砂漠の師父の言葉(Υ)
原始キリスト教世界
語録集(Apophthegmata)1
砂漠の師父の言葉(Φ)
(21/24)
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432."8t"
字母Φの初め。
432."9t"
ポーカースについて
432.10
1 ヒエロソリュモス人の院長・師父テオグニオスの共住修道院にいた師父ポーカースが言った、 わしがスケーティスに坐っていたとき、イアコーボスという若い師父がケッリアの人々の中にいたが、同じ人を肉的な父と同時に霊的な父として持っていた。ところで、ケッリアには二つの教会があった。一つは正統教会であり、そこに彼も共住していたが、もう一つは離教者の〔教会〕であった。しかし師父アイコーボスは謙遜の恩寵を持っていたので、教会の者たちからも、離教者たちからも、すべての者から愛されていた。そこで、正統教会の者たちが言うを常とした。「注意せよ、師父イアコーボスよ、離教者たちがあなたを欺き、自分たちの結社にあなたを引きずりこまないように」。同様に離教者たちも彼に言うを常とした。「知りなさい、師父イアコーボスよ、神人両性論者たち(Difusi:tai)[028]といっしょにいると、あなたの魂を滅ぼすことを。ネストリオス派こそ、真理を誣告するのだから」。そこで、師父イアコーボスは無雑な人だったので、両派から自分に言われる事に行き詰まり、神に呼びかけるために出かけることにした。そうして、塔頭(lauvra)の外の静寂な修屋に身を隠した、自分の埋葬衣をまとい、まるで死に赴くかのように。というのは、アイギュプトスの師父たちは、聖なる修道服着衣のときに与えられる小修道服と頭巾とを、死ぬまで守る習慣がある。彼らはこれらを身に着けて埋葬されるのだが、主の日の聖なる交わりのときのみ、それを身に着け、後ですぐにしまうのである。さて、彼はその修屋を立ち去り、神に呼びかけつつ、断食のために弱りきって地に倒れ、そのまま横たわっていた。彼はこのような日々、とくに思いにおいて悪魔から苦しめられたという。しかし40日後に、一人の少年がうれしそうに彼のそばにやって来るのを見たが、少年が彼に言う。「師父イアコーボスよ、ここで何をしているのか」。するとすぐさま光に照らされ、その姿に力を得て、それに云った。「主よ、わたしがどうしているのか、あなたはご存じです。あの人たちは『教会を捨てるな』と言い、他の人たちは『神人両性論者たちがおまえを惑わしている』とわたしに言います、それでわたしは行き詰まり、どうしたらいいかわからず、そういうわけでやって来たのです」。主は彼に答えた。
433.1
「おまえが今いるところが美しい」。そこで、この言葉を聞くと直ちに、正統派の会議〔カルケドン公会議(451年)を支持する〕聖なる正統教会の門前にもどったのである。
2 師父ポーカースがさらに云った、 師父イアコーボスがスケーティスに通りがかったとき、邪淫のダイモーンに激しく闘いを仕掛けられた。そして危機に瀕したので、わしのところにやって来て、自らのことを告白したうえで、わしに言った。「二日後、わたしはどこかの洞窟に隠遁します。ついては、主にかけてあなたにお願いします、誰にも、わたしの父にも云わないよう。しかし、40日を数えて、時満ちたならば、愛餐をなし、わたしのもとに聖体を持ってきてください。そしてもしわたしが死んでいるのを見つけたら、わたしを埋葬してください。しかしまだ生きていたら、聖体に与らせてください」。
そこで、わたしは彼からこれを聞いて、40日の時が満ちたとき、聖体と、新鮮なパンと少しのぶどう酒とを持って、彼のところに行った。そうして洞窟に着くやいなや、彼の口から出るひどい悪臭を感じた。そこでわたしは自分に云った。「浄福なる人は永眠したのだ」と。しかし、彼のもとに入って行くと、彼が半死半生なのを見出した。そうしてわたしを見るや、わずかに右手を動かし、手のしぐさで、聖体のことを合図をした。そこでわたしは云った、「持っている」。そして、彼の口を開けようとしたが、塞がれていた。わたしはどうしてよいかわからず、砂漠に出て行って、茂みから小枝を見つけて来た。そうして大変苦労して、やっと彼の口を少し開けることができた。そこで、尊い身体と血との、できるだけ細切れにしたのを注ぎこんだ。すると聖体に与って、かれは力を取り戻した。しばらくして、わたしは普通のパンの小片を濡らして少しずつ彼に与えた。それからまた、しばらくして、彼が食べられるだけを与えた。このようにして、神の恵みにより、一日経っとわたしとともに戻った。彼は神によって邪淫の破滅的な情念から解放されて、自分の修屋に入るために旅して。
433."37t"
師父ピリクスについて
433.38
兄弟たちが、在俗信徒たちを自分たちにともなって、師父ピリクスを訪れた。そして、自分たちに言葉をくれるよう彼に頼んだ。しかし老師は黙っていた。しかし彼らがしつこく願うので、彼らに云った。「言葉を聞きたいのか」。彼に言う。「はい、師父よ」。そこで老師が云った。「今は一言もない。兄弟たちが老師たちに尋ね、〔老師たちが〕彼らに言った事を彼らが実行していたときには、話すすべは神がおさずけになった。だが今は、尋ねはしても、聞いたことを実行はしないから、神は老師たちから言葉の恩寵を奪われた。そうして、彼らは話すべきことを見出さない。仕遂げる者がいないからである」。これを聞いて兄弟たちは嘆息した、いわく。「われわれのために祈ってください、師父よ」。〔主題別3-36〕
436."1t"
師父ピラグリオスについて
436.2
聖人にピラグリオスと言われる者がいたが、彼はヒエロソリュモスの砂漠に住み、自分のパンを得るために、労苦して働いていた。そうして、自分の手仕事で作った物を売るために市場に立っていると、見よ、或る者が千金の入った財布を落とした。すると老師はこれを見つけ、その場に立ったままでいた、いわく。「落とした者が来るはずじゃ」。すると、見よ、泣きながらやって来た。すると老師は彼をわきへ連れて行き、渡した。すると件の者は彼を捉えて離さず、これに一部を渡そうとした。しかし、老師は断った。すると彼は大声で叫んだ。「来たれ、神の人を見よ、彼が行ったことを」。しかし、老師はこっそり逃げだし、都市から出ていった、褒められることがないためにである。〔主題別6-19〕
436."16t"
師父ポルタースについて
436.17
師父ポルタースが云った。「もし神がわたしを生かそうとお望みなら、いかにわたしを扱うかを御存知である。しかし、望まれないなら、生きることはわたしにとって何になろう」。というのは、病床にあっても、誰からも物を受け取らなかった。事実彼は云った。「人が何かをわたしのところに持って来たとき、それが神のためではなかったら、わたしは彼に与える物を持たないし、その人は神から報いを受けることもない。なぜなら、彼は神のために物を持って来たのではないからだ。そこで、与え主は不正される。なぜなら、神にもたれかかり、あの方のみを見つめる人々は、たとい数かぎりない不正をこうむろうと、何ら暴虐ともみなさないほどまでに、信心深い(eujlabw:S)はずだからである。
2015.12.13.
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