79.1145."1t"
同じ人物の
79.1145."2t""3t"
邪悪の八つの霊について
79.1145."6t"
摘要1
79.1145."7t"
貪食について
結実の初めは、花、そして、修行の初めは、節制である。
胃を支配する者は、情動を低下させるが、食べ物に打ち負かされる者は、快楽を拡張させる。
民族の初めはアマレーク注17)、そして情動の初めは貪食。
火の質料は材木、胃の質料は食べ物。
多数の材木は大きな炎を起こし、多量の食べ物は欲望を養う。
炎は、質料が足らなければ、ほの暗くなり、食べ物の欠乏は、欲望をしぼませる。
顎骨の支配者は、他民族を攻略し、その手の縛めをやすやすと引きちぎった〔士師15:9-20〕。
顎骨による攻略は、水の噴出を起こし、貪食が絶えると、修行的観想を産んだ。
天幕の釘が刺し貫くと、敵の顎骨を攻略し〔士師4:21〕、節制の言葉は、情動を死なせた。
摂食の欲望は、不従順を産み、快適な味見は、楽園から追放した〔創世記3:6,23〕。
高価な食べ物は喉を喜ばせるが、眠らせぬ放縦の蛆虫を養う。
満腹しない胃は、祈りのうちに徹宵する用意があるが、満腹した〔胃〕は、数多の夢を招き寄せる。
素面の分別(phronema)は、乾ききった生き方の内にあるが、湿った生は、理性を深みに沈める。
断食する人の祈りは、ワシの雛として翔けのぼるが、酔いどれの〔祈り〕は、倦怠(koros)に重くされて、引きずり降ろされる。断食する人の理性は、晴れた夜空に輝く星だが、酔いどれの〔理性〕は、月のない夜に隠される。霧は太陽光を隠し、腹一杯の食べ物の消化は、理性を暗くする。
79.1145."37t"
摘要2
汚れた鏡は、そこに落ちた姿形を明瞭にしない、倦怠によって鈍った精神的部分(dianoetikon)は、「神」の覚知を受け容れない。
不毛の大地は、茨を産み、貪食者の理性は、恥ずべき想念を芽生えさせる。
ぬかるみの中に香料を見つけることはできない、まして貪食者の中に観想の香りを〔見つけ出すことは〕できない。
貪食者の眼は酒宴を探すのに忙しい。しかし節制者の眼は、知者たちの会議を〔探すのに忙しい〕。
殉教者たちの記念物を数えあげるのが貪食者の魂だが、節制者の〔魂〕は彼らの生を模倣する。
臆病な将兵は、喇叭が戦闘の合図をすると、怖じ恐れる、貪食者は、節制が布令られるのを〔怖じ恐れる〕。貪食な修道者は、胃袋を担い、鞭打たれつつ、日々の戦利品の分け前を要求する。
足の速い旅人は都市にすみやかにたどりつく、節制する修道者は、平安な境涯(katastasis)に〔すみやかにたどりつく〕。足の遅い旅人は、沙漠の空の下で野宿する、貪食な修道者は、無心の館に〔たどりつくことを〕急がない。
香の煙は大気をかぐわしくする、節制者の祈りは、「神」の嗅覚を〔かぐわしくする〕。
あなたが自分を食べ物の欲望にゆだねるなら、快楽を満たすのに何ものも充分ではない。なぜなら、食べ物の欲望は火であって、たえず受け容れ、たえず燃えあがるから。
自足している枡は、容器を満たすが、破れた胃袋は、「満足だ」とは言わない。
両手をさしあげることが、アマレークを打ち負かした〔出エジプト17_11〕、諸々の修行が挙げられると、肉の情動を平らげる。
79.1148."15t"
摘要3
悪の息のかかったものすべてを、あなたの中から追い出し殲滅せよ、そうして、あなたの肉の肢体を断固として殺しなさい。
なぜなら、亡き者とされた敵は、あなたにとって恐怖をもたらさないのと同じく、殺された身体は、あなたの魂を掻き乱さないであろうから。火の〔=によってもたらされる〕苦しみ(odyne)を、屍体である身体は知らず、まして、節制する人は屍体の欲望の快楽を〔知ら〕ない。もし、アイギュプトス人をあなたが打ち負かしたら、これを砂の中に隠しなさい〔出エジプト2_12〕、そうして、劣った情動で身体を肥えさせてはならない。
消された炎は、薪をつぎたされれば、再び燃えあがる、快楽も、鎮火されても、食べ物の飽食によって再燃する。
衰弱を嘆く身体を憐れむな、まして、贅沢な食べ物によってこれを肥えさせてはならない。なぜなら、もし、強くなれば、あなたに反抗しようし、妥協なき敵をあなたに刃向かって動かせ、ついには、あなたの魂を捕虜とし、あなたを奴隷として邪淫の情動に売り渡すであろうから。
御しやすい馬、すなわち満腹しない身体は、いかなるときも騎乗者を振り落とすことがない、なぜなら、前者は轡に引かれて屈服し、御者の手に聴従する、後者は飢えと徹宵に馴らされて、上に乗った想念を飛び越えることなく、情動の衝動に動かされても、いななくこともないからである。
79.1148."38t"
摘要4
79.1148."39t"
邪淫について
節制は慎み(sophrosyne)を産むが、貪食は、放縦(akolasia)の母。
油は燭台の明かりを養い、女たちとの出会いは、快楽の松明に火をつける。
波浪の暴力は、底荷のない船を時化で悩ませ、邪淫の想念は、無力な理性を〔悩ませる〕。
邪淫は飽満を味方に引き入れ、邪淫の想念は不節制な理性を〔悩ませる〕。
邪淫は飽満を共闘者に引き入れる、すなわち、彼〔邪淫と闘おうとする者〕を見棄て、敵対者たちといっしょに起って、敵たちといっしょになって最後まで闘うことでろう。
敵の矢弾から無傷のまま持ちこたえるのは、寂静を愛する者であるが、大衆と交わる者は、いつも打撃を受ける。
女の見てくれは毒を塗られた矢弾である、魂を傷つけ、毒を移し入れるばかりか、〔矢弾が〕とどまっているかぎり、ますます腐食の作用を及ぼす。
これらの矢弾から身を守る者は、全民衆的な全祭に出かけることなく、まして祝祭の日々を、大口開けてうろつくこともないだろう。なぜなら、家にとどまって祈りに専念している方が、祝祭を尊ぶべきと思って、敵たちの共犯者となるよりは、ましだからである。
女たちとの出会いを避けよ、もしもあなたが慎み深くあることをのぞむなら、そうして、あなたに対して大胆であるという無遠慮を、けっして彼女たちに許してはならない。
なぜなら、最初のうちは〔女たちは〕畏敬の念を持っているか、あるいは、それらしく見せかける。しかし後になると、どんなことでも恥じらいもなく敢行するのである。最初の出会いのおりには、眼を伏せ、柔和にしゃべり、そうして、共感して落涙し、しとやかに正装し、そうして深く溜め息をつき、純潔を恋い、そうして真剣に耳を傾ける。二度目には、〔女たちが〕少しだけ顔を上げるのをあなたは見る。三度目には、じっさい恥じらいもなく〔あなたを〕直視し、あなたは微笑み、彼女たちも存分に笑った。それからは着飾り、あなたにはっきりとしなをつくり、情念を伝えるために色目を使い、眉をつりあげ、睫毛で注意を引き、首をはだけ、身体全体でそぶりをし、情念をとろけさせる言葉を話しかけ、聴覚を魅せられる声音を働かせ、ついには、ありとあらゆる方法で魂を攻囲するのである。
これが、あなたにとって死へとおびき寄せる釣り針、破滅へと引きずりこむもつれた罠である。言葉をやさしげに使う女たちに、あなたを惑わさせてはならない。なぜなら、野獣どもの邪悪の毒が彼女らには隠されているのだから。
79.1149."28t"
摘要5
自分も若いのに、若い女に〔接近する〕よりは、燃える火に接近する方がましである。なぜなら、火に接近したら、また苦痛を感じて、あなたはすぐに離れるであろうが、女の言辞にとろけさせられて、容易には撤退できないからである。 野菜は、水のそばに立つと元気になる、放縦の情念は、女たちとの出会いによって元気になる。
胃を満ち足りさせながら、慎んでいると公言する者は、葦の〔茎の〕中に火の活動力を抑えているという人に似ている。
なぜなら、火の力が葦の〔茎の〕中を走るのを抑えることは不可能なごとく、放縦の衝動が飽満によって燃えあがるのをとめるのは不可能だからである。
毛虫は底にしがみつく、邪淫の情念は飽満によって休息させられる。
嵐に見舞われた船は港に急ぐ、慎み深い魂は孤独を求める。前者は海の波 危難でもって脅迫する波 を逃れるが、後者は女たちの形姿 苦しんで破滅を産む形姿 を〔逃れる〕。
美粧した形姿が沈没させるさまたるや、波よりも劣悪である。なぜなら、波の場合は、生を渇望して、泳ぎ渡ることもできるが、女の形姿は、欺いて、生そのものさえも軽んじるよう説得するからである。沙漠の茨の藪は、火の炎から無害なまま安全にまぬがれる、女たちから離れている慎み深い人は、放縦の情動に燃えあがらされることがない。なぜなら、火の記憶は精神を燃やさないように、素材が現存しなければ、情動も強くはならないからである。
79.1149."55t"
摘要6
敵対者をあなたが憐れむなら、それはあなたの敵となるであろう、情動をあなたが容赦するなら、それはあなたに対して謀叛を起こすであろう。
女の眺めは、放縦な人を快楽へと駆り立てるが、慎み深い人は、「神」の栄化へと動かす。
もしも、女たちの出会いにおいて情念が平安であったとしても、無心を公言する者がいたら、その者を信じてはならない。というのも、犬は群衆に見棄てられると尾を振るが、外に出て行くと、みずからの邪悪さを見せつけるからである。
女についての記憶が無心のうちに生じたら、そのときは慎みの境界にたどりついたのだと考えなさい。
しかし、その影像があなたを欲望へと目覚めさせ、その矢弾があなたの魂を取り囲んだら、そのときは徳の外にいると考えなさい。
しかしながら、そういった想念の中にあまり長くとどまっていてはならず、精神において久しく女の姿と交わってもいけない。なぜなら、情念は逆転しがちであり、危険に近いからである。
なぜなら、程々の鎔解は銀を浄〔純〕化するが、過剰な〔鎔解〕は、じつにやすやすと破滅させるように、女の幻想が長らくとどまっていると、慎み深い情態(hexis)を台無しにするからである。あなたは明瞭な顔と久しく交わってはならない。あなたの内に快楽の炎が点火して、あなたの魂の打穀場を焼き払わないために。というのは、火花が籾殻の中にとどまれば、炎を目覚めさすように、そのように、女の記憶は、現前すると、欲望に火をつけるのだから。
79.1152."23t"
摘要7
79.1152."24t"
愛銭について
愛銭はすべての悪の根である〔第1ティモテ6_10〕、そして、邪悪なる若枝のように、自余の情念を養い、それ〔愛銭〕から花咲くものらが枯れるのを許さない。
諸々の情念を切り倒すことを望む者をして、その根を切り捨てせしめよ。なぜなら、愛銭が生きながらえるかぎり、若枝を刈りこんでも、何の役にも立たない、切り捨てても、すぐに返り咲くであろうから。
多所有の修道者は、重荷を運ぶ船、波の嵐にやすやすと沈没する。というのは、浸水した船が、ひとつひとつの波に責め苦を受けるように、そのように、多所有の〔修道者〕は、諸々の気遣い(phrontis)によって水面下に沈む。
無所有の修道者は、装備の整った旅人、どんな場所でも宿を見つけられる。
無所有の修道者は、空高く飛翔するタカ、食物の上に舞い降りるのは、必要が強いるときである。
このような人は、どんな誘惑者よりも高く、現有するものらを嘲笑し、そうして、空高く引き上げられ、地上的なものらから撤退し、そうして、上天にあるものらに同伴する。なぜなら、軽い翼を持ち、気遣い(phrontis)によって重くなることがないから。患難(thlipsis)が見舞っても、苦痛なくその場を後にする。死が降りかかっても、機嫌よく立ち去る。いかなる地上的束縛によっても魂を束縛しなかったからである。
これに反して、多所有の〔修道者〕は、思いわずらい(merimne)に足枷をはめられ、ちょうど犬のように鎖につながれ、移転を強いられるときにも、所有物の記憶を重い荷物、無益な重荷として運びゆく、苦痛にさいなまれ、おまけに、はなはだしく思いを苦しめられ、所有物を手放せば手放したで、苦痛に鞭打たれる。 死が襲い来ても、手持ちのものを哀れっぽく手放し、魂を引き渡す。そうして、目を事物から離すことができない。逃亡奴隷のように、いやいや曳かれてゆく、身体からは引き離されても、財産からは引き裂かれることがない。彼を〔死へと〕曳きゆくものらよりも、〔所有の〕情念が取り憑いているからである。
79.1153."1t"
摘要8
多数の河川を受け容れても、海は満ちあふれることがない、愛銭の欲望も、金銭に満たされることがなく、金銭を2倍にした、そうして、それをまた2倍にすることを欲し、しかも2倍にすることをけっしてやめない、ついに、死がその終わりなき熱意をやめさせるまで。
賢明な修道者は、身体の必要性に意を払う、そうして、胃の欠乏をパン、および水によって満たし、胃の快楽のために、富んでいる者たちに追従することはなく、自由な理性を多数の主人たちに隷属させることもないだろう。というのは、身体に仕え、自然的必然をどんなときにも満たすには、両手〔の働き〕で充分だからである。
無所有の修道者は、投げ倒されることのない格闘者、そうして軽い走者は、上天へ召されるという褒美〔ピリ3_14〕にすぐに達する。
多所有の修道者は、多数の収入を喜ぶが、無所有の〔修道者〕は、修徳の花冠を〔喜ぶ〕。
愛銭的修道者は、激しく働くが、無所有の〔修道者〕は、祈りと、朗読に専念する。
愛銭的修道者は、蔵を黄金で満たすが、無所有の〔修道者〕は、天に蓄財する。 「影像をつくり、ひそかに安置する者は、呪われる」〔申命27_15〕。愛銭の情念を持つ者も同様である。なぜなら、前者は無益な卑金属を礼拝し、後者は、富の幻想をこころにいだいているのだから。
79.1153."25t"
摘要9
79.1153."26t"
怒りについて
怒りは気性的情念であり、覚知を有する者たちをさえも、易々と正気を失わせ、魂を野獣化し、そしてあらゆる出会いを逸脱させる。
烈しい風が塔を動かせることはない、怒りのない魂を、気性が掠し去ることもない。
水は風の暴力によって動かされる、気性的な人は愚かしい想念(logismoi asynetoi)によって掻き乱される。
怒りっぽい修道者は、あるひとを眼にした、〔そのひとは〕歯をきしらせていた。
霧の湧き起こりは、大気を肥らせる〔淀ませる〕、気性の動きは、怒りっぽい人の精神を〔肥らせる〕。
手前を流れる雲は、太陽を暗くした、遺恨の想念は理性を〔暗くする〕。
動物園にいるライオンは、たえず蝶番を動かせる、僧坊にいる気性的な人は、怒りの諸々の想念を〔動かせる〕。
喜ばしい観想は、凪いだ海、しかし、平安な境涯より喜ばしいものはない。なぜなら、凪いだ海に潜水するのはイルカたちだが、平安な境涯を泳ぐのは神にふさわしい叡智だからである。
気の長い修道者は、寂静の泉、万人に適した飲み水を提供するが、怒りっぽい人の精神はどんな場合も掻き乱されていて、渇した人に水を施すことができず、たとえ施すことができても、〔その水は〕濁っていて、役立たずである、気性的な人の両眼も、掻き乱されていて、血走り、掻き乱された心の告知者である。 これに反し、気の長い人の顔は、正しく静止していて、親切な両眼が下を見つめている。
79.1153."51t"
摘要10
ひとの柔和さは、「神」におぼえられる、怒りなき人の魂は、聖なる「霊」の神殿となる。
クリストスは気の長い霊の中に頭をもたれさせ、平安である精神のみが、聖なる「三位一体」のもの。
キツネたちは遺恨の魂の内に棲み、獣たちは、掻き乱された心の内に潜む。
謹厳な人は恥ずべき旅籠を避ける、「神」もまた遺恨をもった心を〔避ける〕。
水を掻き乱すのは〔池に〕落ちた石、人の心を〔掻き乱すのは〕悪しき言葉。
怒りの諸々の想念をあなたの魂から追い出せ、気性をしてあなたの心に宿らしめるな、そうすれば、祈りのときに、あなたが掻き乱されることは決してない。なぜなら、籾殻の煙が眼を掻き乱すように、遺恨は理性を、祈りのときに〔掻き乱す〕から。
気性的な人の諸々の想念はマムシの子ら、産みの親の心を貪り食う。
気性的な人の祈りは、忌み嫌われている薫香。怒りっぽい人の詩篇歌も、不快な響き。
遺恨を持ったひとの贈り物は、イボのある供儀、聖水盤のある祭壇にけっして近づいてはならない。
掻き乱された夢を見るのは気性的な人、獣たちの襲撃を幻視するのは、怒りっぽい人。
気の長い人は諸々の幻を見るが、それは聖なる天使たちに出会う幻である、遺恨なきひとは霊的な言葉を鍛錬し、夜、秘儀の答えを受ける。
79.1156."23t"
摘要11
79.1156."23t"
悲しみについて
悲しみにくれる修道者は霊的な快楽を知らない。悲しみとは、魂の憂い、怒りの諸々の想念から構成されている。
なぜなら、気性は報復の渇望だが、報復の喪失が悲しみを生んだのだから。悲しみはライオンの口、悲しみにくれる人を易々と飲みくだす。
悲しみは心の蛆虫、生みの母親を貪り食う。
母親は嬰児を産むために苦しむ、産んだら、その苦しみから解放される、しかし悲しみが生まれ、数多の労苦を動かせ、陣痛とともにとどまり、少なからず苦しめられる。
悲しみにくれる修道者は、霊的な喜びを知らない、あたかも、激しく発熱している人が、蜂蜜の味も〔わから〕ないように。
悲しみにくれる修道者は、理性を観想へと動かせることはなく、清浄な祈りをささげることもない。なぜなら、あらゆる美の邪魔が、悲しみだから。
両足の縛めは走ることの邪魔、悲しみはまた観想の邪魔。
異教徒たちによって槍の穂先になった者〔=捕虜〕は、鉄鎖に縛られる、諸々の情念によって槍の穂先になった者〔=捕虜〕も縛られる、悲しみ〔によって〕。
悲しみは、その他の情念が現前するかぎり、強力ではない、あたかも、縛めも、縛られた者たちが現存しないかぎり、〔存在し〕ないように。
悲しみに縛られた者は、諸々の情念に打ち負かされ、その束縛を、敗北の証拠として身に負わされる。
なぜなら、悲しみは肉の渇望の喪失によって構成されている。ところが渇望はあらゆる情念とともに軛につながれているのだから。
渇望に打ち勝った人は、諸々の情念に打ち勝ったのである、そして諸々の情念に打ち勝った人は、悲しみに制せられることはない。
節制者は、食べ物の喪失のせいで悲しむのではなく、慎み深い人は、放縦者の愚かさを得損なったからといって〔悲しむので〕もなく、怒りのない人は、報復〔の機会〕を失ったからといって〔悲しむので〕もなく、へりくだる人は、人間的な栄誉を奪われたからといって〔悲しむので〕もなく、金銭欲のない人は、損失に見舞われたからといって〔悲しむので〕もない。というのは、それらの渇望をできるかぎり避けているのだから。なぜなら、鎧を身につけた人は矢弾を受けないように、無心の人は悲しみに傷つけられることはないのだから。
79.1157."7t"
摘要12
長楯は将兵にとって、また都市にとっては、市壁が安全である。しかし、修道者にとっては無心が、その両者よりも安全である。なぜなら、長楯は、うなりをあげて飛来する矢弾がしばしばこれを貫通し、市壁は、多数の敵兵がこれを破壊するが、悲しみが無心を屈服させることはないからである。
諸々の情念を抑制する人は、快楽を抑制するが、快楽に打ち負かされる人は、その〔悲しみの〕束縛をまぬがれることができない。
たえず悲しみにとらわれていながら、無心のふりをしている人は、病人でありながら、健康を見せかけている人に似ている。なぜなら、病人は色つやによって明らかになるように、情念の深い人は、悲しみによって〔明らかになる〕から。 この世を愛する人は、数多くの悲しみに満たされよう、しかし、そこ〔この世〕にあるものらを軽蔑するなら、いつも歓喜するであろう。
愛銭家は、損失をこうむると、ひどく悲しむであろうが、金銭を軽蔑する人は、悲しみのなき者となろう。
名誉を愛する人は、不名誉に見舞われると、悲しむだろうが、へりくだる人は、それ〔不名誉〕を乳兄弟のように受け容れるだろう。
溶解炉は資格のない銀を浄化〔精錬〕する、「神」のみこころにそう悲しみ〔第2コリント7_10〕は、罪に陥っている心を〔浄化する〕。たえざる鎔解は卑金属を減らす、この世の悲しみも、精神を弱らせる。
眼の活動をかすれさせるのは暗黒、観想的理性を鈍らせるのは、悲しみである。水の底を射し貫くのは太陽の光線、悲しみにしずむ心を、観想が光で照らすことはない。すべての人間にとって太陽の上昇は快適であるが、その場合でも、悲しみにくれる魂は満足しがたい。
味の感覚を奪うのが黄疸、魂の感覚を奪うのが悲しみ。
この世の諸々の快楽を軽蔑する者は、悲しみの諸々の想念によって悩まされることがないであろう。
79.1157."38t"
摘要13
79.1157."39t"
怯懦について
怯懦は魂の弛緩であるが、魂の弛緩は自然にそったものを有さず、誘惑者たちに気高く対峙することもない。
なぜなら、良好な状態にある身体にとって食べ物となるものは、気高い魂にとっては誘惑者だからである。
北風は子どもを養う、誘惑者たちは魂の抑制力を強固にする。
無水の雲は風によって吹き払われる、忍耐力を持たぬ理性は、怯懦の霊〔気息〕によって〔吹き払われる〕。
春の露は野の果実を生長させる、霊的な言葉は、魂の境涯を高くする。
怯懦の流れは、修道者をその家から追い出すが、忍耐を有する者は、たえず寂静である。
怯懦な者は、諸々の病気の訪れを前に立て、その固有の目的を達する。
怯懦な修道者は、奉仕〔を受けること〕に迅速で、自分の達成を戒めと思量する。かすかな冷風は弱った植物を傾がせる、出郷の幻想が怯懦な者を惹きつける。
美しく根づいた樹木を、霊〔気息〕たちの暴力は揺らさない、怯懦は確乎不抜の魂を曲げることがない。
遍歴の修道者は、沙漠の柴をしばし寂静にする、そうして再び、望まなくても、運びゆく。
植えかえられた植物は実をなさない、遍歴の修道者は、徳の実をなさない。
病弱者はひとつの食べ物に満足しない、怯懦な修道者は、ひとつの仕事に〔満足しない〕。
快楽を愛する者は、1人の女で満足しない、怯懦な修道者はひとつの僧坊で満足しない。
79.1160."11t"
摘要14
怯懦な者の眼は、諸々の扉にいつもくぎづけになり、彼の精神は来訪者たちを幻視する。扉がきしる、すると彼は跳びあがり、声音に耳を傾け、窓からのぞきこみ、そこから離れず、ついには、坐ったまましびれがきれる。
読誦していても、怯懦な者は何度も欠伸をし、易々と夢に陥る。目をこすり、手を伸ばし、書物から眼を離し、壁を見つめ、再び向き直って少し読む。そうして、〔巻物を〕開いて、その言葉〔巻物〕の終わりをせわしなくさがし、枚数を数え、四つ折りの冊子を算定し、文字や装飾をとがめ、次には閉じて、その書を枕元に置き、あまり深くもない眠りに落ちる。というのは、やがて空腹が彼の魂を目覚めさせ、自分についての気遣いをさせるからである。
怯懦な修道者は、祈りに対して不精(okneros)で、祈りのことばを口にすることがない。というのは、病人は重い荷を運ぶことがないように、怯懦な者も「神」の〔=に対する〕勤め(ergon)を精を出して行うことがないからである。というのは、前者は身体の能力を引き下ろすが、後者は魂の労苦をゆるめるのだから。
怯懦を治すのは節制であり、万事を、大いなる精勤さと「神」への畏敬の念をもって、行うことである。
あらゆる勤め(ergon)においてあなた自身を程よく配置せよ、そうして、それを達成するまで、離れてはならない。そうして、持続的に、張りつめて祈れ。そうすれば、怯懦の霊はあなたから逃げ出すであろう。
79.1160."39t"
摘要15
79.1160."40t"
虚栄について
虚栄は、言葉なき(alogon)情念であり、徳のあらゆる働きと易々と織りあわされる。
筆跡は水に刻されればまぎれる、徳の労苦も、虚栄の魂の中に〔刻されればまぎれる〕。
手はふところに入れられると白くなる〔出エジプト4_6〕、隠された行為は光よりも明るく輝き出る。
ヒルガオは樹木に巻きつき、上に達すると、その根をひからびさせるが、虚栄は諸々の徳に寄生し、離れず、ついには、その能力を切り倒す。ブドウの房は、地に這うと、易々と腐る、徳も、虚栄によりかかると、破滅する。
虚栄心のある修道者は、無報酬の職人。労苦に従事しても、報酬をもらうことがない。
穴の開いた財布はその中身を守らない、虚栄も諸徳の報酬を失う。
虚栄心の或る者の節制は、炉の煙、どちらも大気の中に散らされる。
風は人の足跡を吹き消す、憐憫は虚栄が〔吹き消す〕。
石を投げても、天には届かない、人にへつらう者の祈りも、「神」のところには昇らない。
79.1161."3t"
摘要16
虚栄は海底の岩。あなたがぶつかったら、荷物を失う。
宝物を隠すのが知慮深いひと、徳の諸々の労苦を〔隠すのが〕賢い修道者。
大通りで祈るよう勧めるのが虚栄、これと闘う人は、自分の私室で祈る。
自分の富を見せびらかせるのは愚かな人、多衆をして自分に対する陰謀へと動かせる。
しかし、あなたはあなたのものを隠しなさい。なぜなら、道中で盗賊たちに出くわすのだから、平安の都市について、あなたのものを安全に使用できるまでは。 虚栄心のある人の徳は、欠陥のある犠牲、だから、「神」の供儀の祭壇に載せてはならない。
怯懦は魂の労苦を分解するが、虚栄は「神」から転落した理性を元気づける。〔虚栄が〕病弱者を強壮となし、老人を若者よりも有能にするのは、現在の証人たちが多数いる場合のみである。そのときは、断食も徹宵も祈りも軽い。多くの人たちの賞讃が、願望を目覚めさせるからである。
人間的な諸々の栄誉に諸々の労苦を売り渡してはならない。また、よい評判〔を得る〕ために将来の栄誉を〔売り渡してはならない〕。
なぜなら、人間的な栄誉は塵の中に巣くい、その名声は、地に消え去るが、徳の栄光は永遠にとどまるのだから。
79.1161."25t"
摘要17
79.1161."26t"
傲りについて
傲りは、魂の 体液に満たされいる腫瘍。もしも膿んだら、破裂して、おびただしい不快をなす。
稲妻の閃光は、雷鳴を予告する、傲りを告げ知らせるのが、虚栄の現存である。 傲りをもった魂は大いなる高みに登り、そこから彼〔傲りをもった当人〕を深みに投げ落とす。
傲り〔という病〕を患っているのは、「神」から自分を引き離している者、そして、修徳を自分の能力に帰する者。
しかし、クモの巣に飛びかかるものは、抜け落ちて、下方に落とされるように、自分の能力に信を置く者は落下する。
数多の果実は樹木の小枝をたわませる、多数の徳も、ひとの知慮を低くさせる。 腐った果実は、百姓の役に立たぬ、傲りの或る者の徳も、「神」の役には立たない。
柵は実もたわわな小枝を支える、「神」の〔に対する〕畏怖も、有徳の魂を〔支える〕。
果実の重みが小枝を折るように、傲りは有徳の魂を投げ落とす。
あなたの魂を傲りに渡すな、そうすれば、あなたは身の毛のよだつ幻想を見ることがない。
なぜなら、傲りのある人の魂は、「神」に見棄てられ、ダイモーンたちの玩具となるから。
夜は、獣たちが襲来するのを幻視し、昼間は、臆病の諸々の想念に掻き乱されるであろう。眠っていても、いつも跳びあがり、目覚めていても、鳥の影にびくつく。
木の葉の音が、傲りのある人を驚かせ、水の響きが彼の魂を引き裂く。
なぜなら、少し前に「神」に自分を対峙させ、あのかたの助けを否認した彼は、諸々のつまらぬ幻想に怯えさせられるからである。
79.1164."1t"
摘要18
傲りは、天上から天使長を投げ落とし、稲妻のように地上に落下させた〔イザヤ14_12。ルカ10_18〕。
しかし、謙遜(tapeinophrosyne)は、人間を天上に引き上げ、天使たちといっしょに合唱舞踏する用意をする。
何ゆえ空高く上がるのか、人間よ、泥土でありながら、そして自然〔本性〕に腐るものでありながら。そうして、群雲の上まで思いあがるのは何ゆえか。
あなたの自然〔本性〕を考察しなさい、 あなたは土であり、灰であり、少したてば、塵に還る、しばらくは威張っていても、少したてば蛆虫だと。
何ゆえ、うなじをあげるのか、少したてば腐るものを。
偉大なのは、「神」から助けられた人間。彼は見棄てられた、しかし、自然本性の弱さを悟った。
「神」からもらったのでないようなものは、あなたは何ひとつ持っていない。なのに、何ゆえ、他人のものを、まるであなたのもののように、誇るのか。
なにゆえ、「神」の賜物を、まるで自分の所有物のように自慢するのか。
与えてくださったかたを悟れ、そうして、あまりに思いあがるのをやめよ。あなたは「神」の被造物、「創造主」を却けてはならない。あなたは「神」に助けられた、〔だから〕その善行者を否認してはならない。
行住坐臥の高みへとあなたは登っていった、しかし、あのかたが道案内したのだ。あなたは徳を修めた、しかしあのかたが活動したのだ。
誰が高くしたかを告白(homologein)せよ、あなたが高みに確乎不抜にとどまっていられるように。誰が同じ部族なのかを悟れ、同じ本質(ousia)の持ち主であると。法螺によって同族(syngeneia)を否認してはならない。
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摘要19
あのかたはへりくだり、節度あるかた。しかし、同じ造物主は、その両方の人々をこしらえられた。
へりくだった人をあなたは軽蔑してはならない。なぜなら、あなたよりも安全な人として立っているのだから。彼は地上を歩いても、すぐに落ちることはない。しかし傲り高ぶる人は、落ちれば、粉々になるだろう。
傲りのある修道者は、根のない樹木、風の突進をもちこたえることができない。 謙譲な知慮は、城壁に囲まれた都市。この中に住まう者は、不可侵であろう。
涼風は藁を空中に吹きあげ、無理性(aponoia)の突撃は、傲りの或る者を思いあがらせる。泡がはじけると、消滅する、傲りの或る者の記憶は、〔死とともに〕滅びる。
へりくだった者の言葉は、魂の軟化薬だが、傲りの或る者の〔言葉〕は、法螺に満ちている。
へりくだった者の祈りは、「神」を〔耳を傾けるために〕かがませるが、傲りの或る者の祈願は、「神」を苛立たせる。
謙遜は身体の花冠にして、登ってくる者を安全に見守る。
諸々の徳の高みへとあなたが登ったとき、安全の数多の必要があなたに生じよう。
なぜなら、地面に落ちた者は、すぐに目覚めるであろうが、高みから落ちた者は、死の危険に陥るから。
高価な石は黄金の環にはまる、人のへりくだりは数々の徳によって輝く。
2005.01.29. 訳了。