添って生きながらえる努力をしなければならないのですから。もしも、貴女か、わたしか、他の誰か、ソークラテース亡き後、子どもたちたちの面倒をみる者が死んだら、この子たちは、助けてくれる者や養ってくれる者がいなくなるのですから、不正を蒙るであろうことは、誰でもが認めることでしょうから。そういう次第ですから、彼らのために生きるよう努めましょう。しかるに、違ったふうにはならないでしょう — 貴女が生きるために必要なものを自分に用立てないとしたら。悲しみとは、生と反対のものに属するように思われます。それによって害されるのが、21.1.10 生者たちなのですから。
21.3.1
 アポッロドーロス — 泣き虫と綽名されていますが — とディオーンが、貴女を称讃しています。誰からも何ものもお受け取りにならないが、それでいて「自分は富んでいる」とおっしゃっているからです。たしかに貴女は善くしています。わたしと他の友たちが、貴女を後援する力を持っているかぎり、貴女が不足するものは何もないでしょう。ですから、元気を出してください、おお、クサンティッペーよ、そして、ソークラテースの美しきことども何ひとつ棄ててはなりません。あの人がわたしたちにとってどれほど大いなる存在であったかをご存知なのですから。そして、彼がどのような生を生き、どのような死を死んだかに、思いを致してください。というのは、わたしは思うのです — 彼の死もまた偉大で美しかった、21.3.10 もしも人が、考察すべき仕方に従って考察するならば、と。お元気で。


22.1."t"
クセノポーンからケベースシムミアス
22.1.1
 「貧しさよりも富めるものなし」という諺があります。たしかに、多くを持っていないにもかかわらず、あなたがたという、わたしたちの世話をしてくれる友たちを持っているゆえに、多くを所有しているのだとわたしが見るとき、わたしは危険を冒しているのです。実際、あなたがたは善くして〔親切にして〕くれるでしょう、何かについてあなたがたに書き送れば、わたしに送ってくれるでしょうから。しかしながら、〔わたしの〕書き物の中には、わたしがいなくても、他の人たちまで元気づけることを示せるような — 例えば、家の中にエウクレイデースが臥せっていて、そこにあなたがたが居るところで、わたしが喜んでおしゃべりするような — そのような書き物はまだ持っていないのです。まさにあなたがたは知るべきです、おお、友たちよ、ひとたび多衆の手に渡った書き物は、22.1.10 取りもどすことができないのだということを。
22.2.1
 プラトーンはといえば、実際、その場にいなくても、言葉によって大きな力を有しており、そのおかげで、すでにイタリアでも全シケリアでも、驚嘆されているのですが、わたしたちはといえば、これらが何らかの真剣さに値することだと、自分たちを説得している程度だとわたしは思います。知恵をめぐる評判が落ちるのではないかとわたしの気にかかるというのではなく、ソークラテースについて、『想い出』の中で、あの人の徳をわたしが悪く云ったために、彼が危うくされたのではないかと気遣わねばならないということです。ひとを悪罵することも、誰かがあるひとについて著している、そのひとの徳に値しない事柄を著すこととは、22.2.10 異なるところはないとわたしは思います。ですから、気がかりなのは、今わたしたちが持っているこのことなのです、おお、ケベースとシムミアスよ、以上の点についてまだもっと別のことが何かあなたがたに思われるのではないかと。お元気で。


23.1."t"
アイスキネースからパイドーンに
23.1.1
 シュラクゥサイに到着したとき、わたしはすぐに、市場でアリスティッポスに出くわしたのですが、彼はわたしの右手を取って〔挨拶すると〕そのまま、何の猶予も与えず、ディオニュシオスのところに案内し、あの御仁に謂いました、「おお、ディオニュシオス殿、ある者があなたのところにやって来て、それがあなたを愚か者にするためだとしたら、はたして、この者はあなたに害悪を働く者ではありませんか」。すぐにディオニュシオスが同意しました。「では、何を」とアリスティッポスが謂いました、「あなたはこの者に働きかけるでしょうか」。「最悪のことをだな」と彼が謂いました。「では、どうですか、もしある者が」と彼が謂いました、「あなたを知慮深い者にするためにやって来たのなら、はたして、この人物はあなたに善きことを働く 23.1.10 のではありませんか」。再びディオニュシオスが同意すると、「よろしい、それでは」と彼が謂いました、「このアイスキネースは、ソークラテースの知己にして、あなたを知慮深い者にするためにやって来たのですから、あなたに善きことをも働くことができるでしょう。議論においてわたしに同意なさった事柄を義となさるなら、アイスキネースに善くなさるでしょう」。
23.2.1
 そこで、わたしが引き取って謂いました、「おお、ディオニュシオス殿、このアリスティッポスは、わたしを助けるために、かなり身贔屓的で、驚くべきことをしています。わたしたちにはそれほどの知恵はなく、交わりのなかで誰かに不正することはないというだけのことです」。するとディオニュシオスは、云われたことを悦んで、アリスティッポスを称讃するとも、また、アリスティッポスとの議論の中で同意したように、わたしを善くするとも謂いました。それからこの御仁は、わたしたちの『アルキビアデース』〔の朗読〕を聞き、見受けられたところでは、喜んだらしく、わたしたちに 23.2.10 他に何か対話篇があれば献上するよう頼みました。そこでわたしたちはそれを確約し、おお、友にして同志よ、またすぐにわたしたちは到着することでしょう。ところで、わたしが朗読しているとき、プラトーンが居合わせましたが(すんでのところで、あなたがたに書くのを忘れるところでした)、わたしについて個人的に対話しないのがよいと彼に思われたのは、アリスティッポスのせいでした。
23.3.1
 というのは、彼は、ディオニュシオスのところから罷り出たとき、わたしに謂ったのです、「おお、アイスキネースよ、あの人がいたので」(彼はアリスティッポスのことを言ったのだ)「わたしとしては、何も軽率に話しかけるわけにはいかなかったのだ。けれども、わたしがあなたについてどんなことを言っていたかは、ディオニュシオスが証人になってくれるだろう」。そしてディオニュシオスも、次の日、菜園で、プラトーンがわたしについてどのように言っていたか、証言してくれたのでした。しかしながら、アリスティッポスとプラトーン、双方に対する冗談(それは冗談と言うべきものです)をやめるよう、23.3.10 わたしは彼らに頼んだのでした。彼らは多衆に対して名声を持っているのですから。なぜなら、わたしたちが、こういうことをして見せつけることほどばかげたことは、ないのですから。


24.1."t"
プラトーンの〔書簡〕
24.1.1
 アルキュタースが貴兄から受け取ることを求めたと貴兄が謂うものを、まだ何もシュラクゥサイに送ることができていませんが、遠からず急ぎわたしたちは貴兄にお送りしましょう。わたしには、哲学がいったいどんなものか、はたしてつまらぬものなのか美しいものなのか、目下、わたしは多衆とつきあうことを憎んでいるときなので、わかりません。もちろん、わたしの心情は義しいとわたしは思います。私的に何かに苦労する人たちも、公事を為す人たちも、あらゆる種類の愚かしさに無知なのですから。もしも道理に外れてわたしがこんな目に遭っているのなら、少なくとも次のように理解してください 24.1.10 — わたしにとって生きることはどうにかやっとできているが、わたしにとって他のように魂に与ることはできないのだ、と。
24.2.1
 それ故にこそ、野獣の檻からのように、わたしは町を逃れ、ヘーパイスティア〔レムノス島の都市〕から遠くないところで暇つぶししているのです。そしてこの地方で悟ったことは、そもそもティモーンは人間嫌いではなかったが、しかし人間を見つけられなかったので、獣を友とすることができなかったので、そのため自分だけで独り生きたのだということです。しかし、彼は絶えざる危険にあったので、おそらく、その場合は善き推量もなかったのでしょう。貴兄はお望みのままに受け取ってください。わたしにとって知見のことはこのとおりであり、町からは離れています。今も、神がわたしたちに生を認めてくださる他の全時間も。


25.1."t"〔次の26とともに除外するのが正しい〕
同じ人の〔書簡〕
25.1.1
 わたしがこの書簡を与えたクリーニスは、以前から貴兄にとっても友ですが、認知(gnwvsiV)の初め(ajrchv)がわたしたちから起こっているので、あたかも体制の初めを異にするように、彼に対する配慮に貴君を要請することは、今も美しいとわたしは思います。すなわち、彼は出征し、自分に相応しいことを何か実行したがっているのです。しかし、その後の話(lovgoV)は大概短い。なぜなら、わたしたちとパラモーンやクリーニスとの関係がいかなるものであるかもあなたは無知ではなく、この若者が、慎み深く、程よい人物であり、25.1.10 いわばあらゆる交際と有用性において安全な人物であることにも無知ではないのですから。なぜなら、未来は過去によって、とりわけ私的な自然本性と選択意思によって判断さるべしと謂われますから。そしてこの人物は、万人が口を揃えて称讃しているのです。そういう次第で、かくかくしかじかの人物でもあり、わたしたちもあなたも友なのですから、彼に関して可能な努力を払うべく努めてください。こういう人たちは恩恵にあたいするのですから。


26.1."t"〔前の25とともに除外するのが正しい〕
同じ人の〔書簡〕
26.1.1
 アテーノドーロスが、あなたがたの選択の消息を伝えることしばしばであったので、わたしがあなたがたに手紙を書いて、挨拶と話しかけることを吟味した所以は、あなたがたが言及しているように見えるわたしに対する慣例のためと、また、ディオニュシオスについてあなたがたが好意を持ち続けているためです。なぜなら、性格の判断は、友愛における確かさ以上に精確なものは何もないとわたしは考えるからであり、その〔確かさ〕を、あなたがたと、年齢的に気になる人たちとにわたしは感知するのです。ですから、その故にも、また、あなたがたの他の相応しさ — 以前よりは今の方がはるかに多く伝え聞くのですが — 26.1.10 故にも、わたしが立ち去った後、残された時間も、そういう人たちであるよう努めてください。このような状況の最高に自由な果実は、善く生きる人たち(eu\zwvntoi)からの善い評判(eujfhmiva)であると信じて。

27.1."t"〔→25〕
パイドロスからプラトーンに
27.1.1
 わたしを悲しませるのが嫌なので、今まさにもっと遠くへ旅立とうとしていることを隠したのだと、あなたはわたしにお書きになりましたが、オリュムポスにましますゼウスにかけて、わたし自身はもうあなたを焦がれはじめています。いや、友愛・友誼の神ゼウスにかけて、おお、プラトーン、そしてまたソークラテースにかけて — 地上にある敬虔な人たちの地におられようと、星辰の世界におられようと(こちらだとわたしはすっかり信じているのですが) — 、わたしたちが最終的に無教育な者のままに終わることを見過ごしてはいけません。あの神霊的なかたの前で、わたしたちが何らかの進歩を遂げていたとしたら、あなたはそれを救いあげて、何らかの目的地へと 27.1.10 導いてくれなくてはいけません。
27.2.1
 なぜなら、わたしにとって、哲学と、哲学における言説よりも快いものは、何もないのですから。というのは、まだ若い子どものころから、誰かが云っていたように、27.2.3 似つかわしく、かつ、聖なるあらゆる場所で、ソークラテースの子守歌によって育てられたのですから。あるものはアカデーメイアで、あるものは、リュケイオンと、イリッソスのほとり、神的なプラタノスの下で、真昼時に。そこでは、ケパロスの子リュシアスが、恋に関する論を矯正されたのでした。そういう次第ですから、こういった諸々の場所を歩きまわり、連れまわられましたので、わたしはあなたがたからくる徳に満たされ、クレイニアスの子アルキビアデースや、27.2.10 その他の若い人たちの一部から羨望されました。彼らは、あなたがた知者たちのそばで、わたしよりもっと優先席にあたいすることを望む人たちだったのですが。わたしを断じて見捨てないでください。わたしの徹頭徹尾渇望する哲学で本当に満たしてください。


28.1."t"〔→26〕
プラトーンに
28.1.1
 アイギュプトスから到着した善き人たちが、わたしたちに報告してくれたところでは、君はアイギュプトス全土を視察した後、今はサイスと言われるノモス(nomovV)注4)で過ごしているという。かの地の知者たちから、宇宙全体について彼らにはいかなるものに見えるか、いかにして誕生したか、今、いかなるロゴスによって、部分にしろ全体にしろ、あらゆる運動を有しているのか、を訊き出しながら。しかし、彼らは、いったいどんなひどい目に遭ったことがあるのか、ヘッラス人たちと対話することに不機嫌だと謂われます。ただし、ヘーリウポリスの〔知者〕たちが、28.1.10 自然や幾何学や数学についての言説をピュタゴラスと共有したということだけは別ですが。わたしが思うに、一部の人たちが記録しているように(というのは、ティマイオスやキュレーネーのテオドーロスは、アイギュプトスに関する話をわれわれに語るとき、ピュタゴラスに関する物語に言い及んでいるのですが)、この人は彼らに大口をたたいたか、さもなければ、彼らに接近して、親しくなったかです。
28.2.1
 こちらの事情も、今は君にとって善く、アテーナイの家のことも万事神の御旨どおりです。しかし、わたしたちにはまた、君の身体の具合がどうか書簡をください。魂の方は、知慮と徳のおかげで、きっと健康なことをわたしたちは知っているので。また、君のもので何か必要なものがあれば、わたしたちに書き送ってください。なぜなら、わたしのものは、おお、プラトーンよ、ソークラテースのがそうであったように、あらゆる権利をもって君のものであることをわたしは認めます。また、土地の見物や、それをめぐる壮大さについて、わたしたちに知らせてください。際限なき巨大さにまで集積された切り出された石、それらによる人物像の造作や、その他の動物への、昔の術知によって、また、ヘッラスにはない仕方で形づくられた〔造作〕、さらにまた、その他の制作物の、多形の小動物の固有の自然や、それらにおけるさまざまな思いつきを示しているものらを。
28.3.1
 そうしたら、わたし自身も喜んで、ピラミッドの巨大さとメンピスを眺め、聖なる言葉をこの耳で聞き知り、神的なネイロスが、アイギュプトスを貫流し、別の季節には流れをやめ、逆へのその流出を — の全美を知るでしょう。これらすべては、言われても信じられないとわたしは考えます。多衆の間ではあまりに大きくて、見物を愛する価値があるのですが。


29.1."t"〔→27〕
アリスティッポスから娘〔アレーテー〕に
29.1.1
 テレアを介して、お前からわしに送られた手紙を受け取った。その中で、お前はわしに、できるかぎり早くキュレーネーに来るよう求めている。お前は言う、監督官たちからお前に善く対応してももらえず、夫は恥ずかしがり屋で、政治的騒ぎから遠ざかって生活し慣れていて、処理するに充分な者でもない、と。そこでわしはディオニュシオスに暇乞いをして、お前のもとに航行すべく試みたが、わしの必要〔運命〕が邪魔をして、リパラで病にかかり、まさにこの時、ソーニコスの関係者がわしに最善の手当てをしてくれ、29.1.10 まるで…〔テキスト欠落〕…ように、真心こめてわしの面倒をみてくれることに気づいた。
29.2.1
 わしのおかげで自由になった者たち — アリスティッポスとお前に気に入られることが自分たちの意のままであるかぎりは、アリスティッポスから離れることはないと言ってもいる者たち — に、お前はいかなる敬意を持てばいいのかとお前が判定した件に関しては、とにかく万事彼らを信じるがよい。わたしの生き方からして、彼らが悪人となることはあるまいから。そこで、執政官たちとの件を片づけるようお前に忠告する。そうすれば、わしのこの忠告は有益なものとなろう。それはすなわち、過多を目指すなということ、これである。というのは、そういうふうに、あらゆる過多を見下げるなら、29.2.10 人生におけることは最も容易に導けるだろうからだ。というのは、思うに、お前が窮乏する、それほどまでにあの者たちがお前に不正することはあるまい。そうとすれば、お前に残される2つの菜園は、贅沢な生活にも充分であり、ベレニケーにある所有物は、残された唯一のものであっても、最善の暮らしに不足することはあるまい。
29.3.1
 わたしがおまえたちに勧奨するのは、些少事を軽蔑することではなく、些少事に惑わされるなということだ。重大事であっても、怒りは美しくないからだ。もしも、わたしが自然によって亡くなった後、わたしの望みを実行することをお前が求めるなら、〔おまえの息子の〕アリスティッポスにできるかぎり最強の教育を受けさせた後、アテーナイへ赴き、クサンティッペーとミュルトーを誰よりも尊敬するがよい。彼女たちは、わたしがお前を秘儀に導くようしばしば主張し続けた人たちだ。だから、この人たちとの快適な生を持って、キュレーネーの監督官たちがいかなる不正をしようとしても、放っておくがよい。29.3.10(彼らが自然な最期までお前に不正することはないのだから)。そして、クサンティッペーとミュルトーとともに生きようとするがよい、わたしとソークラテースとの間に友愛があったように。彼女たちとの友愛を通して、お前はなおいっそう自分自身の身繕いをすることであろう。なぜなら、そこは尊大さの馴染むところではないのだから。
29.4.1
 しかし、ソークラテースの子ラムプロクレース、これはメガラ人たちの中でわたしと交わった人物だが、これがむしろキュレーネーに赴くなら、彼と生計を共にし、わが子と何ら異ならぬよう尊ぶなら、お前は最善を尽くすことになろう。だが、子育てにしばしば嫌気がさしたために、女の子はもはや養育したくないなら、エウボイアの小娘を〔養女にするがよい〕。これをお前はまったく自由人のように扱い、わたしを喜ばしたいときは、わたしの母の名前で〔呼んでいた〕。というのも、わたしは彼女〔その小娘〕をしばしばミカと呼んでいたからだが。しかし、何にもましておまえに頼むのは、29.4.10 小アリスティッポスを、わたしたちと哲学に価値ある者となるよう、世話することだ。というのは、これこそが本当の遺産としてわたしが彼に残してやれるものなのだから。人生のその他のものは、キュレーネーの執政官たちをさえ、彼は敵として持つのだから。
29.5.1
 しかし哲学については、誰かがそれをお前から取り上げたとは、お前はわたしに一言も書いて寄越さなかった。だから、おお、善き女性よ、お前の手で蓄えられた富に富んでいることを大いに喜び、息子をその所有者とするがよい。むろん、彼がわたしの息子であることをわたし自身は望んだ。だが、その望みを叶えられることなくわたしはこの世を去るから、おまえにこそ頼むのだ。善き人たちの習いと同じ人生行路に導くことを。元気であるよう、そして、わたしたちのことは心配しないよう。


〔30欠。33.7以下が入る〕

31.1."t"〔→29〕
ピリッポスに
31.1.1
 ペルディッカスの方は、ヘーシオドスに従って、「半分が全部よりまさる」〔Op.40〕ということに重きを置いていることを実証済みであるようにわたしに思われます。多くの金銭を所有することは、何らかの運によってであれ、最善者たちのすることでは<ない>と彼はみなしているのですから。そこで、陛下にとって神法にかなうことは、あの人の献策と兄弟のことを実行することです。そうすれば、性格においても、陛下についてそういったことを考えている人の兄弟であるように思われるでしょう。万人が陛下に心を傾注し、兄弟との関係がどのような人物であるかを見守り、そして最善者たちは、31.1.10 陛下が競って、兄弟の寛大さの点で対等になることを、いや優越しさえすることを望むのですが、劣悪な者たちは、妬みから、あなたがたに関して何か調子外れなことが起こるのを見ることを喜ぶのだと、お考えください。
31.2.1
 こういう連中は敵だと考えて、最善者たちと、御自身が彼らの一人として、競い合わなければなりません。なぜなら、わたしに思われるからです、兄弟の — あのかたによって普通以上に実行された — 業績に対してだけでなく、諸々の善行に対しても、張り合わねばならないからです。そうすれば、陛下からのそれがあのかたに比して遜色なくなるでしょう。しかし陛下が重きを置くべきは、知慮深い者にして、兄弟に聞き従う者たることでしょう。陛下に対して今あるような人物であるのですから。ご健勝をお祈りします。


32.1.1〔→30〕
〔スペウシッポスからクセノクラテースに〕

 美しい状態にあるものは何ひとつ等閑にしないというのが、わたしの務めであるとわたしは考えました。プラトーンの誡めゆえにも、わたしとあなたの間柄に存する友愛ゆえにも。ですから、わたしの身体がどういう具合であるのか、あなたに書き送るべきだとわたしは思いました。あなたがアカデーメイアにお越しになって、この学園(perivpatoV)を保守してくださるとわたしは考えているゆえにも。それこそが義しいことであり、美しいことであるということを、あなたに申し上げるべく試みましょう。プラトーンは、あなたもご存知のとおり、アカデーメイアでの学究に、並々ならぬ価値を置いておりました。それは、32.1.10 正しい評判のためにも、また、自分の人生と、人間どもの間に保持される後の記念のためにも、何らかの利点がある考えていたからです。
32.2.1
 まさしく以上のような事情で、彼はあなたを重用し、生を終える際、〔そのことを〕証言しました。というのは、わたしたち親族の者全員に、あなたに何か受難があれば、自分の傍にあなたを納めるよう差配しておりましたから。あなたがアカデーメイアから離れることは決してないだろうと考えていたからです。だからこそ、生前も亡き後も、プラトーンを讃えることがとりわけてあなたにふさわしいようにわたしには見えるのです。なぜなら、神々や、生みの親たちや、善行者たちには、すぐれた心遣いをすべきだからです。こうして、32.2.10 プラトーンとその知己たちとの交わりは、述べられている事柄とこのうえなく親密なものであることが見出されるでしょう。なぜなら、彼はある人たちを親として、ある人たちを善行者として世話し、一般的には、万人に対して神の地位を得たのですから。
32.3.1
 そこでわたしは忠告します — 何が美しくて義しいことかを考えたとき、あなたがプラトーンに、あらゆることの中で最大の、しかもあのかたに最高に調和する感謝を払うことを忠告します。ただし、あなたがアカデーメイアにやって来て、<この学園を保守してくださるなら>あなたは〔感謝〕することができるでしょう。なぜなら、確実性(bebaiovthV)と信実(pivstiV)こそが、義にかなった真実の知恵(sofiva ajlhqh;V)と言われ得るでしょうから。こういった事柄においては、わたしたちが世人と大いに異なるのはふさわしいことです。そしてあなたは、然るべき以上の配慮の持ち主であるように思われます。


33.1.1〔→31〕
〔スペウシッポスからクセノクラテースに〕
 あなたに宛てて、わたしの身体に起こっている事柄について、書簡を書くのがよいとわたしに思われました。というのは、あらゆる部分の力が度外れて無くなった結果、もはや何の活動も出来ない有様だからです。しかし、ある偶然によって、舌と頭の状態は保たれています。おそらくは、隔離された部分であること、最も神的な部分であることによってでしょう。さて、前々から、あなたにお越しいただくことを望んできましたが、今にもお越しになって、善くしてくださるでしょう。というのも、わたしに関することは、わたしがよく知っている仕方で差配し、学園内のことは、然るべく世話してくださるでしょうから。


33.7."1t"〔→28〕
<スペウシッポスからピリッポス王に。ご清福のほどを>
33.7.2
 この書簡の携行者アンティパトロスは、生まれはマグネーシア人ですが、以前はアテーナイでヘッラス史を書いています。マグネーシアである者に不正されたと申しております。彼の所業に耳を傾けられ、可能なかぎり熱心に援助されますよう。されば、彼に援助なさることが義しい所以は多々ありますが、とりわけ、イソクラテースによって陛下に送られました言葉わたしたちの学園(diatribhv)で読みあげられましたのですが、彼は主張は称讃しながら、陛下らがヘッラスにもたらした善行の不足を訴えているからでございます。そこで、それらのわずかを云うべく 33.7.10 わたしは努めましょう。

[2]
 というのは、イソクラテースは、陛下とそのご先祖たちによってヘッラスにもたらされました諸々の善行を明らかにすることもなく、一部の連中によって陛下に対してなされました誹謗中傷を解消することもなく、プラトーンから陛下宛てに送られました手紙を差し控えることもありませんでした。

33.8.1
 そもそも、わたしたちの都市に対して持っておられる親しみを、彼は先ず第一に忘れてはならず、陛下の後継者たちにも明らかにすべきでした。というのは、昔、異人は何人も秘儀に与ってはならぬという法がわたしたちにはありましたが、ヘーラクレースは秘儀に与ることを望み、ピュロスの養子となりました。
[3]
 そういう次第ですから、〔陛下に向かって〕あたかも同市民に対してのように言葉を言い掛けることがイソクラテースにできたのは、陛下らの生まれがヘーラクレースの血を引くからなのです。その後では、陛下やその他の人たちのご先祖アレクサンドロスがヘッラスにもたらした善行を公言することが〔イソクラテースにはできました〕。しかるに今は、あたかも口にしてはならぬ災禍のようにそれらには 33.8.10 口を噤んでいました。それは、クセルクセースが土と水を要求して使節をヘッラスに派遣したとき、アレクサンドロスがこれらの使節を殺害し、後に、異邦人たちが出征してきたとき、ヘッラス勢はわれらがヘーラクレースの神域でこれを迎え撃ちましたが、ヘッラスに対するアレイオスとテッサリア人たちの背信行為をアレクサンドロスが密告したので、〔ヘッラス勢は〕撤収してアレクサンドロスのおかげで助かったのでございます。
[4]
 そもそも、これらの善行に言及すべきは、ただにヘーロドトスとダマステースのみならず、〔弁論家たる者は〕<先祖を称讃することで>聴衆を好意ある者としなければならないと『弁論術』の中で表明している者も然りでございます。彼のなすべきは、マルドニオス時代にプラタイアで起こったことをも、33.8.20 またそれに続く陛下のご先祖の、かくもおびただしい善行をも明らかにすることでした。そういうふうにしてこそ、陛下について書かれる言葉は、陛下の王国について何ら善いことを云わない人よりも、ヘッラス人たちからの好意をなおいっそう得たことでしょう。これこそが、昔、イソクラテースの壮年期、彼自身が謂うとおり、精神(dianoiva)が花盛りの時に、盛んに対話されたことだったのでございます。いや、それどころか、たいていのオリュントス人たちに持たれていた中傷誹謗を解消することさえ彼はできたのでございます。

[5]
 いったい、陛下をお人好しとみなし得る者がいるでしょうか 33.9.1 — イッリュリア人たち、トラキア人たち、さらに加えてアテーナイ人たち、ラケダイモーン人たち、その他のヘッラス人たち、異邦人たちが陛下に対して戦闘状態に入るのに、陛下はオリュントスに戦争を仕掛けるほどに〔お人好し〕と。いや、この件については、陛下宛ての書簡で長々と述べるべきことではありませんが、遠く隔たっている人たちに云うことができず、しかも、長い時が経って誰にも触れられることがないとはいえ、陛下にとって聞き知ることが有益な事柄、これは謂うのがよい、しかも、それはよき知らせ故に、陛下からアンティパトロスに義しい感謝が授けられて然るべきであると、わたしに思われるのです。というのは、オリュントス人たちに帰属する領土に関して、もともとヘーラクレースの末裔のものであって、カルキス人たちのものではないと、信ずるにあたいする神話を語った唯一にして最初の人物が、33.9.10 この書簡の携行者だからです。

[6]
 例えば、彼の主張では、ネーレウスはメッセーネーで、シュレウスはアムピポリスの地のあたりで、いずれも暴慢の者であるとして、ヘーラクレースによって同じ仕方で滅ぼされたのであり、ネーレウスの子ネストールにはメッセーネーが、シュレウスの兄弟ディカイオスにはピュッリスの地が、預かり物として守護するよう与えられ、メッセーネーは、数多の世代の後にクレスポンテースが手に入れ、アムピポリスの方は、ヘーラクレースの末裔のものであるが、これをアテーナイ人たちとカルキス人たちが略取したという。また、ヘーラクレースによって悪行者にして違法者として同じように亡き者にされたのがスパルテーの僭主ヒッポコオーンと、パッレーネーのアルキュオネウスで、スパルテーはテュンダレオースに、ポテイダイアとその他のパッレーネーは、33.9.20 ポセイドーンの子シトーンに信託され、ラコーニアの地は、ヘーラクレースの末裔の帰還の際、アリストデーモスの子どもたちを迎え入れ、パッレーネーは、エレトリア人たち、コリントス人たち、およびトロイアから帰ったアカイア人たちが、33.9.23 ヘーラクレースの末裔のものであったにもかかわらず、略取したという。
[7]
 さらに彼が公表しているところでは、トローネーについて、同じ仕方で、ポローテウスの子の僭主たちトモーロスとテーレゴノスを、ヘーラクレースは亡き者にし、アムブラキアの近辺ではクレイデースとクレイデースの子どもたちを殺害し、シトーンの息子アリストマコスには、トローネーの地を守備するよう下知し、ここは陛下らのものであるので、カルキス人たちが住みついたのですが、ラディケーとカラッテーには、アムブラキア地方を委ねましたが、それは、彼の血を引く者たちに、9.30 預かり物を返してもらうつもりだったのです。もちろん、エードノイ人たちの土地を最近のアレクサンドロスが獲得したことは、マケドニア人たちなら誰でもが知っております。10.1
[8]
 しかし以上のことは、イソクラテースの〔弁論の〕機因でないのはもちろん、名辞の音でさえありませんが、陛下の支配に益することのできる言葉なのです。
 さらにまた、アムピクテュオニアの史実についても、真剣でいらっしゃることは明らかなので、アンティパトロスから聞いた神話を陛下にお話ししたくおもいます。先ず第一に、いかなる仕方でアムピクテュオニアの同盟者たちが結成されたか、そして、いかにして、アムピクテュオニアの同盟者たちであるために、プレギュアース一族はアポッローンによって、ドリュオプス一族はヘーラクレースによって、クリーサ一族はアムピクテュオーン一族によって亡き者にされたのかを。というのは、この者たちはみな、アムピクテュオニア同盟者でありながら、票決権を取り上げられ、他の者たちが、その票決権を引き継いで、アムピクテュオニア同盟者の 10.10 同盟に参加したのです。そのうちにいくつかを陛下は模倣し、デルポイへの出征の褒賞として、ポーキス人たちの2票を、ピュティア祭の期間に、アムピクテュオニア同盟者たちから受け取ったのだと、彼は申しております。
[9]
 今、昔のことを新しい仕方で、新しいことを昔の仕方で教えると公言しているこの人物の言っていることのうち、陛下によって戦われた史実は、昔のことも最近のことも、中間の期間に起こった史実も物語ってはおりません。実際、あるものは聞いたことがなく、あるものは知っておらず、あるものは忘却しているものと思われます。
 かてて加えて、陛下を義しい行為へと勧奨するこのソフィストは、アルキビアデースの亡命と帰還を称讃しつつ、10.20 範例として明らかにしましたが、もっと偉大で、もっと美しい史実、つまり陛下の父御によって為された所行を彼は省略しております。
[10]
 というのは、アルキビアデースは不敬の廉で亡命し、自分の祖国をこのうえなく悪くして、そこに帰還しましたが、アミュンタスの場合は、王支配のための党争に敗北して、短い間撤退し、そののち再びマケドニアを支配したのでした。さらに、前者は再び亡命し、ぶざまに生を終わりましたが、後者である陛下の父御は王支配して歳老いました。さらにディオニュシオスの君主制をも陛下の前に供されました。あたかも、陛下にとって相応しいことは、最も真面目な者たちをではなく、最も不敬な者たちを模倣することであるかのように、また、最も義しい者たちではなく、最も悪しき者たちの熱狂者になることであるかのように。実際、彼は『弁論術』の中で 10.30 親しみがあることや周知のことを例としては持ち出すのが相応しいと申しておりますが、その術知を彼は無視して、異様なことや最も醜いことや、主題(lovgoV)に対してできるかぎり正反対の事柄を、例として 11.1 彼は用いるのです。
[11]
 それどころか、何にもましてこういった滑稽きわまりないことを書きながら、〔彼を〕非難した弟子たちには、ほれぼれするような仕返しをしたと彼は申しております。しかしながら、彼の追随者となった者たちのうち、手下になった者たちとは、弁論術の力の熟達者であり、それ以外のことは云うべきことを何も持たぬ者たちですから、言葉を称讃するあまり、その言葉に言論の一等賞を与えているのです。しかし、イソクラテースの歴史知識と教養のほどは、陛下は簡単に見抜かれることでしょう。その程度たるや、キュレーネー人たちを、バットスに率いられたラケダイモーンの入植者とし、自分の知恵の後継者として、ポントス出身の弟子を任命するのですが、11.10 この者たるや、陛下は数多のソフィストをご覧になりましたが、これ以上にいまわしい者はご覧になったことがないといった人物なのです。
[12]
 わたしの伝え聞いたところでは、テオポムポスも陛下らの前ではまったくお寒い人物だが、プラトーンについては悪口をいい、それも、プラトーンは、ペルディッカス治下、〔陛下の〕支配の起こりを用意せず、陛下らのもとで何か粗野なこととか兄弟愛に欠けることが起こると、徹頭徹尾不機嫌にふるまったというようなことです。そこで、テオポムポスが乱暴なのをやめさせるために、アンティパトロスに、自分の『ヘッラス史』を読むようお命じください。そうすれば、テオポムポスは、一方では万人に抹消されるのが義しく、他方では、陛下からの給付に与るのが不正であることを悟るでありましょう。

[13]
 同様にイソクラテースも、若いときは、ティモテオスといっしょになって、民衆に宛てて陛下らを駁する恥ずべき書簡を書き、高齢となった今は、憎しみないし妬みからのごとく、陛下らにそなわる諸々の善事の大多数を省略し、陛下に弁論(lovgoV)を送りつけたのですが、その弁論たるや、最初、アゲーシラオスのために書き、後になって、少し手を入れて、シケリアの僭主ディオニュシオスに売りつけ、三度目には、一部を省き、一部を付け足して、テッサリアの人アレクサンドロスに売り込み、最後には、今、陛下に狙いを定めて投げつけたしろものです。12.1 願わくは、弁論(lovgoV)という形で彼によって陛下に向けて送られた諸主題を、想起させる余地がこの書にありますように。

[14]
 というのは、彼の申しますには、アムピポリスに関しては、出来した平和が、ヘーラクレースの不死のための弁論を書くことを妨げるので、後に、陛下ご本人に申し上げるということ、また一部の事柄のためには、高齢ゆえに書き方が弱々しいことを認めて、寛恕に与ることを懇願するのですが、かのポントス人が読みあげたせいで、弁論をよりぶっきらぼうでよりつまらないものに見えるようにしたとしても、驚かない、そして、ペルシア人をいかに征服するかは陛下御自身がご存知だ、と彼は謂うのです。しかしながら、残りの言い訳を 12.10 書くには、わたしには紙が足りません。わたしたちにこれほど紙が希少なのは、〔ペルシアの〕王がアイギュプトスを略取しているせいです。


34.1.1〔→32〕
〔クセノクラテースからスペウシッポスに〕
 思うに、わたしの願望は終始一貫して明白であり、あなたがたについてわたしが多くの心配りを持つのは、美しきものらへの名誉愛以外の何か他のもののためではありません。なぜなら、真に寛大で、そういったことを実行する人々は、相応しい名声を得るのが義しいとわたしは考えるからです。で、身体の最高の急所つまり頭と、その中味が本当に生きながえていることは、善いことですが、自余の部分の相応しい世話を、医師たちの助けをかりてしてください。貴兄自身も、34.1.10 何が有用かを気に留めて。なぜなら、男らしさ、力強さ、素早さにおいて抜きん出ていることは、優美な人の在り様だと思われるでしょうから。
34.2.1
 わたしは、貴兄もご存知のとおり、プラトーンを賛嘆しておりますが、わたしが貴兄らの都市と、アカデーメイアにおける学究を畏敬しているのは、あの方のゆえであり、可能なかぎり常に自分を非の打ち所なきよう持してきましたのは、あの方の性格を心にとどめてきたからです。しかるに、結果的にあの方が同所でのわたしたちとの交わりから離別し、わたしたちは、あの方を尊崇して、公的にも私的にも、諸々の仕来りを遵守してきたのですが、わたしたちのめいめいが認定した選択ごとに、34.2.10 わたしたちは離別したのでした。
34.3.1
 ところで、わたしはといえば、自然本性的にもいつも平静(hJsuciva)と暇(scolh:)にまったく親しい者だったので、可能なかぎり人間どもの数に入れられないで過ごすことを選びました。というのも、いかにすればわたし自身よりも、また、他の人間たちよりも、できうるかぎり抜きん出た者になれるかということを哲学していたからです。ですから、わたしはわたしが謂うとおりの者ですから、とりわけ、神助によってそう云うのは容易ですから、明白でなければならないのです。お元気で。


35.1.1〔→33〕
[1]
 2通の書簡を書くのがよいとわたしに思われました。1通はかなりまじめくさったのを、もう1通は、親しい仕方で言い慣れたのを。というのも、わたしは思い至ったのです、手紙で言いつけられたことを受け取るに間の悪いことになることが時としてあるように思われる、ということを。というのは、時には、わたしたちのめいめいはたまたま真面目であるが、時には、冗談にくだけ、上機嫌になって、ざっくばならんになること(parrhsivan a[gein)を単純に喜ぶことがあるからです。
[2]
 そこで、先ず第一に、わたしはシュラクゥサイ人たちとともに喜びたい、豚のことを〔叫ぶからと〕i[akcoVと呼び、去勢牛のことを〔大地を耕すからと〕garovtaVと、投げ槍のことを〔相手に投げるからと〕ballavntionと、また歴月のことを、果実はそれによって出来るからと、karpotovkoVと〔呼ぶことを〕やめたからです。そして、刻銘・公示するようデルポイに送られた箴言を聞いても、また、馬場で戦車が自力で周回するのを目にしても、どうやら、アポッローンは、自分が父親になったような気分になるのではなく、自分が到着したら、そういった見物を中止することを望んだようにわたしには思われます。ですから、おそらく、美しい者たちが神に愛される者となると信じるのが正しいでしょう。あなたがわたしに宛てて書いた書簡のことをまだわたしはあなたに思い出させていません。〔その書簡で〕この行為を気遣い放棄しない責任がわたしにあると。そして、あなたは謂います、美しく行為している、35.1.20 わたし自身が行き詰まりと面倒を甘受しているのは、と。
[3]
 そこで誰か別の人が思い出したら、すぐさまあなた宛てに書簡を書き送り、今そのことを思い出すよう命じたでしょうが、わたしは好機を見守っていて、その時に書簡を出します。わたしが、何の魂胆もなしに大いに尊重するのは、あなたがあの恰好を持ち続けるのか、それとも、わたしたちにとってえらそぶって傍若無人になるのか、どちらなのかを観察することです。あなたについて小僧たちが大通りで対話しているからです。ポリュクセノスは渡し船の中に坐り、羊飼いたちは山地に坐っていると。これは青二才らしい、望ましいことでしょうか。もちろん違います。むしろ、今、あなたが示すべきは、35.1.30 ダナオイ人たちの中でも最善であるような人たちは、美しいものらがすべて出来するところの正道(eujdikiva)を保持することです。そして、あなたはアカデーメイアを飾るでしょう、そうすれば、その〔学園〕の名声は曙光が広がるかぎりに広がるでしょう。

 ところで、わたしの脚と足は、ゲーリュオーンのそれよりも大きくなりました。どうかピリスティオーンを遣わしてください。他に可能などんな仕方であれ、わたしの力を大きくしてください。
[4]
 またわたしに一つの…〔テキスト欠落〕…を遣わしてください。モイリスとエケクラテースに、ディオニュシオスのところでの交わりを訊いて。なぜなら、その〔交わり〕は、ポイボスとの性交によって生まれた者には聞くにあたいするものだとわたしは思いますから。35.1.40 あなたがたの派遣に加わる人たちの用意ができたら、当地でのことで私的に必ず配慮しなければならないことがあるかどうか、また、都市のためにどこか余所から供給の助けにしたものがあるのかどうか、書簡をください。あなたは知るべきです — わたしの思うに、所有物の配慮をともにする用意のある人たちが多くいるように見えるということを。わたしたちから示された教訓が、相応しいものとあなたに見えるならば。しかし、わたしたちの状況は、わたしたちが在郷していたときと似たり寄ったりです。お元気で。


36.1.1〔→34〕
〔ディオニュシオスからスペウシッポスに〕
[1]
 余がそなたに戯れにあけすけな物言い(parrhsiavsasqai)をしたい所以は、そなたも先に、余についてその仕方で口出ししたからである。もちろん、余はそなたに「清福ならんことを(eu\ pravttein)」と言う。はたしてそれが、「ご機嫌よう(caivrein)」よりも善いのなら。実際はそうではないが。しかし、ラステニアとスペウシッポスが使う「楽しまれんことを(h[desqai)よりはより善い。彼〔?〕は、シケリア攻めの元凶たることを認めており、ゲーリュオーンより多い手と足を持っているが、ブリアレオースよりも多くを持つに至ろう、もしも医師のピリスティオーンがそなたのところにやって来て、garovtaVに加えてその他のことを…〔テキストの欠落であろう〕…これについて、そなたは哲学者だから、36.1.10 余が名づけたものと易々と騙された。余の思うに、ヘッラスの肝臓の中に定着していることは、何ひとつそなたに気づかれずにはすまないからだ。
[2]
 しかし、余はアテーナイ人たちとともに喜ぼう — ソフィストを知者と呼ぶ必要が彼らにないのなら、また、神々の敵や死者たちの友を尊敬する必要もなく、善に関する欺瞞に驚嘆する必要もなく、そなたが乗る馬車を眺める必要もないのなら。また、そなたが帰ってこず、おかげで、隣人たちの扉をそなたが焼くことなく、サテュロスたちの知恵(かつてイタリアで、いっしょに飲みながら、余に向かってそなたが公言したやつ)をそなたが教示することもなく、樹木は 36.1.20 全体として〔樹木〕だが、無花果、ギンバイカ、月桂樹は別々のものであり、三倍惨めな連中はこれを自慢すると〔そなたが教示すること〕もないならば。
[3]
 なぜなら、余はすでに神来情態に入っており、神的なものが悪を義となしたとみているからだ。そこで、余のポリュクセノス、同志たち、老女ども、立法者たちに、余らの交わりを書くよう命じよ。何となれば、ケクロプス(そなたはこれが父祖であることを喜ばぬが)との性交によって生まれた者には、これ〔交わり〕はまったく聞くに値すると余は思うからだ。しかし、犠牲獣を穢してはならないことに、そなたは吃驚仰天、病気になり…〔テキスト欠落〕…打ち解けた書簡を洒落て書くことを 36.1.30 そなたが差し控える所以は、つまらぬ小金のせいであり、この故にこそ、そなたらもヘルメースに追従して、奉仕をする気になるのだ。そこで、そなたらが使う諺と比喩によって、以下のようなことを余は云いたい。すなわち、話によれば、イオーニア人の一団がラケダイモーンにやって来て、法に外れた行いに及んだが、監督官たちや長老たちは、恐ろしいほどの名誉心を発揮して、それを発見したという。逮捕された連中は、アゴラに連行されたため、はなはだしく恐れたが、ラケダイモーン人たちはほぼ次のようにこの件について布令したという。「監督官たちはかく命ずる。この者たちは…〔テキスト欠落〕…われわれはなお劣悪な医者である。彼らがこの件を理解するまでは、われわれはいかほどか対等なるべし」。しかし、その他の点でそなたが慎むならば、余もそなたとともに慎もうぞ。


37.1.1〔→35〕

 これら〔の教え〕が、アドラトスがクレイニアスから受け取ったものです。しかし、これが、たまたま居合わせる人に、わたしたちから投げ与えられてよいものとは、わたしには思われません。かくも長い間、わたしたちのために保持されてきたのですから。〔こう言ったからといって〕空威張りにわたしが屈したのではなく、わたしには思われるのです — 若くて用心深い人には、然るべき時に手に入るが……、軽蔑されると、〔これを〕軽蔑した者に悪を見舞う。この人は、その能力ゆえに哲学に従事するが、情動によっては<従事することなく>、性格によっても従事することがない。こういう人こそ、託宣や策略や夢見や、そのすべての前で身がすくみ、それらに満たされるあまりに、37.1.10 この人自身が自分でうんざりするのです。これに反し、こういった内容の教えの下に秩序づけられて、万事にわたって身を処する人は誰でも、より深く神に思いを致す人であろう。そしてあなたはわたしにとって哲学における同道者であり、「御身にご挨拶します」と言うよりほかには、何も必要としないほどなのです。では、お元気で。

2011.08.08. 訳了。

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