旧訳偽典・ヨベル書(ギリシア語断片集
原始キリスト教世界
モーセの昇天(ギリシア語断片)
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[解説]
「モーセの遺訓」と「モーセの昇天」という2つの資料について、訳者は言う。
「遺訓」と「昇天」の関係については従来三つの説が立てられている。①二つの名称は一冊の書物の二つの部分に対するものである。ラテン語テキストの欠損している結尾部にモーセの昇天が描かれていたのであろう。つまり全体は「昇天」と呼ぶべきだが、それは特に後半部の内容によっており、前半部だけを指して「遺訓」と呼ばれる場合もあった。(シューラー、ロスト)。②「遺訓」のほうが「昇天」の原型であろう(クレメン)。③「遺訓」と「昇天」は元来別々の書物であったが、後1世紀に一冊にまとめられ、全体に「昇天」の名が冠せられた(チャールズ)。
(『聖書外典偽典/別巻・補遺I』)
諸説を勘案した上で、翻訳者はラテン語テキストを「モーセの遺訓」の名の許に訳出し、ドゥニが「モーセの昇天断片」として出版したギリシア語断片b-k、及び「モーセの昇天」の名に言及している他の2つの資料〔ここでは訳出していない〕を付して「モーセの昇天ギリシア語断片」として訳出しているのである。
[底本]
TLG 1201
ASSUMPTIO MOSIS Hagiogr., Pseudepigr.
vel Testamentum Mosis
A.D. 1
1201.001
Fragmenta
Apocalyp., Pseudepigr.
A.-M. Denis, Fragmenta pseudepigraphorum quae supersunt Graeca [Pseudepigrapha Veteris Testamenti Graece 3. Leiden: Brill, 1970]: 63-67.
(frag a)〔キュジコスのゲラシオス『教会史』2・17・17〕
この書の内容を言おう。預言者モーセースがその生を逝去せんとして、『モーセの昇天』という書中に書かれているところでは、ナウエー〔ヌン〕の息子イエースゥス〔ヨシュア〕を呼び寄せ、これと対話して謂った。《神は世界の創め以前に、わたしが彼の契約の仲保者となるべくわたしを予見なさった》
(frag b)〔キュジコスのゲラシオス『教会史』2・21・7〕
『モーセの昇天』という書物の中では、大天使ミカエールが悪魔と対話して言う、《というのは、彼の聖霊によってわれわれはみな創造されたのだから》と、そしてさらに言う、《彼の顔からその霊が出てくると、世界もまた生じた》と。これは「万物は彼によって生じた」〔ヨハ1章〕というに等しい。
(frag c)〔アレクサンドリアのクレメンス『雑録』1・23・153、1〕
この嬰児に両親はある名をつけ、それでイオーアキム〔ヨアキム〕と呼ばれた。だが、昇天後、天において第三の名ももったと神秘形は謂う、《メルキである》
(frag d)〔アレクサンドリアのクレメンス『雑録』1・23/154,1〕
神秘家たちが謂うには、言葉だけでアイギュプトス人を亡きものにした、と。
(frag e)〔キュジコスのゲラシオス『教会史』2・17・18〕
モーセの神秘的な言葉の〔記された〕書の中で、モーセ自身がダウイドとソロモーについて予告している。ソロモーンについては次のように予告した、《彼の<上に>神は知恵と義と豊かな知識を注ぎたもうた、彼は神の家を造営するであろう》云々。
(frag f)〔アレクサンドリアのクレメンス『雑録』6・15・132、2-3〕
したがって、ナウエー〔ヌン〕の子イエースゥス〔ヨシュア〕が、挙げられたモーゥセーを二人見たのは当然である、つまり、片や天使たちとともなる彼を、片や山の上、峡谷のあたりに手厚く埋葬された彼を。ところで、イエースゥスはカレブとともに霊によって挙げられてこの光景を下方に見たのだが、両者は等しく観たのではなく、後者は、はるかに重いものに引き寄せられて早く降り、前者はその後に降りたので、自分の観た栄光を語ったのである、〔後者〕よりもより清浄でもあったので、他方よりもより深く観ることができたからである。思うに、この話が明らかにしているのは、知は万人のものではないということである、というのは、或る人たちは、あたかもモーゥセーの身体に注目するように、聖書の身体、つまり、言い方や名辞に注目し、或る人たちは思想と、名辞によって明らかにされている内容を見抜き、天使たちとともなるモーゥセー穿鑿したがる者たちである。
(frag g)〔エピパニオス『薬篭』9・4・13〕
われわれに伝わる伝承によれば、天使たちは聖なるモーゥセースの身体を埋葬しても沐浴しなかったが、天使たちは聖なる身体に穢されることもなかった。
(frag h)〔ユダの手紙9節〕
大天使ミカエールはといえば、聖なるモーゥセースの身体について論争して対話したとき、冒涜的言辞を敢えて裁くことをせずに、「主がおまえを罰してくださるよう」と云った。
(frag i)〔『ギリシア教父たちのカテナ』8「ユダの手紙註解」10〕
モーゥセースが山中で命終したとき、その身体を移すべくミカエールが派遣され、次いで悪魔がモーゥセースに対して冒涜し、アイギュプトス人を斃した故に人殺しと呼称したとき、「天使」は相手に冒涜の言辞を述べることをせず、《神がおまえを罰してくださるよう》と悪魔に謂ったのである。
(frag j)〔エキュメニオス『新約聖書注解』ユダの手紙9節〕
言われているところでは、大天使ミカエールがモーゥセースの墓に仕えていた。もちろん悪魔はこれを歓迎せず、アイギュプトス人殺害の廉(それはモーゥセース当人のものであったが)で告発し、だから立派な墓に与ることは彼に許されないと〔非難した〕。
2019.01.18. 訳了。
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