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原始キリスト教世界

エジプト修道者史(6/7)








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第13話 アペッレースについて

 [1] あたしたちはさらにアコーリス地方の別の長老を訪ねた。名をアペッレースといい、初め青銅術に従事し、そののち修行に転じた義人であった。あるとき、悪魔が、女の恰好をして彼のところにやってきたとき、彼はたまたま修道者たちの必要品を青銅でつくっていたのだが、真剣さのあまり火の中から灼熱の鉄を手で掴みだし、彼女の顔と身体じゅうを焼きつけた。[2] そうして、その女が僧坊の中で泣きわめくのを、兄弟たちは聞いた。そのとき以降、この人物はいついかなるときにも灼熱の鉄を害されることなく掴むことができた。この人はわたしたちを親切に迎え入れ、自分といっしょにいた、今もなお健在な神に値する人たちについて話してくれた。

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<イオーアンネースについて>

 [3] 「例えば」と彼は謂う、「この沙漠にわたしたちの兄弟がいる。名をイオーアンネースといい、別世代の人ではあるが、諸徳の点では現在の修道者たち全員を凌駕している。この人をすばやく見つけ出せる者は誰もいない。彼は沙漠をひとつの場所から他の場所へと常に変えるからである。[4] この人物は、初めの3年間、とある岩の下に立ったまま常時祈り続けてすごした。まったく座ることなく、横になることなく、立ったまま眠りをとっただけである。そして主の日には、感謝の祈り(eu)xaristi/a)にだけ与った。長老が彼のために運んでくれたからである。そのほかのものは何も摂らずにすごした。

 [5] そんなある日、サタンが長老に身をやつして、いつもより早く彼のところにやってきて、彼に聖餐式をするふりをした。しかしそれと知って、浄福のイオーアンネースは相手に向かって云った。『おお、あらゆる罠とあらゆる軽率さの父、あらゆる正義の敵よ、クリストス信者たちの魂を欺くことをやめず、秘儀そのものにさえ襲いかかるつもりなのか』。[6] すると相手が彼に向かって答えた。『もう少しのところで、お前を引きずり降ろして、得をするところだったのに。というのも、そうすれば、お前の兄弟たちを何人か惑わして、正気を失わせ、狂気に陥らせられたところだった。そいつのために数多くの義人たちがあれこれ祈っても、やっと彼を正気に返らせられただけだろう』。こう云ってダイモーンは、彼から逃げ出した。

 [7] しかし、彼の脚は、久しい間動かなかったせいではちきれ、体液が流れ出て、腐敗させたとき、天使が現れて、彼の口に触れて言った。『クリストスはそなたにとってまことの食物、聖なる霊はまことの飲み物、霊的な食べ物が今やそなたをみたす。満ち足りて、嘔吐しないために』。[8] そうして、彼を手当てし、その場所から移動させた。かくて、それ以降、沙漠を遍歴し、草を食してすごしたが、主の日には、聖餐式に与るため、同じ場所に現れた。

 [9] また、わずかばかりのナツメヤシの葉を長老に要請し、畜獣用の帯を制作した。ところが、ひとりの不具者が、手当を受けるため、彼のもとに行こうとして、ロバに乗ったところ、彼の脚が、聖人のこしらえた帯に触れたとたん、治癒した。しかも、他の祝福〔の賜物〕(eu)logi/ai)を病弱者たちに送り、〔彼らは〕すぐに病からまぬがれた。

 [10] また、あるとき、彼の修道院について、かれらの幾人かが正しくない行住坐臥をしていると、彼に啓示された。そこで、長老を介して全員に手紙を書いた。こちらの者たちは怠惰に流れ、あちらの者たちは徳にいそしんでいると。すると、真実はそのとおりであることがわかった。さらにまた、かれらの師父たちにも書いた。彼らの或る者たちは兄弟たちの救いを軽んじ、他の者たちは充分に励ましている、そして両者の名誉と懲罰を告げた。[11] さらにまた、他の者たちは完全な状態へと励まし、感覚的なことから可考的なことへともどるよう想起させたのである。『なぜなら、これからはこのような生活を実証すべき時だから。なぜなら』と彼は謂う、『全時間を子どもや幼子としてとどまることは益なく、すでにより完全な可考に手をつけ、男らしさに触れ、最大の諸徳に乗るべきなのだから』」。

 [12] こういったことや、他のことを、この人物に関して数多く師父はわたしたちに語ってくれたが、驚異の極みゆえ、それをすべて書くことはできない。真実でないからではなく、一部の人たちの不信ゆえにである。しかしわたしたちは充分に満足させられた。多数の偉大な人たちが、これらのことをわたしたちに語り、直接眼で見たからである。


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第14話 パプヌゥティオスについて

 [1] さらにまた、隠遁者パプヌゥティオスの〔居住していた〕場所をもわたしたちは訪問した。これは偉大で有徳な人で、それほど久しくない前に、テーバイ州のヘーラクレイオポリス人たちの都市の近郊で命終していた。この人については多くの人たちが多くの事柄を物語っている。

 [2] 例えば、この人物は、多くの修行をかさねたのち、修徳した聖人たちの誰に似ているか、自分に知らしめるよう神にお願いした。すると天使が現前して、彼に云った。「しかじかの都市で暮らしている笛吹に似ている」。そこで彼は、急いで彼のもとに飛び出し、彼の行住坐臥を彼に尋ね、彼の行動すべてを問いただした。[3] しかし相手は彼に — これは真実だったのだが — 、自分は罪人であり、酒飲みであり、姦淫者であって、それほど久しくない前に、盗賊からこれ〔笛吹〕に方向転換したばかりだと謂う。[4] そこで、いかなる美しきことがかつて彼によって修徳されたのか確かめたところ、彼〔パプヌゥティオス〕に向かって、次のこと以外には、他に美しいことは何ひとつ自分の意識にないと相手は謂った、 — かつて、盗賊をしていたころ、神の乙女が盗賊たちに犯されそうになったていたのを助け出し、夜の間に、村まで送ってやったことがある。

 [5] また他の時には、今度は美形の女が、沙漠をさまよっているのを見つけた。彼女は、夫の税金延滞のせいで、執政官の手下たちと議員たちとによって追放され、その放浪を悲嘆していたのだが、彼女から悲嘆の理由を訊いた。[6] すると彼女は彼に向かって言った。「何もわたしに尋ねないでください、ご主人様、悲惨を詮索することなく、あなたの婢女のように、お望みのところに連れて行ってください。というのは、わたしの夫は、金貨300枚の税金延滞のせいで、2年間しばしば鞭打たれ、牢に閉じこめられ、わたしの最愛の子どもたち3人は売り払われ、わたしは逃げ出して、ここかしこ移動してきました。そして今も、しばしば見つけられ、常住不断に鞭打たれています。今も3日間、食事もとらず、沙漠ですごしているのです」。[7] 『そこでわたしは彼女を憐れみ」と、その盗賊が謂う、「洞穴に連れて行き、これに金貨300枚を与え、都市まで道案内し、生子ともども彼女の夫も自由にしてやった」。

 [8] 相手に向かってが答えた。「わたしは自分が何かそのようなことをなにひとつ修徳したという覚えがない。しかし修行においては、わたしが世に知られた者であることを、あなたはよくよく聞いておられよう。わたし自身の人生を安易にすごしてきたのではないから。ところが神は、あなたについて、直きことにおいてあなたは何らわたしに劣らない、とわたしに啓示された。ということは、兄弟よ、小さくない言葉があなたについて神性によって現れたのなら、あなたの魂を行き当たりばったりになおざりにしてはなりませんぞ」。[9] すると彼は、手に笛を持っていたが、すぐに投げ捨て、音楽的歌曲の調和を霊的詠唱に変換させ、沙漠へとこの人物〔パプヌゥティオス〕についていった。そして3年間、力を尽くして修行し、讃美歌と祈りの中に、自分の生命の時間を全うしたのち、天上への旅へと出発し、聖人たちの合唱隊と義人たちの部隊に算入されて休息したのである。

 [10] さて、諸徳において美しく修行したこの人を神の御許に送り届けるや、それまでの〔行住坐臥〕よりも大いなる行住坐臥をみずからに課し、いったいいずれの聖人に似ているか自分に明らかにするよう、再び神に尋ねた。すると再び神的な声が彼に向かってあって、こう言った。「隣村の村長に似ている」。[11] そこで彼は、できるかぎり速く彼のもとに向かった。そうして、彼が門を叩くと、くだんの人物が出てきて、いつもしているようにこれを客人として迎え入れた。そうして、彼の足を洗い、食卓を供して、食べ物を摂るよう勧めた。そこで彼〔パプヌゥティオス〕は相手の行為を訊いてこう言った。「おお、あなた、あなたの行住坐臥を謂ってください。というのは、数多の修道者たちよりも、神がわたしに明らかになさったところでは、人生においてあなたが抜きんでているというのです」。[12] すると相手は、自分は罪人であり、修道者たちの名にも値しないと言った。なおも彼がしつこく尋ねると、くだんの人物が答えて言った。『わたしは自分の行動を宣伝すべき必然性を持たない。しかしながら、神から〔遣わされて〕やって来ているとあなたが言うからには、わたしの性分をあなたに告げよう。[13] わたしにとっては、わたしの連れ合いに死別して以来、30年になる。彼女とはたった3年間いっしょだったにすぎないが、彼女から3人の息子を得た。彼らは現にわたしの用に仕えてくれている。だから、今日までわたしは客偶をやめたことはない。村人たちの中に、わたしより先に客人を迎え入れたといって自慢する者はいない。貧乏人や、まして客人が、理にかなった旅装を整えてもらうことなく、わたしの中庭から出ていったことはない。不幸せな貧乏人を、充分な慰めをこれに施すことなく、見過ごしたことはない。[14] 裁きの場においてわが子の味方をしたことはない。他人の成果をわたしの家に取りこんだことはない。わたしが仲直りさせなかった喧嘩は起こったことがない。わたしの童僕たちを道理にはずれているとして非難した者はいない。わたしの畜群が他人の成果に触れたことはない。わたしの畑に先に種蒔いたことはなく、共同のそれをすべて先にしてから、残った畑をわたしは穫り入れた。わたしの生涯において誰かを苦しめたことがない。誰に対しても邪悪な裁きをかつてもちかけたことはない。以上が、神の望みのままに、わたしがしてきたと自覚している事柄である』。

 [15] すると、パプヌゥティオスはこの人物の諸徳を聞いて、彼の頭に接吻して言った。「主がシオンからあなたを祝福なさいますように、そうして、あなたはヒエルゥサレムの善福をごらんになるであろう〔詩篇128_5〕。美しくもあなたはそれらのことを直くなさったのであるから。しかし、あなたにはまだ諸徳の頭がひとつ — 神に関する全知な知がやり残されています。これは苦労なく所有することはできないでしょう、この世に対して自己を否定し、十字架をとって、救主について行かないかぎり」。すると、相手はこれを聞くや、自分の家族といっしょに持ち場につくこともなく、山をめざして、すぐにくだんの人物〔パプヌゥティオス〕についていった。

 [16] そうして、河にたどりついて、どこにも舟が見あたらなかったので、パプヌゥティオスは河を歩いて渡るよう下知した。その河は、いまだかつて歩いて渡った者は誰もいなかった。その地点は深かったからである。さて、彼らが進んでいゆくと、水が彼らの帯まで達したので、とある場所に彼をじっと立たせて、自分自身は離れて、こういった事態よりもまさった者として現れるよう神に願った。[17] すると程なく、くだんの人物の魂が、神を讃美し次のように言う天使たちによって引き上げられるのを目撃した。「そなたが選び仲間に入れた浄福者は、そなたの中庭に天幕を張るであろう」。そうして今度は、次のように答えて言う義人たちに〔よって引き上げられるのを〕。「そなたの名前を愛する者たちに大いなる平安あり」。こうして、くだんの人物が命終したことを彼は知った。

 [18] しかしながら、パプヌゥティオスは祈りをもって神に懇願しつづけ、断食を延長していたが、誰に似ているか、自分に明らかにするよう再び懇請した。すると再び神的な声が彼に向かって謂った。「美しき真珠を求めている商人に似ている。それではさあ立て、ぐずぐずしてはならん。おまえが似ているその者がおまえに会いに来るだろうか」。[19] そこでくだんの人物は降りていってその人物 — 敬神的なアレクサンドレイア人にしてクリストスを愛するひとりの商人 — に会った。そのひとは、金貨2万枚の取引に従事し、100艘の舟を率いて上テーバイ州から〔ナイル河を〕下りつつ、自分の全財産と商品を乞食たちや修道者たちに分配していた。[20] この人物は、自分自身の童僕たちを引き連れて10袋の豆を彼〔パプヌゥティオス〕に捧げた。「いったいこれはどんな得があるのか」とパプヌゥティオスは謂った。すると彼は相手に向かって謂った。「ごらんください、わたしの商売の成果は、義人たちの急速のために神に供えられたものです」。「それなら、どうして」と、パプヌゥティオスが彼に向かって謂う。「あなたもわたしたちの名前を享受しないのか」。[21] すると、自分はそれを熱望していると告白するので、彼はこれに向かって答えた。「それなら、いつまで地上的なことに従事し、天上の商売に手をそめないのか。むしろ、そういったことは他人に任せて、あなたはもっと時宜にかなったことを堅持し、神に聴従すべきであろう。少し後にはあの方のもとに達するために」。[22] すると彼は、何の猶予もおかず、残りの財産は乞食たちに分け与えるよう自分の童僕たちにいいつけ、自分は山に登って、自分より先に2人が命終したまさにその場所に自分を閉じこめ、ひたすら神に対する祈祷に専念した。そして、少したって、身体を後に残して、天上市民(ou)ranoplith/s )となった。

 [23] この人をも先に天上に送り、自分は魂〔生きること〕を断った。もはやそれ以上修行することができなかったからである。すると天使がそばに立って彼に云った。『それでは、さあ、こちらへ、おお浄福の人よ、あなたも神の永遠の幕屋へ。預言者たちがやってきています。自分たちの合唱隊にあなたを迎え入れるために。このことを前もってあなたに謂わなかったのは、あなたが傲り高ぶってその資格を失わないためでした』。[24] しかし、彼はもう1日だけ生きながらえた。何人かの長老たちが啓示にしたがって彼のもとにやってきて、万事を彼らに物語ってから、魂を引き渡すためである。こうして、長老たちは、神を讃美する義人たちと天使たちの合唱隊とともに、彼が引き上げられるのをはっきりと観想した。


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第15話 ピテュリオーンについて

 [1] また、わたしたちがテーバイ州で眼にしたのは、河にせまる高い山 — それはすこぶる恐ろしく、断崖となっていた — と、その地の洞窟群に居住する修道者たちであった。彼らの尊師は、名をピテュリオーンといい、アントーニオスの弟子のひとりで、第3番目に〔孫弟子として〕その地位を受け継いだ人物であった。彼は、他にも多くの霊能を顕したが、〔悪〕霊の祓い(e)lasi/a )に際だっていた。

 [2] というのは、アントーニオスと、その弟子アムモーンから、当然ながら、その賜物(xa/risma )の遺産をも相続していたからである。彼はわたしたちに向かって他にも数多くの話(lo/goi )をしてくれたが、霊の識別についてはことのほか強く話してくれた。つまり、諸々の苦(pa/qoj )に付き従うダイモーンたちというものがあり、わたしたちの性向をしばしば悪へと向け変える、と言うのである。「されば、おお、わが子たちよ」と彼はわたしたちに向かって謂う、「ダイモーンたちを追い払いたいと望むなら、諸々の情念を隷従させなさい。[3] ひとがこころにいだくような、その苦(pa/qoj )のダイモーンをも追い払うのだから。そうして、少しずつわれわれは諸々の情念に勝利しなければならない。そうすれば、それら諸情念のダイモーンたちを追放できよう。ダイモーンは大食(gastri/margia )に付き従う。ならば、大食を制すれば、それのダイモーンを追い払いなさい」。

 [4] このひとは、1週間に2度食事をした。主の日と〔1週間の〕第5日〔木曜日〕に、わずかな小麦のスープですごし、他に何も摂らないでいることができた。自分の体質をそのように型にはめていたからである。


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第16話 エウロギオスについて

 [1] わたしたちは他の長老をも訪問した。名をエウロギオスという。この人は神に供物を捧げているとき、知(gnw~sij )の恩寵を受け、近づく修道者たちのおのおのの想い(gnw/mh )がわかるようになった。この人物が、祭壇に近づこうとする修道者たちを見て、これを引き留め、こう言うことしばしばであった。「邪悪なる精神を持ったまま、どうしてあえて聖なる秘儀に近づこうとするのか。おまえは、昨夜、姦淫のいかがわしい欲望をいだいた。[2] また別の者は」と彼が謂う、「罪人であろうと、義人であろうと、神の恩寵に近づくのに何の違いもないと自分の精神(dia/noia )に思った。また他の者は、供物について遅疑した。『いったい、わたしが接近するのを聖別するだろうか』注14)。だから、しばし聖なる秘儀から遠ざかり、魂〔の底〕から悔い改めよ。そうすれば、罪の赦しがあなたがたに生じ、クリストスの聖餐にあたいする者となろう。なぜなら、最初に思念(e)nqu/mesij )を浄くしなければ、神の恩寵〔聖餐式〕に近づくことはけっしてできないのだから」。


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第17話 イシドーロスについて

 [1] さらにまた、テーバイ州で、イシドーロスという人のある僧院をもわたしたちは訪問した。〔その僧院は〕焼き煉瓦の大きな城壁で囲われ、内には修道者たち1000人を擁していた。また、内には井戸も庭苑も、必需品をまかなえるものも有し、修道者たちは誰ひとり外に出たことがなく、年老いた門番がいて、誰ひとり出て行くことも、他人が入ってくることも許さなかった。ただし、最期までそこにとどまり、どこにも行かぬことを望む者は別である。[2] じっさい、この門番は門のそばの小さな宿泊所に来訪者たちを接待し、翌朝は祝福〔の賜物〕(eu)logi/ai)を与えて、平安のうちに送り出したのである。

 [3] 彼れのうちの2人の老人だけは、兄弟たちの製作物を処分するためでかけてゆき、自分たちの必需品を運んだ。また、ひたすら門番をしていた老人がわたしたちに言っていたところでは、内にいる人たちは聖なる人たちで、全員が霊験を顕すことができ、最期まで自分から病気にかかる者は皆無であった。いや、それどころか、各人の遷化(meta/qesis )がいつ始まるかを前もって皆に告げたうえで、横たわって、永眠した。


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第18話 サラピオーンについて

 [1] われわれはまた、アルセノエー地方でひとりの長老を訪問した。名をサラピオーンといい、数多くの修道者たちの尊師にして、数多くの兄弟団、その数およそ10000人の指導者であり、その兄弟団のおかげで、数多くの管理をこなし、夏の時期には、自分たちの果実を彼のもとにそっくり持ち寄り、夏の報酬に応じてこれを各人が受け取った。〔その量は〕年々、12アルタバス — われわれのところで言えば40モディウス — になった。そして、これを物乞いたちの施与のために彼を通して奉仕し、その界隈では貧しい者はひとりもなくなり、それどころか、アレクサンドレイアの物乞いたちのためにも輸送した。

 [2] アイギュプトス中の前述の尊師たちも、この奉仕活動をゆるがせにしなかったのはもちろんであるが、むしろ、兄弟団の労働によって、穀物や衣服で船を満たし、アレクサンドレイアの物乞いたちに送り届けた。自分たちのところでは必要とする者たちが稀だったからである。

 [3] さらにバビュローンやメンピス周辺の地方でも、わたしが目撃したのは、多数の偉大な尊師たちや、多種多様な徳に飾られた修道者たちの際限もないほどの多数である。さらにまた、イオーセープの貯蔵庫注15)をも見た。ここは、あの当時、〔イオーセープが〕穀物を集めたところである。


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第19話 殉教者アポッローニオスについて

 [1] また、テーバイには、名をアポッローニオスというひとりの修道者がいた。この人物は、自分の行住坐臥の数々の霊能を示して見せた。また、助祭の資格或る者としても重んじられ、ありとあらゆる徳において、それまで有名な人たちを凌駕していた。[2] この人が、迫害の時代に、クリストスの讃美者たちを励まし、多数を殉教者として成就させた。また自分自身も捕らえられ、投獄された。その彼にもとに、ヘッラス人たちのより劣悪な連中がおしかけ、激発の言葉と呪詛を彼にあびせかけた。

 [3] 連中の中に、合唱隊付きのひとりの笛吹で、愚行において世に聞こえた男がいた、この男が、彼を侮辱した、不敬虔者、詐欺師、ペテン師、万人に憎まれた者、すみやかに死すべき者と言って。その彼に向かってアポッローニオスが言う。「あなたを主が憐れんでくださるよう、あなた、そして、あなたによって述べられたことのうち何ひとつ、あなたの罪の中に数えられませんように」。これを聞いて、くだんの合唱隊付き笛吹は、この人物〔アポッローニオス〕の言葉に刺し貫かれて、心を咬まれた。[4] そして、すぐに裁判席に突進し、裁判官の前に立った。そればかりか、彼〔裁判官〕に向かって民衆の前で言い張る。「あなたは不正事をなしている、おお裁判官よ、神に愛されている無罪の者を罰するとは。なぜなら、クリストス信者たちは何ら悪いことをしておらず、言いもしていない、それどころか、自分たちの敵たちを祝福さえしているのだから」。

 [5] 相手は、彼がこんなことを言うのを聞いて、最初のうちは、彼が皮肉をいい冗談をいっているのだと思った。しかし、しつこく言い続けるのを知った。「気が違ったのだ」と〔裁判官は〕謂う、「そなたは、おお」と相手に向かって、「突然、正気を失ったのだ」。しかし彼は。「わたしは気が違っていない」と謂う、「不正きわまりない裁判官よ。わたしがクリストス信者なのだから」。相手〔裁判官〕は、群衆といっしょになって、おべんちゃらをいって彼を説得しようと試みた。しかし、変説しないと知って、ありとあらゆる拷問を彼にあびせかけた。[6] またアポッローニオスをひっつかまえて、数々の責め苦を見舞い、これをペテン師として拷問した。しかしアポッローニオスは彼に向かって謂う。「あなたのためにも祈ろう、裁判官よ、そして、ここにいる者全員が、わたしのこのペテンにつきしたがうようにと」。[7] 相手は、これを聞くと、全大衆の眼の前で両者を火にかけるよう命じた。こうして、裁判官の立ち会いのもと、炎に包まれたとき、浄福のアポッローニオスが、全民衆と裁判官に聞こえるよう、神に向かって声を発した。「主人よ、あなたを讃美する魂を獣たちに引き渡さず、あなたご自身をわたしたちに眼に見えるようお示しください」。[8] まさにそのとき、露けく光り輝く雲が降りてきて、両人を隠し、火を消した。そこで、群衆と裁判官は驚嘆して叫んだ。「神はひとり、クリストス信者たちのもの」。

 [9] しかし、悪人たちのひとりがこのことをアレクサンドレイアの総督に復命する。彼〔総督〕は残忍・野蛮な親衛隊の一団と役人の補佐官たちを選んで、裁判官とピレーモーンの一統を全員囚人として連行するよう派遣した。こうして、アポッローニオスもその他の告白者たちも連行された。[10] しかし、全員が道を進んでいたとき、彼〔アポッローニオス〕に恩寵がくだり、将兵たちを教え始めた。こうして、彼ら自身も刺し貫かれ、救主を信じ、全員が心を一にして演壇の前に囚人として立った。この者たち全員を総督は見て、信仰を変えぬ者として、すみやかに海底に引き渡すよう命じた。しかし、これは彼らにとって洗礼の象徴となった。

 [11] そして、親族たちは彼らが海岸に洗われているのを見つけて、全員をひととこに埋葬した。ここに、彼らは数々の霊能を行い、その霊能は、今も顕されている。これほどの恩寵がかの人物には与えられていたので、救主が彼をかくも重んじていたので、彼が祈ることはすぐに聞き入れられたほどである。

 [12] わたしたちも殉教者廟で彼に祈りをささげ、彼とともに殉教した人たちともども訪問した。そうして、神を礼拝し、テーバイ州にある彼らの天幕に参詣した。


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第20話 ディオスコロスについて

 [1] また、テーバイ州で、他の長老をもわたしたちは訪問した。名をディオスコロスといい、修道者100人の尊師であった。この人物は、神の恩寵に接近しようとする人たちがいると、これに向かって言った。「見よ、夜、女の幻想をいだきながら、聖なる秘儀に近づこうとしている者がいないか、あなたがたのなかに、夢の中で幻想をいだいた者がいないか。

 [2] なぜなら、幻想なしにでも勝手に夢精が起こるのは、各人の自由意志によってではなく、心ならずも起こるのだから。すなわち、自然に進行し、物質の過剰によって発射するのだから。それゆえ、罪にはならない。しかし、幻想は自由意志に起因し、悪しき覚悟(gnw/mh)のあかしである。

 [3] そこで修道者は」と彼は謂う、「自然の律法を凌駕し、ほんのわずかな肉の穢れも見つかってはならず、むしろ、肉を溶解させ、そのなかに物質が過剰になることを許してはならないのだ。だから、断食の継続によって物質を無にするよう努めよ。さもなければ、あなたがたを情欲(o)re/cij)とも争わせる。

 [4] しかし、修道者は完全に情欲に触れてはならない。さもなければ、俗人たちとどこか異なるところがあろうか。彼らでさえ、身体の健康のため、ないし、何か他の無理性的ならざる欲望のために、歓楽を控えるのは、わたしたちのしばしば眼にするところである。〔俗人ならぬ〕修道者であれば、それだけますます気づかうべきである」と彼は謂う、「魂の、理性の、霊の健康を」。


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<ニトリアの〔修道〕者たちについて>

 [5] さらにまた、わたしたちはニトリアにも上陸した。ここでわたしたちは多数の偉大な隠遁者たちを眼にした。一部は在地の人たち、一部はまた外国人たちで、お互いに諸徳に抜きんでた、修行を競い合ってすごしている人たちで、あらゆる徳を実証し、行住坐臥においてお互いに凌駕することを競い合っていた。[6] つまり、彼らのうちある人たちは観想的生活に、ある人たちは実践的生活にいそしんでいた。そういう彼ら何人かが、わたしたちが沙漠を越えてやって来るのをはるか遠くから眼にとめて、ある人たちは、水をたずさえてわたしたちを迎えに出、ある人たちはわたしたちの足を洗い、ある人たちは着物を洗濯してくれ、ある人たちは食べることを促し、他の人たちは諸徳の学習に〔促し〕、他の人たちは観想と神の知に〔促した〕。そして、彼らの各人ができないこと、そのことでわたしたちに役立とうと熱中した。いったい、どうして、彼らの徳をすべて言い得る人がいようか、なにひとつ願いどおりに言表することができないのに。

 [7] 彼らは沙漠の地に住み、間隔を置いて僧坊をもっていた。その結果、誰ひとり遠くから別の人によって認知されることはなく、すぐには見分けもつかず、声を聞くこともなく、大いなる平静のうちに各人が自分に閉じ籠もって暮らしていた。ただ、安息日と主の日のみ、教会へ集まり、お互いに出迎えあった。しかも、彼らの多くは、4日もたって僧坊の中で発見されることしばしばであった。集会(su/nacij)のときをのぞいて、お互いが会うことはなかったためである。[8] また、彼らの或る者たちは、3里程や4里程の彼方から、集会(su/nacij)に赴いた。それぐらい遠くお互いが離れていたのである。しかし、お互いに対し、またその他の兄弟団について大いなる愛を有していたので、自分たちといっしょに各人が救われる。

 [9] さらにまた、わたしはそこの人たちのうちひとりの師父を訪ねた。名をアムモーニオスといい、選びぬかれた僧坊、中庭、井戸、その他の必要物を持っていた。しかし、あるとき、ひとりの兄弟が彼のもとにやってきて、救いを切望し、自分に住める僧坊を見つけてくれと言ったとき、彼はすぐに出ていって、適当な住居を彼のために見つけられるまで、この僧坊から出て行くことのないよう彼に言いつけた。そうして、自分が持っていたすべてを、僧坊もろとも彼のために残して、自身はそこから遠くの小さな僧坊に閉じ籠もった。

 [10] また、救われることを望んで集まってきた者たちがどんなに多くても、兄弟団全員を集めて、或る者は煉瓦を手渡し、或る者は水を〔手渡して〕、1日のうちに僧坊を完成させた。[11] こうして、僧坊に住もうとしている者たちを、教会での宴会に呼んだ。そうして、彼らがまだ宴楽している間に、各人は〔彼〕みずからの僧坊から、自分の羊の毛皮や籠を、パンやその他の必需品で満たしてもらい、新しい僧坊へと連れて行かれた、そうやって、各人の進物は誰にもわからないようにした。こうして、僧坊に住もうとする者たちは夕方もどってきて、いきなり、すべて必需品を見つけるのであった。

 [12] その地では、名をディデュモスという人にも会った。年齢的に老齢で、見た目に都びやかな人物であった。この人はサソリたちや角のあるヘビたち、コブラたちを、自身の足で殺した。だの誰もそんなことを敢えてしようとする者はいなかったのに。というのも、それができると思った他の多くの者たちは、その毒獣に触れただけで、それによって殺されたからである。

 [13] さらに、修道者たちの別の師父にもわたしたちは会った。名をクロニデースといい、美しき老齢を重ね、アントーニオスと同時代の昔の人たちのひとりであった。110歳である。この人が、わたしたちに数々のことを勧奨し訓戒してくれたが、自分自身は軽蔑していた、それほどまでの謙遜を老齢に至るまで持っていたのである。

 [14] さらにまた、まったく美しい3人の兄弟たちにもわたしたちは会った。この人たちは、自分たちの有徳の生活によって、監督を強請されたが、大いなる敬虔さ〔=用心深さ?〕のゆえに、自分たちの両耳を切り捨てた。彼らのしたことは無鉄砲であったとはいえ、目的は理(eu!logoj)にかなっていた、そのため、以降は、誰ひとり彼らを悩ますことはなかった。

 [15] さらにまた、わたしたちはエウアグリオスに会った。知者にして博学な人物で、この人は学或る者たちの充分な識別力を持っていた。これは経験から手に入れたものである。この人は、しばしばアレクサンドレイアに下向し、ヘッラス人たちの哲学者たちを詰問した。この人物は、わたしたちの兄弟たちに、水を腹一杯飲むことのないよう言いつけた。「なぜなら、ダイモーンたちは」と彼は謂う、「水を汲む場所に常住不断に居座っているからじゃ」。修行について他にも多くの言説をわたしたちに向かってなした。わたしたちの魂を支えた。

 [16] 彼らの多くはパンも果物も食することなく、ニガクサのみを〔食した〕。さらに、彼らの一部の者たちは、夜通し眠ることなく、座ったまま、あるいは立ったまま、夜明けまで堅忍して祈り通した。

forward.gifエジプト修道者史(7/7)