No. | 200 |
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Date: | Sun, 3 Dec 2000 20:57:46 +0900 |
Subject | 南京虐殺事件と石原莞爾 |
ハンドルネーム: | |
Name: | (匿名) |
E-mail: | (匿名) |
発言: | 1937年7月7日日中戦争が始まった。時の石原参謀本部作戦部長は言った「満州事変の兵は若い現役兵だったから、軍紀が厳粛に保てた。今度は戦時編成だ。将校も兵も予備役が多いからどうしても軍紀がゆるむだろう。困ったことだ」と、その年の12月13日から翌年1月にかけて6週間南京虐殺事件が起きた。4ヶ月経過した5月のある日、外人通信記者が二人満州新京の石原関東軍参謀副長を訪れてきた。記者「南京の虐殺事件は世界に隠れなき事実だ。私たちは日本側に好意をもっているが現地では勿論のこと、わざわざ東京まで行って尋ねてみても、そんなことはないと否定する。最後に、世界的に有名な貴官のご意見を伺いたいと思って、わざわざ、新京まで訪ねてまいりました」石原は「誠に恐れ入りました」と、二人の外人記者の前に真剣に頭を下げて謝った。「日露戦争後日本の道義がすたれ、軍隊の風紀も低下したから聞くがごとき日本軍の虐殺も絶対にあり得ないと否定することは出来ない。あなた方が見て、あったとすれば、あったであろうと、私はお詫びするのですー」二人の外人記者は「判りました。新京まで来た甲斐がありました」と、納得して帰っていった。謙譲と反省 誠実者石原の言動である。(山口重次著満州建国への遺書第一部) |