■ 写真の歴史

最終更新日:2006.01.15

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銀塩による写真がダゲールによって発明されてから、150年以上になります。銀塩写真が現在のようになるまでにどのようなことがあったかを振り返ってみましょう。

1.銀塩写真以前

16〜17c.:ピンホール(pin hole)カメラの原理による「カメラ・オブスクラ(camera obscura)」が使用されました。これは、風景などを精密に写生することを目的としたものでした。カメラ・オブスクラとはラテン語で「暗い部屋」を意味します。実際、人がこの「暗い部屋」に入って風景を写生したりしています。この言葉から、写真撮影をする器械がカメラと呼ばれるようになったのです。

1727年:ドイツのシュルツェ(Johannes Schulze)が硝酸銀の感光性を発見しました。なお、硝酸銀の存在は中世の錬金術師には知られていたようです。

1777年:スウェーデンの化学者シェーレ(Karl Wilhelm Scheele)は塩化銀を塗布した紙に太陽光線を当て、紫色の光線が他の色の光線よりも塩化銀を速く黒化させることを発見しました。

1826年:フランスの化学者ニエプス(Joseph Nicéphore Niepce)は、次のような方法でピッチないしはアスファルトの感光性を利用した画像の複製術に成功しました。このため、彼は写真の開祖と言われます。彼は、スズと鉛の合金板にピッチを塗布して乾燥させ、複製したい原版を重ねて長時間太陽光線に当てると、光が当たった部分は溶剤(ラベンダー油や石油)に不溶となることを発見したのです。溶剤で処理したこの合金板をさらに硝酸で処理すると、光が当たらなかった部分が腐食され、このようにして,画像を物理化学的に複製定着する技術が初めて開発されたのでした。


硝酸銀:化学式 AgNO3。銀を硝酸に溶かすと得られる。水に可溶な透明結晶。塩化物イオン、臭化物イオン、ヨウ化物イオンを含む溶液を加えると、それぞれ塩化銀、臭化銀、ヨウ化銀の沈殿が生じる。

塩化銀:化学式 AgCl。水に難溶の無色固体。普通は結晶が極めて微細なので白色に見える。アンモニア水や濃塩酸、チオ硫酸ナトリウム水溶液などに可溶。

ピッチ:石炭、石油、木材などを乾留したときに得られるタールを蒸留した後に残る物質。

ラベンダー油:シソ科の植物ラベンダー(Lavendula vera)などの花や葉を蒸留して得られる香油。香料に用いられる。


     ●参考文献  菊池真一著「写真化学」(共立出版,1978)
                 田中益男著「写真の科学」(共立出版,1992)
                 「科学の事典・第3版」(岩波書店,1985)
                 「理化学辞典・第5版」(岩波書店,1998)

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(文責:塚本)