石原莞爾フォーラム
No.195
Date:Thu, 23 Nov 2000 14:59:52 +0900
Subject瀬島龍三著「大東亜戦争の実相」と石原莞爾
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発言:瀬島龍三著「大東亜戦争の実相」は同氏が米国ハーバード大学で行った大東亜戦争に関しての講演録を発刊したものである。同書の終章「回顧よりの教訓」を見ると「満州の天地に建国の理想たる五族(満・蒙・漢・鮮・日)協和のいわゆる王道楽土が名実共に建設されるならば、それはわが大陸政策の成功であったでありましょう。また、東亜の安定にとって大きな貢献をしたであろう。満州建国には地理的、民族的、歴史的、思想的にその可能性があったと思われます。ーー中略ーー」と記している。
  1996年2月発刊の「永久平和の使徒 石原莞爾」を見ると「満州国の育成がようやく軌道に乗ろうとしていうときーー中略ーー日支大同の民族的関係が損なわれる。−−」と日・中戦争が始まる時の石原参謀本部作戦部長は必死で戦争反対の努力をおこなったことを記している。力及ばずその職を追われ、関東軍参謀副長として中央を去った。去るにあたり石原は「今に大きな失敗をしでかして中国から、台湾から、朝鮮から、世界中から日本人がこの狭い本土に引き上げなければならないような運命になる。」と予言した。泥沼化した日・中戦争はついに大東亜戦争となりそして敗戦を迎えた。石原は「敗戦は神意なり」と講演した。満州事変は正義の戦争、日・中戦争と大東亜戦争は不正義の戦争であった。「この世に恐るべきは神と正義のみ」と講演する石原は「正義でない戦争が勝てるはずがない」と。
石原の王道楽土の王道観の特色は「王道の理論は、王道の実践に先行すべきではない」ということで広い意味での左翼思想および、中道思想・右翼思想とはっきり分けることができる。この特色基準が軍事科学者石原の生涯の生きる姿勢であった。関東軍副長として王道楽土の実践行を叫んで日系人の優越感と闘った。やがて石原は鬱鬱として内地に転勤した。帰国後の満州は収拾すべかざる百鬼夜行の状態に陥ってしまった。石原は維新、改革は「誠心の回復」であると言う。21世紀は石原が提唱した「誠心の回復」による民族協和の精神から拓かれることを切願して止まない。


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