石原莞爾フォーラム
No.209
Date:Fri, 15 Dec 2000 19:39:17 +0900
Subject南京の大量虐殺は軍隊の統制ある集団行為であった
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発言:昭和13年4月の初めであった。長勇大佐が私を訪ねてきた。彼は3日間私の官舎に宿泊し、私は彼と起居を共にした。私はこの間驚くべき事実を彼の口から聞いたのである。それは世界を驚倒せしめた南京付近における中国人大虐殺の真相である。彼はある日私に語った。曰く「南京攻略のときには自分は朝香宮の兵団の情報主任参謀であった。上海付近の戦闘で悪戦苦闘の末に漸く勝利を得て進撃に移り、鎮江付近に進出すると、杭州湾に上陸した柳川兵団の神速な進出に依って、退路を絶たれた約三十万の中国兵が武器を捨てて我が軍に投じた。この多数の捕虜を如何に取り扱うべきやは食料の関係で、一番重大な問題となった。自分は事変当初通州において行われた日本人虐殺に対する報復の時機がきたと喜んだ。直ちに何人にも無断で隷下の各部隊に対し、これらの捕虜をみな殺しにすべしとの命令を發した。自分はこの命令を軍司令官の名を利用して無線電話に依り伝達した。命令の原文は直ちに焼却した。命令の結果、大量の虐殺が行われた。然し中には逃亡するものもあって、みな殺しと言う訳には行かなかった。自分は之によって通州の残虐に報復し得たのみならず、犠牲となった無辜の霊を慰め得たと信ずる」と、長勇大佐の言の真実性を裏書きするものは隣接の柳川平助中将の兵団に何等の残虐行為がなかったことである。南京周辺の残虐行為は通州事件に比すればその規模において亦深刻さにおいて雲壌万里の差がある。長勇氏は昭和二十年の春沖縄戦において戦死した。 (元陸軍省兵務局長陸軍少将田中隆吉著「裁かれる歴史ー敗戦秘話ー」)田中少将の言−南京の大量虐殺は軍隊の統制ある集団行為をもってするにあらざれば絶対に、不可能であるのみならず、この軍隊の統制ある集団行為は上司の命令によってのみ始めて実行に移すことが出来るからである。−


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