[解題]

 京都大学付属病院薬局で研修を受けたのち、鹿野武一は松代診療所に勤務する。しかし「身心消耗甚し」く(1954年4月10日付け日記)、7月31日付をもって正式に退職している。「僅か二月程でもろくも敗退した」はそのことを言っていると考えられる。
 他方、登美の方も、自分の転職について兄に相談をもちかけた――その返信である。  




手紙:鹿野武一から鹿野登美宛(1954年10月24日付)



登美殿

 十月十七日付御手紙の返事を書きます。自分も少し元気が出てきたからです。
 といふのは 家で取入れの農作業が始まってから 自分も毎日父や政義〔義弟〕の嫁等と一しょに山(この辺りの地勢で 家の田も お宮様の石段を六十 昇ってから まだ坂を登って行ったあたりにあるからです)へ出て みんなの仕事の手伝ができることで 孤独感から大いに救はれてゐること、もう一つは 近く就職の見込みがあるからです。


 自分が四月こちらに来て僅か二月程でもろくも敗退したのは 精神的には自分の能力に対する一種の虚栄心といふべきか 劣等感といふべきか その様なものに自分が圧倒されたからです。”眼高手低”といふ言葉があります。自分が目指すところは極めて高く遠いが それに到達するための所有の手段は極めて貧しい といふことでせう。これを自覚したとき 自から発奮努力して 遂に立派な手段を自分のものとして目的に到達する人もあるでせう。偉人・名人といはれた人の中には この様な道を通った人が多いでせう。

 自分は残念ながら その様な道を辿る中道で失敗したものです。目的に到達するための手段を着実に自分のものにする堅実な志向・努力が崩れて 「目標」が観念のお化けになって自分を倒したのでした。お化け的な観念を持つのが 一種の虚栄心の産物でせう。志向・努力を放棄するのは劣等感に負かされたからでせう。

 自分の生来の能力に関する一種の虚栄心 これは或る意味で自分達の年少時代の生活、お母さんの*しつけ*を恨んでゐます。恨むといって悪ければ後悔してゐます。学校の通知簿の評点が 人生最高・唯一の価値であると 思はされたあの頃の愚かさよ。

 自分が抑留生活の間で 或る程度 真面目な働き者、そして 勉強家(本をよむこと、活字からの知識が多いこと)と一部の人々から思はれたのも その様な態度(ポーズ)を自分にとらせた一因は この虚栄心でした。

 つまり 自分がもう幼少年や学生ではなく、すでに妻子のある大人であり しかもあの厳しい生活条件――人間をすっかり裸にして了ふと思はれる様な――捕虜生活の中でも 自分は虚栄の皮を被ったポーズをもった人間だったといふことです。だから あの生活で 自分が敬意を払ったのは、すっかりむき出しの人間性を発揮した人々でありながら その人達には真に近づく勇気がなく、 多くを語り合ふ機会を持ったのは、ポーズをもった人々であったといへませう。純真な人々の中には 自分のポーズに欺かれて近寄ってきた人も 二、三ありましたが。

 劣等感といふのは 自分の場合 生理的状態にかなり影響される様です。 健康状態は 舞鶴に着いた頃の方が よかったです。(ナホトカ港に集結の五ヶ月間は無為の生活がつづいたため ハバロフスクでの労働期間に比べると 可なり体力がおちたのでしたが) 帰ってから健康を損じたといふのは 自分とキエとの問題です。感情に溺れて節制――自分の体力に応じた――を失ったからです。  あの様な条件の抑留生活から解放されたとき、生活面で 気をつけなければならないのは 食と性の問題だとは 彼地に居る間によく話題になったものです。「食」の方では 自分は失敗したとは思ひません。松代での食生活も 恵まれて居ると思ってゐます。言ひ難いことですが 「性」の方で 自分は意志がよわかった。反省してゐます。

 けれども近頃になって 来年の夏初めには武彦の代りが できるかとも 思はれるので 自分たちの感情も落着きました。(この様なことを あなたは不愉快にきくかも知れないが あなたの頭や胸の中に画かれる自分達の像が 歪まないものであるために 敢へて書くのです)

 自分が 松代に来てから 家庭生活の問題を 意志的に正しく解決し (キエとの間には も一つ問題がありました。自分が京大病院に行ってゐる間 近づきになった 一人の女薬剤師――あなたと同じ年齢、独身――とのことです。キエは自分を激しく責めました。自分は不道徳な行為をしたとは思ひません。しかし キエの感情を傷つけたことを 済まないと思ひます。そして キエと 又 その女の人の*女として*の感情に 自分が無知であったことを 言ひます)

 そして 自分の能力、業務の成果に身の程を越えた望[ママ」を持たなかったから、もっと単的にいへば 自分が 日本で一番 劣等な薬剤師たることに甘んじる*勇気*といふか *悟り*――これが虚栄心と劣等感にとらはれてゐるときには 此の世で最もいやしむべきものと 考へられるのですが――があれば 自分は職を失はずにすんだし そしてその間には 徐々に立ち直って 実際に 此の世で一番 劣等な薬剤師であることもなくなったでせう と 今 考へるのです。

 〔2行半抹消。判読不能〕

 あなたが 今 考へてゐる職業の問題についても 自分の考へが当ってゐるか どうかわかりませんが 言ってみませう。

1 そちらで あなたが 他の保母さんと同じ程度の 範囲の仕事をすることにも あなたの健康が耐えられないのでせうか。

2 正常な健康状態でない現在では 無理かもしれない。しかし 徐々に 何か月かの後に あなたとしての正常な健康状態に回復したとしても やはり 勤務は無理だらうか。

3 あなたが健康を失った原因は、「とも角 数ケ月間 無理をつづけた」と自分で言ってゐる。

 無理をつづけなければ 勤めが 全うできないのであらうか(単に主観的ではなく 客観的に見て)。他の保母さんたちも あなた同様 無理をしてゐるのであらうか。

4 右が然りとすれば 他の保母さんたちは 無理をしても健康を失はないが あなただけは耐えられない のであらうか。


 自分には 長島のことでも 今の場合でも あなたにも 「眼高手低」に悩む弊があるのではないかと思はれる。

 常に 他人との比較、無意識的な競争に於て 自分を傑出させたい との意識が潜んではゐないか。

 自分の立場は あくまで きよらかなものに(自己満足的に)しておきたい、きれいごとで自分の殻をつくりたい といふ*我*がないであらうか。

結論として
1 もしあなたが 健康な状態において そして あなたの所有する能力を以て あなたのなし得ることが 勤務上の要求(あなたの考へる主観的なものでなく 客観的な)に応じ得ないといふなら あなたは職を去るべきである。

2 そして あなたの健康、能力に相応しい職業を見出さねばならぬ。その場合に あなたの今迄の経験、 吉田、長島、松山を通じてあなたと客観的な情勢との間の矛盾の分析が 主観的なものに歪められない様 冷静であらねばならぬ。

3 あなたが 今少し、静養して 健康を回復すれば 松山の生活に耐え得、再び健康を損ずる可能性がない、といふなら 今后の静養、健康回復に必要な物質的援助を提供しよう。金を送ることで間に合ふなら さう 言ひなさい。何ヶ月かこちらへ来ることも考へてよい。

 (このことは自分が近く復職を決心してゐることで 言ひ得るので 先には 自分としても 辛かった)


 自分が あなたに与へ得る*助言*には自信がない。けれど この手紙で自分の 失敗、おろかさを あなたに示したことは あなたの取り入れ方によっては 役に立つであらう。

 実際的な助言については 自分の様な世間 狭い者ではなく もっと世間を知ってゐる人――奥田さんはどうであらうか――に相談されるのがよからう。


 小花君に対する あなたの気持についての自分の考へは 次便にする。


  自分は 先は 県庁へ復職を依頼したが もし容れられれば 当分 高田市の県立中央病院に行くことになるかも知れない。


  当地では 稲の取り入れは 大体すんだ様です。家のも一昨日で終りました。田は二反一畝といふことですから 僅かですが お父さんの獣医としての働きが 金でなく 米で支払はれることが 多いので 配給米はとらずに やって行けるのだそうです。 政義の嫁は 今月中に 三人目の子が生れる筈ですが それでも毎日、田や畑仕事に 一日中かかってゐます。

 二人の男の子(五つと三つ)は わがままですが 活気があって子供らしくて よろしい。相手になるのが たのしみです。

 木々の色づいていくのが きれいです

 身体を大事になさい。

   十月二十四日
                                武一


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