石原莞爾フォーラム
No.220
Date:Wed, 2 Feb 2000 07:52:31 +0900
Subject満州国建国に関する事実と評価についての資料
ハンドルネーム:震電改
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発言:東京裁判却下未提出弁護側資料抜粋(講談社学術文庫P44)

東京裁判では満洲事変を端緒とする満洲国の建設という行動が全被告の共同謀議に基づく中華民国への侵略行為であり、その共同謀議の第一段階が「満洲支配の獲得」を手がかりとしての柳条湖事件だった、と糾弾された。そこで弁護側の反論は、満洲国独立、その直接的手続として清王朝復辟運動は満洲の地の住民に生じた自発的な運動であり、日本の謀略に発するものではないとの事実を数々の証拠文書を以て立証しようとした。辛亥革命後の中国の内情は殆ど無政府状態に近い混乱を呈し、素質の劣悪な傭兵を抱えて各地に割拠する軍閥相互の内戦状態、住民に対する悪政の弊甚だしく、大正十五年(註、1926)には既に清朝最後の皇帝であった宣統帝溥儀を推戴して中国に君主制を復活せしめようとする動きが生じていた。もしこの事実が法廷で立証された場合には、東京裁判の全公判中でも最も得意な存在として注目を浴びていた検察側証人廃帝溥儀の証言を一支点とした、満洲国皇帝政府は関東軍の侵略拠点として作られた傀儡政権にすぎなかった、という裁判起訴状の筋書が大きく崩れてしまう。そこで満洲国独立運動は満洲人自らが夙に計画していた民族主義的運動であったことを示す書証は、悉くが証拠能力なし、重要性なしとの口実の下に却下されている。
この脈絡で却下された証拠文書の一つに、近年映画の原作として有名になった、溥儀の家庭教師であったイギリス人R・F・ジョンストンの回想録『紫禁城の黄昏』の抄録がある。この書の中で著者ジョンストンは、満洲事変勃発以前に満洲独立運動は存在しなかった、とするリットン調査団に対し、それはリットン調査団が知らなかっただけだ、との反駁を加えており、又、蒋介石麾下の国民党革命軍が北京東陵を爆破して西太后の遺骸を冒涜した蛮行に対する溥儀の怒りの如何に激しく、これが復辟への決意に如何に大きく影響したかを述べている。しかしこの著述も法廷証としての採用を拒否され、溥儀傀儡皇帝の即位は専ら軍の脅迫によるもの、という東京裁判独特の神話が法廷に於いて形成されて行った。



因みに満州独立運動の存在を知らなかったリットン調査団報告書は、「満州事変は一国が国際連盟規約の提供する調停の機会を予め十分に利用し尽くすことなくして他の一国に宣戦を布告せるが如き事件にあらず。また一国の国境が隣接国の武装軍隊により侵略せられたるが如き簡単なる事件にもあらず。何となれば満洲に於いては世界の他の部分に於いて正確なる類例の存せざる幾多の特殊事態あるを以てなり」と結論づけ、国際連盟は満洲事変、満洲国建国を、侵略行為(正訳は侵攻行為である。現在に至るも国際法上の定義は確立されていない。)とは認定せず、支那側の対日制裁発動要求を一蹴したのである。


従って我が国は国際連盟を脱退する必要など全くなかったのであり、非難されるべきは石原莞爾よりも松岡洋右であろう。


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