エジプト修道者史(6/7)
21."t" [2] この人物は、かつて、偉大な師父アントーニオスのもとで、彼〔アントーニオス〕が選ばれたナツメヤシの葉で仕事をしているのを眼にして、その葉の一束を彼に求めた。すると彼に向かってアントーニオスが云った。「〔聖書に〕書かれている。『汝の隣人のものを欲しがってはならない』〔出エジプト20_17, 申命記5_21〕」。すると、云うやいなやすぐに、ナツメヤシの葉のすべてが、火によってのように、ひからびてしまった。これを見てアントーニオスがマカリオスに謂った。「見よ、わたしの霊があなたの上に降りてとまっている、将来、あなたはわたしの諸徳の相続人となるであろう」。 [3] さて、それからのち、今度は悪魔が、彼が沙漠でひどく病的となっているのを見つけて、彼に向かって謂う。「見よ、アントーニオスの恩寵をおまえはすでに得た。その権利を使い、神に食べ物と、旅の力を求めないのは、いったいどうしたことか」。すると彼が相手に向かって謂う。「主こそわが力にして、わが讃美〔詩篇118_14〕。ところがおまえはといえば、神の奴隷を試すことはけっしてできまい」。[4] そこで、悪魔が、用をなす必需品をすべてもって、荷を負って沙漠をさまようラクダの幻影を彼に見させる。その〔ラクダは〕マカリオスを見ると、彼の前に来て座りこんだ。彼は、これこそが幻影だと解して、祈りだした。するとそれ〔ラクダ〕はすぐに大地に呑みこまれた。 [5] 他のときには、大いに断食して、祈ったうえで、イアンネースとイアムブレースが、真の楽園の模写を作ることを望んで、アイギュプトスの沙漠に打ちたてた楽園を自分に示してくださるよう神にお願いした。[6] さて、彼が沙漠を3週間さまよい、食い物もなくすごして、失神寸前になっているとき、天使がその場に現れた。しかし、至るところにダイモーンたちがいて、楽園の入り口を守って、彼が入るのを拒んだ。その地所は巨大で、はるかな距離を有していた。[7] しかし祈って敢えて入ると、内に2人の聖者がいるのを見つけた。彼らは、同じ仕方でここにやってきた当人で、すでに充分な時間がたっていた。そこでお互いに祈りを交わし、歓迎し合った。お互いにすこぶる嬉しかったからである。すると彼らは彼の足を洗い、楽園の果物を供した。彼はそれを摂って、果物が大きく色とりどりであることに驚嘆し、神に感謝の祈り(eu)xaristi/a)を捧げた。そしてお互いに言いかわした。「こういうふうに修道者たち全員がつどえたら、美しいのにな」。[8] 「泉が3つ」と彼が謂う、「楽園の中央にあったなあ。深淵からわき出て、楽園に水を給している。また巨大で実の多い 天の下の果実のあらゆる種類を実らせる樹も」。 [9] こうして、彼らのところに7日間とどまったのち、マカリオスは、人の住まいする地に帰って、修道者たちを自分といっしょに連れてきたいと懇請した。しかし聖者たちは彼に向かって、そんなことは彼にできないと言った。というのは、沙漠は広大無辺で、ダイモーンたちが沙漠という沙漠に数多くいて、修道者たちを惑わし、取り殺す。他にも数多くの者たちが、しばしばやってくることを望んだものの、取り殺されたのだからと。[10] しかしマカリオスはもはやそこにとどまっていることに辛抱できず、「わたしは彼らをここに連れてこなければならない、彼らがこの食べ物を享受するために」と云って、果実のいくつかを証拠にとたずさえて、人の住まいする地へと出発した。そうして、ナツメヤシの葉を多数集めて背負い、目印としてこれを沙漠に置いていった。やってくるときどこかで躓かないためである。[11] しかし沙漠でうとうとして、目を覚ますと、ヤツメヤシの葉がすべてダイモーンたちによって枕元に集められているのを発見した。立ち上がって彼らに謂う。「神のご意思があれば、わたしたちが楽園に入るのをおまえたちは邪魔することはできまい」。 [12] こうして、人の住まいする地にたどりつき、果物を修道者たちに示して見せ、楽園に出かけるよう彼らに迫った。しかし、集まった師父たちは、多くが彼に向かって云った。「その楽園についたら、われわれの魂の破滅になるのではないか。なぜなら、それを今享受すれば、わたしたちの善福をこの地で享けてしまうことになる。その後になって到着してどんな報酬を神から受けられようか、あるいは、どんな徳に対する名誉をうけられようか」。こうして、もはや帰らぬよう彼を説得したのである。 [13] また他のときには、新鮮なブドウの房が彼に送られたのを、たべたかったけれど、自制心を実証して、これをひとりの病気の兄弟に届けた。彼がブドウの房を欲しがっていたからである。この〔兄弟〕は受け取って、非常に喜んだが、自分の自制心を隠すことを望み、別の兄弟にこれを送り届けた。自分は食欲不振だからと。この兄弟も、この食べ物を受け取ったものの、再び同じようにした。自分も非常に食べたかったにもかかわらずである。[14] それからも多数の兄弟たちにブドウの房が届いたけれど、それに手を出そうとする者は誰もおらず、最後の者がこれを受け取って、再びマカリオスのもとにこれを送り届けた。大いなる贈り物を喜んで。するとマカリオスはこれに気づいて、〔経緯を〕詮索し、驚嘆し、自分たちのこのような自制を〔感謝して〕主への感謝の祈りを捧げた。そうして、とうとう自分もそれに手を出さなかった。 [15] また他のときには、人々の謂うのには、マカリオスは沙漠の洞穴に住んで祈っていたという。隣の別の洞穴には、たまたまハイエナがいた。このハイエナは、彼が祈っているところにやってきて、彼の脚に触れた。そうして、彼の裾をおだやかにつかみ、自分の洞穴に引っぱっていった。彼はこれについて行った。こう言いながら。「いったい、この獣は何をしたいのだろうか」。[16] さて、自身の洞穴まで彼を連れて行くと、〔ハイエナは〕中に入って、自分の、盲目で産まれた幼獣たちを彼のところに連れて出てきた。そこで彼が〔その幼獣のために〕祈ると、幼獣たちが眼が見えるようになったので、ハイエナに返してやった。するとハイエナは、感謝の贈り物のように、大きな雄羊の非常に大きな毛皮をこの人物のところに運んできて、彼の足下に置いたのだった。すると彼は、知り合いの、感覚を持ったもののように、これに微笑みかけ、受け取って自分の下に敷いた。この毛皮は、今に至るもある人のところに伝承されている。 [17] また人々は彼についてこう言い伝えている。ひとりの悪人が、処女を守っていた乙女を、一種の魔法で雌馬に変身させ、彼女の両親がこれを彼のところに連れてやって来て、望むらくは、祈祷によってこれを女にもどしてほしいと彼に懇願した。そこで7日間彼女をひとりきりにして閉じこめ、両親は彼女に付き添い、彼自身は別の僧坊で祈祷にいそしんだが、7日目に、両親ともども入っていって、彼女の全身にオリーブ油を塗り、跪いてかれらといっしょに祈った。そうして立ち上がると、彼女が乙女に変身しているのを見いだしたのだった。 22."t" [3] さて、彼がニトリアで独りいたとき、恐水病にかかって鎖につながれた子どもを〔人びとが〕連れてきた。恐水病にかかったイヌが彼を咬んで、かの少年に恐水病をうつしたのだった。だから、全身をふるわせ、耐え難い受苦を受けていた。[4] 彼の両親が嘆願のためにやってくるのを見るや、「どうしてわたしに煩いを持ってくるのか」と謂う、「皆の衆、わたしの資格を超えたことを当てにするとは。救いの手段は手にしているというのに。というのは、やもめに知られず殺したウシを彼女にお返しなされい、そうすれば、あなたがたの子どもは健康を回復するであろうから」。彼らは非難されたとおり、よろこんで言いつけられたことを実行したところ、彼が祈ると、子どもはすぐに健康になったのである。 [5] 他のときには、ある人たちが彼のもとに見舞いにやってきたことがあった。この者たちの覚悟(gnw/mh )を審査しようと、くだんの人物が云った。「わしに水差しをひとつ運んできてもらいたい、来客に充分な水を接待できるよう」。そこで彼らは持って行くことを約束したが、別のひとりが心変わりして、村〔ニトリアの村(=El Barnugi)〕に着くと、別のひとりに言う。「おれのラクダを殺す気はないし、水差しをこいつに載せる気もない。〔こいつが〕死なないようにな」。[6] すると、もうひとりがこれを聞いて、自分のロバを軛につないで、艱難辛苦のすえ、水差しを運んでいった。すると、これを受け取ってアムゥーンが云った。「あなたの仲間のラクダが、あなたがここにつく前に死んでしまったのは、どういうことなのか」。そこで彼が振り返ると、それ〔ラクダ〕がオオカミたちにむさぼられているのを目撃したのであった。 [7] 他にも数々の驚異をこの人物は示して見せた。そして、あるとき、数人の修道者たちが彼のもとにアントーニオスから遣わされ、彼に声をかけた。というのは、アントーニオスはもっと果ての沙漠にいたからである。さて、彼のもとに出かけたとき、間にネイロス河の支流があった。兄弟たちは突然彼が対岸に移動したのを目撃した。というのは、自分たちは泳いで渡ったからである。[8] こうやってアントーニオスのところに着くと、先ずアントーニオスは彼に向かって言う。「神はわたしにあなたについて多くのことを啓示なさり、あなたの遷化を明らかにされたので、やむを得ずあなたをわたしのところに呼び寄せたわけです。お互いが楽しみ、お互いのために取りなすために」。[9] そうして、遠く離れたとある場所に彼の持ち場を定めると、遷化するまでそこから離れぬよう迫った。そして独りで命終したとき、〔アントーニオスは〕彼の魂が天使たちによって天に引き上げられるのを目撃した。 23."t" [2] さて、前述のあのマカリオスという人は、市民であったが、あるとき、大マカリオスといっしょになったことがある。そうして、ネイロス河を渡ろうとして、彼らが大きな渡し場に入っていったことがあったが、そこに2人の護民官が大騒ぎしながら乗りこんできた。青銅ずくめの戦車(r(e/dion )、黄金の馬勒をつけた馬匹、槍持ちの将兵の一団、黄金の帯をつけた首飾りをした童僕の一団を引き連れていた。そうして、護民官たちは古いぼろ切れを身にまとった修道者たちが片隅に座っているのを見て、彼らのみすぼらしさを浄福視した。[3] そして、その護民官のひとりが彼らに向かって謂った。「あなたたちは浄福です、この世を愚弄しているのですから」。[4] すると市民マカリオスが答えて彼に云った。「わたしたちは世界を嘲弄し、あなたたちは世界が嘲弄している。しかし、あなたがそれを云ったのは、自発的にではなく、預言によってだということをあなたは知っておられる。なぜなら、わたしたちは両者ともマカリオス(浄福者)と呼ばれるのですから」。相手は、この言葉に刺し貫かれ、家に帰ると、着物を脱ぎ、数多の施しをしたうえ、修道者となることを選んだ。 24."t" [3] そこで1週間後、〔アントーニオスは〕出ていって、彼に向かって云った。「こちらへ、食べ物を摂りなされ」。そうして、食卓と食べ物をしつらえた。「座りなされ」と謂う、「しかし、夕方まで喰わず、この料理を見るだけでいなされ」。[4] こうして夕方になり、パウロスが口にしなかったので、これに向かってアントーニオスが言う。「起ちあがって祈り、眠りなされ」。すると彼は食卓をそのままに、そのとおりした。さて、夜半になって、祈祷のために彼を起こし、昼の第9時まで祈りを引き延ばした。それから再び食卓を準備し、食事をするよう彼に命じた。[5] しかし、3つのパンを口に持っていっただけで、起ちあがるよう、そして水もとらぬよう下知して、散歩してくるよう沙漠に送り出した、彼にこう言って。「3日後、ここにもどって来なされ」。 [6] さて、こういったことが行われ、何人かの兄弟たちが彼に話しかけたとき、パウロスはアントーニオスを見やった。自分にどうするよう命じるのかと。するとアントーニオスが彼に向かって云った。「黙って、兄弟たちに仕えなされ、兄弟たちが道を行く間、何も味わってはならぬ」。[7] こうして、以後3週間たつ間、パウロスは口にすることがなかったので、兄弟たちがなぜ黙っているのかと彼に質問した。しかし彼が答えないでいると、これに向かってアントーニオスが言う。「どうして黙っているのか。兄弟たちに話なされ」。そこで彼は話した。 [8] 他のときには、ハチミツの壺(sta/mnoj )が彼によって持ってこられたとき、アントーニオスが彼に向かって云った。「その容器を砕いて、ハチミツをぶちまけなされ」。そこでそのとおりした。すると彼に言う。「もう一度ハチミツを初めから匙で集めなされ、ただし、ごみのようなものを紛れこませないように」。[9] また今度は、水を日がな一日汲むよう下知した。また、彼に籠の編み方を教え、数日後にはすべてほどくよう彼に命じた。また、自分の袖無し外套(sagma/tion )をほどいて、縫うよう命じ、もう一度ほどいて、再び彼が縫った。[10] そうして、この人物はこれほどの従順を得た結果、ダイモーンたちを祓う恩寵も彼に神から与えられることとなった。すなわち、浄福のアントーニオスでさえ追い払うことのできなかったダイモーンたちを、パウロスのもとに遣わして、すぐさま追い払ったのである。 25."t" [2] ここでわたしたちは、長老を訪問した。聖にして、すこぶる謙虚、幻を常住不断に視る人物で、名をピアムモーンという。この人物が、一度、聖餐を捧げているとき、天使を視た。〔その天使は〕供儀台の右手に立ち、恩寵に近づく兄弟たちを照合し、その名前を書物に書き留めていた。しかし、集会に出席しない者がいると、その名前を抹消しているのを彼〔ピアムモーン〕は視た。そして彼らは、30日後に命終した。 [3] この人物をダイモーンたちがしばしば責めさいなみ、病弱に陥らせたので、彼は供儀台に立つことはもちろん、捧げることもできなかった。すると天使がやってきて、彼の手を取り、たちまち彼を力づけ、健康な者として供儀台の側に立たせたのであった。この人の責め苦を観て、兄弟たちは仰天した。 26."t" 27."t" [3] しかしながら、リュコスより先に上ることは、盗賊たちの猛襲という危険がわたしたちにあったので、それらの聖者たちに敢えてお目にかかることはできなかった。なぜなら、上述の師父たちをさえ、危険なくしても、労苦なくしてもわたしたちは訪ねることはできなかったのであり、したがって艱難なしにはこれらの歴史を見知ることはできなかったのであり、すんでのところでという危険を冒して、やっと、これらを眼にする資格を得られたのだ。じっさい、死の淵に立つこと7度にして、8度目には悪しきものがわたしたちに触れることはなかった。 [4] すなわち、1度目は、飢えと渇きで5昼夜の間沙漠を歩きまわり、すんでのことで失神するところだった。 [5] また他のときには、棘と茨の湿地にはまり、脚を刺し抜かれて、その苦痛たえがたく、すんでのことで息絶えるところだった。 [6] 3度目は、ぬかるみに腰まで没し、救い手はなく、浄福のダビデの声でわたしたちは助けを求めた。『我を救いたまえ、主よ、わが魂まで水が入りこんできました。我を泥の中から救いたまえ、わたしが没することのないよう』。 [7] 4度目は、ネイロス河の増水によって大量の水がわたしたちを浸し、わたしたちは3日間水の中を前進し、すんでのことで河口に呑まれるところであった。このときにこそわたしたちは助けを求めて言った。「大水がわたしを沈ませぬよう、わたしを淵に呑みこまないよう、井戸がわたしの上でその口が塞がないようにしてください」〔詩篇69_15〕。 [8] 5度目は、盗賊たちに遭遇した。海沿いの土手をディオルコスへと進んでいるときに。連中はわたしたちを捕まえようとして追いかけてきて、わたしたちの息は〔盗賊たちの〕鼻でとらえられるほどになった。そうやってわたしたちは1万複歩も追跡されたのであった。 [9] 6度目は、ネイロス河を航行中、転覆してすんでのところで呑みこまれるところであった。 [10] 7度目は、メレオーティス湖 ここにはパピルスが生えていた で、わたしたちは荒れた小島に〔座礁して〕投げ出され、3昼夜、野外にとどまった。大いなる冷えと豪雨がわたしたちに襲いかかるなかである。というのは、公現祭(ta\ e)pifa/nia )の時期だったので。 [11] 8度目は、この話は余計であるが、それでもやはり益がある。というのは、わたしたちがある地点を通過してニトリアに向かっていたおり、水の満ちた地方にひとつの穴があり、ここに多数のワニたちがいた。この地方から水が退いて、取り残されていたのである。[12] さて、3頭の大きなワニが、窪みの縁にのびていたので、その獣を観察しようと、わたしたちは近づいた。それはもう死んでいると思ったのだ。[13] ところが、すぐにそれらがわたしたちに向かって突進してきた。わたしたちは大きな声でクリストスの名をとなえて叫んだ。「クリストス、助けたまえ!」。すると獣たちは、ひとりの天使に追い返されたように、水の中に飛びこんだ。そこでわたしたちは長駆して、ニトリアまで逃げのびた、イオーブの声におもいを致しながら。そこで彼は謂っている。「7度、試練からまぬがれさせ、8度目には、悪しきことが汝に触れることはけっしてあるまい」。 [14] それでは、これらの危難からわたしたちを救い出し、大いなる光景をわたしたちに示してくださった主に感謝の祈りを捧げよう。栄光は永遠にそのかたのもの。アメーン。 27."58n" 2004.10.08. 訳了 |