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back.gif全国37村/休暇村一覧

休暇村あっちこっち

休暇村 乗鞍高原






[野麦峠・乗鞍へ]

 ひょんなことから休暇村を利用し始め、各地の施設を巡って、2009年初秋で、18カ所になった。


 2009年夏は、太平洋高気圧の張り出しが弱く、東北はついに梅雨明けしないままとなり、東北の山に行くつもりだった私たちは、チャンスを逸し、「消化不良」の思いを抱えたまま9月を迎えた。
 そこで、山に紅葉が来る前に、野麦峠と乗鞍に向かうことにした。紅葉に伴う喧騒を避けたかったからである。

 宿泊は、「富喜の湯」と「休暇村乗鞍高原」に決めた。

 秘湯を守る会メンバーの「富喜の湯」は家族経営の素朴な宿だった。木造の建物は、決して新しくはないが、掃除が行きとどき、温泉を含む施設全体が清潔である。女将も主人も飾らない人柄の、温かで親切な人たちであった。料理も、豪華とは言えないが、山菜・ヤマメ・茸などの食材を中心とした、心のこもったものだった。夕食時は、どうしても他のものでお腹がいっぱいになってしまって、堪能してもらえないから、と、朝食に、ほかほかの松茸ごはんが出る、という配慮もあった。

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 コミュニティバスの終点・川浦のバス待合所。
 渓流のそばにコスモスが咲き乱れ、風情のある待合所であった。

 翌日、野麦峠への最奥のバス停・川浦までは、松本市のコミュニティーバス(奈川地区内100円)のお世話になった。
 川浦からは車道歩きが長く、工女たちの歩いた道として残されている山道「旧野麦街道」は、私たちの足で40分弱にすぎない。細い山道から出ると、そこは、立派な車道の通る「今野麦峠」である。乗鞍は、この日、雲に覆われて見えなかった。
 もと来た道を引き返す道すがら、私たちの足音に驚いてか、雉子が六羽、足下の藪から次々に飛び立った。同じ所に、なぜ六羽も、と訝しがる私に、「会議でもしてたんだろう」と言って、連れ合いは飛ぶように下っていく。遠ざかる背中を、私は慌てて追いかけた。

 川浦に戻った私たちは、宿を通して配車を依頼しておいたタクシーで休暇村乗鞍高原に向かった。
 この日、水曜日は、地域の診療所が休診であったことから、昼間のバスも運休になっており、移動の手段が他になく、「悪い予感」はしたが、タクシーを利用せざるを得なかったのである。
 川浦には、予約した時間より30分も早く、黒塗りの大型タクシーが待っていた。予感は的中。初乗り700円だか800円だかの、川浦・休暇村乗鞍高原間の料金は、京都・大阪間の料金に匹敵して、なお余りあった。

 長野の山に入下山するに際し、公共交通機関がない場合、車を運転しない私たちは、タクシーを利用するほかない。ところが、その都度、ためらいためらいすることになる。競争相手のない、当地のタクシー料金の高さは、毎回、「時間を買うのだ」と、呪文のように自身に言い聞かせねば、心の折り合いのつかぬ、山よりも苛酷なものなのである。今回も、しっかり冷や汗をかき、胸が苦しくなった。

 休暇村乗鞍高原は、その名のとおり、乗鞍高原の、県道乗鞍岳線(乗鞍エコーライン)沿いに建つ。

 先に、私たちは、これまでに、18カ所の休暇村を訪ねた、と書いたが、休暇村は、これまでのところ、どの施設も、建物に新旧はあっても、清潔さ、快適さにおいて、常に私たちを裏切らなかった。掃除が行きとどき、客室の備品にも、過不足がない。その他、寝具類を含め、全般にわたって一定のクオリティーが保たれている。裏方の人々の労に思いいたすところである。

 今回も、何の身構えることもなく、チェックインをすませた。
 フロントでは、入浴についての案内がなかったので、部屋にあった『ガイド』の入浴の項を見る。そこには、「入浴はチェックインより」とあり、さらに、「チェックインは3時」とある。すぐにでも汗を流したかったが、3時までの間、野麦峠往復の心地よい疲れを、午睡に癒し、3時を待って浴場に向かう。浴場からは、出てくる人あり、身体を洗っている人あり、湯船に憩う人があった。思えば、ここでは、「日帰り入浴」をも受け入れているのだ。であれば、「お風呂はすぐにお使いいただけます」の一言がほしかった。
 部屋から浴場へは、フロントの前を通らねばならない。入浴を済ませた私は、スタッフの姿があったので、「お風呂、いただきました。いいお湯でした」と声をかけた。礼儀というよりは、思わず、口をついて出たことばであった。顔をあげたその人たちは、怪訝な顔で私を見た。「お粗末でした。どうぞごゆっくり」などという、「気の利いた」ことばは聞かれなかった。もちろん、次からは黙って通り過ぎる。

 基本的に、私たちは、バイキング形式の食事が苦手だ。落ち着かない。したがって、他のメニューがあれば、できるだけバイキングは避けたい。しかし、今回は、選択肢が少なすぎた。そこで、一日目をバイキングとした。
 日頃から、昼食を重く、夕食を軽く摂る習慣のある私たちは、旅先ではそうもいかないため、重くならざるをえない夕食を、可能なかぎり早い時間に済ませるようにしている。この日も、5時からという夕食時間に、食事会場に向かった。すでに人で賑わっていた。
 入り口で、飲み物や追加一品料理を書き込む「伝票」が手渡され、ご自由にどうぞ、という。夕食時に席が決められていないのは、この乗鞍高原休暇村が初めてであった。
 窓際のテーブルに「伝票」を置き、取り分けた料理をトレーにのせて戻ってみると、見知らぬ黒い布かばんが置いてある。こんなところで、「先陣争い」などしたくない私たちは、料理と「伝票」を持って、移動する羽目に。そして、二人がけの、余裕のない、狭いテーブルでの夕食と相成った。
 スタッフが、飲み物を聞きに来る様子もない。まさか「姐ちゃん、ワイン!」もないだろう。とにかく、その場を早く離れたくて、ふたり、黙々と食事を急いだ。ところがどうだ。二つの小さなお皿が空くと、テーブルの狭い間を縫って、「お下げします」と、手が伸びてきた。落ち着かなさ、ここに極まる。
 料理の味は悪くはなかったのに、残念だった。「明日は、こんなこと、ないよね」と、慰めともつかぬことばを交わしながら、早々に部屋に戻った。


 翌朝は、碧い空が広がり、前日には見えなかった、乗鞍岳の姿が目の前にあった。

 自動車道路が、ほとんど上まで続く山には、何か他に理由がなければ、私たちの触手はあまり動かない。したがって、乗鞍は、36カ所、すべての休暇村に行ってみよう、などという企てがなければ、そして、乗鞍高原に休暇村がなければ、訪れることはなかったかもしれない。

 立派な車道が通っているのだから歩くことはない。バスで畳平まで行き、剣が峰を往復して、再びバスで休暇村に戻ればいいと、熱いお湯とインスタントコーヒー、わずかな飴、パワージェルと雨具だけを持って、フロントでバスの往復チケット(4800円)を購入し、休暇村前発8時6分のバスに乗る。

 バスターミナルのある畳平は、周囲を、恵比須岳、大黒岳、富士見岳に囲まれた、底のような場所にあった。
 バスを降りた私は、乗鞍本宮に一礼。来訪の挨拶をし、山の安全を願った後、後をもふり返らず、さっさと剣が峰に向かって歩いていく連れ合いのあとを追った。空は、どこまでも碧く、雲ひとつない。富士見岳の裾を巻く、およそ高山には似つかわしくない、広い砂利道を辿り、右上方にコロナ観測所を見ながら、摩利支天の裾を巻いて行くと、肩の小屋の一群の建物が見えた。高山の風雪に耐える立派なものだ。以前、この山域を、訪れたことのある連れ合いは、「前は、木の小屋がひとつやったはずやけどなあ。ここへ来る道も、この辺にあったはずや」と、指さした。

 百名山がブームになり始めたころから、山は、道も施設も、どんどん変わっている。
 人が多く訪れるようになると、昔の道は抉れてしまい、深い溝になって、つけ替えざるをえないのだと、或る山の関係者は言った。

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 乗鞍山頂。
 雲海の彼方に浮かぶのは御嶽山。

 肩の小屋の横を通って、少し行くと、岩礫状の登りが始まる。連れ合いはハイスピードで、私はマイペースで登っていった。碧い空のもと、広がる雲のかなたに、山の峰々が頭を出している。今日は、なんといい日だろう、と思いながら、歩を進めていくと、ちょっとした鞍部に到着。右下に、碧い空の色を映したような権現池が見える。その先に頂上小屋があった。立派な小屋を想像していたが、何とも心許ない木造小屋である。顔を上げると、頂が見える。岩を伝って、頂上は飛騨側の本宮神社奥宮の祠の前に立った。頭上には雲ひとつなく、太陽の光が眩しく、暑い。祠を背に、眺望を楽しんだ後、ぐるりと背後に回る。信州側の、鳥居のある乗鞍神社「お社」の前には、一等三角点があり、そこからは、御嶽を望むことができた。

 下山路を下る。連れ合いのスピードは、下りにかかると、さらに上がり、いつも私を焦らせる。しかし、今回、私は、8月下旬、伊吹山で下山時に捻挫していたこともあり、慎重になっていた。連れ合いの姿は、みるみる小さくなっていく。前を行く「ご老人」が、二、三歩下ってはズルッ、二、三歩下ってはズルッ、となる足もとを見ていると、こちらまでがズルッといきそうになるので、慎重に横をすり抜けて、肩の小屋へと下りていった。

 小屋の前で、私の到着を、今や遅しと待っていた連れ合いは、「歩いて下りる。天気もええし」と言う。私に否やはなかったが、復路のバスの切符はどうなるのか、往路の切符を切り離して使用してしまっている、との思いが頭の中を駆け巡った。「帰りの切符はどうなるのかなあ」と、ボソッと口にした私に、連れ合いは、後ろ姿で「ええやん、ええやん」と言うが早いか、小屋横の道に足を踏み入れ、軽やかな足取りで、スイスイと下山していく。

 肩の小屋口のバス停を少し下って、車道を横切り、登山路に入る。ごろごろした岩の山道を行っては車道に出、車道に出ては山道に入ることを繰り返しながらの下降路である。
 途中、熊の気配がした。道の両側には、ガンコウランやベニバナイチゴが実をつけている。山は、冬の支度を始めていた。

 私は、いつも、とてもではないが、動いている間は、周辺に目を向けている余裕はない。ひたすら足もとを見て、滑ったり、転倒したりしないよう、気を配っている。連れ合いは、そんな私を、運動神経が欠如している、と笑う。一方、彼はといえば、柔軟に足を運び、スピードを保ちながら、怠りなく周囲に目を配って、木の実・草の実を見つけるのが実に上手い。「尺取り虫」がちょっと癪な時もあるが、遅れていく私を待って、熟れた実をひとつふたつ手渡してくれることがある。
 立ち止まった連れ合いが、今回も、ベニバナイチゴの熟れた赤い実を一つ、私の手のひらにのせてくれた。「熊さん、ごめんね」と言いながら、口に入れる。とても甘い実だった。

 途中、ちょっとした高みに、静かな佇まいの地蔵尊が祀られてあり、霊水の標柱があった。修験の人々の、遠い昔に思いを馳せた。あたりには、ガンコウランの実が黒紫に熟していた。

 冷泉小屋の、車道を挟んだ、向かいの木陰で、熱いコーヒーを淹れ、お昼にした。徒歩での下山は予定外であったので、パワージェルしか持たなかったが、運動量がそれほどでもなかったせいか、不足は感じなかった。
 私たちの前を、自転車競技のトレーニングか、ヘルメットの若者が風を切って通り過ぎていった。

 三本滝との分岐には「斜面が崩落、通行不可」の表示があったので、道を左にとり、「鈴蘭」へと向かう。このあたりから、道は、コメツガの葉の、フカフカに降り積もった、なだらかで、膝にやさしい道になる。
 やがて、スキー場の横に飛び出した。着くはずの「鈴蘭」より、下方の「鈴蘭」に下ってしまったので、県道乗鞍岳線を上り返して、休暇村に帰った。1時半を少し過ぎていた。

 部屋に上がる前に、連れ合いのリクエストで、私たちはソフトクリームを食べることにした。休暇村乗鞍高原の喫茶コーナーは、長いカウンターに特徴がある。
 ソフトクリームを注文した後、喫茶を担当していたその女性スタッフに、"畳平までの往復切符を買ったのだが、歩いて下りてきたので、帰りの切符が不要になった。もったいないので、もし誰か、使うという人があれば、差し上げてほしい"という旨の説明をして、残った復路の切符を差し出した。女性スタッフは「いいんですか、じゃあ」と言って受け取った。その切符が、その後、どう使われたか知らない。
 ただ、帰宅後、知人にこの話をすると、知人は、払い戻しができたのではないか、と言う。しかし、かの女性スタッフは、払い戻しの可否について、一言も触れず、私の差し出した切符を受け取った。もし払い戻しが可能ならば、教えてくれたはずだと思う。だが、知人のことばによって、私の確信が揺らいだのは確かである。

 お昼が軽かったため、さすがに空腹を覚え、夕食が待たれた。そのうえ、今夜こそは、と楽しみにしていた、二日目の夕食である。だが、期待は裏切られた。
 テーブルの配置や、配慮に問題があるのだろう。落ち着かない。いすを引いて食事をしていた私のいすに、スタッフのエスコートする車いすが当たって通っていったのも、心を苛立たせた。

 シェフには悪いが、香りのない、輸入物の松茸を、「ふんだんに」使った料理も、私たちには興ざめであった。すき焼き、ホイル包み焼き、炊き込みご飯、土瓶蒸し、並んだ料理のいずれにも松茸は入っているが、「姿」ばかり。松茸の神髄は「香り」だろう。
 こんなことなら、土瓶蒸しにのみ、香りのよい国内産松茸を少量用い、あとは地場産茸をふんだんに使って「きのこづくし」にした方が、よほど気が利いている。ぼやく私に「これがいいという人がいるんだろう」と言ったきり、連れ合いは黙って箸をすすめた。
 「松茸は外国産を使用しております」と、断り書きにはあり、その意味での期待はなかったが、選べる料理は、これ以外なかった。
 食事を楽しめぬまま、この夜も早々に席を立った。

 帰途につく朝、階段ですれ違った、客室を整える掛かりと覚しき女性に「お世話になりました」と声をかける。立ち止まって、こちらに向き直った女性の、「お帰りですか。お気をつけて」のことばに、初めて心が和んだ。
 ちょっとしたことなのだ。大仰なことは何もいらない。スタッフが、すれ違いざま、知らぬ顔で通り過ぎるのと、ちょっと会釈して通りすぎるのとでは、ずいぶんと宿の印象は変わる。自分の守備範囲の仕事はルールに沿ってそつなくこなすが、それ以上でも以下でもない、というあり方は、実に素っ気ないものだ。
 確かに、どこの施設にも素っ気ない人物はいる。問題はその割合である。私たちの訪れた休暇村18カ所のスタッフすべてが、素っ気なかったわけではない。

 旅は、出会った人で印象が変わる。願わくは、心静かな旅をしたいものである。


 さりげない、おとなの、行き届いた対応に接し、再訪を期した休暇村がある。次は、そんな休暇村について述べよう。

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