◇虹のビオレッタ実は(みのる、ではない) 最近、気になっている単語がある。ランダムノイズが脳に走り、何かの拍子で頭に浮かんだんやが、それがどうしても何だったか思い出せない。「虹のビオレッタ」だ。少女漫画のタイトルか何かか?とにかく思い出せへん。goo や infoseek で探してもちょっと見つからなかった。
それはさておき、先々月ぐらいから月に4,5回は徳島の実家に戻っているオイラ。もちろん家業を継ぐために和菓子職人の修行をしているからであるある。暖かい雪や。面白いやおへんか。
で、徳島を出て10年も過ぎているので、ちょっと近所を歩いているだけで色んな物が新しくなっているのを発見したりする。例えばJRが高架になってたりとか、小学校・中学校時の同級生が病院を開業してたりとか、オイラも通ってた小学校が制服廃止になってたりとか、近所の工業高校の制服がブレザーになってて女子がまるで都会のちょっと前のコギャル風だったりとか、けど田舎だから寸胴で短足なのが御愛敬だったりとか。
んが、散歩もすぐ飽きた。しかも田舎は夜が早い。6時になるともう真っ暗でやることがないっつーの。仕方がないので10年使ってないせいで埃まみれであるところの六畳二間の自室に入り、読みたくなるような本でも探してみることにした。
大学時代の本なんかはいまだにダンボールに入ったまま。取りあえずこれは後回し。本棚になんかないか?げっ日記帳!よぉこんなところに無防備に…。普通隠すだろ?隠せよ!
しかしそうかぁ。日記書いてたよなぁ…。さすがメルヘンポエマー野郎と呼ばれるだけはあるぜ。書いてたの1年半だけやけどな。
読んでみると、近所の大工のオヤジに聞いた旨いラーメンの店を探しに、鳴門までチャリで行って3時間走り回った話だの、近所のリバイバル館の「SF映画特集」を観に行き、初日が『StarWars2』,『StarWars3』,『ゴルゴ13』の三本立てで「頭が混乱した」だの、友人(現在は二児の父)に誘われて観に行ったSFホラー映画『パラダイム』が酷い出来で「金損した」だの、今のこれとてんでん変化がなかですたい。
さらに読み進んでいくと、なんと「虹のビオレッタ」について書いてあった!どうやら高校生当時、クラス内で話題になったものであるらしかったがそんなの全然覚えてねーよ。
さて「虹のビオレッタ」、その正体とは?
どうやら『ドラえもん』に出てきた単語であるらしく、ジャイアンの妹、通称ジャイ子(でまだ通用するのか?)の描いた少女漫画のタイトルだったのだったのだった!
く、くだらん!こんな事で悩んどったんかい!
ちなみにこの日記によると、ジャイアンも少女漫画を描いたことがあるらしく、そのタイトルは『おとめのあいのゆめ』であるそうだ。そしてライオン仮面を描いてた漫画家はフニャコフニャオ(これは未だに覚えている)。徳島県立城北高校の一部の学生の間で、一時期空前のドラえもんブームが起きたらしく、そういう事ばっかし話し合ってたようだ。そういや「別れの挨拶、アッカンベー」とかそういう事をやって喜んでいたような記憶もあるばってんくさ…。
西手新九郎のおかげで高校時代の日記から「虹のビオレッタ」の意味が判明したのは気分がスッキリした。んが、高校時代の自分の馬鹿さ加減に情けなくなってこの日はさっさと糞して寝ようかと思ったが、急に『ドラえもん』が読みたくなって20冊ほどを寝室に持ち出し、読み耽ってしまった。文章が長いって。
「虹のビオレッタ」の話はなかったなぁ。今度はどういう話だったか思い出したくなってきた。ジャイ子が描いて…ジャイアンがのび太に相談して…とかそういう話だったか?
◇(無題)昨日夜半から今日にかけて、WWWをTVと同じように考えてる人が如何に多いか、という事がよく実感できた。自分から何かを作る、探す、といった楽しみ方ではなく、与えられるものを貰うだけ、といった楽しみ方をしている人達だ。その比率は少なくとも1:3以上という数字が出た。
「インターネットって思ったより退屈」などとヌかす奴もそら出るわな。
そういや先日、某プロバイダ関連の人に「自分のサイトを作ってなくてダイヤルアップ接続だけしてる会員って全体の何割くらいか?」という質問をしてみたところ、「ほとんどがそういう会員っすよ」という答が返ってきた。まぁ別に悪いことではないけど…なんか引っかかりますらお。
まぁ「**と****の解説」だけの内容で「俺のサイトは〜」とか言ってる人達もいるしな。「自分と考えが違う」というだけで「変」だとか言うのも傲慢に過ぎるか…。
でも変。(傲慢)
◇ドラマ昼休みを利用してハンコ屋へ。実家に帰って本格的に小説家への道を目指すオイラにとって蔵書印は必須アイテムであろう。という事で先週注文しておいたのでそれを受取りに。
ゴム印(18×18[mm])で¥4,000-也。木だと同じ大きさで軽く1万円をこえるようだ。なんか足元見られてる気分。「じゃあゴム印で」とオイラが言った時の店のオヤジの「印章を値切るようじゃ器が知れてまんな」というあの目が忘れられない(うそ)。
で、その帰り。丸太町通の橋を渡っていると鴨川で何かドラマのロケが行われていた。あんちゃんがジョギングして、それをカメラで追っているようだ。なんだろ。NHKの朝ドラか?
オチはありません。
◇ブレンパワード久々に某氏宅にて合宿。3週間分溜まっていたブレンその他を見せてもらう。
ブレンは途中で飽きるかと思ったが、結局第一話から全部観続けたことになる。なんか凄く駆け足な内容だったなぁ。ストーリーはいつもながら全く予測不可能で、もたつくこともなくガンガン進んでいた。そのへんはドキドキして楽しめたが、感情移入して楽しむ、といった面ではオイラは全然ついていけなかった。各登場人物の言動の裏付けみたいなものを視聴者には提示してくれなかったから。これはわざとやろか?
テーマは(オイラなりに)はなんとなく理解できたんやが、ドラマに説得力や納得力(無断リンク)が無さ過ぎ。ここまでくるとやっぱり「わざと」であったんではないか、などという邪推が入ってしまう。全26話というのが短すぎたのか?
そういや、上で「予測不可能」と書いたけど、バロン・マクシミリアンの正体は予測できた。オイラは、某氏の「こいつ***ちゃいます?!」との指摘がなかったら予測できんかったやろけど:-)
で、最終回のラストシーンは…。なんか今までの富野作品とか、その影響下にある他の作品及びその製作者へのアンチテーゼ(っちうか「あてつけ」)のように思えた。オイラ的には人が死なないので不満だらけやが、ハッピーエンドが好きな人には良いエンディングなのであるカモカモ。けどあの世界でもこの世界でも、オルファン以外でオルファン以上の問題ってナンボでもあるし、「人間は理解しあえる(かもしれない)」というあのいつもの結論だけで希望を見せたエンディング足り得ているのか。それどころか、あんなに簡単に「理解しあえました」という安易な結末で製作者側は満足なのか、という気もする。
全26話という短い話数のせいで細部を端折ったために、オイラのようなボンクラのヘボおたくには分かり難いアニメになっちまった、というのが正直な感想でやんした。
LD(& DVD)は買わない方向で合意。
◇「お前ら、文学読んでるか!?文学!!」(パンクでポン)某氏の本棚に某少女漫画のムックがあったので読ませてもらう。
うーん、これって漫画ですか?イラスト付きの小説やないん?
フキダシとモノローグ(所謂ネームってやつですか)だらけで、その間に各登場人物の喜怒哀楽の表情が挟まってるだけ。んで時々3頭身にデフォルメされたキャラがボケ&ツッコミして場面転換。この部分はそりゃ漫画ならではやが…。
漫画に限らず、小説でも映画でも、恋愛物というのは登場人物の心理描写が命やと思うが、それを小説なら文章、映画なら映像、漫画なら絵で表現するものだと思いきや、この作品は(最近の他の作品をよく知らないので)そのほとんどを文章で表現しちまっていた。漫画にもそりゃ文章は必要やが、これでは主従逆転やなかろうか。文章による表現に頼るあまりに絵による表現が疎かになっているというのが素直な感想。読んでてるとまるで中学生向け少女小説でも読んでるような気分になってしまった。そんなんいつ読んだ?
主人公が、自分と、自分が推測した他人の感情の動きを、独白で説明しつづけるというのはゴイスーな手法ですにゃー。確かに読んでて楽ですわ。「なんでそこでこう言わんの?」「あぁそういう理由だったのか」の間で色々考えるという読者の手間を省いてくれてて。
というわけで「マルチ=キャシャーン説」、「大運動会=将太の寿司説」、「ファイブスターストーリーズ=ガラスの仮面説」に続き、「カレカノ=コバルト文庫説」を提唱するが、どうか?
◇新婚さん、いらっしゃい新婚ホヤホヤの大西先生が来阪。名古屋の学会(?)の帰りであったらしい。よって、わりと遅めの午後8時よりダーウメにてアンゴルモアの会関西支部による歓迎会&結婚祝賀会が予定されていた。
午後7:45。まだ京都の職場にいたオイラにウラベ氏(生きてた!)から電話が入る。「オイラ今から出るっす」 え、どこに?「いや、あの大西さんの」 あ、そうか。「やなざわさん、今どこっすか」 京都じゃよ京都。「え、まだいたんすか。なんかあったんすか?」 いや、たいした事やないよ。忘れてただけで。
9時前に梅田到着。なんかいつもより高そうな店で飲んでるようだ。
大西さんはニヤケっぱなし。ここぞとばかり冷やかしを入れるオイラ。
お嫁さんは可愛いっすか?「可愛いよ」 なんて呼んでるんすか?「○○○さんって」 まだ呼び捨てじゃないようですな。
夜の方はどないですか。「いや、まぁ…ね」 裸にエプロンとか着てもらったっすか?「そんなのしてないよ(笑)」 セーラー服とか、ブルマーとかは?「してない」 全裸にルーズソックスだけ、は?「しないよ(苦笑)」
じゃあ一体何の為に結婚したんすか?!
◇宇宙に煌くエメラルド午前零時過ぎ。何故か堺市にいる京都在住のオイラ。
免停執行猶予中のダダAこと川村氏の運転にて獅子座流星群を観測に出かける事になったのだったのだった。ついさっきまで梅田で酒飲んでたような気もするがok,ok. easy,easy.
まず北へ向かうか南に向かうかを決める。早い話が京都に向かうか和歌山に向かうか、だ。取りあえず田舎であるところの和歌山に向かおう、ということになった。
しかし南に下るにつれ、空はどんどんと曇り出してきた。太平洋側は駄目なんやろか?(予備調査ゼロ)
「やばいっすねぇ。北に行くべきでしたか…」
「大丈夫やって。地球は丸いはずや!南にどんどん行ってればそのうち!」
「…」
高速のPAにトイレ休憩に入る。うげ、駐車場が殆ど満車やん。外に出てる連中は白い息を吐きながら空を見上げていた。この似非天体ファンどもが!獅子座ってどこにあるか知っとんか?こら!お前が見上げてるのは北の空やど!
アベックとか親子連れとか、たいしたことのない連中ばかりだ。やはり我々のような根っからの天体ファン(大嘘)は、おらんみたいやのー。放っといてさらに南に向かう。
「腹減ったなぁ」
「なんか食っていきますか?」
「そういや和歌山って旨いラーメン屋があるらしいね」
「トラックの運ちゃんに有名っすね。…あ、このへん、あの園部っすよ」
「なんかカレーの匂いがすると思ったよ」
「…」
空はまだ曇り。これは絶望的か?
追い抜いていく車はだいたいがアベックだった。
「あの連中もせっかくアベックで来て曇りじゃガッカリでしょうねぇ」
「どうせ帰りにホテル寄って『俺の流星雨を食らえ〜!』『きゃあ〜!1ccあたり5千万匹〜!』とかやるんやろ。むしろ羨ましいぞ!」
「…」
ついに白浜まで来た。んが、星なんざ見えやしねぇ。
ダルダル探検隊、初の敗北!
「どうせ日本じゃたいして流れてないよ」などと酸っぱいブドウ理論を展開していたが、どうやら結構流れてたようだ。悔しくなんかねーよ!
◇今後について先日の関西支部集会にてSOHO関連の雑誌・書籍をゲイツ廣川氏から頂いた(貸してくれた?)ので、取りあえず参考になりそうなところを探して読んでみる。来年度からは在宅で働くのだ。取りあえず***社のエロゲーの原画を担当する予定。
で、SOHOを始めたという人たちへのインタビューを読んでみる。やはり職種はコンピュータ関連が殆どで、他には通販などが少しある程度。in と out が両方とも通信だけで出来る仕事っていうとやはりそうなるか。
「独学でHTMLとUNIXを勉強して開業」したという女性がいたが、この女性の仕事は「ホームページ作成」。URLも併記されていたので見に行ってみたが、どうやら<TABLE>の使い方を主に勉強しているようだ。いい感じですにゃー。DTDって知ってますか?
さらに読み進めていくと、どの人も先行きを明るいと認識しているようで、文章も景気のいい事この上なし。「***を**するとしても、SOHOなら簡単だ」などなど。「SOHOならこういう点が不利」という記事は、こういうカラーページではなく後ろの方に隠れていた。まぁそういうもんやろな。SOHOブームで売れてる本で、SOHOの暗黒面を大々的に取り上げるはずもねーか。
とにかく読む。
自分のために基本点をまとめておくと、会社勤め=小・中・高校、個人事業主=大学という感じだ。先生やボスが呼び出してくれて「こうしなさい」などと指導してくれない。届け出は自分で。遅れたら無効。あ、大学にもボスはいるか。
あと、大学は失敗しても退学するだけですむが、事業は失敗すると食っていけんごとなるんよな…。そこにしびれる!憧れる!
◇(無題)ウラベ氏から指摘があったので、くろっくはちさんの日記(11/16)やカレカノWatchを読む。「ロボと人死ににこだわり」 浮いてますなー、オイラ。
10年以上少女漫画から遠ざかっているオイラとしては、単純に「こういうのもアリ?おもれー!まんでコバルト文庫のごたーる!」と思ったのでありました。最近は少年漫画かオヤジ漫画しか読んでなくて、少女漫画といえば『いらかの波』を古本屋で揃えたり、自宅で15年ぶりに吉田秋生読んだりといった程度なんで、他の少女漫画との横の比較も出来ません。
くろっくはちさんによれば「「ネームの多い少女マンガ」というのは、 かなり「アリ」」だそうで、ではなぜ少女漫画には「ネームの多い」ものが「アリ」なんやろうか?
少年漫画やオヤジ漫画は、映画(今はTVアニメやゲームも)などの映像的表現を再現しようとしているが(推測)、少女漫画は感性を表現することが目的であり、そのせいで小説に近い表現方法になっているような気もする(全部推測)。
また、多くの少女漫画には「恋愛」が強烈な縦軸として存在するが、少年・オヤジ漫画では「恋愛」はそれほど重要視されてなかったりする。そのへんの違いやろか?
読者の違いもあるやろなー。物語の登場人物の言動に共感したくて読んでるか、単に娯楽として読んでるか。
少年・おやじ漫画×少女漫画という組み合わせを、エルフのエロゲー(同級生2以前)×Leafのエロゲーと置換可能のような気もするが、どうか。
◇カレカノ アニメの感想なぜ「センセ」?カレカノ・アニメの感想は
「おぉ、画面を見んでも耳だけで楽しめる?CDドラマかっつーの! っていうかバリアフリー? 視覚障害者の方にもお楽しみいだたけますってとこか? オイ!」ってな感じでした。某氏宅にて初回だけ見た感想っす。
聴覚障害者の為に字幕付きで放送しようとしたら、速読の技能が必要になるでしょうな、アレは。
◇一人称「カレカノ=コバルト文庫」説、などと馬鹿な事を主張していたが、なぜオイラはそう感じたのか、というのをまた色々と考えていた。先日、某氏との電話では、あれは単に「カレカノ」が一人称漫画であるからではないか、と言った記憶がある。
しかし一人称なだけで小説っぽく感じるというのも説明になってないような気がして、また納得のいく理由を考えていたのだったのだった。
で、オイラがカレカノ第一話(原作)でちょっと違和感を感じた部分があり、そこについて考えているとなんとなく答えが出た。違和感を感じた部分というのは「見栄王なのである」という部分。「誰に言うとんのやろ?」と、最近この手の作風のを読み慣れてないせいか、ちょっと気になったのだ。「見栄王なのよね」などと自分に言い聞かせるような文章でも別にかまわないではないか、と。
誰に言ってるのか?読者に決まっとる。これはつまり、読者がストーリーを主人公の主観を通して見る/読む、というだけでなく、主人公の一人称による解説(ナレーション?)を通して見る/読むというタイプの作品であるということだろう。
これは別に珍しいわけではない。映画でも小説でも漫画でもよくあるし。ただ、主人公(カレカノでは有馬の主観を通すお話もあるらしいが)の独白、つまり頭の中での考えを文章化したものが、解説っぽくならないようにしている作品もある。ドキュメンタリータッチのものなど。同じ漫画で言えば〜…検索中…少年エースの『新世紀エヴァンゲリオン』のシンジの独白などはあまり解説っぽくない。読者はシンジの頭の中を覗いている感じだ。
これに対してカレカノと同じく解説っぽいものといえば…検索中…今思い付くものといえば…。
ここでオイラの脳内の連想記憶エンジンがその最大投射角を超え、外部のデータに対してのΘマーキングを行った。
そういや映画『江分利満氏の優雅な生活』(無断リンク:オイラの邦画オールタイムベスト)とか、そうだったよな。一人称で解説っぽい。あ、そういや江分利満って原作が小説だったよ。なるほど!
漫画は絵があるので、心象風景などを駆使して、解説っぽくないわりと自然な言葉で主人公の主観を表現できるが、小説ではすべて文章であるので、一人称だとどうしても解説っぽくなってしまうのではないか。一人称小説で文章を書いている(または口頭で他人に説明している)のは実際の作者ではなく、その一人称であるところの人間(主人公が多い)であるわけだ。そしてカレカノにおけるネームは、一人称小説の文章とまさに同一のタイプであるとオイラは感じたのだ。
カレカノを読んだオイラの頭ん中では、無意識下にて「一人称による解説っぽい文章(しかもやたらと多い!)」+「内容が少女向け恋愛物」→「コバルトくせー」と連想したのであろう、と、推測される。あぁスッキリした。
ちなみにこれはカレカノの特徴の1つであろうと推測しますが、横の比較が出来ないのでそれが珍しいのか珍しくないのか、というのはわかりかねます。ついでにそれが作品の質を上げている/下げているといった部分については何の意見もねーっす。強いて言えば「多分作品の質とは全く関係ないだろう」と思われます。つまり、カレカノのネームがコバルト臭くなくても、本質の部分にはさほど影響はなかろうと>くろっくはちさん
ところで、オイラの薄い記憶によれば少女漫画でもコバルト臭くないネームの漫画も多くあったはずだ。陸奥A子とか。ふっるー。今の少女漫画の作品群の中でもコバルト臭くないものも多いはず。そこであえて庵野(呼び捨て)がカレカノを選んだということは…。
庵野(呼び捨て)が岡本喜八の大ファンというのは有名な話で、確かアニメージュで対談もしていたはず。んで、夏エヴァが岡本の『激動の昭和史 沖縄決戦』へのオマージュだったのではないか、というのは岡本ファンの間での定説である(うそ)。もしかして『彼氏彼女の事情』も岡本作品へのオマージュが入っとるんでは…。『江分利満氏の優雅な生活』って岡本監督作品なんよね。あれも主人公(小林桂樹:無断リンク)がずっと喋くり通す作品であった。
当然の論理的帰結により、「アニメ『カレカノ』=『江分利満氏の優雅な生活』」説を提唱するが、どうか。
うーん我ながらなんちう強引な邪推であろうか。久々に会心のヒット。