戦前、戦中、戦後を生き抜き、現在の日本の退廃を憂いている人間の一人として、戦後世代の貴兄が石原莞爾将軍の存在に気づかれたことは、大きな喜びです。 ご質問に対して私など到底「教える」などおこがましいことは言えませんが、以下私なりの考えを述べさせていただきます。ご質問が広範囲なので、二点に絞ってお答えさせていただきます。
1、「日本民族は一体誰と闘ってきたのか」
日本は明治以来六回の戦争を経験しました。それぞれに闘う相手が違いました。日清、日露、第一次大戦についてはしばらく措いておいて、私が問題にしたいのは、それ以後の戦争すなわち、満州事変、日中戦争、太平洋戦争の三つの戦争です。一般の常識に従えば、この三つの戦争は15年戦争として一括りにされています。日本は満州事変を出発点として侵略戦争を起こしたということになっています。
然し私に言わせれば、この三つの戦争を同列に論ずることは歴史的事実を歪曲することになると考えます。大体戦う相手が三つとも違いました。満州事変の相手は地方軍閥張学良軍であり、日中戦争は全中国民族主義を相手とし、太平洋戦争はアメリカ帝国主義と対決したのでした。
満州事変には確たる戦争目的がありました。それは、@ソ連の南下を防止する。A張学良軍閥の圧政から三千万民衆を解放する。B昭和恐慌に苦しむ日本に活路を与える、というものでした。日中戦争=支那事変となると、これはもう日本帝国主義の侵略行為であるとしか言いようがありません。中国民族を蔑視した尊大な陸軍は,三ケ月もあれば中国全土を日本の意のままに動かせると思っていたのです。そして陸軍の背後には自己増殖を計る官僚組織があり、さらにその背後には甘い汁を吸おうとする経済が存在し、そしてまたそのおこぼれを頂戴しようとする一般国民がいました。最近、京事件には日本の責任はなかったとの論議がありますが、そもそも石原莞爾が言うように、万里の長城から南に派兵したことが間違いだったのです。日本は大陸に数十万の大軍を送りながらついに中国の民族主義を屈服させることが出来なかったのです。日本がこのような過ちを犯したことを教訓とせず、アメリカがベトナムに大軍を送り惨敗したことは自己過信の愚かさを示しています。
太平洋戦争は日米両指導者の意地の張り合いから生じたものでした。帝国主義時代の帝国主義国同士のせめぎあいと言うことができます。特に日本の指導者は彼我戦力の冷静な判断もせず、戦争終結の条件も考えず、闇雲に戦いを宣しました。戦後になってから、あれはアジア解放の聖戦であったと言う人が現れましたが、それならば何故宣戦の詔勅のなかにそれを謳わなかったのでしょうか。
2、「現在は闘うことをやめたのか」
正にしかり、日本は闘うことをやめました。「闘うこと」には二つの意味があると思います。その一つは武力をもって闘うということで、もう一つは文化的、精神的に闘うということです。前者については、石原莞爾は終戦直後「戦争放棄」を訴え、これが憲法第九条につながり、非核三原則につながり今日に至っています。(最近は某防衛政務次官のような人が現れ少しおかしくなってはいますが)
後者については、完全にアメリカに脱帽、敬礼して、闘うなんてものではありません。戦後50年、人々はアメリカを目標にして生きてきました。たしかに我々の生活は楽になり便利になりました。今、私が使っているWindows95もアメリカからきたものです。然しだからといって何時までもアメリカに対してイエスマンであってはならないと思います。アメリカ的な生き方が世界人類を終局的に幸福にするものなのかどうか、考えてみる必要があります。
適者生存、弱肉強食、金銭万能、優勝劣敗を基本原理とする高度資本主義社会の頂点に立つアメリカ。年収数十億ドルのビルゲイツを賞賛するアメリカ。ヘッジファンドの跳梁を社会悪としないアメリカ。一人当たりのエネルギー消費量が世界一であることを当然としているアメリカ。ハイテク空軍を使用すれば世界平和が達成できると思っているアメリカ。アメリカン・スタンダードをグローバル・スタンダードとして押し付けるアメリカ。このアメリカに対して日本は、文化的、精神的な意味においても屈服し、闘いを止めています。(貿易問題では多少の抵抗を見せてはいますが)
然し、本当にこれで良いのでしょうか。我々は何時までもアメリカに屈服しているわけにはゆきません。文化的、精神的な面において自立すべきであります。アメリカ的な良さを保ちながら新しい人類としての生き方を模索すべきであります。全てのものを包摂し、これを生かすという道を探求すべきであります。
かつて石原莞爾は、力を主とする覇道アメリカと、道を主とする王道アジアが最終戦争を闘うと言いましたが、これからの世界に、戦争という形をとらない文化的、精神的な面における新たな闘いが起きることを、心から祈りたいものです。
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