『徳に対立する悪徳について(De vitiis quae opposita sunt virtutibus)』
(アンキュラ人ネイロスの名のもとに)



[底本]
TLG 4110 021
De vitiis quae opposita sunt virtutibus (sub nomine Nili Ancyrani),
MPG 79: 1140-1144.
(Cod: 797: Eccl.)





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同じ人の論文(logos)
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同じ人物〔エウロギオス〕に寄せる
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諸々の徳と対になった悪について。

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摘要1
79.1140.23
 必要なのは、思うに、諸々の徳と対になった諸々の悪をも、あなたの愛労(philoponia)に、簡単に言えば、配属させる、ことである。そうすれば、こういうふうに精神に勝ち越すことで、ついには、諸々の想念の茨を、種蒔くことのできる土地からわたしたちは排除できるのである。しかし、わたしたちがここまで追いつけたのは、わたしたちが行ってきた諸々の業(erga)によってではない。むしろ、「父祖たち」からわたしたちが聞いてきた健全な言葉を手本(hypotyposis)として持ったからで、わたしたちは諸々の行い(praxis)のいくつかの証言者(synistor)になったにすぎない。いっさいは上方からの恩寵(charis)にほかならない — この〔恩寵〕は、罪人たちにさえ、欺くものらの諸々の企みを教示し、安全を確保し、そして言う。「いったい、あなたの持っているもので、もらったものでないものがあるか?」〔1Cor. 4:7〕。そうして、もらったのだからして、与えてくださった方にわたしたちは感謝すべきであろう。与えてくださったということを否認し、栄光の誇り(kauchema)のようなものを自分たちに帰してはならないのだから。だからこそ〔聖書は〕謂うのである、「もし、もらったのなら、なぜもらっていないかのように誇るのか?」―「すでに」と〔聖書は〕謂う、「あなたがたは富んでいるのだ」〔1Cor. 4:7-8〕。その業(erga)の点で貧しい人たち、教えを受け始めた人たち、あなたがたはすでに満ち足りている。 — まさにここに、わたしに転移している迷妄がある。〔というのは〕一方では、業(erga)の貧しさを包み隠しているのだから、計算ではわたしに借金があることになる、にもかかわらず、他方では、教えを受けるという学びを逆向けにして、〔あなたがたに〕勧める意見を述べているのだから。

 しかし、にもかかわらず、あなたがたから何らかの容赦がもらえるなら、それをわたしにもいただきたい。そうすれば、諸々の徳と対になった諸々の悪をも、これを特徴づけることで、わたしたちは、簡単に言えば、配属させることができるであろう。貪食(gastrimargia)とは何か、この反対の節制(enkrateia)とは。邪淫(porneia)とは何か、また慎み(sophrosyne)とは。愛銭(philargia)とは何か、また無所有(aktemosyne)とは。悲しみ(lype)、この反対の喜び(chara)。怒り(orge)とは何か、また気長(makrothymia)とは。また怯懦(akedia)と、忍耐(hypomone)。虚栄(kenodoxia)とは何か、また非虚栄(akenodoxia)、物惜しみ(phthonos)と惜しみなさ(aphthonia)、傲り(hyperephania)と卑下(tapeinosis)。これらは対であり、対立したものであり、お互いに正反対のものであるから、簡単にいえば、次のように配属させられよう。

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摘要2
79.1141.13
 さて、貪食とは、邪淫の母、諸々の想念の栄養、断食の弛緩(atonia)、修行(askesis)の猿轡(さるぐつわ)、道徳的志向(stochasmos)に対する脅し、食べ物の空想、調味類の画家、勝手気ままな仔馬、馬勒をつけない狂気、病の容器、健康に対する妬み(phthonos)、気管の疾患、内臓の呻吟、暴慢の極み、邪淫の入信仲間、精神の汚れ、身体の虚弱、卑しい眠り、憂鬱な死。

 節制 — 、胃袋の馬勒、しかし満ち足りなさに対する鞭、しかし均整の総計、しかし大食(adephagia)の口輪(kemos)、休息からの隠遁、厳格さの配置に就くこと、想念の鎮め場、徹宵の眼(まなこ)、燃焼からの解放、身体の家庭教師(paidagogos)、労苦の塔、そして諸々の方法の城壁、習慣のつつましさ(katastole)、そして諸々の情念の抑制、肢体の死(nekrosis)注14)、魂たちの再生、甦りの模倣、聖別の市民共同体(politeuma)。

 邪淫 — 、貪欲(laimorgia)の胎児、心を前もって軟弱にするもの、燃焼の炉、偶像の花嫁先導者、非同族的な行い、影さす型(morphe)、幻視される(性的)取っ組みあい、諸々の夢の寝椅子、無感覚の交わり、眼の奸計、見ることの無恥、誓願の赤面、心の恥(aischyne)、無恥の道案内者。

 慎み — 、真理の衣裳(stole)、好色の斧、眼の馭者、想念の監視者、思念(ennoia)の割礼、しかし放縦の切除、自然の反自然的植えつけ、また、燃焼の正反対、業8erga)の援助、そして節制の共働、心の提灯、誓願の指時針(gnomon)。

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摘要3
79.1141.42
 愛銭とは、偶像のけちな店、民衆の預言、切り詰めることに対する賛成投票、貯めこむものらの会計院、捕囚の富、不正の種族、病の肥沃、歳をかさねた占者、仕事好きの第三歌〔終結部〕、徹宵の助言者、胃袋の貧しさ、食べ物の安っぽさ、飽くことなく狂気。思い煩いの多い悪。

 無所有 — 、愛銭の根絶、しかし非愛銭の値付け、愛の果実、そして生命の十字架、苦痛なき生活、妬まれることなき宝、思い煩いなき天、紛れることなき太陽、計ることのできない質料、理解しがたい富、思い煩いに対する鎌、「福音書」の修行(praxis)、不壊の世界(kosmos)。俊足の競争者。

 悲しみ — 、損失の居住者、喪失の交際者、亡命の先触れ、同族の思い出、窮乏の代理人、怯懦の同僚、憤激の告発、暴行の思い出、そして魂の暗黒、習慣の落胆、賢慮(phronesis)の酩酊、催眠剤、型の雲、肉の蛆、諸々の想念の悲しみ、捕囚の民衆。

 喜び — 、悲しみの破滅、そして災禍に対する感謝、誓願から起こる顕現。そして諸々の労苦から起こる好機嫌、善行から来る陽気、隠遁の装飾、客人厚遇の容器、諸々の希望の避難所、修行者たちの養分、悲嘆者たちへの励まし、涙の慰め、患難の助け、愛の宝飾、そして気長さの賛成投票。

 怒り — 、賢慮(phronesis)の掠奪、境涯の転倒、自然の混乱、粗野さに傾く型、心の炉、噴き出る炎、気性の律法、暴慢の憤り、獣たちの母、沈黙の闘い、誓願の障害。

 気長さ(makrothymia) — 、賢慮の武器、怒りの心の法廷、〔心の〕医療院、血気盛んな者たちの訓戒、掻き乱されたものたちの凪、嵐なき港、諸々の悲しみにとっての善行、あらゆるものに対する親切、〔気長さ(makrothymia)は〕罵られても祝福し、暴行されても歓喜する、逆境にあるものらの慰め、希望を持つものらの鏡、迫害されるものたちの褒美。

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摘要4
79.1144.23
 怯懦 — 、空気の友愛、歩み放浪、仕事を愛することに対する憎しみ、寂静の闘い、詩篇唱和に対する豪雨、誓願のためらい、修行の怠慢、時間外の居眠り、めぐる眠り、狂気の重圧、僧坊に対する憎しみ、労苦の反対、忍耐の反対側、慮り(melete)の口輪、「聖書」の無学、悲しみの参与者、飢えの時計(horologion)。

 忍耐 — 、怯懦の切断、想念の打倒、死の思い煩い、十字架の慮り(melete)、釘付けになった畏怖、型どられた黄金、患難の立法、感謝の聖書、寂静の胸当て、労苦の武器、煮えたぎる美労(kalliponia)、諸徳の下絵。

 虚栄 — 、出会いの幻想、愛労の恰好、真理の反対、諸々の異端の創始者、特権の欲求、肩書きの極致、諸々の称讃への隷従、数多くの恰好をした霊、無数の歯をもった獣、虚栄の真ん中は、傲りと物惜しみによって編みなされていて、お互いの内にあり、しかもお互いに闘い合う。それは諸悪の三重の鎖、諸々の情念の3つの毒薬の混合、異端者たちの三重の舌。

 非虚栄(akenodoxia) — 、卑下の働き(ergasia)、おべっかの離反、諸々の称讃の盲目、覚知の観想、俗世の反対、魂の感覚のよさ、安価の教え、労苦の隠れ場、好機嫌の戦闘、堕落した身体の中の隠れなき宝物。

 物惜しみ — 、傲りの着衣、卑下の脱衣、誹謗中傷の根、陽気のまなざし、友愛(philia)の見せかけ、率直さ(parresia)の奸計、愛(agape)の敵、評判よき人びとに対する羨望、しっかりした人々の騒動、好機嫌の人たちの見くびり、眼の変更。

 心の清浄な者とは誰か? 放棄とか、怠慢とか、あるいは不注意(ameleia)とかによって、「神」のいましめに対して自分に咎のないひとのことである。わたしたちのクリストスをして、あらゆる業において、その御心の善通者たらしめよ。栄光は永遠に彼のもの。アメーン。

2005.04.04. 訳了。



[画像出典]
ANGELICO, Fra
(b. ca. 1400, Vicchio nell Mugello, d. 1455, Roma)
The Mocking of Christ(1440-41)
Fresco, 188 x 164 cm
Convento di San Marco, Florence
http://www.wga.hu/index1.html


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