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原始キリスト教の世界

シビュラの託宣・序




[解説]

 シビュラ(Sibylla)という語源の不確かな単語は、最初に、ヘラクレイトス(DK22B92)に現れ、5世紀ころ、固有名詞として使用された(例えば、Ar. Pax. 1095, 1116)。特定の神託は、4世紀の出来事に関連して現れるが、これはエウポロスによってシビュラに帰せられている。

 もともと、シビュラは、単独の女予言者であったらしいが、ポントスのヘラクレイデスのころ(fr. 130-41, Wehrli)までには、多くの場所が、シビュラの出生地であると主張した。そして、シビュラの数に関する伝説が堂々めぐりをはじめ、循環し始め、この語は固有名詞ではなくて一般名詞となった。

 多くのシビュラの目録があるが、最も重要なものは、ウァローの『Res Divinae』におさめられたもので、それは10人を挙げている。 (I) ペルシア女。 (2) リビア女。 (3) デルポイの女。 (4) (イタリアの)キメリア女。 (5) エリュトライ女(名前はHerophile)。 (6) サモス女。 (7)キューメー〔クマエ〕女。 (8) ヘレスポントス女。 (9) フリギア女。(10) ティブル女。 他の情報源は、エジプト女、サルディス女、ヘブライ女、およびテッサリア女(Rzach、RE)に言及している。

 異なった伝説の最も重要な議論は、シビュラの地方的なつながりを強調するが、これはパウサニアス(10, 12)によってされる。 エリュトライ出土の碑文は、理論的にHerophileの出生地を示すSibylと神聖な木立に犠牲を記録する(I. Eryth u. Klaz;. 207; 224)。地方的なシビュラを記念しているコインが、エリュトライ、キューメー〔クマエ〕、ゴルギスから出土している。

 シビュラの神憑りの特質は、さまざまに報告されている。ウェルギリウスは、アポッローンの霊感のもとで神来状態となって預言するクマエのシビュラについて有名な記述を提供しているが、エリュトライの文献や、トラレスのプレゴーン、プルタルコス、そして、パウサニアスは、シビュラが自身の霊感のものとで発言していると、明確に述べている。シビュラの託宣の現存する集成によって供給されたシビュラの霊感の証拠は矛盾している(Potter, l8l)。

 紀元後4世紀まで、 形式は一貫している。つまり、現存するほとんど唯一の文献はギリシア語の六歩格詩である。 ギリシア語テキストのラテン語訳、あるいは、いくつかはおそらくはもともとラテン語であった原典の年代は、紀元後4世紀、ないしそれ以降に求められるティブル人シビュラの散文の託宣である(ラテン語、アラビア語、古フランス語に訳され、l2世紀に至る)。

 地中海世界でのシビュラに対する広範な関心は、たぶん、シビュラとローマとのつながりに由来し、その時期は、遅くとも前5世紀までさかのぼる(Dion. Hal. Ant. Rom. 6. 17)。伝説では、集成は、最初、タルクイニウス・プリスクスの治世にローマにもたらされた、彼はクマエのシビュラから3巻本を買い、それらを聖職者の大学の管理下に置いて、元老院の命令があるときのみ調べられることになった。元老院はまた、大学の検査の後、国家の集成に新しいを追加するよう決議することができた。この収集はカピトリヌ・ユピテルの寺院に納められたが、ここは紀元前83年のカピトル炎上の際に破壊された。この後、元老院は、様々な場所から集めるように3つの委員会を任命した。その後、アウグストゥスは、パラティノスのアポッローン神殿にこの収集を移した。

 これらの本(これには時々追加がなされた)が最後に相談されたのは、西暦363年(Amm. Marc 23. 1. 7)であったが、スチリコの時代に破壊された(Rut. Namat. 2. 52)。この本は危機の時代に元老院の命令で参照された。その実際の例は、トラレスのプレゴーンによって保存されていて、神託が問題の提示を含み、様々な療法があとに続いたことを示唆している(FGrH 257)。 ローマの貴族階級の手になるラテン語のシビュラのテキストは、体裁は大いに異なるが、西暦536/7年に参照された(Procop. Goth. 1. 24)。

 シビュラとローマとの親密な関係は、キリスト教徒に求めるのが自然な選択である。彼らの信仰の真実の証拠を、異教的な源泉に求めた。最初の現れは、『ヘルマスの牧人』の幻視にある。御教的な伝統の発展とともに、彼女はより多くの頻度で現れ始める(Park, 152-73)。ウェルギリウスの『牧歌』第4は、事実、クマエのシビュラに霊感を受け、キリスト教文学と芸術においていちじるしく重要な地位にシビュラを押し上げるこの関心と結びついている。

 シビュラの託宣の2つの収集が、古代後期から伝存している。ひとつは紀元後5世紀末にさかのぼる。もうひとつは、7世紀、アラブ人によるエジプト征服後の時期にさかのぼる。前者は第1巻から第8巻までのテキストを含む。後者は、第11巻から14巻までの神託を含む。

 これらの収集における材料は非常に多様である。あるものははっきりとキリスト教的であり、他の行文はほとんど確実にユダヤ的である。通路がほぼ確実にユダヤ人であり、さらに他の材料は異教的である。内容は都市と民族に関する悲哀のクリスチャンの主義と予測からローマ歴史と予言的な伝記まで及ぶ。
Ed. J. Geffcken (1902);
H. W. Parke, Sibyls and Sibylline Prophecy (1989);
D. S. Potter, Prophrts and Emperors (1994);
A. Momigliano, Ottavo Contributo (1987), 349 ff. (in English)
(O. C. D.)。




[底本]
TLG 1551
ORACULA SIBYLLINA
(2 B.C.-A.D. 4)
1 1
1551 001
Oracula, ed. J. Geffcken, Die Oracula Sibyllina [Die
griechischen christlichen Schriftsteller
8. Leipzig: Hinrichs, 1902]:
1-226.
5
(Cod: 29,475: Orac.)




[翻訳]
『聖書外典偽典』3(教文館、1975.9.)p.141-p.203(柴田有訳)〔断片と、巻3〜巻5〕
『聖書外典偽典』6(教文館、1976.2.)p.319-p.356(佐竹明訳)〔巻1・巻2、巻6〜巻8〕
Alfons Kurfess, Sibyllinische Weissagungen, 1951.




"P".1

 ギリシア人〔異教徒〕の書を読むことにいそしむことが、その遂行者たちに多大な利益をもたらす — その実行者たちを博識にすることができるからであるが — としたら、まして神的な書 — 神と、魂の益をもたらすものらとについて明らかにする — には、よく知慮する者たちは常時従事するのがますますふさわしい。それによって利得は二倍 — それ自体の得になるとともに読者を益することもできる — である。それゆえわたしも、別名シビュラの託宣 — ばらばらに見出され、これらの読み(ajnavgnwsiV)と知識(ejpivgnwsiV)とがごちゃ混ぜになっている — を、ロゴスの連関と調和に向けて抜粋にするのがよいと思われた。そうすれば、読者にとって見やすく、少なからざる必然事や託宣を明らかにして、これから得られる益をこの人たちに伝えることができようし、この仕事をより価値あり、多彩なものにできよう。というのも、父と子と聖霊について、つまり神的にして生き物を支配する三位について、明白に説明しているからである — 主と神と、わたしたちの救主イエスゥス・クリストスの肉をまとった計画(oijkonomiva)、わたしが謂うように、処女からの変わることなき誕生、死者からの3日目のよみがえり、将来起こる審きと、この生の最中に万人が行ったことへの応報。かてて加えて、モーゼの書や預言者たちの書物の中で明らかにされている事柄 — 世界の創造、人間の形成、楽園からの転落、そしてつくりなおしについて、はっきりと述べている。何が起こったのかについて、あるいはまた、おそらく〔何が〕将来起こるかについて、多彩に予告している。単純に云えば、読む者たちに少なからず益することができるのである。

 シビュラとは、ラテン語で女預言者ないし"P".30 女占い師を意味する。ここから、女性の占い師たちは一つの名で呼ばれ、だからシビュラとは、多くの人たちが書いているように、さまざまな時代と場所に現れ、その数は十人である。一人目は、カルデア女、あるいはペルシア女で、固有名詞ではいわゆるサムベーテーで、最も浄福なノアの世代に生まれ、マケドニアのアレクサンドロス時代のことを預言したと言われる女性である。この女性に言及しているのはアレクサンドロスの伝記を書いたニカノールである。二人目はリビア女で、これの言及をしているのは、エウリピデースが『ラミア』の序の中においてである。三人目はデルポイに生まれたデルポイ女で、この女性については、クリュシッポスが『神性に関する書』の中でふれている。四人目はイタリアのキメリアのイタリア女で、彼女の"P".40 息子が、ローマにあるパーン神殿、いわゆるルペルキオンを建てたエウアンドロスであった。五人目は、トロイ戦争についても預言したエリュトライ女で、この女性についてはエリュトライのアポッロドーロスが確証している。六人目はサモス女で、固有名詞でピュトーと呼ばれた女、彼女についてはエラトステネースが書き記している。七人目はキューメー女で、アマルテイア、あるいはエロピレーとも、一部の人たちの間ではタラクサンドラとも言われる女性である。ウェリギリウスはキューメーのデーイポベーを、グラウコスの娘と呼ぶ。八番目はヘレスポントス女で、小都ゲルギティオン近郊マルメッソス村生まれ、〔この村は〕かつてソローンとキュロスの時代まで、トロイアの辺境に属していたと、ポントスのヘーラクレイデースが書いている。九番目はフルギア女。"P".50 十番目はティーブル女で名はアブゥナイアである。

 言い伝えでは、キューメー女は、自分の託宣の9巻を、当時ローマの政事を王支配していたタルクイヌス・プリスコスのところに持ち込み、その代価に300ピリッポス金貨を要求した。しかしばかにされ、その内容が何かさえ問われなかったので、そのうちの3巻を火中に投じた。王の別の謁見の際に、〔残りの〕6巻をまたもや持ち込んで、同じ金額を要求した。しかし預言(lovgoV)の真価を認められなかったので、またもやさらに3巻を焼き捨てた。次いで3回目に参上して、残りの3巻を携え、同じ代価を要求し、もし受け取らないなら、これも焼き捨てると言った。"P".60 このとき、言い伝えでは、王はそれを読み、驚いて、その代価に100ピリッポス金貨を払い、これを手に入れ、自余のものらも欲しがった。しかし、彼女は告げた — 焼き捨てられたものと同じものは持っていないし、神来状態になることなしに、何かこういうことを知ることはない。しかし、幾度となく、さまざまな都市、さまざまな地方の人たちは、自分にとっての必然事や有益なことを、これの中から取り出し、集めなければならず、現にそれを実行してきた。なぜなら、神から与えられたものは、真に内奥にあるように、気づかれることがないからである。しかし、シビュラたち全員の書物は、古いローマのカピトーリーヌスに保管され、〔このうち〕キューメー女によって隠されたものは、"P".70 多衆に伝えられることはなかった。イタリアに何が起こるか、個別に、あまりにあからさまに、口に出したからである。が、その他のものは、万人に知られた。とはいえ、エリュトライ女によってあらかじめ書かれたものは、その地方から彼女に添え名として与えられた名称を持っている。しかしその他のものは、どの〔預言〕がどの〔シビュラの〕ものか、書き添えられることがなく、判別できない内容にしたのである。

 さて、フィルミアヌス〔ラクタンティウス〕は、驚嘆措く能わざる哲学者にして、上述のカピトーリーヌスの神官だったが、われわれの永遠の光、クリストスを見つめ、言い表しがたい思念についてシビュラたちによって述べられたことを、自分の労作の中に引き、ギリシア人〔異教徒〕の迷妄の不合理性に力強く反駁を加えた。そうして、自分の説明は"P".80 アウソニア〔ラテン〕語で強調され、他方、シビュラの詩句の方は、ギリシア語で引用された。それは信じざるべからざるものに見えるので、先に言及された人の証拠として、以下の仕方を有することをわたしは提示しよう。〔…欠損…〕。さて、われわれのもとで見出されるシビュラの〔書〕は、理性によって通じやすいものとして、ギリシア人〔異教徒〕たちによって軽蔑されている — 希有なものが価値あるものと思われているから — のみならず、詩句はいずれも韻律の厳密さを保ってもおらず、それだけますます性急な信仰をもっている。しかし、その責任は、言葉の速度に合わせる速記者たち、あるいはまた教養のない速記者たちにあるのではなく、女預言者にあるのでもない。なぜなら、霊感(ejpipnoiva)と同時に、言われている事柄の記憶は消え失せるからである。このことにはプラトーンも"P".90 注目して謂っている。「自分が何を言っているのか何も知らずに、彼らは多くの大きなことどもをうまくやりとげるだろう」と〔Men. 99d〕。だから、われわれは、長老の女たちによって、ローマにもたらされたことの中から、〔……〕可能なだけを、わたしは引用しよう〔……〕ところでシビュラは、無始の神について以下のことを説いた。

神は一人、彼のみが支配したもうかたにして、巨大なるもの、不生者。 —
いや、神のみが唯一者、すべてに超絶せる者、
天、太陽、星辰、あるいは月、
稔りをもたらす大地と、海洋の水の浪をつくったかた。
彼のみが、神すなわち創造者として、征服されざるかた。
みずから物言う者らの姿の型を確定し、
"P".100
みずから万物の自然を混ぜ合わせて、生き物の生みの親となられた。

 いうところの意味は、〔アダムと、その脇腹の骨からつくられたエヴァとが〕結合して、父〔親〕というひとつの肉になったということ、あるいは、相反する四つの元素から上天の世界も人間をも創造なさった、ということにほかならない。

2010.07.03. 訳了。

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