閑院宮元帥の次男春仁王はバロン西と同期の騎兵将校でしたが機甲科に移りました。 そこで石原に話を聞きに行ったら「政治向きの話は大声を上げるが、戦車の用兵となると口をつぐんでしまった」そうです。
軍事思想家としての予見はさておき、実践面における彼の知見は第一次大戦で終わっており、機械化された機動戦術は彼の理解の外だったかに思われます。
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