石原莞爾フォーラム
No.181
Date:Wed, 4 Oct 2000 18:01:48 +0900
Subject石原莞爾のお墓参り道中記
ハンドルネーム:震電改
Name:(匿名)
E-mail:(匿名)
発言:八橋様は今年8月石原莞爾のお墓参りに行ったそうでありますが、実は私、震電改も去年8月、行ったのです。8月9日早朝バイクで神戸を出発したものの、午後9時ごろ漆黒の越前街道でエンジンブロー(涙)。通りかかったバイクの人と警察官、近所のバイクショップの人に助けてもらったけれどもバイクは廃車となり、やむをえず、青春18切符を買い普通電車を乗り継いで、11日にようやく、酒田に到着、酒田図書館に行き、石原蔵書目録を買おうと思ったのですが、すでに絶版ということありました。近くに大川周明の記念碑があったのですがあれは一体?

そこから吹浦海岸に行きまして、石原莞爾先生の墓とかかれた看板を見つけ無事到着、ノートに記帳し、お花を添えておきました。それにしても吹浦海岸キャンプ場のの観光案内掲示板に石原莞爾のお墓が記されていなかった(と思う)のはゆるせん。お墓のすぐ下に家がありましたがあれは親類の方でしょうか?お墓の前の国道沿いに八角形の家と小さな平屋がありましたが、あれは秘録石原莞爾(横山臣平著)の巻頭写真にある石原夫妻の家と同志の家ですよね。なんとなく感慨深いものがありました。

野宿しながら8月15日4時55分にもう一度お墓参りをして帰ろうと思ったのですが、12日夜、今まで体験したことのないもの凄い雷雨に遭遇し、あきらめました。吹浦駅で出会った地元の人によると、吹浦は乱気流の通り道とかで、夏は雷雨、冬は凍風、吹浦の語源は風の吹く浦だそうで、石原夫妻の辛苦が偲ばれます。彼によると、戦前はやはり石原莞爾は郷土の英雄だったそうですが、戦後は東京裁判史観の蔓延と日教組朝日新聞の偏向教育報道で、地元の人にとっては余りふれられたくない人物になったとか。でも最近、その評価も見直され始めているということで、慶賀の至りです。


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