No. | 199 |
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Date: | Thu, 30 Nov 2000 14:20:28 +0900 |
Subject | 長州 薩摩 の誤算。 |
ハンドルネーム: | |
Name: | 長谷川 敦 |
E-mail: | (匿名) |
発言: | 明治維新を否定はしないが、明治維新「革命」を起こすには大義名分が必要だ。それで、長州薩摩は徳川の権威を上回る、天皇をかつぎ上げ天皇を頂点とした政治体制をつくった。 それは成功した革命であるからそれでいいが、日本国という国体ができ、西欧先進技術を取り入れ日本が先進国になりかけたときに、天皇を今の象徴天皇のように、または「英国流」に権威であるが権力ではないという方向に持ってゆき、政治体制を西欧先進諸国のように、順次、日本を民主化してゆけばアメリカなどと対立せずに戦争も避けられただろうし、長州薩摩もいまだ絶大な尊敬を勝ち得ただろうと思う。 それを、しなかったのが長州薩摩の最大の誤算で、誤算を気ずかなかった日本人にも責任があるのかもしれない。 自らつくった制度「天皇君主制」で自らを自滅に追いやることになったことは歴史が証明している。 天皇制君主制と民主主義は両立する事はできず、どちらか一方を順次、旗を降ろさなければならないということを分かっていなかったのか、きづかなかったのか、それが日本を戦争へと駆り立てる悲劇を引き起こしてしまった。 徳川は鎖国によって日本を100年後らせたというが、長州薩摩は日本の民主化を100年後らせ、どっちもどっちなのだ。 「今の日本の政治を見ればわかる」 日本人は神の国で生まれた世界一優秀な民族だなどという幻想を捨て、この程度から始めようという謙虚さがあった方が、日本の明日は明るいかもしれない。 |