No. | 207 |
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Date: | Thu, 14 Dec 2000 16:25:14 +0900 |
Subject | 「むごたらしく殺せば人数は関係ない」三笠宮殿下談 |
ハンドルネーム: | |
Name: | (匿名) |
E-mail: | (匿名) |
発言: | 南京大虐殺についての質問に答えて 三笠宮 「最近の新聞などで議論されているのをみますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。人数は関係はありません。私が戦地で強いシヨツクを受けたのは、ある青年将校から「新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる」という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体何だったのかという懐疑に駆られました。。また、南京の総司令部では、満州にいた日本の部隊の実写映画を見ました。それには、広い野原に中国人の捕虜が、たぶん杭にくくりつけられており、そこに毒ガス弾が発射されたりしていました。ほんとうに目を覆いたくなる場面でした。これこそ虐殺以外の何ものでもないでしょう。しかし、日本軍が昔からこんなだったのではありません。北京駐屯の岡村寧次大将などは、その前から軍紀、軍律の乱れを心配され、四悪(強姦 、略奪 、放火 、殺人 )厳禁ということを言われていました。私も北京の行って、直接聞いたことがあります。−中略,ー」 1994 8 THISIS 読売 闇に葬られた皇室の軍部批判ー支那事変に対する日本人としての内省 三笠宮崇仁 1943年1月、若杉参謀の名で支那派遣軍参謀(大尉)として南京に派遣された。現代人物事典には「軍規律の頽廃、捕虜虐殺の実態を見て批判的な意見を述べるが、かん口令をしかれた」との記述がある。翌年少佐。その後大本営陸軍参謀、機甲本部付、 航空総軍参謀 |