アントーニオス伝(1/2)
原始キリスト教世界
アントーニオス伝(2/2)
アレクサンドレイアのアタナシオス
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The Temptation of St. Anthony
1945
Max Ernst
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1.以上のことどもをアントーニオスが対話したので、みな喜んだ。そうして、ある者たちの徳の恋情は増大し、ある者たちの軽視は励まされ、他の人たちの想見(oi[hsiV)は終熄した。また、万人は悪魔的な策謀を軽蔑することを納得した、霊の判別のために主からアントーニオスに授けられた恩寵に驚嘆したからである。2.かくて山中の修道院は、神的な合唱隊、つまり、詠唱する者たち、学問を愛する者たち、断食する者たち、祈る者たち、将来の希望に歓喜雀躍する者たちや、施しをするために働く者たち、お互いへの歓愛と協和を有する者たちに満たされた天幕のようになった。3.そうして、その地自体が、神の礼拝と正義の地のようなものと真に見ることができた。4.というのは、そこに不正される者はなく、徴税人の非難もなく、あるのは修行者たちの大衆、万人のひとつの思いは徳に至ることだったからである。したがって、修道院と、隠修士たちのこのような秩序を目にした者は、再び大声で叫んでこう云うほどであった。《何と美しいことか、イアコーボスよ、あなたの家は。イスラエールよ、あなたの天幕は。それらは蔭を落としている谷間のよう、川のほとりにある庭園のよう、主が設営された天幕のよう、水辺の杉の木のよう》〔Nu 24:5-6〕。
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1.しかしながら、彼自身はいつもどおり自分ひとり自分の修道院に隠遁し、修行を強化し、天の住まいに思いを致し、これを渇望し、かつ、人間どもの日々の生を注視しては、日々嘆息した。2.というのも、食べたり眠ったり、身体のその他の必要のためにしようとしては、魂の可考的部分を思量して、羞じたからである。3.実際、数多くの他の隠修士たちと食事を摂ろうとするとき、霊的な糧を思い起こし、容赦を請うて彼らから遠く離れることしばしばであった、食べているところを他の人たちに目撃されては、赤面すべきことと考えたからである。4.しかしながら、身体の必然のせいで自分ひとりで食事したが、兄弟たちと共にすることもしばしばであった、それらの理由で羞じはしたが、益を成就する言葉に素直になって。5.そうして言うを常とした、あらゆる暇を、身体によりはむしろ魂に与え、身体には必需ゆえにわずかな時を許すが、全体は魂に専心し、その利益を求めるべきである、と。6.これ〔魂〕が身体の諸々の快楽によって引きずり降ろされず、むしろ身体がそれのもとに隷従するためである。7.というのは、これこそ救主から言われたことである、《何を喰おうかと魂のために思い煩うな、何を着ようかと身体のために〔思い煩うこと〕もするな。汝らもまた、何を喰い、何を飲もうかと求めるな、また騒ぎ立てるな。これらはすべてこの世の族民が求めるものである。汝らの父、汝らがこれらをすべてを必要とすることを知っていられる。むしろ彼の王国を求めよ、そうすれば、これらすべては汝らに加えられよう》〔Luc 12:22, 29-31, Mat 6:25, 31-34〕。
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1.その後、マクシミノス治世〔286-305〕に生じた迫害が教会を見舞った。そうして、聖なる殉教者たちがアレクサンドレイアに連行されたとき、彼自身もついていった、修道院を捨て、こう言って、「われわれは行こう、召命されて競い合うために、あるいは、競い合う人たちを観戦するために」。2.そうして、殉教する渇望をいだいていた。が、自分自身を引き渡すことは拒み、鉱山や牢獄にある告白者たちに奉仕した。また、法廷において彼にとって懸命になったのは、召命されて競い合う人たちを心意気へと奮いたたせ、当の殉教者たちを、その最期まで迎え、送り出すことであった。3.いずれにせよ裁判官は、彼と、彼とともなる人たちの、このことへの懸命さの恐れなさを眺めて、隠修士たちの誰ひとり裁判所に現れるべからず、都市内で過ごすことも断じてもならぬと布告した。4.それで、他の人たちはみな、その日に隠れるのがよいと思った。しかしアントーニオスは、じっくりと熟慮したあげく、上着を綺麗さっぱり洗濯し、次の日、前の高台に立ち、覇権者にあからさまに姿を見せた。5.そこで、誰しもがこのことに驚嘆し、嚮導者も目撃して、彼の行為の後で渡って来たが、彼自身は恐れおののくことなく立ち続け、わたしたちキリスト教徒の心意気を示したのである。6.というのは、先に云ったように、彼自身も殉教することを祈っていた。だから、彼自身は、殉教しなかったことを苦悩している人に似ていた。だが主は、われわれの益と他者たちの益とのために彼をお守りになった、それは、自分が〔聖〕書から学んできた修行においても、多衆にとっての教師となるためであった。7.というのも、彼の生き方を注視するだけで、彼の生活態度の景仰者となることに懸命となった。かくて、再び、いつもどおり告白者たちに奉仕し、この人たちの同囚者としてその奉仕に尽力した。
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1.だが、間もなく迫害が終熄し、故〔=浄福者〕司教ペトロス〔アレクサンドレイアの司教(在位c.300-311年)。司教叙階後まもなく311年11月24日に殉教〕が殉教してから、帰郷し、再び修道院に隠棲し、そこで日々、良心による殉教者、信仰の褒賞を競う者となった。というのも、数々の、懸命の修行にいそしんだからである。2.例えば、絶えず断食し、衣服はといえば、内側は山羊の毛、外側は獣皮であった。このことは最期まで守り通し、汚れたからと身体を水で沐浴することもなく、足を洗ったり、やむを得ない場合がないかぎり、これを単に水に浸けることさえ全然なかった。3.いや、彼が裸になるのを目撃した者もなく、アントーニオスの裸体を目にした者もなかった、ただし、命終して埋葬されたときは別である。
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1.そういう次第で、彼は隠棲し、長らく時を過ごすことを決心していたので、自分が出かけることも、誰かを迎え入れることもなかったが、軍の長官で、マルティニアノスなる者がやって来て、アントーニオスを悩ませた。というのは、ダイモーンに悩まされた娘を持っていたのだ。2.それで彼は長い間扉を叩き、出て来て、娘子のために神に祈ってくれるよう要請しつづけたときに、開くことを承知しなかったが、上から覗いて、云った。「そこのかた、どうしてわたしに向かって喚き倒すのか。わたしのあなたと同様の人間だ〔Cf. Act 14:15〕。で、わたしが仕えるクリストスをあなたが信ずるなら、帰りなされ、そうしてあなたが信ずるままに神に祈りなされ、そうすれば成就するだろう」。3.そこでその人はすぐに信じて、クリストスを呼ばわりつつ立ち去った、ダイモーンから浄められた娘を得たからである。他にも数多くのことを彼を通して、こう言った主は実行なさった。《乞い求めよ、そうすればあなた方に与えられよう》〔Luc 11:9〕。4.というのは、受難者たちの大多数が、彼は扉を開けなかったけれど、修道院の外に坐っているだけで、真正に信仰し祈ることで、浄められたのである。
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1.しかし、多衆によって自分が煩わされるのを知ったが、望みどおりに隠棲するという考えを捨てず、主が自分を通して実行なさることから、あるいは自分が威張ったり、あるいは他の誰かが自分について過分に思量することのないよう用心して、考察して、上テーバイスの、彼を知らない人たちのもとに上るために出発した。そしてすでに兄弟たちからパンを受け取り、河の土手に坐って、はたして便船が通りかかり、上船して彼ら〔乗船者たち〕とともに上れるかどうか観察していた。2.ところが、彼がこのことを観察しているとき、ある声が上方から彼に向けて起こった、「アントーニオスよ、どこへ行くのか、また、何故に」。3.しかし彼は狼狽することなく、しばしばそういうふうに呼ばれることに慣れていたので、耳を傾けてこう言って答えた、「平穏にすることを群衆がわたしに許さないので、それで、ここの人たちが引き起こす数々の煩わしさゆえに、とりわけ、わたしの能力に余ることが彼らからわたしが要求されるゆえ、上テーバイスに上りたいのです。4.すると〔声〕が彼に向かって謂った、「たとえテーバイスに上ろうとも、そなたの思案どおりに、ブゥコリア〔ナイル河口のひとつ〕に下ろうとも、より多くの倍する疲弊をそなたは忍ばねばならぬ。そこで、本当に平穏でいる気なら、今、奥深い沙漠に隠遁するがよい」。5.だが、アントーニオスが、「いったい誰がわたしにその道を示してくれるでしょう。わたしはそれに無経験なのですから」と言うと、すぐに、その道を道行こうとしているサラセン人たちを彼に示した。6.そういう次第で、アントーニオスはそばに行って、彼らに近づいて、彼らといっしょに沙漠に去りゆくことを要請した。すると彼らは、摂理の指令があったかのように、熱心に彼を迎え入れた。7.そうして3日3晩、彼らと同道し、非常に高い山に到着した。山裾には水もこのうえなく澄み、甘く、非常に冷たかった。外には平地があり、世話されないナツメヤシがわずかにあった。
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1.かくしてアントーニオスは、神から衝き動かされたように、この場所を歓愛した。これこそ、河の土手で彼に喋りかけた方が前兆を与えられたところであった。2.かくして、初めは、同道した者たちからパンを受け取ったが、誰ひとり他者が共住することなく、彼ひとりで山にとどまった。というのは、その場所を以後、自分の家だという認識を持っていたからである。3.また、当のサラセン人たちは、アントーニオスの熱意を観察して、わざわざその道を遠回りして、喜んで彼にパンを運んでいた。4.しかし、ナツメヤシからも、ほんのわずかな、弱々しい慰めを得ることもあった。しかしその後は、兄弟たちがその場所を聞き知って、父親を思い出した子どもたちのように、彼に送り届けるよう配慮した。5.しかしながらアントーニオスは、パンのために労をとり、厄介を忍ぶ人がいることを見て、そのことでも隠修士たちなしですますため、自立を望み、来訪する人たちの幾人かに、鋤と斧とわずかの種を自分に運んでくれるよう要請した。6.で、それらが運ばれてくるや、山のまわりの大地を歩きまわり、ごくわずかな適当な場所を見つけ、耕した。そうして灌漑用水を惜しみなく持って、播種した。そうして毎年それを実行して、そこからパンを入手し、そのことで誰をも煩わせないこと、誰にも面倒をかけないようにすることを喜んだ。7.しかしながら、その後、またもや何人かの出入りする人たちを注視して、ごくわずかな野菜を栽培した。出入りする人が、あの困難な道中の苦労にほんのわずかな慰めを得るためである。8.ところが、最初は、沙漠の獣が、水を口実にやってきて、彼の種子や畑を害することしばしばであった。9.そこで彼は、獣たちの1頭をやさしく捕まえると、みなに言った、「何ゆえわしを害するのか、わしは何ひとつおまえたちを害していないのに。立ち去れ、そして主の御名によって、もはやここに近づくな」。すると、その時からこのかた、接近を恐れるかのように、もはやその場所に近づくことはなかった。
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1.かくて彼自身は独り山中にいて、祈りや修行に忙しくしていた。出入りする兄弟は彼に要請し、数ヶ月間隔で仕え、オリーブの実や豆やオリーブ油を彼に運んだ。というのは、彼はもはや老人であったからだ。2.そういう次第で、そこで暮らしながら、書かれているとおり〔Eph 6:12〕、血と肉に対するものではなく、対峙するダイモーンたちに対する、どれほどの格闘を持ちこたえたかを、彼のもとに出入りした人たちからわれわれは知っている。3.というのも、そこでも騒音や数多くの音声や武具のぶつかる音を彼らは耳にし、山も、夜間、火花に満たされるのを目撃した。さらに彼が、目撃されるものらを相手にするかのように戦い、やつらに対して祈っているのも彼らはまのあたりにした。4.そうして、自分のところに出入りする者たちは励まし、自分は膝をかがめ、神に祈りつつ競い合った。5.しかし真に驚嘆に値するのは、このような荒れ野に独りありながら、襲来するダイモーンたちに怯えることもなく、そこにいるあれほど数多くの獣たち、四足獣や爬虫類といったものらの野蛮さを恐れることもなかったということである。いや、真実、書かれているとおり、シオーンの山のように主に依り頼み、揺るがず、波に洗い流されることのない理性を保持していた〔Ps 125:1〕。その結果、ダイモーンたちや野生の獣たちはますます持って逃げ出し、書かれているとおり〔Cf. Job 5:23〕、彼と平和を保ったのである。
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1.そこで,悪魔はといえば、ダビドが詠唱しているように、アントーニオスを窺い、彼に対して歯軋りした〔Cf. Ps 35:16〕。アントーニオスの方は、救い主から励まされ、あやつの奸智と多彩な奸策から無害のままとどまった。2.とはいえ、夜、眠らずにいた彼に獣が触れさえした。そうしてあの荒野にいるほとんどすべてのハイエナどもが、巣窟から出てきて、彼を取り囲み、真ん中が彼であった。さらに各々が口を開け、咬もうと脅したとき、敵の術を悟って、連中すべてに云った、「おまえたちがわたしに対する専権を持っているなら、おまえたちから貪られる用意がある。しかし、おまえたちがダイモーンたちにそそのかされたのなら、ぐずぐずせずに、引き下がるがよい。わしはクリストスの僕なのだから」。アントーニオスがこう言うと、やつらは逃げ去った、まるで言葉の笞に追い払われたように。
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1.それから数日後、彼が働いているとき(というのは、勤労も彼の関心事であったから)、あるものが扉のところにやって来て、製作中の縄を引っ張った。というのは、彼は籠を編み、これを、出入りする者たちに、自分に運んでくれる代わりに与えていたからである。2.そこで立ち上がって、獣を目にした、それは腿までは人間に似ていたが、下脚と足先は驢馬に似たのを有していた。そこでアントーニオスは、自分自身にだけ十字を切って、云った。「わしはクリストスの僕だ。わしに対して派遣されたのなら、見よ、わしはここにいる」。3.すると獣は、自分の手下のダイモーンたちもろとも逃げ去った様たるや、性急さのあまり転んで死んだほどである。で、獣の死は、ダイモーンたちの没落であった。というのは、連中はあらゆることを実行することに真剣だったのは、彼を荒野から引きずり降ろそうとしたが、その力がなかったからである。
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1.あるときのこと、隠修士たちから、自分たちのところに下向し、しばらくぶりに自分たちと場所場所を監督するよう要請され、弟子の隠修士たちとともに旅に出た。そこで駱駝が彼らのためにパンと水を運んだ。2.というのは、その荒野はどこにも水がなく、唯一あの山 そこから水も引き、彼の修道院もそこにあった を除けば、飲み水はまったくなかったからである。そういう次第で、道中に水が欠けており、炎熱はこのうえなく激しかったので、みなが危機に瀕した。3.というのは、あちこち歩きまわっても水を見つけられず、もはや歩きまわることもできず、地面に倒れてしまい、駱駝も、立ち去ることをこれに任せてしまった。4.しかし老人は、みなが危機にあるのを目にして、ひどく悲しみ、呻吟し、彼らから少し離れて、膝をついて両手を伸ばし、祈った。するとすぐに、彼が祈っていたところに、主が水をこしらえられた。5.実にこういうふうにして、全員が飲んで息を吹き返し、皮袋を〔水で〕満たし、駱駝を探して、見つけた。というのは、手綱がとある石に巻きつき、そのまま捕まえられていることになったからである。そういう次第で、連れて来て、水を飲ませ、これに皮袋を積んで、害されることなく道を進んだ。6.で、外にある修道院にやって来ると、全員が父親に会ったかのように抱擁した。彼自身もまた、山から物資を運んで来たかのように、彼らを言葉でもてなし、益に与らせた。7.山々に再び、喜びと、前進の景仰と、お互いの内なる信仰の励ましが起こった。8.また彼自身も喜んだのは、隠修士たちの熱意と、妹が処女のまま年老い、彼女も他の処女たちの嚮導者となっているのをまのあたりにしたからである。
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1.さて、数日後、再び山に入った。その時以降、多くの人たちが彼のもとに出入りし、他にも受苦する人たちが大胆にも出入りするようになった。2.そこで、自分のもとに出入りする隠修士たちには誰に向かってでも、この訓戒が絶えなかった、つまり、主を信じ、これを歓愛すること、汚れた想念や肉の快楽から自分たち自身を守ること、そして、『箴言』に書かれているとおり、《胃の飽満に欺かれてはならないこと》〔Pr 24:15〕。3.虚栄を逃れることと、絶えず祈ること、眠る前も眠った後も詠唱することと、〔聖〕書にある諸々の訓戒を心に繰り返すこと、聖徒たちの行いを憶えること、それは、魂が想起して、彼らに対する景仰を誡めによって訓練されるためである。4.とりわけ、使徒の言辞を絶えず気遣うよう忠告した。《あなたがたが怒っているうちに、太陽をして沈ましむるな》〔Eph 4:26〕。5.また次のことも、「あらゆる誡めに共通に述べられているとみなすこと、それは、怒っているだけでなく、わたしたちが他の罪にあるうちも、太陽が沈むようなことがないためである。というのは、美しく、かつ、必然なことだからである、太陽が日中の悪について、月が夜間の罪とか、あるいは総じて思いつきについて、わたしたちに有罪を宣告しないことが。6.そこで、このことがわれわれに生き残らされるよう、使徒のいうことに耳を傾け、守るのが美しい。というのは、彼〔使徒〕は謂っているからである、《自分たち自身を尋問し、自分たち自身を吟味せよ》〔2Col 13:5〕。7.されば、日々、日中の〔行い〕と夜間の行いの言葉〔弁明〕を、各人をして自分の心の中で求めしめよ。そうして、もしも罪を犯していたなら、やめしめよ。もしも罪を犯していないなら、傲らしめるな、むしろ、美しさにとどまりつづけしめ、ゆるかせにせしめず、隣人を有罪宣告することもなく、自分を義とせしめることもあってはならない、浄福な使徒パウロスが云ったごとく、主、つまり、隠れたことどもを探索なさる方が到来なさるまでは〔Cf. 1Col 4:5, Rom 2:16〕。8.というのは、われわれはしばしば、行っていることを、自分でも気づかないものだ。しかし、われわれは知らないが、主は万事を悟っておられる。だから、そのかたに裁きをゆだね、われわれはお互いに共に受苦し、お互いの重荷は担い、自分たち自身を尋問し、われわれが後れをとっているものらを補うことに懸命となろう。9.そして、この観察(parathvrhsiV)こそ、罪を犯さないことの安全のためであらしめよ。各人、行いと魂の動きとを、お互いに報告しあうかのように、わたしたちは徴をつけ、書き記そう。そうして元気を出せ、完全に知られていることを羞じるから、罪を犯すことを、要するに、何かつまらぬことに思いを致すことをわれわれはやめるであろうから。11.いったい誰が、罪を犯すところを目撃されたいであろうか。誰が、罪を犯して、気づかれまいと、むしろ虚言しないであろう。だから、お互いに目撃していれば、淫行しないように、そのように、想念をお互いに報告しあうように書き記すならば、知られることを羞じて、汚れた想念から自分たち自身を大いに守ることになろう。12.だから、われわれにとって文字をして、修行者仲間の肉眼の代わりたらしめよ、それは、目撃されるごとくに書き記すことに赤面して、つまらぬことなどに全然思いを致さないためである。13.そういうふうに自分たち自身を形成すれば、われわれは身体を隷従させ、主には嘉され、敵の策略は打ち倒すことができるだろう」。
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1.以上のことをば、通ってくる者たちに彼は訓戒した。受苦する者たちとは共に受苦し、共に祈った。また、多くのことにおいて主が彼のいうことを聞き入れられることしばしばであった。しかし、聞き入れられたからといって自慢することもなく、聞き入れられなかったからといって不平をかこつこともなく、彼自身はいつも主に感謝し、受苦する者たちには、気長に待つこと、癒しは自分にも総じて人間どもにもなくて、その気になるときに、望まれる人たちに実行なさる、神ひとりのものであることを知るよう励ました。2.そこで受苦する者たちは、この老人の言葉をも癒しとして受けとった、自分たちも軽んずることなく、むしろ気長に待つことを学んだからである。また、癒された人たちも、アントーニオスにではなく、主おひとりに感謝することを教えられた。
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1.例えば、プロントーンと呼ばれるひとりの男が、たまたま宮廷〔アレクサンドレイアのローマ総督の官邸〕の出身で、恐るべき受苦を得ていたので(というのは、自分の舌を蕩尽し?、両眼も損なわれかかっていたから)、山に入りこんで、自分のことを祈ってくれるようアントーニオスに要請した。2.そこで彼は祈ったうえで、プロントーンに言った、「立ち去りなされ、そうすればお癒しになる」。しかし相手は強引に数日間内にとどまったので、アントーニオスはしつこく言った、「ここにとどまっても癒されることはできない。出て行きなされ、そうすれば、エジプトに着く前に、そなたにあらわれる徴を見るであろう」。3.その者は信じて出て行った。そうしてエジプトをやっと目にし、受苦は止み、アントーニオスの言葉どおり、その人は健康になったが、それは〔アントーニオスが〕祈ったとき、救い主から聞き知った言葉であった。
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1.また、トリポリスのブゥシリス出身のある処女だが、恐るべき受苦とひどい痛ましさを有していた。というのは、彼女の涙と、分泌物と、耳からの液汁が地面に滴り落ちると、すぐに蛆になったのである。さらに身体も不随で、両眼も自然ではなかった。2.彼女の両親は、隠修士たちがアントーニオスのもとに出かけると聞き知り、娘を連れ立って彼らと同道することを要請した。3.彼らが承知したので、両親の方は娘子を連れて山の外、証聖者〔迫害を殉教しないで耐え抜いた者〕にして隠修士パプヌゥティオスのもとに滞在し、前者は、入っていって、ただ処女について報告しようとしたところ、彼自身が彼らの機先を制し、娘子の受苦と、どのようにして彼らと同道したかを説明した。4.次いで、この者たちが、あの者たちにも入ることを許可するよう要請したところ、これは許さなかったが、云った、「下がるがよい、そうすれば、もし亡くなっていなければ、彼女がすでに癒されたのを見出すだろう。というのは、いたましい人間であるわしの許にまでやって来たが、この成就はわしのものではな。いや、癒しは救い主、あらゆる場所においてその方に呼びかける人々のために、その目的を果たされるかたのものだから。5.そういう次第で主はあの〔娘〕の祈りにも頷かれ、わしにとっても、あの方の人間愛が明らかにしたのだ、娘子の受苦はあそこで癒すということを。実際、驚異が起こり、出て行った彼らは、両親が喜び、娘子がすでに健康になっているのを見出したのだった。
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1.また、ある兄弟たちのうちの二人が入ろうとしたが、道中に水がなく、一人は死に、もう一人は死に瀕した。かくて、もはや道行く力がなく、本人も地上に横たわり、死を待った。2.しかしアントーニオスが、山中に坐ったまま、二人の隠修士に(というのは、彼らはたまたまそこにいたのだが)声をかけ、こう言って急かせた、「水甕をとれ、エジプトに向かう道を走れ。3.というのは、二人がやって来ようとして、一人はすでに命終したが、もう一人は、そなたらが急がなければ、死に瀕している。というのは、祈っているわしに、今、このことが明かされたからじゃ」。4.そういう次第で、隠修士たちが出かけ、横たわっている屍体を見つけ埋葬し、もう一人は水で息を吹き返らせ、老人のもとに連れて来た。というのは、1日行程の距離があったからである。5.ところで、命終する前に他の一人をも見つけなかったのは何ゆえか、と詮索する者がいるなら、それを言って詮索するのは正しくない。なぜなら、死の判定はアントーニオスのすることではなく、神のなさることであり、〔神は〕あの者については判定し、この者については示し、啓示なさったのだ。6.唯一、アントーニオスの驚異とは、山中に坐したまま、素面の心臓と、遠くで起こったことを自分に示してくださる主を有していたことである。
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1.というのもまた、あるとき、山中に坐して見上げると、ある人が大気中に挙げられ、出迎える者たちの間におびただしい喜びが起こるのを目撃した。それで、驚嘆して、そういう合唱隊を浄福視し、それが何なのか聞き知ることを祈った。2.するとすぐに、「これはニトリアの隠修士アムゥンの魂だ」という声が彼に届いた。これこそ、老齢になるまで修道者としてとどまった人であった。3.しかし、ニトリアから、アントーニオスがいる山までの隔たりは、13日行程あった。そういう次第で、アントーニオスと共に在る者たちは、老人が驚嘆しているのを見て、聞き知ることを要請した。そうして、アムゥンが今しがた命終したことを聞いた。4.というのは、彼はそこに足しげく訪問し、彼を通して徴も数多くが行われたので、知己だったからである。その中のひとつが以下のことである。5.あるとき、リュコスと言われる河〔リュコポリス近くの運河〕を彼が徒渉する必要が生じたとき(当時は、水をたたえていたのだ)、自分に同道したテオドーロスに、自分から遠く離れているよう要請した、水を泳ぎ渡る際に、裸のところをお互い見ないためである。6.それで、テオドーロスは離れたが、やはり自分の裸を見るのも恥ずかしかった。そういう次第で、恥じ、思案していると、突然、対岸へと運び去られた。7.そこでテオドーロスは、当人も敬虔な人物であったのだが、近づいて、彼が先に着いて、しかも水に全然濡れていないのを目にして、徒渉の仕方を聞き知ることを要請した。8.しかし、彼が言うのを拒むのを目にするや、その両脚にしがみついて、彼から聞き知るまでは、けっして放しません」と言い張った。9.そういうわけで、アムゥンはテオドーロスの強情さを見て、とりわけ自分が云った言葉のせいでもあるので、自分の死まで誰にも言わないよう、彼もまた相手に要求し返した。そうして次のように報告した 自分は運ばれて対岸に置かれた、ただし、水上を歩いたのでもなく、そんなことは、主おひとり以外には、また、偉大な使徒ペトロスにそうなさったように〔Cf. Mat 14:28-29〕、ご自分がお許しになった者たち以外には、人間どもにはまったく不可能なことだ、と。10.だから、テオドーロスは、アムゥンの死後、このことを話したのだった。他方、アムゥンの死についてアントーニオスが云った相手の隠修士たちの方は、その日を書き留めておいた。そうして、30日後、ニトリアから兄弟たちが上ってきたとき、訊ねて、彼の魂が運び上げられるのを老人が見たその日、その刻限に、アムゥンが永眠したことを知った。11.そうして、これらの人たちもあれらの人たちも、10日行程のかなたで起こったことをたちどころに聞き知り、魂が挙げられるのをまのあたりにするほどの、アントーニオスの魂の清浄さに驚嘆したのであった。
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1.さらにまた長官アルケラオスも、あるとき、山の外に彼を見つけて、ラオディケイアの驚嘆すべきクリストス運びの少女ポリュクラテイアのためにただ祈ってくれるよう彼に要請した。2.というのは、その処女は過度の修行から、胃と脇とにひどく受苦し、身体全体が弱っていたのだ。3.そこでアントーニオスは祈った。長官の方は、祈りが行われた日を書き留めた。そうして、ラオディケイアに帰って、健康な処女を見出した。そこで、何時いかなる日に病弱が治ったのか訊ねると、祈りの時を書き記した紙片を差し出した。そうして聞き知ったうえで、自分もすぐに紙片にある文字を示した。そうして全員が確認して驚嘆したのである、アントーニオスが祈り、彼女について救い主の善を呼びかけたまさにそのときに、主は彼女の労苦をやめさせられたということに。
[62]
1.また自分のところに来訪する者たちについても、数日前に、またひと月前でさえ、なぜ来訪するのかという理由まで予言することしばしばであった。というのは、来訪するのは、ある者たちは彼に会うためだけであったが、ある人たちは病弱のゆえに、他の者たちはダイモーンたちに憑かれたせいであった。そうしてすべての人が、道中の辛労を苦労と考えず、損失とも考えなかった。というのは、各人は利益を感じて帰っていったからである。2.こういうことを目にし、こう言って要請した、こういったことで何人も彼を驚嘆しないよう、むしろ主に驚嘆するよう、人間すぎないわれわれに、ご自身を認識するよう可能なかぎり懇ろにしてくださったのだから、と。
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1.またあるとき、今度は外の修道院に下向していて、船に乗船して隠修士たちと共に祈るよう要請されたとき、彼ひとりは恐るべき悪臭とひどい刺激を感受した。2.しかし船中の人々は、船中に魚と塩漬けがあり、その臭いだと言ったが、彼だけは他の悪臭だと言った。なおも彼が言っているとき、ある若者が、船に先に乗って隠れていたダイモーンを持って、すぐに叫びだした。しかしダイモーンは、われわれの主イエスゥス・クリストスの御名に叱りつけられて、出て行った。すると、この人物は健康となり、悪臭はダイモーンのものだったと、みなが認めたのであった。
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1.他にも、著名な人たちのある人が、ダイモーンに憑かれて彼の許にやって来た。しかしそのダイモーンはあまりに恐るべきもので、アントーニオスのもとにいても、活動者が誰かわからないほどで、自分の身体の余剰部分にまで貪っていた。2.そこで彼を連れて来た者たちは、彼のために祈ってくれるようアントーニオスに懇願した。アントーニオスの方は、若者に同情し、祈り、夜も彼といっしょに眠らずにいた。3.しかし、若者は、夜明けころ突然アントーニオスに襲いかかり、彼を押し倒した。そこで、あの者を伴ってやって来た人たちが激怒したとき、アントーニオスは謂った。「若者に憤慨してはならない。なぜなら、彼は彼ではなく、彼の内なるダイモーンなのだから。4.というのは、彼は叱責され、水無き場所に行くよう命ぜられたので狂乱し、これをも為したのじゃから。だから、主を栄化しよう。というのは、わしに対してこのように彼が突進したのは、ダイモーンが出て行ったことの、あなたがたにとっての徴なのじゃから」。5.以上のことをアントーニオスが言うや、すぐに若者は健康となり、それ以降は正気になって、自分がどこにいるかを知って、神に感謝しつつ、老人を抱擁したのであった。
[65]
1.他にもこういった多くのことが、彼を通して調和的に、かつ、整然と生じたと、隠修士たちのたいていの人たちが述べ来たった。しかし、驚嘆すべきはこれだけではなく、その他のことはむしろもっと驚嘆すべきことのように見える。2.例えば、あるとき食事をしようとして、第9時ころ、祈るために立ち上がったとき、自分自身が掠われたように感じた。そうして、意想外なことだが、立ったまま、自分自身が自分の外にあるかのように、あるものらによって中空を道案内されているのを目にした。3.次いで、意地悪いな恐るべき連中が何人か中空に立っており、彼を妨害して通過かせまいとするのが。しかし道案内している者たちが応戦すると、連中が、自分たちに責務報告する義務があるのではないかと、言葉〔説明〕を求めた。4.そういう次第で、誕生以来の勘定を〔連中が〕決算しようとしたところ、アントーニオスを道案内する者たちが妨げて、連中に言った、「誕生のことは主が不問に付された。隠修士となって、神と約束したとき以来のことなら、計算に入れることが許されているとせよ」。5.このとき、連中は告訴したが吟味できず、彼に自由が生じ、道は無礙となった。そうしてすぐに、我に返り、自分自身のもとに立っているのを目にし、再び完全なアントーニオスにもどった。6.このとき、彼は喰らうことをば忘れ、その日の残りと、次の夜どうし、ずっと嘆息し祈りつづけた。というのは、われわれにとって格闘がどれほどのものであるか、また、どれほどの労苦を通してひとは空中を通過できるかを目にして、驚いたからである。7.そうして、使徒が、《中空の専権の支配者に従って〔歩んでいた〕》〔Eph 2:2〕と言ったのは、このことであると思い至ったのである。というのは、そこでは、敵が戦い、試みることで、通過しようとする者たちを妨害する専権を有している。8.それゆえまた特に〔パウロスは〕忠告するのである、《神の武具を執れ、邪悪な日に立つことができるために》〔Eph 6:13〕、《われわれに関していかなる悪口も言えなくなって》〔Tit 2:8〕、敵が恥じ入るように。わたしたちの方は、このことを聞き知って、使徒が言ったことを思い出したのである。《身体のままか、知らず、身体の外に出てのことなのか、知らず。神が知っておられる》〔2Col 12:2-4〕。9.しかしながら、パウロスは第3天まで掠われ、口にすべからざる言辞を聞いて降りてきたのであるが、アントーニオスは、自分自身が宙空まで達するのを目にしたうえで、自由になるまで競い合ったものと見られるのである。
[66]
1.さらにまた、以下のことも恩寵として彼は有してた。というのは、山中に独りで坐り、自分自身を熟考して何かで行き詰まる時には、祈る彼に摂理からそれが啓示されたのである。2.実際彼は、書かれているとおりに、神に教えを受けた浄福者であった〔Cf. Is 54:13, Jo 6:45, 1Thess 4:9〕。例えば、その後、彼のところに出入りしていたある人たちと、彼との間で、魂の在り方と、その後それ〔魂〕にとっていかなる場所があるかについて、対話がおこなわれたことがあった時、次の夜、ある者が彼を上方から呼んで、言った、「アントーニオスよ、立って外に出よ、そして見よ」。3.そういう次第で、外に出て(というのは、誰々に聞き従うべきか彼は知っていたから)見上げると、背の高い、無形の、恐るべき者が立って、雲までとどくように見える者と、有翼であるかのように昇って行くものらとを眺めた。そうして、あるものらはやつに邪魔され、あるものらは跳び越えて通り過ぎ、ついに無事に昇った。4.そこで、こういう者たちには、あの背の高い者は歯ぎしりするが、落下する連中には喜んだ。5.そうしてすぐにアントーニオスに向かって声があった。「目撃されていることを考えよ」。すると彼の精神が開かれたので、それが魂たちの移行であること、そうして、立っている背の高い者は敵であって、信仰者たちを嫉妬し、自分に依存する者たちは支配し、通過することを妨害するが、自分に説得されない者たちは、支配することができず、跳び越えて昇って行くのだと悟った。6.これを、思い出させられるかのように再度見たので、日々、目前にあることで前進するよう格闘した。7.しかし、以上のことは、彼本人が心ならずも報告したことである。祈りに時を過ごし、自分だけで驚嘆していたのだが、共住者たちが聞きただし、彼を疲弊させるので、言うことを余儀なくされたのである、父親がわが子たちに隠すことができず、8.次のように考えさえしたからである 自分の良心は清浄だが、この話はあの者たちにとっては利益となる、つまり、学ぶものたちにとって、修行の果実は善きものであり、幻視はしばしば労苦の慰めとなる、と。
[67]
1.また性格も、いかに辛抱強く、魂において謙遜であったことか。というのは、そういう人物であったから、教会の規範をこのうえなく尊重し、聖職者がみな尊敬の点で自分自身より優先されることを望んだ。2.というのは、司教たちや司祭たちに頭を下げることを恥としなかった。また助祭が、益を求めて彼のもとに通ってきて、益なることを対話した。しかし祈りのことは彼にゆだね、自分も学ぶことを恥としなかった。3.というのも、しばしば質問し、共住者たちから聞くことを要請した。そうして、誰かが何か有用なことを言った場合には、益されたと同意した。4.さらにまた、彼の顔は大いなる喜びを有していた。そうして、以下の意想外なことも、恩寵として救い主から得ていた。例えば、大勢の隠修士たちと居合わせて、ある人がこの人物を前もって知らないまま、会いたいと望む場合に、すぐに近づいて、その他の人たちは看過し、彼のもとに向かうさまは、あたかも、彼の外見によって引きつけられたかのごとくである。5.太の人たちと違っているのは、背の高さではなく、太っているからでもなく、性情の有様と魂の清浄さにおいてであった。6.というのは、魂が騒がしくないので、外面的な感覚をも混乱なきものとして有していたからである。あたかも、魂の歓喜から顔も快活さを有し、身体の動きからも魂の情態を感受し思考することは、書かれているとおりである、《心が晴朗なとき、顔を元気づける。苦痛にあるときには、陰鬱にする》〔Pr 15:13〕。7.そういうふうにして、イアコーボスは、ラバンが策謀に思いを致していることを認知し、女たち〔ラケルとレア〕に謂う、《そなたらの父親の顔は、昨日や一昨日のようでない》〔Ge 31:5〕と。8.そういうふうにして、サムゥエールはダビドを認知した。というのは、喜ばせる眼と、乳のように白い歯を有していたから。そういうふうにしてアントーニオスも認知された。というのは、彼の魂は凪いでいて、いつ動揺することがあろうか、あるいは、彼の精神は喜んでいるので、いつ憂鬱になることがあろうか。
[68]
1.また信仰の点でもまったく驚嘆すべき人にして敬虔な人であった。というのは、メレティオス分派と、連中の邪悪さと背教を初めから知っていたので、関与したこともなかった。マニ教徒や他の異教徒たちと、敬虔への移行の説諭まで以外には、親しく交際することもなかった。彼らの友愛と交わりを有害であり、魂の破滅であると考え、かつ、訓戒していたからである。2.実際そういうふうにして、アレイオス派の異端をも嫌悪し、彼らに近づくことも、彼らの悪しき信仰(kakopistiva)を持つこともないよう、みなにも訓戒していた。3.実際、あるとき、アレイオス派の何人かが彼のもとにやって来たのを、彼は問いただし、彼らが不敬なのを学び知って、山から追い出した、彼らの言葉は蛇よりも邪悪だと言ってである。
[69]
1.また、あるとき、アレイオス派の人々が、あの人は自分たちのことを心にかけていると虚言したことがあったので、聞いた彼は怒り、また驚いた。2.次いで、司教たちと兄弟たちみんなから呼ばれて、山から下りた〔337年ないし38年〕。そうしてアレクサンドレイアに入り、アレイオス派の人たちを絶縁した、これは極端な異端であり、アンティクリストスの先駈けをなすものであると言ってである。3.そして民衆に教えたのは、神の子は被造物にあらず、無から生じたのでもなく、父の実体の永遠なるロゴスにして知恵であるということであった。4.「それゆえまた、『存在しなかったときがあった』と言うのは不敬虔なことである。なぜなら、ロゴスは常に父とともに在ったのであるから。ここから、不敬虔なアレイオス派の人たちとはいかなる共有も持ってはならない。5.なぜなら、《光には闇に対していかなる共有もない》〔2Col 6:14〕からである。すなわち、あなたがたは敬虔なキリスト教徒であれ。しかしあの者たちは、父からうまれた息子、神のロゴスを被造物と言うのだから、族民たちと何らの違いもない、造物主である神ではなく、被造物に奉仕するのだから。6.そこで信じよ、被造物そのものがすべて彼らに憤慨し、造物主にして万物の主を、万物がそこにおいて生じたところ、これを生じたものらに算入するのだからである」。
[70]
1.かくて民衆は、キリストに敵対する異端が、このような人物から呪いを宣告されたのを聞いて、みなが喜んだ。他方、都市の人々はみな、アントーニオスを見ようと馳せ参じた。2.ギリシア人たち、ならびに、彼らの聖職者と言われる当人たちも、「神の人を見ることを要請する」と言って、主の〔家〕にやって来た。というのは、誰もが彼のことをそう呼んでいたからだ。というのも、そこでも主は彼を通して数多くの人たちをダイモーンから浄め、精神を害された者たちを癒した。3.さらには数多くのギリシア人たちまでが、せめて老人に触れることを要請した、益されると信じたからである。実際、あのわずかな日々の間に、数多くの人々がキリスト者になった、それはひとが1年間にそうなるのを目にするほどの数であった。4.次いで、一部の人たちは、彼が群衆にかき乱されると考え、それゆえ彼から全員を方向転換させようとしたが、当人はかき乱されることはなく、この者たちは、彼が山中で格闘したダイモーンたちより多くはない、と言った。
[71]
1.また、彼が旅に出るとき、われわれが彼を見送って、門まで来たとき、後ろからある婦人が叫んだ。「待ってください、神の人よ、わたしの娘がダイモーンのせいで恐ろしく悩まされています。待ってください、お願いです、さもないと、わたしまで走りまわりそうです」。2.老人は聞いて、また、われわれから要請もされて、快くとどまった。すると女が近づいて、少女は地面に横たえられた。そこでアントーニオスが祈り、クリストスの名を呼ぶと、少女は健康な者として目覚めた、不浄なダイモーンが出て行ったからである。3.母は神を祝福し、みな人も感謝した。また彼自身も喜んで旅立った、自分の家へのように、山へと。
[72]
1.彼はまた非常に思慮深い人であった。しかし驚くべきは、文字を学ばなかったにもかかわらず、抜け目なく、聡明な人物だったことである。2.例えば、あるとき、二人のギリシア人の哲学者が、彼のもとにやって来た、アントーニオスを試すことができると考えたからである。ところで、彼は山の外にいた。3.しかし彼は、その顔つきから、人となりを悟り、彼らのところに出ていって、通訳を通して謂った、「何をこれほどまでにかなぐり捨てて、おお、哲学者の方々よ、愚かな人間のもとに〔やって来られたのか〕」。4.そこで彼らが、彼は愚かな人ではなく、とりわけ思慮深い人だと云うと、彼が彼らに謂った。「あなたがたが愚か者のところにやって来られたのなら、あなたがたの骨折りは余計なことであった。しかしわたしが思慮深いとお考えなら、《わたしのようになりなさい》〔Gal 4:12〕。なぜなら、美しい事どもは模倣すべきだから。5.仮にわたしがあなたがたのところに行ったなら、わたしはあなたがたを模倣したことであろう。しかしあなたがたはわたしのところに〔やって来られたの〕なら、「わたしのようになりなさい」、わたしはキリスト者なのだから」。そこで彼らは驚嘆し、帰っていった。ダイモーンたちでさえアントーニオスを恐れているのを目にしたからである。
[73]
1.さらにまた他のそういった連中が、山の外にいた彼のところに通って、文字を知らないということで嘲弄しようと考えたとき、彼らに向かってアントーニオスは言う。2.「ところであなたがたはどう言うか。何が初めか、理性か文字か。いったい何が何の原因か、理性が文字のか、それとも、文字が理性の〔初め〕か」。3.そこで彼らが、理性が初めであって、文字の発明者だと云ったので、アントーニオスが謂った、「されば、理性が健全な者にとっては、文字は必須のものではない」。これには、居合わせた者たちも当人たちも仰天した。そこで、素人の中にこれほどの洞察力を目にしたことで、驚嘆しつつ立ち去った。4.というのも、山中で育ち、そこでまた老人となった人と違って、性格に粗野なところはなく、優美でもあり、都会的でもあったからである。言葉も、神的な塩に味つけされたのを有し〔Col 4:6〕、その結果誰をも妬むことなく、むしろ彼を喜んだのは、彼のところにやって来る者たちすべてであった。
[74]
1.さらに、その後また、別の人たちがやって来て(この人たちは、ギリシア人たちの間で知者であると思われている人たちに属していたのだが)、クリストスにおけるわれわれの信仰について説明〔言葉〕を彼に要求し、2.神的十字架の告知について議論することを企て、嘲弄することを望んだとき、アントーニオスはしばし自制して、先ず、彼らの無知を憐れんだうえで、あの人の〔言う〕ことを美しく通訳してくれる通訳者を介して、言った。「より美しいのは何か、十字架を告白することか、それとも、あなたがたの間でいわゆる神々によって、姦淫と子どもの堕落に接することか。というのは、われわれの間で言われているのは、勇気の証拠であり、死に対する軽視の告知であるが、あなたがたの〔間で言われている〕ことは、放縦の情態(ajselgeivaS pavqh)であるから。次ぎに、より善いのは何か、神のロゴスは迷動することなく、同じであり、人間どもの救済と善行のために、人間的身体を執られた所以は、人間的出生を共有することで、人間どもを神的かつ可考的自然を共有させるためである、と言うことか、5.それとも、神を言葉なき〔動物〕たち譬え、それゆえに四足動物や爬虫類や人間どもの似像を礼拝することか。というのは、それらこそあなたがた知者たちの礼拝の対象なのだから。6.しかし、どうであろうか、クリストスは人間として現れたと言うからと、わたしたちを嘲弄することをあなたがたが敢行するのは。少なくともあなたがたは、魂を理性から区別し、それは迷動し、諸天の穹窿から身体の中へ転落したとあなたがたは謂っている。7.願わくは、人間的な〔身体〕の中にのみであって、四足動物や爬虫類の中に移行したり転落したりするのではありませんように。なぜなら、わたしたちの信仰の方は、人間どもの救済のためにクリストスの臨在を言うのだが、あなたがたの方は、不生の魂の漂泊を述べている。8.また、わたしたちの方は、摂理の可能性と人間愛を思慮している所以は、それも神には不可能ではないからである。9.しかしあなたがたの方は、理性の似像を魂と言いながら、これに破滅を結びつけ、これを可変的なものとして神話し、そうしてついには理性そのものをも、魂を介して可変的なものと唱導している。10.いったい似像はいかなるものであったのかという本質は、何の似像であったのかというその元のものでもあるのが必然である。しかるに、理性についてこういうことを考えている場合には、理性の父そのものをも冒涜しているのだということに思いを致しなさい。
[75]
1.十字架については、何がより善いとあなたがたは云うであろうか、邪悪な者たちから策謀が惹起されたとき、十字架を堪え忍び、いかなるものであれ惹起された死を避けなかったことか、2.それとも、オシリスとイシスの放浪や、テュポーンの策謀、クロノスの逃避とわが子らの呑みくだしと父親殺しを神話することか。これらこそ、あなたがたの知恵であるのだから。3.しかし、あなたがたは十字架を嘲弄しながら、どうして、復活には驚嘆しないのか。というのは、これを云っている者たちが、あのことをも書いているからだ。それとも、十字架に言及しながら、何ゆえ、沈黙しているのか。甦らせられた死体、見えるようになった盲人たち、癒された中風患者たち、浄められた癩者たちと、海上の歩行、その他の徴と奇跡、これらは、クリストスをもはや人間ではなく、神として示しているのに。4.まったく、わたしにはあなたがたがわたしたちの〔聖〕書を真摯に読まないことそ不正であるように思われる。いや、あなたがたは読み、クリストスが実行なさったことは、彼を神として、人間どもの救済のために寄留なさった方として表しているということを目にしておられる。
[76]
1.それなら、あなたがたもあなたがたのことをわれわれに云ってください。そこで、言葉なきものらについて、言葉なきこと(ajlogiva)と粗野さajriovthVg以外に、あなたがたは何と云うのでしょうか。2.しかし、わたしが聞くところでは、あなたがたの間でそれらが神話的に言われていると言う気になるたびに、あなたがたは譬えもする、コレーの略奪を大地に、ヘーパイストスの跛行を火に、ヘーラーを大気に、アポッローンを太陽に、アルテミスは月に、ポセイドーンは海に、けれども少しも尊崇することなく、万物を創造した神よりは被造物を拝むのである。3.というのは、被造物が美しいゆえに、そういったものらをあなたがたが構成したのなら、あなたがたは、生起したことに驚嘆する間に、造物者の名誉を生起したものらに帰せないために、作品を神化しないことが必要であろう。4.あなたがたは、大工の術知も彼によって生起した家に帰し、あるいは、将軍の〔名誉〕を将兵に〔帰する〕ことになる。そういう次第で、以上に対してあなたがたは何と言うか、十字架が何か嘲弄に値する点を有しているなら、われわれが知るために」。
[77]
1.するとくだんの者たちはすっかり当惑し、こちらへあちらへとそっぽを向いたので、アントーニオスは再び通訳を介して謂った。「以上のことは、外観だけからでも吟味を有している。2.しかし、あなたがたは明証的な言葉を大いに頼りとし、このような術知を持っているので、言葉の明証なしに神崇拝してはならぬとわたしたちにまで望んでおられるのだから、どうかあなたがたが先にわたしに云ってください。3.事物、とりわけ神に関する知は、どうすればはっきりと精確に判定されるのか、言葉の明証によってか、それとも、信仰の活動によってか。つまり、何が先か、活動による信仰か、それとも、言葉による明証か。4.そこで彼らが、活動による信仰が先であって、これこそが精確な知であると答えたので、アントーニオスが謂った。「美しくあなたがたは言っている。なぜなら、信仰は魂の態度から生じるが、対話術は申し合わせた者たちの術知からうまれる。5.だから、信仰による活動が備わっている人たちには、言葉による明証は必要でないか、おそらくは余計でさえある。6.というのも、われわれが信仰を通して思考すること、それをこそあなたがた言葉を通して備えようと試み、われわれが思考することをあなたがたは謂うこともできないことしばしばなのです。しがって、信仰による活動は、あなたがたソフィストの推量よりもより善く、より堅固なのである。
[78]
1.そういう次第で、われわれキリスト者が秘儀を有するのは、ギリシア人の言葉の知恵においてではなく、イエスゥス・クリストスを介して神からわたしたちに供給された信仰の力においてなのである。今、この言葉が真実であるということも、見よ、わたしたちが神を信じるのは、わたしたちが文字を学んだからではなく、彼〔神〕の作品を通して、万物に貫入する摂理を認知するからである。2.今、われわれの信仰が活動的であるというのも、見よ、われわれがクリストスにおける真に頼むからであるが、あなたがたが〔頼むのは〕ソフィスト的言葉争いである。あなたがたの間にある影像の幻は役に立たないが、わたしたちの間にある信仰は、至るところに及んでいるのです。3.そうして、あなたがたは推論し、狡知を弄するけれど、キリスト者から異教に改宗させられないけれど、われわれはクリストスへの信仰を教えると、あなたがたから迷信深さをむしり取る、クリストスは神にして神の息子であると誰しもが認知するからである。4.そうして、あなたがたは美辞麗句によってはクリストスの教えを邪魔することはできないが、わたしたちの方は、クリストスの御名を唱えることで、あなたがたが神々として恐れるあらゆるダイモーンたちを追い払うのです。5.そうして、十字架の徴の生ずるところでは、魔術は衰弱し、魔法は利かないのです。
[79]
1.例えば、云ってください、あなたがたの魔法は今どこにあるのか。エジプト人たちの呪文はどこに? 魔術師たちの幻影はどこに?2.これらのすべてが終熄し、衰弱するのはいつのことであろうか、クリストスの十字架が起こったときでないかぎりは。すると、はたして嘲弄に値するのはこれか、それともむしろ、それ〔十字架〕から無効にされ、反駁されて弱くなったものらの方か。3.というのも、これもまた驚嘆すべきことであるが、あなたがたの〔宗教〕はいまだかつて迫害されたことがなく、人間どものから都市において尊敬されてさえいるが、クリストスに所属する者たちは迫害されながら、われわれの間の〔宗教〕はあなたがたのそれ以上にますます花咲き、増加しているのです。4.そうして、祝福され囲いこまれたあなたがたの〔宗教〕は台無しになったが、クリストスの信仰と教えは、あなたがたの間で嘲弄され、王たちからしばしば追放されながら、世界を満たしているのです。5.いったい、神の知(qeognwsiva)がこのように輝き出たことが、かつてあったであろうか。あるいは、処女の慎みと徳がこのように現れたことが? あるいは、死がこのように軽蔑されたことが、クリストスの十字架が生じたときでないかぎり。6.このことに何びとも異議申し立てできないのは、殉教者たちがクリストスを通して死を軽蔑するのを目にするからであり、教会の処女たちが、クリストスを通して身体の清浄と汚れなさを守っているのを目にするからである。
[80]
1.これらこそ、クリストスにおける信仰のみが神崇拝における真実であることを示すに充分な証拠である。しかし、あなたがたは依然として信ぜず、言葉による推論を求めるなら、わたしたちは、わたしたちの教師が云ったとおり、ギリシアの知恵の説得で明証することはせず〔Cf. 1Col 2:4〕、言葉による備えを一目瞭然に先取りする信仰でもって説得しよう。2.見よ、ダイモーンたちに取り憑かれた者たちがここにいる」。たしかに、ダイモーンたちに悩まされて、彼のもとにやって来た人たちが何人かいた。3.そこで彼らを中央に連れて来て、彼は謂った、「あるいはあなたがたが、自分たちの推論によってか、お望みの術知とか魔法によって、自分たちの偶像を勧請して、彼らを浄めなさるか。あるいは、できないのであれば、わたしたちとの争いをやめなされ、そうすればクリストスの十字架の力能をまのあたりになさろう」。4.そうして、こう云って、クリストスを呼びかけ、受苦する者たちに二度、三度と十字の徴をきった。するとすぐに完全無疵の者として立ち、それから正気に返って主に感謝した。5.そこで、いわゆる哲学者たちは驚嘆し、この人の洞察となされた徴に真に驚愕した。6.しかしアントーニオスは謂った、「どうしてこのことに驚かれなさるのか。実行したのはわたしたちではなく、クリストス、つまり、ご自身を信じる者たちを介してこれらを実行なさる方である。だからあなたがたも信じなさるがよい。われわれのようになりなされ。そうすればまのあたりにされるであろう、われわれのもとにあるのは言葉の術知ではなく、クリストスへの歓愛によって活動する信仰だということを。何しろ、あなたがたも持たれれば、もはや言葉による明証を求めず、クリストスにおける信仰で足ると考えるような代物じゃから」。7.以上がアントーニオスの言辞であった。するとあの人たちは、この点でも驚嘆し、彼を抱擁し、彼から益されたと告白しつつ、帰っていったのである。
[81]
1.さらに皇帝たちにもアントーニオスの評判は達した。というのは、これらのことをアウグゥストス・コーンスタンティーノスや、その息子たちであるアウグゥストスのコーンスタンティオスとコーンスタスが聞き知って、父親に対してのように彼に対して手紙を書き、彼から返信をもらうことを祈った。2.しかしながら、手紙を重視することもなく、書簡を嬉しがることもなかった。彼は、皇帝たちが彼に手紙を書く前と同じであった。3.そこで、彼に手紙がもたらされたとき、隠修士たちを呼んで、言った。「何を驚いているのか、皇帝がわれわれに手紙を寄越したからといって。〔皇帝も〕人間にすぎない。むしろ、神が律法を人間どもにお書きになり、自分の息子を通してわたしたちに話されたことこそ驚嘆すべきことだ」。4.もちろん、書簡を受け取ることを望んではおらず、こういった手紙に返信の仕様を知らないと言った。しかし、皇帝たちはキリスト者であること、また、彼らが無視されて躓くことのないよう、隠修士たちみなから強請されたので、読むことを承諾した。5.そうして返信をしたためた、クリストスを礼拝しているということで彼らを讃え、救済に役立つことを勧告した。また、手許にあることどもを重視せず、むしろ来たるべき裁きを憶え、ただクリストスおひとりが真実であり、永遠の王であると知るように、と。6.また、彼らが人間愛を持ち、義しさと物乞いたちとを配慮するよう要請した。このように、万人から愛される者となり、誰しもが彼を師父として持つことを要請した。
[82]
1.実際、こういう人物として知られ、通ってくる人たちにこのように答えたうえで、再び山の内に引き返した。2.そうして、いつもの修行に従事し、自分のところに出入りする人たちとともにしばしば座り、散策しながら、ダニエール書にあるとおり〔Thd. Da 4:16〕、黙りこむことがあった。そうして、数刻の後、続きを、自分といっしょにいる兄弟たちに語るのであった。3.いっしょにいる者たちの方は、彼が光景のようなものを見ていると感知した。というのも、エジプトで起こったことを、山中にいながらにして目にして、山中にいて、幻視に忙しいアントーニオスを目にしていた司教セラピオーン〔362年以降沒。下エジプトのトゥムイスの司教〕に説明することしばしばであった。4.例えば、あるとき、坐って仕事をしている時、忘我情態に陥ったかのように、呻吟し、震えだしたので、立ち上がって祈り、膝をかがめたまま、長い間じっとしていた。5.そして立ち上がっても、老人は泣いていた。そういう次第で、いっしょにいた人たちも身震いし、ひどく恐れて、彼から聞き知ることを要請し、はなはだうんざりさせられ、ついに強制されて云った。6.で、彼の方はそういうふうに実に呻吟しつつ、「おお、わが子たちよ、より善いのは」と彼は言った、「死ぬことだ、感想の内容が生ずるよりも前に」。そこで再び彼らが要請すると、落涙しながら彼は言った。「教会を怒りが捉えようとしており、言葉なき家畜に等しい連中に引き渡されようとしている。7.というのは、主の〔家の〕食卓と、これをあらゆるところからぐるりと囲んで立って、中にいる者たちを、でたらめに跳ねる家畜たちの蹴りが生じたかのように、蹴っている騾馬たちを目にしたからじゃ。8.で、そなたらは完全に感知することだろう」と彼が謂う、「どうしてわしが呻吟したかを。『おまえの祭壇は忌み嫌われよう』と声が言うのをわしは聞いたのじゃ」。9.これが老人の見たことである。そうして2年後、アレイオス派の現在の登場と教会の略奪とが起こり、この時、設備も族民を使ってちからづくで略奪し、運び去られるようにし、族民たちを仕事仲間から自分たちといっしょに集まるよう強制し、彼らがいるところで、食卓の上で好きなようにふるまった。10.このとき、われわれはみな悟ったのだ、騾馬たちの蹴りとは、今アレイオス派が家畜のように言葉なく〔=非理性的に〕実行している当のことを、アントーニオスにあらかじめ漏らしたのだということを。11.だが、この光景を見るや、いっしょにいる人たちを彼はこう言って励ました。「意気阻喪するな、わが子たちよ。というのは、主は怒られたように、今度は癒されるであろう。12.そうして再び、教会はその飾りをすみやかに取り戻し、いつものように照り輝くであろう。そうしてあなたがたはまのあたりにするであろう、迫害された者たちがもとどおりになり、不敬虔は再び固有の巣穴へと引っ込み、敬虔な信仰はあらゆる自由とともに至るところで公然と語られるのを。13.ひたすら、自分たち自身をアレイオス派もろとも汚すことのないようにせよ。なぜなら、その教えは使徒たちのものではなく、ダイモーンたちと、その父である悪魔のものであり、むしろ言葉なきものであり、実りなきものであり、正しい精神の属するものでないことは、騾馬たちに言葉がないようなものである」。
[83]
1.以上のようなことが、アントーニオスのいった内容である。われわれは、一介の人間を通して、これほどの驚異が生じたからといって、不振に陥る必要はない。なぜなら、救い主の告知があって、こう言っておられるからである、《もしあなたがたが芥子粒ほどの信仰を持っていれば、この山に対して、ここから移れ、と述べるがよい。そうすれば移るであろう。いかなることもあなたがたには不可能ではないのだ》〔Mat 17:20〕。3.さらにまた。《アメーン、アメーン、汝らに言う、もしもあなたがたがわたしの名で父に求めるものがあれば、〔父が〕なたがたに与えられるであろう。求めよ、そうすれば受けられる》〔Jo 16:23-24〕。彼こそ、弟子たちに、また、自分を信じる者すべてに言った方である。《弱っている人たちを癒せ。ダイモーンたちを追い出せ。あなたがたはただで受けたのだから、ただで与えよ》〔Mat 10:8〕。
[84]
1.実際、アントーニオスが癒したのは、行為者は自分ではなく、主、つまり、アントーニオスを介して人間愛を示し、受苦する者たちを癒される方であるということが、万人に明らかになるようにと、命令することによってではなく、祈りと、クリストスを称名することによってである。2.しかし、アントーニオスが専一するのは、祈りと修行であって、そのために山の中に坐って、神的なものらの観想は喜ぶが、多衆によってうんざりさせられ、山の外に引っぱり出されることを嫌がった。3.というのも、裁判官たちが、山から下りることを彼に要請したからである。裁判を受ける者たちの随行のせいで、自分たちがそこに出入りできなかったからである。4.それでもやはり要請したのは、赴いて、ただただ彼を見るためであった。もちろん彼はそっぽを向き、彼らのもとへの旅を拒んだが、彼らはしつこく、とくに有罪者たちや、兵隊の保護下にある者たちを送りつけた、その連中を口実に彼が下りてくるようにと。5.そこで、余儀なくされ、また、彼らが泣くのをまのあたりにし、山の外に赴いた。しかし、彼の骨折りがまたもや無益ではなかった。というのは、彼の到来は、多衆には利得となり、善行となった。6.裁判官たちを益したのは、何にもまして義しさを優先させるよう、神を恐れ、彼ら下す裁きに従って〔裁判官自身も〕裁かれるということを知るよう忠告したからである。ただし、山の中での暮らしを何にもまして歓愛したことは別であるが。
[85]
1.例えば、あるとき、必要性を有する人たちからこのような強制をうけ、また、軍の司令官が、多くの人たちを介して、彼に下りてくるよう要請したので、赴いて、救済に達することと、必要とする人たちについても少し交わったのち、急いだ。すると、指揮官(doukovV〔ラテン語duco〕)と言われる相手が、ゆっくりするよう彼に要請したとき、彼らといっしょに時を過ごすことはできないと彼は言い、優雅な例でこう言ってこれを説得した。「魚が乾燥した陸で時を過ごすと命終するように、隠修士たちはあなたがたとゆっくりして、あなたがたのもとで暇つぶししていると弱るのです。4.そこで、魚が海に帰るように、われわれは山に帰る必要があり、ゆっくりしていて、内なるものらを決して忘れないために」。5.軍司令官は、これらのことや、別の多くのことを彼から聞いて、驚嘆し、この人物こそ神の真の僕であると言った、「いったいどこから平信徒にこのような、これほどの理性が備わるであろうか、神に歓愛されることによってでないかぎり」。
[86]
1.また、あるひとりの軍司令官、その名をバラキオスという者が、縁起の悪い名をもつアレイオス派のためにする熱心さで、われわれキリスト者を厳しく迫害したことがある。2.そうして、粗野さのあまり、処女たちをさえ打擲し、隠修士たちをも裸にし、鞭打つほどであったので、アントーニオスは彼のもとに書簡を遣り、次のような意味の書簡を書いた。「貴殿に襲来する怒りを見る。キリスト者たちを迫害することをやめ、怒りが貴殿をけっして捉えることなきようにせよ。なぜなら、すでにやって来ようとしているから」。3.しかしバラキオスは、笑って書簡を地面に投げ捨て、これに唾を吐き、持ち来たった者たちを侮辱し、アントーニオスに次のことを報告するよう告げた。「おまえは隠修士たちのことを配慮しているから、今度はおまえも追捕してやる」。4.しかし、5日経たずして、彼を捉えたのは怒りであった。というのは、アレクサンドレイアの、カイレオン〔カエレウ〕といわれる第一宿営地まで、バラキオス本人と、エジプトの奉行ネストリオスとがやって来たが、両者とも馬に騎乗していた。5.これらはバラキオスの私物で、彼のもとで飼われているすべての中でよりおとなしいものであった。6.しかしながら、彼らがまだその場所に到着しないとき、馬たちが、いつものように、お互いにじゃれあいはじめ、ネストリオスが騎乗していたずっとおとなしい馬が、突然、バラキオスを落馬させ、これに襲いかかった。7.そうして、そうやって歯で彼の大腿を噛み砕いたので、すぐに都市に運ばれたが、3日のうちに死に、アントーニオスが予告したことがすみやかに成就されたことに、みなが驚嘆したのであった。
[87]
1.実際、苛酷な者たちにはこういうふうに勧告した。自分のところに通ってくる他の者たちには、こういうふうに訓戒したので、この生から隠遁した者たちを裁判することをじきに忘れ、浄福視するほどであった。2.不正されている者たちにはそういうふうに前衛となったので、受苦しているのは他の人たちではなく、彼本人であるとみなすほどであった。さらにまた、万人にとって益するにこのように充分だったので、多数の兵役にある者たちや、多くを所有する者たちの多くが、人生の重荷をかなぐり捨てて、ついに隠修士になるほどであった。3.まったくもって、神からエジプトに与えられた医師のようであった。いったい、苦しんでやって来て、喜んで還らなかった者がいたであろうか。自分の死者たちを悼んでやって来て、たちまちその悲歎をやめなかった者がいたであろうか。怒りに駆られてやって来て、友愛へと変わらなかった者がいたであろうか。4.貧しさに倦んでやって来て、彼から聞き、彼を見て、富を軽視し貧しさを慰められなかった者がいたであろうか。隠修士にして、なげやりになって彼のもとにやって来て、より強くならなかった者がいたであろうか。5.若者が山にやって来て、アントーニオスと会いながら、すぐに諸々の快楽を捨てて慎みを歓愛しなかった者がいたであろうか。ダイモーンに試みられて彼のもとにやって来て、安らぎを得なかった者がいたであろうか。6.諸々の思量に煩わされだしてやって来て、精神の凪ぐことのなかった者がいたであろうか。
[88]
1.というのも、これもアントーニオスの修行の偉大さであるが、先に云ったとおり、諸々の霊の識別の恩寵を持っていて、それら〔諸霊〕の動きと、それらのどれが策謀の衝動と熱意を何に対して持っているかを彼は知っていた。そうして、自分がそれらからからかわれないだけでなく、やつらから思量において悩まされている者たちをも、どうしたらやつらからの策謀を引っ繰り返すことができるか、教えたからである。活動するものらの狡猾さや弱点を説明して。2.実際、各人は彼から途油されたごとくに、悪魔の思惑や、その手下のダイモーンたちの思惑に対して勇んで下りていった。また、どれほどの数の、婚約した処女たちが、対岸からアントーニオスをただただ見ただけで、クリストスのために処女にとどまったことであろう。3.また、外の地方からも彼のもとにやって来た。そうして彼らも、あらゆる人たちとともに、益を得て、あたかも、父親から見送られるかのように還っていった。もちろん、彼が永眠したとき、誰しもが父親の孤児のようになり、あの人の思い出だけで自分たちを慰め、彼の訓戒と勧告を堅持した。
[89]
1.また、彼の生の終わりも、どのようなものであったか、わたしも想起し、渇望するあなたがたも聞くのは、価値あることである。というのは、これこそ彼の景仰される点だからである。2.慣例どおり、山の外郭にいる隠修士たちを視察したが、自分の最期について摂理から予知していたので、兄弟たちに語りかけて言った。「あなたがたにとってこの視察を最後とし、この生においてわれわれが再び互いに会うとしたら、わたしは驚くだろう。3.わたしはもう逝去する時機である。というのは、わしは百五歳に近い」。そこで、彼らは聞いて泣き、抱擁して、老人に接吻した。4.彼の方は、他人の〔都市〕から自分の都市に去りゆく人のように、喜んで対話し、彼らにいいつけた、労苦において倦むことなく、修行に意気阻喪することもなく、日々、死ぬ者のように生きるようにと。また、先に云ったように、汚れた想念から魂を守護することに真剣となり、聖なる者たちに対する景仰を保持し、メレティオス一派に接近することなく(というのは、彼らの邪悪さと冒涜的選択をあなたがたは知っているのだから)、アレイオス派の連中とも何らの交友を持たないように、と。「というのも、これらの連中の不敬は万人に明白だからである。5.彼らを贔屓する判事たちを見ても、狼狽してはならない。なぜなら、終熄であろうから、彼らの幻影は死すべきものであり、かりそめのものなのだから。6.だから、これらのものから自分たち自身をますます清浄なものとして守り、父祖の伝承と、わたしたちの主イエースゥス・クリストスへの敬虔な信仰 〔聖〕書からあなたがたが学び取り、わたしからはしばしば想起せしめられたところの〔信仰〕 を保守せよ」。
[90]
1.そこで、兄弟たちは、彼が自分たちのところにとどまり、そこで命終するよう強要したにもかかわらず、彼が受け容れなかった所以は、多くは、彼自身が沈黙のうちにも表明していた事柄の故であったが、特には、次の故であった。2.〔つまり〕エジプト人たちは、命終した真面目な人たちの遺体、とりわけ殉教した聖者たちの〔遺体〕を埋葬するに際し、亜麻布でくるむが、地下に隠すのでなく、小寝台の上に安置し、自分たちのところの内で守ることを愛する、これこそが、逝去した人たちに敬意を払うことだと考えたからである。3.だが、アントーニオスは、これについて、信徒たちに言いつけるよう、しばしば司教たちにも要請していた。4.また平信徒たちをも改心させ、女たちを叱りつけ、これは適法でもなく、まったく神法にかなうものでもないと言った。「というのも、太祖たちや預言者たちの〔墓〕が今に至るも存続している。さらに主ご自身の身体も墓に納められ、3日後に甦られるまで、石が置かれて、これを隠した」。5.そうしてこれらのことを言って、死後、命終した者たちの身体を、それがたまたま聖なる者であろうとも、隠さない者は違法だということを示た。「いったい、主の至聖の身体よりも大いなるものがあろうか」。6.そこで、多衆は聞いて、以降、地下に隠し、美しく教えられて、主に感謝していたのであった。
[91]
1.で、彼自身がこのことを知っており、自分の身体もそういうふうにされるのではないかと恐れたので、外山にいる隠修士たちに指図するため自分を急き立てたのであった。そうして、日頃住持していた内山に入ると、数ヶ月後病気になった。そこで、自分とともにいた者たち(二人おり、彼らは修行しつつ、彼が老齢ゆえにこれに仕えつつ、15年間とどまっていた)を呼び、彼らに言った。2.「わしは、〔聖書に〕書かれているとおり、父祖の道を行く。わし自身が主に呼ばれているのを見るからじゃ。そなたたちは冷静であれ、そしてそなたたちの長年にわたる修行をやめるな、いや、今を初めとして、自分たちの熱意を守るべく努めよ。3.策謀するダイモーンたちを知れ、やつらがいかに粗野であるか、しかし力能において弱いかを知れ。だから、やつらを恐れることなく、むしろクリストスを常に吸い、この方を信じよ。そうして、日々、死ぬ者のように生きよ。自分たち自身に心を傾注し、わしから聞いた諸々の勧告を想起して。4.また、そなたたちと分派とにいかなる交流もあってはならず、まして異端のアレイオス派との間はいうまでもない。もちろん、わたしも、連中のキリストへの敵対と、異端的選択ゆえに、いかに彼らにそっぽを向いたかを知れ。5.むしろ、そなたたちも、自分たち自身を常に、優先的に主に、次いで聖なる人たちに結びつけるべく努めよ、死後、そなたたちを、愛友にして知己として、永遠の幕屋に迎え入れてくれるためである。そうして、そなたたちみずからこれらのことを思量し、これらのことを心にかけよ。6.そうして、そなたたちにとってわしのことが気になり、父親のことのように憶えているなら、何者らかがわしの身体をエジプトに引き取るままにしてはならず、断じて家屋の中に納められてはならない。そのためにこそ、わしは山に入り、ここに来たからである。7.だから、それを行う連中を、いったいどれほどわしがいつも改心させ、そのような習わしをやめるよういいつけたかを知れ。だから、そなたたちはわしの〔遺体〕を埋葬し、地中に隠し、わしのいいつけがそなたたちのもとで守らしめ、その結果、ただただそなたたち以外に何びともその場所を知らないというようにせよ。8.というのは、わしは死者たちの復活の時に、救い主からそれを朽ちることなきものとして受け取るであろう。そこで、わしの衣を分け合え。また、司教アタナシオスには、羊の毛皮1枚と、わしが敷いていた外衣とを与えよ、後者は、彼自身が新品としてわしに与え、わしによって使い古されたものである。9.また、セラピオーン司教には、別の羊の毛皮を与えよ。しかし、毛の衣服はそなたたちが持つがよい。さぁ、わが子たちよ、もうお別れだ。アントーニオスは往生し、もはやそなたたちと共にはいない」。
[92]
1.以上のことを云い、あの者たちが彼に別れを告げようとしたので、両足を持ち上げ、自分の方へにじり寄る者たちを、まるで愛友を見るかのように見、彼らのおかげで非常な喜びに満たされたまま(というのは、顔が上機嫌なように見えたから)亡くなり、みずからも父祖たちのもとに加えられたのである。2.それからあの者たちは、自分たちに彼が指令を与えたとおり、埋葬し、経帷子に包んで、その身体を地下に隠した、だから、彼ら二人だけ以外には、どこに隠されたか、今に至るまで誰も知らない。3.また、故〔=浄福な〕アントーニオスの羊の毛皮と、彼によって使い潰された外衣とを受け取った人たちの各々は、偉大な物として守った。というのも、これらを見ると、あたかもアントーニオスを眺める人のごとくであるからである。また、それらを身にまとうと、あたかも彼の誡めを身に帯びた人のごとく、喜びに満たされるのだった。
[93]
1.これがアントーニオスの身体における生の最期であり、あれこそは修行の初めであった。あの人の徳に比してそれらがたとえ小さなことだとしても、しかしそれらからそなたたちも思量するがよい、神の人アントーニオスがいかなる人物であったか、若年からこれほどの高齢に至るまで、修行の熱意を等しく守りつづけ、老齢を口実に食物の高価さに負けることもなく、自分自身の身体の弛みを口実に衣服の形を変えたり、足さえ水で洗たりすることもなかった。にもかかわらず、あらゆる点で害されることなくとどまりつづけた。2.というのも、両眼も損なわれることなく、完全無疵なのを有し、美しく見、彼の歯の一本も抜けていなかった。ただ、老人の高齢のために歯茎が磨り減っているだけであった。また手足にしても健康でありつづけ、多彩な食物、入浴、種々の着物を用いるどんな人たちよりも彼の方が輝き、強力さにずっと乗り気であるようにみえた。3.さらにまた、この人物が至るところで称讃され、万人から驚嘆されたのは、彼を見たこともない人たちからさえも渇望されたのは、徳と、神の愛された彼の魂との徴表であった。4.というのは、書き物によってではなく、外面的知恵によってでもなく、何らかの術知ゆえでもなく、ただただ神崇拝ゆえにアントーニオスは周知されたのである。これこそ神の賜物であることを否定できる者はいない。5.いったい、どういうわけで、スペインに、またガリアに、どうして、ローマやアフリカに、山中に隠れ住持した人物が知れわたったのか、神がいましたからではないか、ご自身のものたる人間どもを至るところで啓示し、アントーニオスにもこれを初めに告知なさった神が。6.というのは、彼らが隠れて実行しようとも、気づかれないよう気をつけようとも、しかしながら主が彼らを灯火のように万人に示されたのは、まさにそうすることで、聞く人たちが、諸々の誡めが達成可能と認識し、徳に至る道に対する景仰を得るためである。
[94]
1.そういう次第で、以上の内容を自余の兄弟たちに読み聞かせよ、それは、彼らが、隠修士たちのいかなる生が役立つかを学知し、納得するためである われわれの主にして救い主、イエースゥス・クリストスが、これを栄化する者たちをば栄化し、最後までこれに隷従するする者たちをば、諸天の王国に導き入れるだけでなく、此岸において身を隠し、隠遁すべく努めた者たちをば、彼らの徳とその他の人たちへの有益さゆえに、至るところで明らかな者にして評判の者となすためである、と。2.で、有用であるなら、族民たちにも読み聞かせよ、それは、そういうふうにして、彼らが認識するためである、 われわれの主イエースゥス・クリストスは神にして神の息子であるということだけでなく、この方に真摯に仕え、この方を敬虔に信仰する者たちは、当のギリシア人たちが神々であるとみなしているダイモーンたち、これをキリスト者たちは吟味し、それは神々でないのみならず、人間どもを惑わすものら、堕落させるものらとして踏みにじり、追い払うということを、われわれの主、イエースゥスのクリストスにおいて、《栄光は、永遠の永遠にこの方のもの。アメーン》〔Gal 1:5, 2Ti 4:18, Heb 13:21〕。
2014.09.03. 訳了。
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