『祈りについて(De oratione)』
(アンキュラ人ネイロスの名前で)

[底本]
TLG 4110 024
De oratione (sub nomine Nili Ancyrani), MPG 79: 1165-1200.
(Cod: 5,113: Eccl.)





79.1165."1t"
同じ人の『祈りについて』
79.1165."2t”
言葉(logos)
79.1165."3t"
153の摘要に区分されたる〔言葉(logos)〕

79.1165."7t"

 諸々の不浄なる情念の炎によって熱病に罹ったわたしを、いつものように、あなたの愛神の文字という按手によって、あなたは蘇らせてくださった。極端なことどもに病んだわたしの理性を慰め、大いなる案内者、つまり、教師を浄福に模倣して。それは驚くべきことでもありません。なぜなら、〔6つの〕標識注17)は、祝福されたイアコーブと同様、いつもあなたの役割だったのですから。というのは、〔イアコーブは〕ラケールのために美しく奴隷奉公し、レイアを得ましたが、あなたは渇仰された女〔ラケール〕をも求めるのです。彼女のためにこそ、7年間を過ごしたのですから〔Gen. 29:20-30〕。

 ところが、わたしときたら、夜通し辛労しながら、何ひとつ獲得しなかったことを否定しません〔Luke 5:4-5, John 21:3〕。ただし、あなたの言葉のおかげで、網を入れ、たくさんの魚を捕獲した〔Luke 5:6, John 21:6〕ということは別です。わたしの思うに、〔それらの魚は〕大きくはありませんが、それでも153匹いるので〔John 21:11〕、これを、同数の摘要に分けて、愛(agape)の魚籠に入れてお送りしました。あなたの言いつけを成就するために。

 しかし、祈りに関する摘要を恋されるあなたに、わたしは驚嘆し、その最善の奉納(prothesis)をひどくうらやましく思うのです。というのは、あなたが恋されているこれらの〔摘要〕とは、単に、手許にあって、紙の中に墨によって存在するのが得られるところのものではなく、愛(agape)と害心のなさ(amnesikakia)とによって、理性の中に確立しているところのものなのですから。いや、あらゆるものらは二様で、一つが一つに対立するのですから〔Ecclus. 42:24〕、知者イエースゥスにならって、文字と霊以上に受け取ってください。そうして、理解してください、 — 理性は完全に文字に優先するということを。なぜなら、これ〔理性〕がないとき、文字もまたないのですから。ですから、祈りの仕方も二様で、ひとつは実践的〔仕方〕、ひとつは観想的〔仕方〕です。数もまた同様で、ひとつは手ごろな量(posotes)、ひとつは意味を表す質(poiotes)です。

 ところで、祈りに関する言葉を153〔という数〕に分けて、わたしたちが福音的俸給を〔John 21:11-12〕あなたにお送りしたのは、象徴的数の喜ばしさ、ならびに、三角形と六角形 — 「三位一体」の敬虔な覚知と同時に、この宇宙の全機構(diakosmesis)の啓示的輪郭 — を、あなたが見つけ出すためなのです。

 じっさい、100という数は、それ自体が四角形であり、53〔という数〕は三角形と球体です。というのは、〔53を28と25とに分けた〕28は三角形です。が、25は球体です。5を5倍した積(kephalaia)なのですから。だから、あなたは三角形を持ち、諸徳の4要素によってのみならず、この代(aion)の知恵ある覚知 — 25に似た(時間の球性によって) — をも〔持っておられるのです〕。なぜなら、週は週に続いて〔動き〕、〔暦の〕月は〔暦の〕月に続いて動き、年から年へと時間は循環し、季節(kairos)も季節(kairos)に続くのですから。あたかも、太陽と〔天体の〕月、春とそれに続くものらの動きについてわたしたちが眼にするとおり。ところで、この三角形は、あなたに聖なる「三位一体」の覚知を意味しています。換言すれば。数が多いので、1〔5〕3注18)を三角形であると受け取るなら、実践的〔生活〕、自然的〔生活〕、感想的〔生活〕を、あるいはまた、信仰の、希望の、愛(agape)の〔生活〕を、黄金的、銀的、貴重な石の〔生活〕を思考するのがふさわしい。

 いや、数〔のこと〕は以上にして、摘要のみすぼらしさ(tapeinon)をあなたがいじめることはないであろう、満腹することも欠乏することも〔Phil. 4:12〕知っておいでだから。実際のところ、寡婦の2レプタを見過ごすことなく、他の多衆の富裕さにまさってこれを受け容れられた方を〔Mark 12:41-4〕記憶しておられるでしょうから。ですから、好意(eunoia)と愛(agape)との実りを知って、あなたは〔これを〕あなたの知己の兄弟たちのために守ることでしょう。弱者のために、祈ることを許して。〔弱者が〕健康になり、自身の敷き布団を取りあげて、以後は、わたしたちの「クリストス」、真実の「神」の恩寵によって〔Mark 2:11〕、歩みますようにと〔祈ることを〕。栄光は、永遠の永遠にわたって、この方〔クリストス〕のもの。アメーン。


79.1168."25t"
摘要1
 香りのよい香料を用意したいと望むなら、透明な乳香(libanos)と、カッシアと、オニュックスと、スタクテーとを、律法にしたがって、等量、調合せよ〔Exod. 30:34-5〕。これらこそ、諸々の徳の中の四徳〔節制、勇気、知慮、正義〕にほかならない。というのは、〔四徳が〕成就され、〔おのおのの徳が〕等しければ、理性が裏切られることはなかろうから。

79.1168."31t"
摘要2
 浄化された魂は、諸徳の成就によって、理性の陣立てを揺るぎないものとして用意する。〔浄化された魂が〕これ〔理性〕をば、求められる境涯を受け容れ可能なものとなして。

79.1168."35t"
摘要3
 祈りは、理性の、「神」との語らい(homilia)である。されば、理性はいかなる境涯を必要とするであろうか。 — みずからの「主人」を前にして心奪われ、何の仲介もなしに、これ〔「主人」〕と語らいあう(synomilein)ために、不退転の寂静を保つこと以外に。

79.1168."40t"
摘要4
 地上の燃える茨の藪に近づこうと試みたモーウセースが、足の履物を脱ぐまでは、〔近づくことを〕さまたげられたのなら〔Exod. 3:5〕、どうして、あらゆる観念と感覚を超越した方を自分で見て、その方と語らいあう者となることを望むあなたが、情念的な表象をすべてあなたから解き放たなくてよいことがあろうか。

79.1168."46t"
摘要5
 何よりも先ず、涙をいただくことを祈れ。あなたの魂のうちにある粗野さを、悲嘆によってやわらげ、あなたに逆らってあなたの罪を「主」に告白し〔Ps. 31:5〕、彼から赦しを得るために。

79.1169."1t"
摘要6
 あらゆる願いの達成(katorthosis)のために涙を用いよ。なぜなら、あなたの「主人」は、涙をもっての祈りをすこぶる喜ばれ、お受けになるからである。

79.1169."5t"
摘要7
 祈りに際し、たとえ、湧き起こる涙を注ごうとも、多衆に抜きんでているかのように、自分の内にけっして思いあがってはならない。なぜなら、あなたの祈りは助けを受けているのだから。あなたの諸々の罪を熱心に告白し、その涙によって「主人」をなだめることができるようにと。

79.1169."11t"
摘要8
 だから、諸々の情念に対する防衛を、情念に求めてはならない。恩寵を与えてくださった方をますます怒らせることのないように。  多衆は、諸々の罪ゆえに涙しながら、その涙の目的を忘れ、気が違って正気を失う。

79.1169."16t"
摘要9
 骨身を惜しまず立て。ひたすらに祈れ。気遣いや打算の首尾を遠ざけよ。なぜなら、これらはあなたを混乱させ、騒がせ、その結果、ひたすらさを弛緩させるからである。

79.1169."21t"
摘要10
 ダイモーンたちが、あなたが真に祈ることに熱心なのを眼にするとき、そのとき、何らかの、いわば必然的な事柄の表象を前提にし、間もなく、それについての記憶を称揚する。理性をその探求へと動かせて。そうして、見つけられないと、ひどく悲しみ、意気阻喪する。しかるに、祈りに専念するや、探求されていた事柄や記憶された事柄をそれ〔理性〕に想起させる。理性がその覚知のために緩められて、実り豊かな祈りを失いようにと。

79.1169."31t"
摘要11
 あなたの理性が、祈りの時、つんぼやおしにならぬよう闘え。そうすれば、祈ることができよう。

79.1169."35t"
摘要12
 誘惑者があなたに遭遇したり、あるいは異論(antilogia)が、敵のせいで気性を自衛へと動かしたり、何らかの音声でものをいったりするよう刺激するとき、祈りと、これ〔祈り〕に対する裁きとを記憶せよ。そうすれば、あなたの内なる無秩序な動きは簡単に平安となろう。

79.1169."41t"
摘要13
 あなたに不正した兄弟に対する自衛のためにあなたがなすかぎりのそのすべては、祈りの時に、あなたにとって躓きとなるであろう。

9.1169.46
摘要14
 祈りは、柔和さと怒りのなさとの若枝。

79.1169."48t"
摘要15
 祈りは、歓喜と感謝との若枝。

79.1172."1t"
摘要16
 祈りは、悲しみと意気阻喪との防御。

79.1172."3t"
摘要17
 行って、あなたの所有物を売り払い、物乞いたちに与えよ〔Matt. 19:21〕。そうして、十字架をとって、自分を否め〔Matt. 16:24〕。揺るぎなく祈ることができるように。

79.1172."7t"
摘要18
 称讃にふさわしいように祈ることを望むなら、瞬時も自分を否め。そうして、祈りのためにありとあらゆる恐るべきことを愛知せよ。

79.1172."11t"
摘要19
 どんな困難にも耐えてあなたが愛知するなら、その実りを、祈りの時にあなたは見出すであろう。

79.1172."15t"
摘要20
 なすべきように祈ることを欲するなら、魂を悲しませてはならない。さもなければ、無駄に走ることになろう〔Phil. 2:16〕。

79.1172."18t"
摘要21
 〔聖書は〕謂っている、あなたの贈り物〔供え物〕を、供儀壇の前に放置して、先ず行って、あなたの兄弟と和解せよ〔Matt. 5:24〕。そうすれば、そのときあなたは心掻き乱すことなく祈ることができよう。なぜなら、害心は祈る者の主導的部分をかすませ、そのひとの祈りを暗くするからである。

79.1172."24t"
摘要22
 悲しみや害心を自分に積み重ねながら、それでも祈っていると思っている人たちは、水を汲み上げて、割れた瓶に注いでいる人たちに似ている。

79.1172."28t"
摘要23
 あなたが忍耐強い人なら、いつも歓喜をもって祈ることであろう。

79.1172."31t"
摘要24
 あなたが祈っているとき、次のような事態があなたに直面するであろう、つまり、気性を用いるのが完全に義しいとあなたが思うような〔事態〕である。しかし、隣人に対する気性は少しも義しくない。なぜなら、あなたが探せば、あなたは見出すであろう〔Matt. 7:7〕、気性がなくても、事態を美しく処理することができるということを。だから、気性が噴出しないよう、ありとあらゆる工夫を用いよ。

79.1172."39t"
摘要25
 見よ、他人を癒しているように思われながら、あなた自身は癒されず、あなたの祈りの邪魔をすることのないように。

79.1172."42t"
摘要26
 気性を倹約するなら、あなたは倹約を見出し、思いあがりに対して自分自身を知慮深い者として見出し、祈る人たちの仲間に入るであろう。

79.1172."46t"
摘要27
 気性に対して武装するひとは、欲性を甘受することは決してあるまい。なぜなら、それ〔欲性〕は気性に材料〔質料〕を与え、これ〔=気性〕が叡智的眼を掻き乱すのだからである、 — 祈りの境涯を荒廃させて。

79.1173."3t"
摘要28
 外的な恰好でばかり祈るな。むしろ、あなたの理性を、大いなる畏怖の念をもって、霊的な祈りの共感覚〔=意識〕に向けよ。

79.1173."7t"
摘要29
 〔まだ〕祈らないうちに、いきなり祈りに到達しているときがあり、はなはだしく骨折りをしているのに、その目的を達しないときがある。それは、あなたがなおいっそう求めて、〔求めているものを〕得ることで、その達成(katorthoma)を不可侵のものとして保持するためである。

79.1173."12t"
摘要30
 天使が現れると、わたしたちを悩ましていた連中はみな一斉に退散し、理性は多大な安息のうち、健全に祈っているのが見出される。このときには、いつもの戦いがわたしたちに起こっても、理性は殴りあいをつづけ、眼をあげることさえ〔自分に〕容赦しない。多彩な情念にかつて仕打ちを受けたからである。同様に、求めれば求めるほど、あなたは見いだすであろうし、ひたすらに〔門を〕叩く者は、開けてもらえるであろう〔Matt. 7:8〕。

79.1173."20t"
摘要31
 あなたの意思が行われますようにといって祈るな。なぜなら、〔あなたの意思は〕「神」の意思とまったくは合致するわけではなく、むしろ、教えられたとおり、こう言って祈れ。「あなたの意思がわたしに行われますように」〔Matt. 6:10〕。さらにまた、万事においてもそういうふうに、善と、魂にとって有益なものを彼に懇願せよ。あなたはそれを完全に求めているわけではない〔のだから〕。

79.1173."27t"
摘要32
 しばしばあったことだが、祈っているとき、わたしにとって美しいと思われることがわたしに行われますようにと懇願し、その懇願に固執した。無道にも(alogos)、「神」の意思を強制し、有益だと〔「神」が〕知っておいでのことをご自身がよりよく管理なさるよう、彼〔「神」〕にゆだねずに。しかしながら、それを得てから、後になって、ひどく腹立たしかった。むしろ自分自身の望みが行われるよう懇願していたからである。というのは、わたしが信じたような事態が、わたしに出会うことはなかったからである。

79.1173."36t"
摘要33
 「神」よりほかに、いかなる善きものがあるか? 〔そんなものは〕ないからして、わたしたちのもとにあるすべてを彼〔「神」〕にお返ししよう。そうすれば、わたしたちに善くしてくださるであろう。なぜなら、〔「神」は〕完全な善にして、善き賜物の供給者であるから。

79.1173."41t"
摘要34
 あたかも霊能によって運ばれているかのように、安易に懇願を求めるな。なぜなら、祈りの際に、自分にかたくつきしたがうあなたに、より多く善行を施すことを望んでおられるのだから。いったい、「神」と語り合い、彼の前で交わりに引き入れることよりうえのことが何かあろうか。

79.1173."47t"
摘要35
 祈りは理性の、「神」への登高である。

79.1176."1t"
摘要36
 祈ることを渇望するなら、あらゆるものに別れを告げよ。すべてを相続するために。

79.1176."4t"
摘要37
 先ず第一に、諸々の情念から浄化されることを祈れ。第二には、無知から救われることを祈れ。第三には、あらゆる誘惑と放棄(ekataleipsis)から〔救われることを祈れ〕。

79.1176."9t"
摘要38
 あなたの祈りの際には、正義と王国、すなわち、徳と覚知、のみを求めよ。そうすれば、残りのすべてはあなたに付け加えられるであろう〔Matt. 6:33〕。

79.1176."13t"
摘要39
 義しいのは、みずからの浄化を祈ることのみならず、あらゆる同部族のために〔祈ること〕である。天使的な仕方を模倣するために。

79.1176."17t"
摘要40
 見よ、あなたの祈りに際し、真に「神」の側に立ったのか、それとも人間どもの称讃に打ち負かされ、それらの追求に駆り立てられているのに、祈りの助けを被いのように用いているのかどうかを。

79.1176."22t"
摘要41
 兄弟たちにともに祈るにせよ、ひとりだけで〔祈るに〕せよ、慣例によってではなく、感覚によって祈るよう闘え。

79.1176."25t"
摘要42
 祈りの習慣(ethos)は、畏敬の念、麻痺、魂の苦悩をともなう省察(synnoia)である。声なき呻きとともに、諸々の過ちの告白による。

79.1176."29t"
摘要43
 あなたの理性が祈りの時に依然としてあたりを見まわしているなら、いまだ修道者として祈っているのではなく、まだ俗世にあるのである、外なる幕屋を美飾して〔2Cor. 5:1-4〕。

79.1176."34t"
摘要44
 祈るとき、あなたの理性を可能なかぎり守れ。みずからの〔情念〕をあなたに供することなく、〔神の〕顕現の覚知へとあなたを動かせるように。なぜなら、祈りの時に、理性は記憶によって略奪されるよう、あまりに深く自然に根づいているからである。

79.1176."40t"
摘要45
 あなたが祈っているとき、記憶は、昔の事象の幻とか、新しい気遣いとか、悲しみを与えた人の顔とか、率いてくる。

79.1176."44t"
摘要46
 ダイモーンは、祈っている人間をあまりに深く羨視し、あらゆる策を用いて、そのひとの目的を妨害せんとする。だから、事象の表象を、記憶によって動かすことをやめず、すべての情念を肉によって持ち上げることをやめない。そうやって、自分の最善の走路と、「神」への旅立ちを邪魔することができるのである。

79.1176."51t"
摘要47
 邪悪きわまりないダイモーンは、多くのことをなしても、熱心者の祈りを邪魔することができない場合は、少し緩めて、その後になって、祈っているその者に返報する。

79.1177."6t"
摘要48
 しなければならぬように祈り、してはならないことは想う(prosdokao)な。そうして、男らしく立て。あなたの実りを守って。そのために、初めから、耕し守るよう〔Gen. 2:15〕あなたは定められているのだから。だから、耕しながら、労苦したものを守りなきまま放置してはならない。さもなければ、祈っても、あなたは何の益も得られまいから。

79.1177.212t"
摘要49
 わたしたちと不浄なる霊たちとの間に出来する戦争は、霊的祈りに関するよりほかのことに関して起こるのではない。なぜなら、彼ら〔不浄なる霊たち〕にとっては、〔霊的祈りは〕あまりに敵対的で不愉快きわまりないものだが、わたしたちにとっては救済的で、愉快このうえないものだからである。

79.1177."18t"
摘要50
 わたしたちの内で、貪食、邪淫、愛銭、怒りと害心、そしてその他の情念が、ダイモーンたちにとって望ましいのは、何ゆえか? それは、理性が、それらによって、なすべきように祈ることができなくなるためである。なぜなら、ロゴスなき〔=非理性的〕部分の情念は、これが始まるや、それ〔理性〕がロゴス的に動いて、「神」の「言(ロゴス)」を探し求めることを認めないからである。

79.1177."25t"
摘要51
 われわれが諸々の徳を追い求めるのは、生じたものらの言葉のゆえであり、これら〔言葉〕を〔追い求めるのは〕、実体を恵んでくださった(ousiosanta)「主」のゆえであるが、この方〔「主」〕は祈りの境涯に出現するのが常である。

79.1177."30t"
摘要52
 祈りの境涯は、無心の情態(heksis)である — 極端な恋情によって、愛知的にして霊的な理性をば、叡智的高みへと掠し去るところの。

79.1177."34t"
摘要53
 真に祈るよう駆り立てられるひとは、気性と欲性とを支配しなければならないのみならず、情念的表象から超出しなければならない。

79.1177."38t"
摘要54
 「神」を愛し、「父」としてこの方と常に交われ。情念的なあらゆる表象を自己転向して。

79.1177."41t"
摘要55
 無心を得た人は、もはや真に祈ることもない。なぜなら、裸の表象の内にあって、その〔表象の〕心像に忙殺され、「神」から遠く離れている可能性があるからである。

79.1177."46t"
摘要56
 理性は、諸々の事象の裸の表象の内に生きながらえたときでさえ、もはや祈りの場所を占めることもない。なぜなら、事象の観想の内にあって、その〔事象の〕言葉〔複数〕の内に瞑想する可能性があるからである。これら〔裸の表象?〕は、裸の言辞であったとしても、事象の観想のように、理性に刻印し、「神」から遠く引き離すものにほかならない。

79.1180."4t"
摘要57
 身体的自然の観想を理性が凌駕しようとも、いまだ「神」の場所を完全には観想できない。なぜなら、表象の覚知の内にあり、これ〔覚知〕に対して多彩に変化する可能性があるからである。

79.1180."9t"
摘要58
 あなたが祈ることを望むなら、祈るひと(euchomenos)に祈り(euche)を与える〔1Kgs. 2:9〕「神」が必要である。だから、彼〔「神」〕にこう言って呼びかけよ。「あなたの名が崇められますように、あなたの王国が来ますように」〔Matt. 6:9-10〕。すなわち、聖なる「霊」と、あなたのひとり子たる「息子」のことである。というのは、そう教えられたからである、こう言って。「「霊」とまことをもって〔John.4:23-4〕「神」すなわち「父」を礼拝するよう。「神」は三位〔一体〕なのだから。

79.1180."17t"
摘要59
 「霊」とまことをもって〔John. 4:23-4〕祈るひとは、もはや被造物のゆえをもって「造物主」たたえることはなく、これ〔造物主〕をそれ自体として讃美する。

79.1180."21t"
摘要60
 あなたが「神-言」論者であるなら、真実に祈るであろうし、真実に祈るなら、あなたは「神-言」論者である。

79.1180."24t"
摘要61
 あなたの理性が、「神」に対する多大な渇望によって、あたかも肉からのように、少しずつ退却し、省察ないし気質に由来するあらゆる表象を撤退させ、敬神と同時に歓喜に満たされたものとなるとき、そのときこそ、祈りの境界に近づいたと思え。

79.1180."31t"
摘要62
 聖なる「霊」は、わたしたちの弱さの同苦者にして、不浄なるわたしたちのもとに通い来る。そして、わたしたちの理性が真実を愛してこれ〔聖なる「霊」〕に祈るのを見つけると、これ〔理性〕に歩み寄り、これ〔理性〕をとりまく諸々の想念とか諸々の表象とかの、密集部隊のすべてを消滅させる。霊的祈りの働きへと、これ〔理性〕を励ましながら。

79.1180."39t"
摘要63
 自余の人たちは、身体の変化(alloiosis)によって、理性に諸々の想念、あるいは諸々の表象、諸々の観想さえ植えつける。ところが「神」は、正反対のことをなし、理性そのものに歩み寄り、これに覚知を、望みどおりに、植えこみ、理性によって、身体の自制力の欠如(akrasia)をあやして寝つかせる。

79.1180."46t"
摘要64
 真実の祈りに恋しながら、怒ったり害心をいだいたりする者で、発狂しない者はひとりもいない。なぜなら、眼力鋭い者たらんとして、みずからの眼を掻き乱している人に等しいから。

79.1181."1t"
摘要65
 祈ることを渇仰するなら、祈りに敵対することは何ひとつ行うな。「神」が近づいて、あなたといっしょに進むために。

79.1181."5t"
摘要66
 祈りつつ、自分の内に「神的なもの」を形づくってはならない。また、あなたの理性が何らかの形に刻印されるのを容認してもならない。むしろ、無質料的なものとして、無質料的なものに向かえ。そうすれば、あなたは会得できよう。

79.1181."10t"
摘要67
 反抗者たちの罠から逃れよ。なぜなら、あなたが清浄に、かつ、乱れることなく祈る際に、異様で他部族の形が、「神的なもの」をそこに いっせいにあなたに襲いかかるということが起こるからである。

79.1181."18t"
摘要68
 祈りの際に、嫉妬のダイモーンが、記憶を動かせることができない場合、一種異様な幻を理性に作り、これ〔理性〕を形成するために、身体の温度を強制する。そこで、表象の内に習慣を持っているひとは、たやすく降参し、無質料的で無形相の覚知へと駆り立てられて欺かれる。光の代わりに煙をつかんで。

79.1181."26t"
摘要69
 あなたの見張り所に立て〔Hab. 2:1〕。祈りの時に、みずからの平安の上に立つため、あなたの理性を諸々の表象から逃れさせよ。無知な者たちの同情者が、あなたのもとにも来訪するために。そうすれば、そのとき、祈りの賜物をこのうえなき聞こえよきものとしてあなたは得るだろう。

79.1181."32t"
摘要70
 清浄に祈ることができないのは、質料的事象に煩わされ〔2Tim. 2:9〕、うち続く思いわずらいに揺り動かされる人である。なぜなら、祈りとは、諸々の表象を脱ぎ捨てること(apothesis)なのだから。

79.1181."36t"
摘要71
 縛られていては、走ることができない〔ように〕、理性も、諸々の情念に隷従していては、霊的祈りの場所を見ることが〔でき〕ない。なぜなら、情念に染められた表象に引っぱられ、引きずり回され、揺るぎないものとして立たないからである。

79.1181."41t"
摘要72
 ついに清浄になったら、そのときこそ、理性は惑うことなく真実に祈るのである。もはやダイモーンたちは左手からではなく、右手から忍び寄る。なぜなら、「神」の栄光と、感覚に親愛なものらの一種の要素(schematismos)とを示唆し、その結果、それ〔理性〕は祈りに関する目的を完全に手に入れたかのように思うのである。これこそ、驚嘆すべき覚知的な人が謂っていることだが、虚栄の情念によって、つまり、脳内の場所に触れ、血管を脈動させるダイモーンによって、生じるところのものである。

79.1184."1t"
摘要73
 わたしの思うに、ダイモーンは、前述の場所に触れて、理性のまわりの光を、〔ダイモーンの〕望みの方向に向け、かくして、虚栄の情念は、軽い理性を型どる想念の方へと動かされる。神的で本質的な(ousiodes)覚知を捏造する目的で。こういう〔理性〕は、肉的で不浄な情念によって悩まされることはなく、いわば清浄に立ち現れ、自分自身の内に一種反対の活動力はもはやないように思われる。ここからして、ダイモーン、つまり、わたしたちが先に謂ったように、これ〔理性〕を型どるものによって、これ〔理性〕に生じる顕現は神的であると推測するのである。

79.1184."13t"
摘要74
 「神」の天使は、やってくると、敵対的な活動のすべてを、言葉のみによってわたしたちから中止し、理性の光が惑うことなく活動するよう動かす。

79.1184."17t"
摘要75
 『黙示録』の中で、天使が香炉を運んだのは、聖者たちの祈りにささげるためであったというのは〔Rev. 8:3〕、わたしの思うに、この恩寵は、天使によって活動するのであろう。というのは、〔天使は〕真実の祈りの覚知を植えつけ、その結果、それ以後は、あらゆる混乱、怯懦(akedia)ならびに軽視の外に理性が立つからである。

79.1184."24t"
摘要76
 香の満ちている鉢(pialai)〔複数〕とは、聖者たちの祈りであると言われる。24人の長老たちが奉納したところの〔杯は〕〔Rev. 5:8〕。

79.1184."28t"
摘要77
 杯(phiale)とは、「神」への愛(philia)、ないしは、完全なる霊的な愛(agape)と解すべきである。これ〔愛(agape)〕によって、祈りが霊とまことをもって〔John 4:23-4〕活動するところの。

79.1184."32t"
摘要78
 あなたの祈りの際に、罪ゆえに涙を必要としないとあなたが思う場合、いつも彼〔「神」〕の内にあるべきなのに、「神」からどれほど離れているかを考察せよ。そうすれば、より熱くあなたは涙するであろう。

79.1184."37t"
摘要79
 いうまでもなく、あなたの分際を悟るなら、喜んで悲嘆するであろう。ヘーサイアスにしたがって、自分自身を不幸に思って。不浄な者であり、不浄な手をして、こういう民の中に住む者であるのに、正反対に、万軍の王(Kyrios Sabaoth)の前に立つとは。

79.1184."43t"
摘要80
 あなたが真に祈るなら、あなたは多大な確信(plerophoria)を見いだし、天使たちがあなたに同行し〔Dan. 2:19〕、生じたものらの言葉を照らしてくれるであろう。

79.1185."1t"
摘要81
 知れ、聖なる天使たちは、わたしたちを祈りへと励まし、喜び、わたしたちのために祈りながら、わたしたちを助けて側に立つ。ところが、わたしたちが気遣わず、敵対的な諸々の想念を受け容れるなら、わたしたちのためにこれほどまでに戦ってくれている彼らに、わたしたちはひどく立腹するが、わたしたちときたら、自分自身のために「神」に嘆願することを望みもしない。それどころか、彼らの奉仕を蔑ろにし、彼らの「神」、「主人」を置き去りにし、不浄なるダイモーンたちに出くわすのである。

79.1185."12t"
摘要82
 適正に、かつ、掻き乱すことなく、祈れ。そして、賢く〔Ps. 46:8〕、かつ、律動よく、弾奏せよ。そうすれば、ワシの雛のように、高みに引き上げられる者となろう。

79.1185."16t"
摘要83
 詩篇唱和は、諸々の情念をなだめ、身体の節制をおとなしくさせる。他方、祈りは、理性が固有の活動を活動するよう備える。

79.1185."21t"
摘要84
 祈りは、理性の価値にふさわしい活動、換言すれば、その〔理性の〕よりまさった、そして純粋な裁きである。

79.1185."24t"
摘要85
 詩篇唱和は、多彩な知恵〔Eph. 3:10〕の刻印であるが、祈りは、無質料的で多彩な覚知の序曲である。

79.1185."28t"
摘要86
 覚知は最美である。なぜなら、祈りの協働者、理性の叡智的能力を、神的覚知の観想へと目覚めさせるものである。

79.1185."32t"
摘要87
 祈りとか詩篇唱和とかの恩寵をあなたがまだ得ていないなら、待機せよ。そうすれば、得られるであろう。

79.1185."35t"
摘要88
 また、彼ら〔人々〕はいついかなる時も祈り、落胆してはならないことを、譬えをもって〔イエスは〕彼らに言われた〔Luke 18:1〕。だから、それまでは、得られないといって、落胆してはならず、意気阻喪してもならない。なぜなら、後になってから得られるであろうから。また、譬えによってこうも続けられた。「わたしは「神」をも畏れず、人間をも憚らないが、この女がわたしに面倒をかけるから、この女のためになる裁きをしてやろう」〔Luke 18:4-5〕。だから、このように、「神」も、ご自身に向かって、夜も昼も、助けを求める者たちのためになる裁きを、速やかになさるであろう。さればこそ元気を出せ、聖なる(hagia)祈りに骨折りを惜しまず固持して。

79.1185."47t"
摘要89
 あなたにかかわる事柄が、あなたによいと思われるようにではなく、「神」の満足のゆくようにと望め。そうすれば、あなたは掻き乱されない者、あなたの祈りに感謝する者となるであろう。

79.1188."1t"
摘要90
 あなたが「神」とともにあると思われるなら、邪淫のダイモーンを逃れよ。なぜなら、〔邪淫のダイモーンは〕あまりにいかさま師にして、妬み深いことこのうえないもので、あなたの理性の動きや素面よりも敏速であろうと望み、敬神と畏怖を持って、それ〔理性〕が「神」の側に立っているのを、「神」から引き離すことを望むからである。

79.1188."8t"
摘要91
 祈りを心がけるなら、ダイモーンたちの来襲に備え、堅忍して、それらがくれる鞭に堪えよ。なぜなら、野生の獣たちのように、あなたに襲いかかり、あなたの身体ことごとくに悪行するからである。

79.1188."13t"
摘要92
 経験にとんだ競技者のように準備せよ、一時に幻想を眼にしても、荒れ狂うことのないように、そして、あなたに対して大剣(rhomphaia)が抜かれたり、明かりがあなたの視覚を占領するのを〔眼にし〕ても、掻き乱されないように、また、不快で血みどろの一種の形(morphe)を〔眼にし〕ても、あなたの魂が決して斃死することのなく、むしろ、あなたの美しい告白を告白して立て〔1Tim. 6:12〕。そうすれば、あなたの敵たちを容易に熟視できよう〔Ps. 117:7〕。

79.1188."21t"
摘要93
 諸々の悲しみ堪える者は、また喜び事を得られようし、不快なことに堅忍する人もまた、快適なことに与らぬことはない。

79.1188."25t"
摘要94
 見よ、邪悪なるダイモーンたちが、何らかの幻影によって、あなたを欺かないように。むしろ祈り(euche)に向かう者たることを自覚し、「神」に呼びかけよ。そうすれば、表象が彼〔=「神」〕自身に由来するなら、ご自身があなたを照らし、さもなければ、惑わせるものをあなたから速やかに追い払い、犬たちが立たないよう元気づけられよう、あなたが「神」に対する祈願をするときに。なぜなら、眼に見えず、身に感じることなく「神」の権能によっていとも容易に鞭打たれ、はるか遠くに追い払われようから。

79.1188."35t"
摘要95
 この策略にあなたが決して無知でないというのは義しい。ダイモーンたちは好機に自分たちを分割し、助けを求めるのがよいと思われれば、自余の〔ダイモーンたち〕は、最初の〔ダイモーンたち〕から走り出て、天使の恰好に姿を変え、あなたが自分たちによって欺かれるよう、本当に聖なる天使たちであるという知識で。

79.1188."42t"
摘要96
 多大なへりくだりを心がけよ、そうすれば、ダイモーンたちの侮辱が、あなたの魂に関与することはない。そして鞭があなたの天幕に近づくことはない。ご自身の天使たちに、あなたを守り通すようあなたについてお言いつけになるからである〔Ps. 90:10-11〕。こうして〔天使たちは〕身に感じられることなく、敵対的活動すべてをあなたから追い出すのである。

79.1188."49t"
摘要97
 騒音、衝突音、音声、悲鳴、 — 清浄な祈りを心がける人は、ダイモーンたちに由来するこれらを聞くであろう。それでも、いっしょに飛び立つことなく、「神」に向かってこう言ってその想念を裏切ることもなかろう。「わたしは害悪を恐れません。あなたがわたしとともにいますゆえ」〔Ps. 22:4〕とか、また同じようなことを〔言って〕。

79.1189."3t"
摘要98
 こういった諸々の誘惑の際には、短くても強い祈りを用いよ。

79.1189."6t"
摘要99
 ダイモーンたちがあなたを脅迫するために、大気の中から一斉に出現し、あなたを驚倒させ、あなたの理性を掠奪したり、あなたの肉に対して獣のように不正しようとしても、連中に怯えるな、これらの脅迫をまったく思いわずらうな。なぜなら、誘惑者たちはあなたを恐れるであろうから、連中を完全に無視し、

79.1189."15t"
摘要100
 かくまでも無道に彼の前にあなたが立つのはなぜか。それともこう言う人のことを聞いたことがないのか。「あなたの「神」、「主」を畏れるだろう」〔Deut. 10:20〕。さらにまた、「彼の霊能の面前で、万物がおののき、ふるえる方」〔Odes 12:4〕。

79.1189."22t"
摘要101
 パンは身体にとっての糧であり、徳は魂にとっての〔糧〕であるように、そのようにまた、霊的祈りは理性の糧である。

79.1189."26t"
摘要102
 祈りの神聖な場所においては、パリサイ派の人のようにではなく、収税吏のように祈れ〔Luke 18:10-14〕。あなたも「主」によって義とされるために。

79.1189."30t"
摘要103
 あなたの祈りの際に、誰かを呪詛しないよう闘え。あなたの祈りを嫌悪すべきものとして、あなたが管理するものを壊さないために。

79.1189."34t"
摘要104
 数万タラントの負債或る者をして〔Matt. 18:24-25〕、あなたに教えしめよ。あなたが負債者を許さないなら、あなた自身も許しを得ることはない、と。なぜなら、〔聖書が〕謂うには、彼〔数万タラントの負債者〕を獄吏たちに引き渡したのだから〔Matt. 18:34〕。

79.1189."39t"
摘要105
 祈りの助けによって、身体の必要を脇にやれ。ノミ、シラミ、ブヨ、ハエに咬まれて、あなたの祈りの最大の利得を害しないように。

79.1189."44t"
摘要106
 次のような話がわたしたちの耳に入っている。聖なる人たちの中のひとりが祈っているとき、邪悪者の反抗の程度たるや、〔祈っている人が〕手を差しのべると同時に、くだんの〔邪悪者〕はライオンに形を変え、前肢をまっすぐに上げ、みずからの爪を、競技者〔=祈っている人〕の二つの腰の筋肉に両側から突き立て、〔祈っている人が〕両手を下ろすまでは放さないほどである。だから、くだんの人〔=祈っている人〕も、いつもの祈り(euche)を成就するまでは、けっしてそれ〔両手〕を下げることをしないのである。

79.1192."1t"
摘要107
 貯水池の中で寂静を行じた小イオーアンネースも、そういう人であった、あるいは超絶した偉大な修道者であったということをわたしたちは知っている。このひとは、「神」との交わりに不動のままとどまった。大蛇の姿をしたダイモーンがとぐろを巻き、彼の肉を噛みくだいて、その顔に吐き出したにもかかわらずである。

79.1192."8t"
摘要108
 もちろん、あなたは、タベンネースの修道者たちの生活ぶりをお読みになったであろう。〔その書〕が謂うところにでは、師父が兄弟たちに言葉を話していたとき、2匹のマムシが彼の足の下にもぐりこんだ。しかし彼は掻き乱されることなく、これら〔2匹のマムシ〕にたいして〔足を〕天蓋のようにして、これをその中に入れて、ついに言葉を話し終えると、そのときになって、これを兄弟たちに示してみせた。事態を説明するために。

79.1192."16t"
摘要109
 また、別の霊的な人についてわたしたちはこういうことを読んだことがある。 — 彼が祈っていると、マムシがやってきて、彼の足に咬みついた。しかし彼は、いつもの祈り(euche)をやり終えるまでは、手を下ろさず、また、自分以上に「神」を愛した彼は、何の害も受けなかったのである。

79.1192."22t"
摘要110
 あなたの祈りの際に、眼を伏せよ、あなたの肉と魂を否認して、理性にしたがって生きよ。

79.1192."26t"
摘要111
 もうひとり別の聖人が、ひたすらに祈り、沙漠で寂静を行じていたとき、ダイモーンたちが2週間にわたって襲いかかり、この者でボール遊びをした。空中に放りあげ、これを茣蓙で受けとめて。それでも、火と燃える祈りのせいで、彼の理性を引きずり降ろす力はなかった。

79.1192."33t"
摘要112
 さらに、別の人で、神を愛し、祈りに傾倒する人が、沙漠を歩いているとき、2人の天使たちが現れ、彼といっしょに旅するため、彼を間に挟んで立った。しかし彼はまったくこれらに意を払わなかった。まさった部分を害されないためである。なぜなら、こう謂っている使徒の言葉を記憶していたからである。「天使たちも、支配者たちも、諸々の権能も、クリストスの愛からわたしたちを引き離すことはできない」〔Rom. 8:38-9〕。

9.1192."42t"
摘要113
 修道者が天使に等しくなるのは、真実な祈りによってである。

79.1192."45t"
摘要114
 天にいます「父」の顔を見ることを渇仰しても〔Matt. 18:10〕、祈りの時に、形とか恰好を受け容れることを求めるのは完全にいけない。

79.1192."49t"
摘要115
 天使たち、あるいは諸々の権能、あるいはクリストスを感覚的に見ることを渇望するな。完璧な譫妄患者となって、羊飼いの代わりにオオカミを受け容れ、敵のダイモーンたちに跪拝するようなことのないために。

79.1193."3t"
摘要116
 迷妄の初めは、理性の虚栄。理性はこれに動かされて、「神的なもの」を諸々の恰好や形によって線囲い〔=制限〕しようとする。

79.1193."7t"
摘要117
 わたしは、わたしのことばとして、初心者たちにも述べてきたこと、これを述べよう。〔すなわち〕浄福なるかな、祈りの時に完全なる無形(amorphia)を所有する理性は。

79.1193."11t"
摘要118
 浄福なるかな、揺るぎなく祈り、より大いなる渇仰をつねに「神」にいだく理性は。

79.1193."15t"
摘要119
 浄福なるかな、祈りの時に、無質料的にして無所有となる理性は。

79.1193."18t"
摘要120
 浄福なるかな、祈りの時に、完全なる無感覚を所有する理性は。

79.1193."21t"
摘要121
 浄福なるかな、あらゆるものの汚物だとみずからを思量〔想念〕する修道者は〔1Cor. 4:13〕。

79.1193."24t"
摘要122
 浄福なるかな、万人の救済と前進を、自分のこととして歓喜のうちに見る修道者は。

79.1193."27t"
摘要123
 浄福なるかな、あらゆる人間を「神」に次ぐ「神」として思量〔想念〕する修道者は。

79.1193.230t"
摘要124
 修道者とは、あらゆるものから離れていながら、しかもあらゆるものに調和している人である。

79.1193."33t"
摘要125
 修道者とは、自分自身を万人のひとりと考えられる人である。各人の中に自分自身を眼にすると間断なく思うゆえに。

79.1193."37t"
摘要126
 この人は祈りを完成する。自分自身の第一観念(protonoia)のすべてを常に「神」のために実を結ぶ人は。

79.1193."40t"
摘要127
 すべての虚言、すべての誓約を、あなたは修道者として、そして祈ることを渇望する者として、敬遠せよ。さもなければ、不都合なことを無駄に恰好づけることになる。

79.1193."44t"
摘要128
 あなたが霊によって祈ることを望むなら、肉から何ひとつ汲み上げるな。そうすれば、祈りの時に、あなたの視界を遮る群雲を持つことはあるまい。

79.1193."48t"
摘要129
 身体の必要は「神」に信託せよ。そうすれば、明らかにあなたは、霊の〔必要〕をも彼〔「神」〕に信託する者となろう。

79.1196."1t"
摘要130
 諸々の〔神の〕約束をあなたが獲得するなら、王支配するであろう。だから、これら〔約束〕に注目して、現前する貧しさを喜んでになうであろう。

79.1196."5t"
摘要131
 貧しさと患難、つまり、重くない祈りの質料を忌避するな。

79.1196."8t"
摘要132
 あなたの諸々の身体的徳をして、魂的〔諸徳〕に至る人質とせしめよ、そしてまた魂的〔諸徳〕をして、霊的〔諸徳〕に至る〔人質とせしめよ〕。そしてまた、これら〔霊的諸徳〕をして、無質料的覚知に至る〔人質とせしめよ〕。

79.1196."12t"
摘要133
 諸々の想念を呪詛しながら、易々と軽くなったら、それがどこから生じたのか、考察せよ。あなたは待ち伏せをくらうのではないか、そして、惑わされて、自分自身を引き渡すのではないかと。

79.1196."16t"
摘要134
 ダイモーンたちは、あなたに対して諸々の想念をそそのかし、さらには、あなたが連中に対してこれ見よがしに祈ったり、連中に反対したりするよう刺激し、自発的に引っこむときがある。それは、あなたが欺かれて、自分自身について、想念に勝利した、ダイモーンどもを恐れさせはじめたと思わされるためである。

79.1196."23t"
摘要135
 あなたを悩ませる情念とかダイモーンに対する祈りをして、こう言う人のことを想起させよ。「わたしの敵どもを追いかけて、これに追いつき、これを絶やすまで引き返さない。わたしが彼らをくだくと、彼らは立ち上がれず、わたしの足の下に倒れる」〔Ps. 17:38-9〕云々。これなら、あなたは好機に言うことができよう。反対者たちに対して、みずからをへりくだりによって武装するなら。

79.1196."32t"
摘要136
 徳を所有したと思うな。それ〔徳〕のために血〔を流す〕までに対戦しないうちは。なぜなら、罪に対しては、死ぬまで対峙しなければならないのだから。神的な「使徒」にしたがって、競技者のように、不平をかこつことなく〔Heb. 12:4〕

79.1196."38t"
摘要137
 あなたが誰かの役に立つなら、あなたは別の人によって害されよう。それは、不正されて、何か妙なことをあなたが云ったり、したりして、あなたが美しく集めたことどもを、悪く散らすためである。これこそが、邪悪なるダイモーンたちの目的である。賢く注意しなければならない所以である。

79.1196."44t"
摘要138
 ダイモーンたちの厄介な突撃を受けとめよ。いかにして連中に対する隷従を避けるかを気遣いながら。

79.1196."47t"
摘要139
 夜間には、ダイモーンたちは、自分たちのせいで霊的教師を掻き乱すことを願って許される〔Luke 22:31, Job. 1:6ff.〕。昼間は、人間どもを通して、逆境と誣告と危難によって、彼〔霊的教師〕を取り囲む。

79.1197."1t"
摘要140
 洗い張り屋を忌避するな。なぜなら、踏みつけては、打ち、張ってはけば立てるけれども、少なくともそうやって、あなたの感覚は明るくなるのだから。

79.1197."5t"
摘要141
 諸々の情念に別れを告げることなく、あなたの理性が徳と真理に敵対しているかぎり、あなたの懐中に香りよき香料を見いだすことはなかろう。

79.1197."9t"
摘要142
 あなたは祈ることを渇望するか? 〔それなら〕ここにあるものらを却けよ、天なる国籍(politeuma)〔Phil. 3:20〕を常時、保持せよ。単に裸の言葉によってではなく、天使的行いと、より神的な覚知とによって。

79.1197."14t"
摘要143
 あなたが不遇なときにのみ、〔主は〕畏れ多く公正な方であるというふうに、「主」を思い起こすなら、「恐れをもって「主」に隷従し、おののきをもってこれに歓呼する〔Ps. 2:11〕ということをいまだあなたは学んでいないのだ。というのは、知るがよい、霊的休息や宴会のおりでさえも、なおいっそう、敬神(eulabeia)と慎み(aidos)とをもってこれ〔主〕に仕えなければならないということを。

79.1197."21t"
摘要144
 完全な改悛(metanoia)をする前に、みずからの諸々の罪と、永遠の業火による裁き(dike)、つまり、それら〔罪〕の年貢を納めることとの、悲しみにみちた想起をやめないひとは、それとわかるものだ。

79.1197."26t"
摘要145
 諸々の罪と憤慨に浸りながら、恥知らずにも、より神的な事象の覚知に敢えて到達しようとするなり、あるいは、無質料的な祈りを侵害する人、この人は、次のような使徒的譴責を受けるがよい。つまり、むき出しの、覆いを掛けない頭をして〔1Col. 11:5〕祈るのは、その人にとって危険がなくはないという〔譴責を〕。「なぜなら」と〔聖書は〕謂う、「こういう女は頭に権威〔のしるし〕をもつべきである、側に立っている天使たちのために」〔1Col. 11:10〕。ふさわしいつつましさ(aido)とへりくだり(tapeinophrosyne)とを身にまとっている〔こういう女は〕。

79.1197."36t"
摘要146
 真昼、強烈このうえない光のなか、遮るものもなく、続けての太陽の観察は、眼病を患っている者に利するところがないように、そのように、情念的で不浄な理性にとっても、霊とまことによる〔John. 4:23-4〕畏怖と、格段の祈りとの刻印(anatyposis)は、利するところが完全にない、いや、それどころか、正反対に、自分に対する「神的なもの」の不機嫌をさえ引き起こす。

79.1197."44t"
摘要147
 供え物をもって祭壇に近づく者が、彼のせいで悲しみにくれている隣人と和解するまでは、何の欠けるところもなく、公平無私なかたは、これを受け容れられないのなら〔Matt. 5:23-4〕、どれほどの見張りと判別が必要かを考察せよ。わたしたちが叡智的供儀壇にいます「神」に喜んで受け容れてもらえる香料を供えるために。

79.1200."1t"
摘要148
 おしゃべり好きになるな、栄誉好きにもなるな。さもなければ、あなたの背ではなく、あなたの顔を罪人たちは耕し〔Ps. 128:3〕、あなたは祈りの時に連中の物笑いとなろう〔Ecclus. 6:4; 18:31〕。尋常でない想念によって連中に引っ張り出され、おびき寄せられて。

79.1200."8t"
摘要149
 専念(prosoche)が祈りを求めれば、〔専念(prosoche)が〕祈りを見いだすであろう。

79.1200."12t"
摘要150
 いかなる感覚よりも視覚がまさっているように、いかなる徳よりも、祈りはより神的である。

79.1200."15t"
摘要151
 祈りの称讃は、量は単純ではないが、質は〔単純〕である。このことを明らかにしているのが、神殿に参内する人たちと〔Luke 18:40〕、次の聖句である。「あなたがたは、祈るとき、駄弁を弄するな」〔Matt. 6:7〕云々。

79.1200."20t"
摘要152
 あなたが身体との関係に留意するかぎり、あなたの理性が幕屋のことを喜びとしても、あなたが祈りの場所を見いだすことはない。いやむしろ、それ〔祈り〕の浄福な道は、あなたからはるかに遠い。

79.1200."25t"
摘要153
 祈りにふけって、他のすべての歓喜を超出したとき、あなたは真実に祈りを見出したのだ。

2005.03.03. 訳了。


forward.gif修道者に寄せる規定ないし勧告(Institutio sive Paraenesis ad monachos)