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back.gifストラボーン『世界地誌』


ギリシア語文献に見る
ペルシア人の宗教(4/4)

プルータルコス
『イシスとオシリス』





プルータルコス

 年代について言えば、ストラボーンからプルータルコス(後46−120年頃)までに流れた月日は、ヘーロドトスからストラボーンに至るまでの月日よりもずっと短い。しかし、マゴスの宗教について説明しているその内容に関して言えは、プルータルコスとストラボーンの違いは、ストラボーンとヘーロドトスのそれよりもはるかに大きい。そのうえ、プルータルコスの著述はある程度までテオボンボスを参照したものであり、するとこうして彼の記述の一部分は少なくとも前四世紀の前半にまで遡ることになる。したがって、この研究においては、年代はさはど重要ではない。さて、プルータルコスが著した『イシスとオシリスについて』の章の利点は、それが比較的長文でしかも正確であるゆえに、神学や儀礼、終末論をかなり明確に再構成できる点にある。(バンヴェニスト、p.60)

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 そして、これ〔二元論〕はほとんどの、しかも一番賢い人びとの考えでもある。すなわちある人びとは、神は二柱で、相括抗するようにして一方が善の、他方が悪の制作者である、と見なす。 また、より優れた方を神、もう一方をダイモーンと呼ぶ人びともいて、マゴスのゾーロアストレース(ZwroavstrhV)がその例であり、この人物はトロイア戦争より五千年も昔の人だった、と史書に伝える。従って、この人は二柱のうち一方をホーロマゼース(+WromavzhV)、もう一方をアレイマニオス(=AreimavnioV)と呼んでいた。そしてさらに、一方が目に見える物のなかではとりわけ光に、もう一方は逆に闇と無知に、それぞれ似て、両者の中間にあるのがミトレース(MivqrhV)だ、と説明していた。それゆえ、ペルシア民はミトレースを仲裁者(mesivthV)という名でも呼んでいる。

 また、一方には祈願と感謝の品を、他方には除災と悲嘆の品を、それぞれ供犠することを教えた。すなわち、一種の牧草「オモーミ(o[mwmi)」をこね鉢のなかでつきながら、冥界神ハイデースと「闇」の名をくり返し呼び、つぎに狼の喉を切ってその血を混ぜると、日の射さない場所へ持ち出して投げ捨てる。

 ペルシア民の考えによると、植物にも、善なる神に属するものと悪なるダイモーンに属するものがあり、動物でもたとえば犬、鳥類、陸生の針ねずみは善に、水生のネズミ(mu:V ejnuvdrouV)は邪悪に、それぞれ属する。それゆえ、一番数多くを殺した人を幸せ者だ、と見なしている。

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 とはいえ、そのペルシア民も神々については神話めいた話を数多く述べ、つぎの詰もその類いである。

 ホーロマゼースは最もけがれのない光から生まれ、アレイマニオスは暗黒から生まれて、相戦っている。そして、前者は神を六柱作り、第一が好意(eujnoiva)、第二が真理(ajlhqeiva)、第三が秩序(eujnomiva)、そして残りは知恵(sofiva)、富(plouvtoV)、最後に美しいものゆえ感じる快(hJduvV)、の創造者である。後者が作ったのは、これらにいわば括抗するもので、数もおなじだけあった。

 それから、ホーロマゼースは自分を三倍に拡大すると、太陽が大地から離れているのとおなじ距離だけ太陽から離れ、天空を星で飾った。また、すべての星より前に星ひとつを、いわば見張りや物見役のような位置に置き、これがシリウス星(seivrioV)である。

 そして、そのほか二四柱の神を作って、一箇の卵のなかへ入れた。しかし、アレイマニオスから生まれてこれも数は前者の諸神とおなじなのが、この卵へ穴を開けて……(欠)……、ここから悪いものが善いものと混ざり合った。しかし、つづいて宿命の時が来て、その時アレイマニオスは悪疫と飢饉を連れこみ、このふたつのおかげで自分がいやおうなく完全に亡び去り消滅した。大地は平らで高低もなかったので、人間は誰もが幸せでおなじ言語を話すまま、ひとつの暮し、ひとつの国制を作った。

 テオポンポス(fr. 65 FGrHist.)によると、マゴスたちの説では三千年の間(最初の)二柱の神が順次支配を行ったり受けたりし、もうひとつの三千年の間になると相争い戦って、一方が相手方のものを消滅させたあげく、結局、冥界神ハイデースが後に残った。そして、人間たちは食料に不足せず影を作ることもないまま幸せになり、(ホーロマゼース)神の方はこの状況を案出し終えると、〔神にとってはまさしく〕しばらくの間休み憩って、それが、人間たちにとっては、眠りに入っているのにちょうどよいくらいの間であった。

 マゴスたちの神話風な説明は以上のような次第であった。

ズルヴァーン教

aion.jpg さて、第47節を読んでみると、プルータルコスが記述している宗教とはいかなるものかが判明するであろう。これにより、その宗教がマズダー教に近いか遠いかという問題は取り上げて論じるべきものではなくなる。オフルマズドとアフリマンが対等に敬われ、等しい力を具え、互いに並行して創造の業を発揮し、そして闘争においてすら相等しい力で戦うとされている。このことは、もはやどちらの神が優先しているとか、優位に立っているとかではなくて、オフルマズドとアフリマンは対をなす神であって、しかも力においてもまったく同等という構造について考察することで初めて理解可能となろう。この構造こそズルヴァーン教の名前で知られている宗教にほかならない。ズルヴァーン教においては、「無限なる時間」すなわちアヴェスター語で言う〈ズルワーン・アカラナ〉が至高なる存在であり、この神がオフルマズドとアフリマンを生むとされている。(バンヴェニスト、p.65-66)

 アケメネス、アルサケス、ササン朝という三つのイラン系民族の帝国支配は広大な地域に及んだから、地域ごとにさまざまな信仰の潮流が存在した。元来セム系文化に属するメソポタミアやシリアを除外して、イラン系の民族の枠内に限っても、西部イラン、すなわち、かつてのメディア帝国の領域からアルメニア、小アジアにかけて、古来からズルヴァン信仰が根を張っていて、やがてミトラ神信仰(密儀)とも習合した。その担い手は元来メディア帝国内の祭司部族であったマギ(Magi)たちであり、彼らはゾロアスター教の西漸に抵抗した。彼らが奉じる至高神「ズルヴァン」とは、アヴェスター語で(無窮の)「時間」あるいは「空間」を意味し、ギリシア語の「アイオーン」に対応する〔左上図〕。ズルヴァン信仰によれば、この神は善と悪、光と闇、男性性と女性性を同時に含み、アフラ・マズダーとアングラ・マインユ両者の父でもある。特にこの最後の観念は、ボイス(……)によれは、マギたちが西漸してきたゾロアスター教に直面したとき、アヴェスターのヤスナ書30_3がこれら二つの原初の霊を「双生児」と述べていることを捉えて、これら二霊の上位にズルヴァン神を生みの親として、同時に宇宙万物の宿命を定める神として置くことで始まった。このようなゾロアスター教とズルヴァン教の習合がすでにアケメネス朝時代に起きたことの痕跡とされるのは、アテネのプラトン学派の最後の学頭であったダマスキウスがエウデーモス・ロディウス(前四世紀後半)のものとして伝える文言、「マギたちとすべてのアーリヤ人たちは、エウデーモスも書いている通り、この知性を備えた全的存在を空間あるいは時間と呼んでいる」(……)、および「後期アヴェスター」の一書『ヴェンディダート』のXIX, 9, 13, 16, 29(……)である。

 同じ習合の痕跡はアルサケス朝とササン朝になるにつれて質と量を増してゆく。アルサケス朝期の痕跡としてよく引き合いに出されるのはプルータルコス (後五〇頃−二一〇頃)『インスとオシリス』四六−四七章であるが、この記事にズルヴァン教の影響を認めるべきかどうかについては、肯定的(E・バンヴェニスト、H・S・ナイベルク、ウィデングレン)と否定的(F・キュモン、R・C・ツェーナー)な見解が分かれている(……)。<……>

 ササン朝時代になると、ゾロアスター教とズルヴァン教の習合の痕跡はさらに濃密になる。<……>
 (大貫隆「ゾロアスター教とマニ教」、『グノーシス 陰の精神史』岩波、2001.9.所収)

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