21
「あの女の人たちは、人を迎えてから、どこへ連れて行くんでしょう。」
「自分たちの母親のところへ。」
「それは誰ですか。」
「『幸福』ですよ。」
「それはどんな人ですか。」
「あの小高いところへ行く道が見えますか、あの高いところほ全部の囲いの城砦なんですがね。」
「見えます。」
「玄関のところには美しい女の人が高い玉座の上に腰かけている。その人は上品な、飾り気のない粧いをして、たいへんきれいな花の冠をかぶっている。それが見えますか。」
「そのとおりですね。」
「あれが『幸福』なんですよ」と老人は申しました。
22
「人がここへ着くと何をするんですか。」
「『幸福』がそのカの冠をかぶらせ、また他の『徳』もみなそうするのです。ちょうど、その人が最大の戦いの勝利者であるかのようにね。」
「どんな戦いに勝ったというのでしょう。」
「最大の戦いと最大の野獣どもに勝ったのですよ。その野獣どもは以前にはその人間を食べたり、妨害したり、奴隷にしたりしていたのだが、その人が彼らを全部打ち負かして遠くへ放り出し、そのうえ自己にも打ち克ってしまったものだから、ちょうど以前彼が野獣どもに仕えたような具合に、今度は野獣の方が彼に 仕えるようになってしまったのです。」
23
「どんな野獣のことをおっしゃるのですか。うかがいたくてなりません。」
「まず『無知』と『誤謬』。こういうものが野獣のように思われませんか。」
「そう、しかも性(たち)の悪い奴ですね」と私は申しました。
「それから『苦悩』、『悲嘆』、『吝嗇』、『無節制』、およびその他いっさいの『悪』。すべてこういうものを今度はその人間の方が支配するのです。以前のようにこれらのものに支配されるのではなくてね。」
「なんとすばらしい事業でしょう。そして、なんとすばらしい勝利でしょう。ですが、もう一つ教えてくださいませんか。その人がかぶせられるというその冠の力とやらは何のことなのですか。」
「それは幸福の冠ですよ。この力の冠をかぶせられた者は幸福になり祝福された者となるんです。そしてその幸福の希望を自分以外のものに置かないで、自分自身の内に置くのです。」
24
「すばらしい勝利ですね。それで、冠をかぶせられたら今度はどうするのでしょう。どこへ行くのでしょう。」
「『徳』たちがその人を自分たちの保護の下に置き、彼が最初出発したところへ連れて行き、そこで暮らしている人たちを見せてやる。その人たちがどんなに不幸せな日を送り、どんなにみじめな生き方をしているか、そのありさまを見せてやるんです。その人たちはまったく人生に難破し、流浪し、ちょうど敵に打ち 負かされるような具合に、あるいは『無節制』に、あるいは『自負心』に、あるいは『吝嗇』に、あるいは『虚栄心』に、あるいはその他の悪に打ち負かされて連れて行かれてしまう始末。だから彼らはこれらの恐るぺきものの束縛から自己を解放することができず、救われてここへ来ることができないので、一生の間苦 しめられている。こういう苦しみを受けるのも、そもそもここへ来る道を見つけることができないからで、それというのもダイモニオンから受けた命令を忘れてしまったからなのですよ。」
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「おおせのとおりなのでしょう。ですが、まだ腑に落ちないことがあるんですが、いったいどういうわけで『徳』たちはその人に以前出立した場所を見せてやるんですか。」
「それは、以前彼がそこのものを何もはっきり知りもせず、わかりもせず、懐疑の状態にあったからなのです。おまけに無知と誤謬を飲んだために、善くないものを善いと思い込んだり、悪くないものを悪いと思ったりしていたのです。ちょうど、そこに住んでいる他の連中と同じようにね。ところが今ではもう身を益する事柄の知識を得たので、善い生き方をする、そしてこの連中を眺めて彼らがどんなに不幸であるかを悟るわけです。」
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「すっかり眺めつくしてしまったら今度は何をするんでしょう。どこへ行くんでしょう。」
「どこでも行きたいところへ行く。なぜなら、彼にとっては、もはやあらゆるところが安全なのですからね。それは、ちょうどコールキオスの岩窟〔註8〕の中にいる人と同じようなものです。そしてどこへ行っても申し分なく幸福に、この上もなく安全に暮らすでしょう。というのは、ちょうど病人たちが医者を迎えるように、あらゆる人々が彼を喜んで迎えるようになるからです。」
「では、あなたが野獣だとおっしゃったあの女どもになにかびどい目に遭わされる恐れはもうないのですか。」
「いや、全然ないのです。もう『悲しみ』にも『苦悩』にも『無節制』にも『吝嗇』にも『貧乏』にも、その他いかなる悪にも悩まされない。なぜなら彼はすぺてのものを支配し、以前彼を苦しめていたあらゆるものを超越しているからです。それはちょうど、毒蛇に一度咬まれたことのある人たちの場合に似ています。毒蛇という動物はすべて他の人たちに害を与えて死に到らしめるのに、この人たちに限って害うことがない。なぜならこの人たちは身に解毒剤を持っているからなのです。ちょうどそのように、何ものもこの人を苦しめるものはない、この人は解毒剤を持っていますからね。」
パルナッソス山の中にある岩窟で、ニンフのコールキアに因んで名づけられ、戦時には、侵されることのない退避所と考えられていた。
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「よいお言葉です。ですがもう一つお教えください。あの丘からあそこへやって来たように見える人たちほ誰ですか。そのうちのある者は冠をかぶって、なにかうれしいような身ぶりをしています。そうかと思うと、冠もかぶらないで、悲しんで困惑した様子をしている人たちもいます。その人たちほ脚にも頭にも傷が あるようで、女たちにつかまえられていますね。」
「冠をかぶっているのは救われて『教養』のところへ行けた人たちで、彼女を得て喜んでいるのです。冠をかぶっていない人たちは、『教養』から締め出しをくらい、そこいらをうろつきまわって不幸なみじめなありさまをしています。さらに他の人たちは、尻込みをして『忍耐』のところまで登って行かず、またうろ うろして道も適わない荒野をさまよっている。」
「あの人たちといっしょにいる女の人たちは誰でしょう。」
「『苦悩』、『悲しみ』、『落胆』、『不名誉』、『無知』などです。」
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「すると、ありとあらゆる悪いものが、あの人たちについてまわっているわけですね。」
「いやまったく、一切合財の惑が彼らを追いかけて行くんですよ。そしてあの連中は、最初の囲いに行き着いて『奢侈』と『無節制』のところへ来るやいなや、自分白身を責めずに、いきなり『教養』や彼女のところへ行く人たちの悪口をいいます。あの連中の言いぐさでは、あいつらは憐れな、みじめな、不幸せな奴らだ、僕らのところで送っていた生活を棄てて情ない生活をしていやがる、そして僕らのところにある善いものを楽しまない、とこういうんですな。」
「いったい何が善いものだというんですか。」
「一言にして言えば放蕩や無節制です。彼らは動物のようにうまいものを食べさせてもらって享楽することが最も善いことだと思っているんです。」
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「それからあっちの方から愉快そうに笑っている女たちがやって来ますが、あれは何という人たちですか。」
「『意見』たちです。あの女たちは、『徳』たちのところへ来た人々を『教養』のところへ連れて行って戻って来たところなんです。また他の者を連れて行くためにね。そして前に連れて行った人たちがもう今は幸福になっていることを報告するために帰って来たわけです。」
「その『意見』たちは『徳』たちのところに入って行かないんですか。」
「『意見』たちは、『知識』のところまで入って行く資格がないんですよ。人々を『教養』にまで引き渡すのが役目なんです。『教養』の方で彼らを引き受けると、『意見』たちはまた他の者を連れに戻って来る。ちょうど、船が荷を下ろして、また他の荷を積んでもらいに戻って来るような具合にね。」
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「この絵をたいへんよく説明していただいたようですが、まだ私たちに話してくださらないことがありましたね。ダイモニオンが人生に入って行く人たちに命ずるのは、いったいどんなことなのですか。」
「勇気を出すこと、これです。だからあなた方も勇気をお出しなさい。ではここでひとつ、何も省略せずにすっかり説明してあげることにしょうかな。」
「それはありがたいことで」と私は申しました。
老人はふたたび手をさしのぺて申しました。
「丸い石の上に立っている盲のようなあの女が見えますね。先刻あれは『運命』というんだと申しましたね。」
「見えます。」
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